24、ミカン、めいれいする
「ミカンさん、ご無事で良かったです。私はユフィラルフ魔導学院で事務長をしている者です」
「じむちょうさん?」
そう問い返すと、彼はにこやかな笑みを浮かべて、深々と礼儀正しく頭を下げた。たぶん、私がダークロード家の娘だから、こんなに丁寧なのだと思う。
彼が名前を名乗らないから、一瞬、非常識だと感じたけど、この感覚は改めるべきね。この世界には、名前を授かってない人の方が多いみたいだもの。
でも名前はなくても、イチニーさんみたいに、あだ名みたいな呼び名がある人も多いらしいけど。
(わっ、熱くなってきた)
イチニーさんのことを考えると、ほっぺが条件反射のように熱くなってくる。マズイわね。こんな調子だと、イチニーさんを見かけたら……彼どころか周囲にもバレてしまう。
彼が、私に一目惚れしたとか言ってたのは、レオナードくんをからかっていたんだもの。それなのに、私が妙な反応をしてると、逆に迷惑がかかるよね。
それに、名前を授かってないってことは、イチニーさんは貴族でも有力な家に生まれたわけでもない。私が好きかもとか言ってしまうと、きっとイチニーさんはダークロード家の使用人にされるだけだ。
(バレないようにしなきゃ)
「ミカン様、事務長さんが、めちゃくちゃなんですぅ。ミカン様がこんなに酷い目に遭ったのに、エリザ様には言わないで欲しいって……隠蔽しようとするんですよ」
(あっ、そうだった)
つい、自分の世界に入ってしまって、肝心なことを忘れそうになっていた。
「い、いや、隠蔽とかそういうつもりではないのですよ。ただ、ミカンさんもご無事でしたし、シグレニさんも問題なく回復されましたから、ここは穏便にですな……」
「ここで起こったことは、すべてエリザ様に報告することになっています。それを口止めされるなんて、おかしくないですか?」
「口止めでもありませんよ。穏便にと、先程からお願いしているではありませんか」
サラが反論するから、また、事務長さんと揉め始めたよ。
(でも時雨さん、よかった)
時雨さんの怪我は、もう大丈夫なのね。これはサラの魔法の力なのに、それを知らないのかな。もしかして、私が寝ている間にまた何かあったのだろうか。事務長さんの言い方に、少し疑問を感じる。
念のために左腕に触れてみた。
特に痛みは感じないから、学長さんは私に悪意を向けてないみたい。でも、これって、本当に信用できるのかな? 私が勝手に、悪意発見器だと思ってるだけかもしれない。
スポンジの木の枝が悪意発見器として知られているなら、エリザは私に教えてくれるはず。ギルドマスターも学長さんも何も言ってなかった。
だけど、完全な悪意発見器ではないとしても、強い悪意に反応することは事実だと思う。これはまだ知られていないのかな? あっ、この枝はスポンジの木じゃなくて、それに似せた邪木の可能性もあるのよね。邪木だから悪意に反応する?
(あれ?)
包帯がゆるんだのか、私の手に、えのき茸が1本触れた気がした。でも学長さんによって完全に封印されてるはずよね?
私は、事務長さんに背を向けて、左腕の袖をめくってみた。包帯はゆるんでるけど、えのき茸はどこからも顔を出してない。
(気のせいかな?)
「ミカン様、どうされましたか? 左腕が痛くなっちゃいましたか?」
事務長さんと口論になっていたサラは、私の顔を覗き込む。不安そうな顔。役目を果たさなきゃとサラが必死なのだと感じた。
もしかするとサラは、私が襲撃されたときに側にいなかったことで、自分を責めているのかもしれない。
(サラにも心配かけちゃダメね)
「ほうたいがゆるくなってる」
「まぁ! 気付きませんでした! すみません。すぐに巻き直しますね。事務長さん、失礼します」
サラは、事務長さんを残して部屋に入り、パタンと扉を閉めた。
「ミカン様、この服も着替えましょうね。サラは、ミカン様がお気に入りの白いワンピースを持って来てますよ」
「うん。あっ、サラのふく、ちょっとやぶれちゃった」
脱がせてくれた深緑色のシャツは、何かに引っかけたみたいで脇の部分が少し破れていた。
「大丈夫ですよ。この服は、ダークロード家から毎年の大掃除のときに支給されるんです。動きやすくて肌触りがいいから、サラはお休みの日に着ています」
「ほかにも、きてるひとをみたよ」
「ダークロードの街ではこの服が、ダークロード家の使用人の証だったりするので、愛用している人は多いと思いますよ」
(使用人の証?)
ダークロード家で働いていることが、誇らしいのかな。まぁ、ダークロード領ではそうかもしれない。領主の屋敷勤めってことだもんね。
使用人が誇らしいと感じるのは、ダークロード家の領地経営が上手くいっているからかな。そういえば、私はダークロード家の当主の顔を知らない。自分の父親なのにね。
「ミカン様、これで大丈夫ですよ」
サラは、包帯を巻き直し、私の服を着替えさせてくれた。自分で着替えはできるんだけど、彼女の仕事を奪うような気がして、いつもされるがままになっている。
「うん、ありがとう」
「ふふっ、どういたしまして」
私が礼を言うと、サラはいつも、すっごく幸せそうに笑うのよね。
「サラ、さっきのはなしだけど」
「えーっと、あの失礼な事務長さんのことなら、ミカン様は気にしなくて大丈夫ですよ〜。サラがエリザ様に、ちゃんと報告しますからね」
このことをエリザが知ったら……時雨さんだけじゃない。きっとサラは叱責される。私の専任を外されるかもしれない。下手すると解雇かも。
「おねえちゃまには、いっちゃダメ」
「ええっ? どうしてですかぁ? ちゃんと報告しないと」
「ひつようなら、あたしからいうから」
「へ? ミカン様が?」
サラは目を見開いている。失言だったな。普通の5歳児は、必要なら私が……なんて言わない。
「うん、おねえちゃまが、しんぱいするもの。てんこうしたばかりで、おねえちゃまはいそがしいの」
「まぁっ、ミカン様はお優しいですね。でもサラとしては、報告しなきゃいけない義務があるんですぅ」
「ダメっ。サラは、あたしのせんぞくだから、あたしのめいれいが、いちばんなのっ」
プイッと拗ねたようなフリをしてみる。5歳児だから、こんな感じでいいよね? あれ? サラが泣きそうになってる。
「ミカン様、はい! 私はミカン様の専属使用人ですから、ミカン様の命令が一番です!」
ふわりと笑顔を見せるサラ。うん、これで大丈夫ね。




