162、彼の目的と精霊ノキの祝福
「愚かだな。トリッツ殿は、何も理解しておらぬようだ。いつから、そのように、目も性根も腐ったのだ?」
(ひゃー、バチバチだよ)
今の彼は、私が知るイチニーさんでもレグルス先生でもりょうちゃんでもない。噂されている通りの、厳格で近寄りがたい雰囲気の王族セレム・ハーツ様だ。
すぐ近くに立っていると、よろけてしまいそうなくらい、半端ない威圧感もある。でもこの姿も、彼なんだよね。
「我がトリッツ家を、潰すおつもりはないと?」
「何か潰されるようなことに、心当たりでもあるのか?」
「い、いえ……」
会場内が、シーンと静まり返っている。完全に、彼がこの場を支配しているわね。
「セレム・ハーツ様、俺の護衛として身近にいた理由は、何なのですか」
この重苦しい空気感の中、レオナードくんが、そう尋ねた。現当主よりもレオナードくんの方が、度胸があるように見えた。これも、彼の狙いかしら?
「ふっ、まずは、婚姻おめでとう」
「あ、ありがとうございます、セレム・ハーツ様」
「私は、必要な者を取りに来たのだよ」
「へ? 必要な者を?」
そこまで言って、レオナードくんはハッとした顔をしている。私には、全く意味がわからない。だけど、表情を変えないように気をつけた。
「あぁ、そうだ。レオナード・トリッツさん、私に仕えてくれないか。キミのような汚れのない心を持つシャーマンは貴重だからね。これが、私からの祝いだ」
そう言うと彼は、腰に下げていた王族の紋章の入った短剣を、レオナードくんに差し出した。
(これって、側近に渡すものだよね?)
確か、トリッツ家の当主は、王家に仕えているはずだけど、誰かの側近ではないはず。セレム様は、レオナードくんを直接雇うと言ってるのね。
セレム・ハーツ様は、王位継承権を持つ王族だから、これって、レオナードくんにとっても凄く名誉なことだよね?
王家に仕える父親よりも、もしかしたらレオナードくんの方が、その地位は上になるのかも。この辺りの権力関係は、イマイチよくわからないけど。
レオナードくんは、ゆっくりと無言でかしずき、その短剣を両手で受け取った。その表情は、声も出せないほどの驚きで固まってるみたい。
シーンと静まり返っていた会場内には、大きなどよめきが起こっている。それほど皆が驚いたってことよね。
(そっか、彼はスカウトに来たんだ)
確か、この世界では、家督を継ぐ者は婚姻するまでは一人前とは扱われない。つまり、レオナードくんには、まだ主君はいない。だから彼はセレムの姿で来ることに、こだわっていたのね。
婚姻式が終わった後には、中庭で披露宴みたいなものがあるそうだ。この婚姻式は、十分に披露宴を兼ねていると思うけど。
その宴では、身分の制約なくレオナードくん達を祝う客人が集まるらしい。新たな交友関係を広げる場になると、聞いている。
きっと、彼のこの行動はフライングね。レオナードくんをスカウトするなら、その宴まで待たなきゃいけないと思うけど。
(これは、王族の特権かしら?)
そして、レオナードくんの幼少期を、平民のイチニーとして支えていたのは、レオナードくんの性格を知るためと、他からのスカウトを排除するためかな?
私が、パチパチと手を叩くと、次第に会場内からも拍手が起こり、だんだん大きな拍手に変わっていった。
するとレオナードくんの表情も、照れたような笑顔に変わっていく。
(ふふっ、いい顔ね)
でも、レオナードくんをスカウトするためなら、そう言ってくれても良かったのにな。あっ、何かの制約があるのかも。彼が爺と呼ぶトワートさんへの話でも、はっきりとは言ってなかったっけ。
『みかん、主賓は、集まった人間達に何かの施しを与えるらしいぞ。グリーンロード家側の主賓である王族のトラゲイト6世は、彼に会った栄誉を他者に伝える許可を与えたみたいだぜ』
(へ? ノキ、王族に会ったことを言っちゃいけない世界なの? 遠くから見ただけで、栄誉なの?)
『知らねぇよ。ただ、名前を出されることを嫌う王族がいるからじゃないか?』
(ふぅん。それなら、セレム様に会ったって言っていいよと話せば、施しになるの?)
『なるんじゃねぇの?』
(そんなことで? 許可を与えなくても人は勝手に噂するでしょ。あっ、シャーマンがそれを防ぐのかな)
『さぁな。だが、みかんも何か施しをしなきゃいけない流れだぜ? じゃないとダークロード家はケチってことになるからな』
(はぁ……なんか、くだらないよね)
『これは、そういう集まりだ。早朝からずっと立って、つまらない挨拶を聞いている商人達も気の毒だぜ。最後までいなければ、今後の出入りを禁じられるらしい』
(ふぅん、まぁ、確かに気の毒よね。座っている貴族は来たばかりかもしれないけど。あっ、そうだ! いいことを思いついたよ)
『ええっ!? マジかよ』
(ふふっ、花嫁さんはブーケを喜んでたじゃない? 黒と白ばかりの会場って、結婚式らしさがないもの)
ノキと簡単に打ち合わせをして、私は、前に出た。大人の男性の姿をしたノキも、私のすぐ横に並び立つ。
「えっ? みかんちゃん、何をするの?」
彼が小声で尋ねてきたけど、私は笑顔を返すだけにしておいた。そして、会場の方へと向き直す。
「せっかくの二人の婚姻式なのに、会場内が暗いですわね」
私がそう話し始めると、騒がしかった客人達は、何事かと首を傾げ、静かになっていく。セレム様がレオナードくんをスカウトしたことで、これ以上ないほど騒がしくなっていたからかも。
「レオナードくん、マーガリンさんには素敵なお花が似合うでしょう?」
レオナードくんにそう問いかけると、ポカンとした顔で、何とか頷いている。
「精霊ノキから、お集まりの皆様に祝福を与えます。ただし、受け取ることができるのは、レオナードくんとマーガリンさんを、これからも応援しようという気持ちのある方のみです」
そう言いながら、私は右手を高く掲げた。別に意味はないんだけど、これは、マナを使わないサーチ方法らしい。もちろん、私はそんなことできないけど。
すると会場内はシーンと静まり返り、皆、心を鎮めていることが伝わってくる。完全に悪意が消えた。
「ノキ! 祝福のフラワーシャワーを!」
私の声に合わせて、ノキは、パッと強い光を放った。
「わぁっ!」
ノキが放った光は、色とりどりの花びらの形に変わり、会場内に降り注ぐ。その幻想的な美しさに、誰もが見惚れ、言葉を失っているようだった。




