146、未来を見る能力の弊害
りょうちゃんは、そう言った後、また不安そうな顔をしてる。
(どうしちゃったんだろう?)
女性からのキスは、他に伴侶を持たないという誓いだと教えてくれた。婚姻の場での誓いみたい。
亡くした奥さんとは、そういう誓いがなかったのかもしれない。だけど、りょうちゃん……セレム・ハーツ様は、たぶん40代後半くらいの地位も権力もある大人だ。こんなことで動揺する年齢でもないよね?
「りょうちゃん、一体どうしちゃったの?」
「わからないんだ。私は、なぜこんなに心が乱れるのか……」
(自分の感情の意味がわからないの?)
いや、違う。嫉妬しているのかもしれないと彼は言っていた。心がザワザワするのかな? りょうちゃんは神託者でもあるし、大人だし、王位継承権も持つ人格者だよね?
それなのに、今の彼は捨てられた子犬のような不安げな目をしてる。
私は彼の婚約者で、私の10歳の誕生日に婚姻が決まってる。ダークロード家の当主である父親からは、私には拒否権はないとも言われている。
それなのに、なぜ彼は、私を失うのではないかという不安で押し潰されそうになってるんだろう?
りょうちゃんの不安を取り除こうとして、キスをしちゃったけど、その私の軽率な行動がダメだったのかな。
『みかんさん、あの……』
目の前に、赤い光が現れた。彼の守護精霊よね?
『みかんさん、セレム様はその……』
(ん? 何?)
赤い光は、りょうちゃんには内緒で出てきたみたい。草原の方をぼんやり見つめている彼の死角にいる。隠れても、りょうちゃんにはバレるんじゃないの?
『あの……その……えっと……』
赤い光は、言葉を探そうと必死みたい。彼の心の状態を、私に教えてくれようとしているのかな。
「あれ? なぜ私の守護精霊が?」
(ほら、バレた)
りょうちゃんに見つかると、赤い光はパッと消えた。叱られると思ったのかな。
「りょうちゃんのことを話そうとして出てきたみたい。だけど、何も言えずにモゴモゴしてるうちに、見つかっちゃったから逃げたのかも」
「あぁ、そうか。赤い守護精霊は、みかんちゃんのことを気に入ってるからね。私にもわからないことは、言葉にはできないだろう」
りょうちゃんは、また自嘲気味な笑みを浮かべた。
(ほんと、どうしちゃったの?)
私が何かを言ってあげるべきなのかな。でも、りょうちゃんは私よりも大人だよね?
『はぁ、もう、何やってんだよ』
目の前に、ふわもこの精霊ノキが現れた。
「あれ? ノキまでどうしたの?」
私は条件反射のように、最強にかわいくてふわもこなノキを抱っこして、ナデナデむにむにと触り始めた。
(癒される〜)
『コイツの守護精霊が泣きついてきた』
「さっき私に、何かを言おうとしたみたいだけど、りょうちゃんに見つかって逃げたのよね」
私は声を発しているけど、ノキの声はりょうちゃんに聞こえてないみたい。彼はさらに不安そうな顔をしてる。
『はぁ、もう……』
ノキはくすぐったかったのか、私の手から逃れた。そして、5歳くらいの少女の姿に変わった。
「りょう! おまえのその感情は愛だ! これまで語ってきたものとは違う、本物の恋愛だ。ったく、ガキかよ」
「ちょっと、ノキ……」
ノキは、りょうちゃんをビシッと指差して、ポーズを決めている。でも、りょうちゃんと両思いなのは、以前から知ってることだよ?
「精霊ノキ様、それは、その……」
「おまえは、みかんが他の誰かと親しくしていると、ドス黒い感情と、強い不安感で、苦しくなっているのだろう?」
「は、はい……。ですが、殺意ではなくその……よくわからない乱れが……」
「おまえは、ちょっとストーカー気質があるんだよな。これまで当たり前のように様々なものを手に入れてきた弊害だ。この世界の王族全員に共通する傲慢さが表れている」
「ノキ! ひどい言い方してるよ」
「みかんは黙ってな! アタシは怒ってるんだよ」
(なぜ、ノキが怒るのよ)
ノキは不機嫌そうな顔をしてる。赤い光の守護精霊に呼び出されたからかも。
「おまえがウジウジしてるから、みかんが困ってるじゃないか! ファーストキスをもらっても、まだウジウジするのか? バカだろ」
「ちょっと、ノキ……」
「精霊ノキ様、申し訳ありません。私はその……」
「みかんのことが大切すぎて怖いんだろ。ほんと、おまえはバカか? ガキか! クソガキか」
「ノキ、怒るよ?」
暴言を吐くノキの腕を掴むと、ノキはムスッと膨れっ面をした。まだ言い足りないらしい。
「確かに、私は、みかんちゃんのことが大切すぎて……だが、未来が見えないから……」
(りょうちゃん……)
彼は未来を見る能力がある。だから、常に先のことを見ていたのだろう。それが見えなくなったことで、こんなにも不安定になるの?
「みかん! このバカに教えてやれよ。みかんの価値観をさ」
「私の価値観って何?」
「みかんの前世での結婚のことだよ。このバカは、権力を使ってみかんと婚姻関係は結べるが、みかんが成長していくと、影武者みたいな奴に取られるって思ってるぞ。みかんに自分以外の伴侶が出来ることを恐れているんだ。この世界の王族に、そんな独占欲なんてないはずだけどな」
(あー、そういうことか)
もしかすると、亡くした奥さんがそうだったのかもしれない。相手の考えが見えてしまうのって、ある意味、酷な能力ね。
(でも、私の想いをわかってないよね?)
ノキが怒ってる理由がわかった。私の願いから生まれたノキは、私と似てるのよね。
「りょうちゃん、私のこと、バカにしてない?」
突然、強い口調でそう言ったからか、彼は驚いて目を見開いている。こんなにびっくりした顔は初めて見たかも。
「バカになんてするわけないよ。みかんちゃんには救われたし、ずっと尊敬もしてる」
(へ? 尊敬!?)
私は少しにやけそうになりつつ、表情を崩さないように気をつけた。
「そういうことじゃないよ。私は、フレンドの頃からりょうちゃんのことは大切だし、この世界に来て初恋の人はレグルス先生だし、イチニーさんの真っ直ぐな気持ちは嬉しかったし好きだった。その三人ともが、りょうちゃんなわけで、他に好きな人はいないよ?」
「ありがとう、それは知ってる。今はそうだよね。だが人の心は変わるんだ」
(やっぱりね……)
「りょうちゃんは、私の前世の価値観に合わせてくれるんだよね?」
「えっ? あ、あぁ」
「私の前世では、一夫一妻制だよ。嫌いになったら別れるけど、同時に複数の人と婚姻関係は結ばないんだよ」




