148、紅茶研究所のこと
「みかんちゃん……」
りょうちゃんは、私をキュッと抱きしめた。何かを言おうとしてるみたいだけど、上手く言葉が出てこないみたい。
私は、彼に、随分と酷いことを言ったのだと思う。彼のプライドを傷つけてしまうような言葉も、あえて使った。
だけどそうしないと、きっと彼は変わらない。いつまでも、彼の心は乱れて苦しいままだと思う。
そして、りょうちゃんなら、そんな私の真意に気付くはず。もしわからなかったら、彼には心を覗くというカンニング能力もあるんだもの。
(でも、切り替えは下手よね)
彼は、イチニーさんの姿のときは、無理して別のキャラを演じようとするけど、りょうちゃんのときもレグルス先生のときも、基本的には受け身だと感じる。
そして、それが彼の性格なのだと思う。だから、いろいろと悩んで苦しくなるのね。
「りょうちゃん、机と椅子を出してよ。買った焼き菓子を食べたいよ」
「ん? うん、いいよ」
私が声の調子を切り替えても、彼はまだドンヨリしてる。だけど、もう決めた! 私が切り替えてあげないと、彼はなかなか浮上できないもの。
「さぁ、今日の焼き菓子は何かなー?」
彼がテーブルの上に用意してくれたお皿に、焼き菓子をザザザッと出した。小さな色とりどりのクッキーだ。たぶんこの色は、ドライフルーツの色かな。
「みかんちゃん、全部出したらサクサクじゃなくなるよ? 今日は、空気中の水分が多いからね」
「大丈夫だよ。全部食べるもん」
そう言いながら私が椅子に座ると、彼の表情は少しやわらかくなった。
(あともう少しね)
「私が買ったパンもあるんだよ?」
「それはご飯でしょ。おやつな気分だもの。りょうちゃん、サクサクしてるうちに早く食べよう」
私がクッキーに手を伸ばすと、彼は、やっとふわっとした笑顔を見せた。私が、見た目どおりの子供のようにしていると、彼は心が軽くなるのかも。
「みかんちゃん、紅茶はどうする?」
「飲むよー。あっ、フレッシュジュースもあるよね。でも、この焼き菓子は甘いから、紅茶かな」
「ふふっ、かしこまりました、お嬢様」
彼はそう言って、使い捨てのカップを取り出して、見慣れない水筒から紅茶を注ぐ。さっき買った水筒とは違うから、彼がもともと持っていたものみたい。
私に、まるで執事のように接してくれるときって、りょうちゃんは、いつも楽しそうに笑う。
そういえば、彼はイチニーさんの姿のときが一番はちゃめちゃなことをするし、何より楽しそうに見えるかも。セレム・ハーツ様の日常からは、かけ離れた姿だからかな。
「あれ? この紅茶って初めて飲む味かも」
「ふふっ、初めてのはずだよ。どうかな? 紅茶研究所の新作だよ。ナインがどうしても、みかんちゃんに感想を聞けってうるさいんだよ」
「ナインさん? あっ、レグルス先生の付き人みたいな人だっけ」
(ちょっと怖かったのよね)
そういえば、ユフィラルフ魔導学院に紅茶研究所の店を出店するとか言ってたけど、どうなったのかな。
「レグルスの付き人というか、いろいろな調整役かな? レグルスのフリをして、寮の仕事をしてもらってるよ」
「あっ、そっか。寮の担当になったって言ってたよね」
「うん、まぁね。いろいろと偽っていたから、たまにややこしくなる。私が知らない間に、勝手に紅茶研究所の店を、校内に作ったみたいだよ。まぁ、それが、私の身代わりをする対価のようなものなんだけどね」
「やっぱり、紅茶研究所の店を出したのね。私、全然知らなかったな」
「初等科の校舎の方にあるからね。目立つ場所に出店すると繁盛しそうだから、避けたらしいよ」
(どういうこと?)
「繁盛したらダメなの?」
「ふふっ、ナインは研究者だからね。研究以外のことで時間を取られたくないみたい。あっ、その紅茶はどうかな?」
彼は、やっと、いつもの顔に戻ってる。
「紅茶研究所の紅茶にしては、色が濃いよね? でも、華やかな香りがして美味しいよ」
「じゃあ、合格かな? これまでは色素がカップに付かないようにと開発してたけど、メラミンスポンジが広まったから、その必要はなくなったでしょ? 彼らは紅茶病の研究をしてたけど、今は、より美味しい紅茶を開発しようとしている」
紅茶病が完全に無くなったわけじゃないけど、メラミンスポンジで茶渋を落とせば、紅茶病にはなりにくいことがわかったみたい。もう、必要ない気もするけど?
「紅茶病が完全に無くなるまで、研究所は残すのね」
「いや、紅茶病に関しては、もう問題ないよ。だけど、いつまた謎の奇病が起こるかわからないからね。紅茶研究所には、優秀な研究者が揃っている。王都には必要な人達だよ」
(これが彼の、表の顔かな)
りょうちゃんの表情は、一瞬だけ、威厳のある厳しいものに見えた。セレム・ハーツ様の顔だよね。
「王立の研究機関なんだね。紅茶を極めるなら、ハーブティの研究もしてほしいかも」
「ハーブティ?」
「うん、別の植物のお茶だよ。この世界には、いくつかのハーブティがあるけど、美味しくないもん。ユフィラルフ魔導学院の学長さんは、ハーブティが好きみたいだけど」
そう話すと、彼は、興味深そうに目を輝かせた。
「学長が好む香草のお茶かな。王都では人気があるらしいよ」
「うーん、香りは悪くないんだけど、薬湯って感じだもの。ハーブティを作れる植物はあるのに」
「ふふっ、ナインに言っておく。きっと、飛び上がって喜ぶよ。成功すれば、学長を唸らせることができそうだ。学長は現国王の弟なんだよ。王位継承権はないけどね」
「えっ? そんなにすごい人なの!?」
「現国王は、兄弟姉妹が多いからね。何十人もいる。私は従兄弟だけどね」
「ええっ!? りょうちゃんってか、セレム様が……」
私がびっくりしてると、彼はクスクスと笑った。
「みかんちゃんのお母様も、確か……いや、やめておこう。亡くなった方の話を軽率にするべきじゃないね。それに、血縁関係は隠されていたはずだ」
「そう、なのね……でも……」
ドーン!
私の言葉を遮るように、突然、草原の方から大きな爆発音が聞こえた。私が立ち上がると同時に、彼も立ち上がった。
(ユーザー同士のケンカ?)
「お仕事みたいだね。まだパンを食べてないのになぁ」
そう言いつつ、彼は手早くテーブルと椅子を片付けた。
「ケンカかな? 変なアイテムを使ったわね」
「あぁ、空いた穴が、どこかと繋がりそうだよ。急ごうか」
化粧を落としていた彼は、急いで口紅だけをつけると、転移魔法を唱えた。




