1、プロローグ
プロローグは、転生前の話です。
「皆さん、突然で申し訳ないのですが、会社都合により契約更新ができなくなりました」
朝から嫌な予感がしていた。通勤中に、私が派遣で行っている会社の不祥事を、ネットニュースで見つけてしまったからだ。
甘やかされて育った社長の息子が、大金を横領して姿を消したらしい。
(何してくれてるのよ……)
これまでの私なら人材派遣会社に行けば、次の派遣先をすぐに見つけてくれた。だけど私は先月、とうとう30歳になってしまった。
(すぐに行かなきゃ)
◇◇◇
「小林 美香さん、お待たせしました」
仕事帰り、私は、人材派遣会社へ立ち寄っていた。20代前半の頃とは、明らかに担当者の態度が違う。
(営業スマイルでもすればいいのに)
「派遣先の会社都合で、今月末の更新ができないと言われたのですが、来月から行ける仕事はありますか?」
「小林さん、来月からというのは難しいですね。それに貴女は、パソコンのスキルが低いじゃないですか。これまでよくされていた受付の仕事は、とびきりの美人は別ですが、普通は28歳位までですし」
(それって、ハラスメント発言じゃないの?)
地味な私をバカにするような担当者の目つきに苛立ちを感じつつ、私は表情に気をつけて口を開く。
「では、再来月からなら、行ける仕事はありますか」
「そうですねぇ。営業の仕事なら……」
「事務職がいいんですけど」
即座に営業拒否の態度を示すと、担当者はあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。
「小林さん、新たな依頼が入ると思いますから、またご連絡しますね」
「わかりました。よろしくお願いします」
(これはダメだ。他の方法を考えなきゃ)
私は、愛想笑いを浮かべ、人材派遣会社を後にした。
◇◇◇
駅から電車に乗り、スマホを握る。そして、いくつかやっているスマホゲームのログインボーナスをもらっていく。
5年ほど前からやっている『フィールド&ハーツ』にログインしたとき、親しいフレンドさんからコメントが届いていた。
『みかんちゃん、こんにちは! 私、引退するね。今まで仲良くしてくれてありがとう。とっても楽しかったよ』
(引退の挨拶か……)
『りょうちゃん、こちらこそありがとう。私もログボ生活だから引退近いかも? またどこかのゲームで会えたら、よろしくね』
(もう、このアプリはいらないかな)
配信開始から1年は楽しかった。だけど、どのゲームもだろうけど、だんだん過疎ってきたのよね。こうやって、たまにフレンドさんがコメントをくれるから、アンストしないだけのログボ生活。
最寄駅に着き、電車を降りる。
(あっ、そうだ、メラミンスポンジ)
バスは来ていたけど、駅ビル内の100円ショップに立ち寄った。私は、嫌なことがあると、メラミンスポンジで蛇口をピカピカにしたくなる癖がある。
メラミンスポンジを買い、それを手に持ったまま、次のバスに飛び乗った。
(エコバッグ、忘れた……)
今日は、本当にダメな日だ。悪いことって、なぜか重なるから不思議ね。
バスは満席で、私は乗降口の近くに立つ。
車窓から暗い外の景色を見ていると、りょうちゃんの引退挨拶が、ズーンと悲しくなってきた。
顔も知らないフレンドさんだけど、これまでの5年間、たくさん話したし、何度もいろいろな相談に乗ってくれた、とても優しい人だった。
もし身近に、りょうちゃんみたいな性格の男性がいたら、私、きっと惚れるよね。りょうちゃんは、ほわんとした癒し系女子だけど。
(一度会ってみたかったな)
りょうちゃんとは、歳も近いみたいだから、親友になれたかもしれない。
だいぶ前だけど、りょうちゃんが行ったと言ってたオフ会は、私は仕事で行けなかった。いや違う。オフ会って今までの人生で一度も参加したことがないから、なんだか怖くて、私は仕事を理由にして行かなかった。
(あのとき勇気があれば……会えたのに)
メラミンスポンジをカバンに押し込もうと格闘していると、ふわっと身体が左に傾き、あちこちから悲鳴が聞こえてきた。
何事かと顔を上げると、私の目に映る景色は淡い紫色に染まった。そして、さっき見たばかりの乙女ゲームのトップ画面が、ジワリジワリと浮かんでくる。
(えっ!? 何?)
周りを見回そうとしたとき、胸に強すぎる衝撃を感じた。プハッとこみ上げてくる鉄くさい臭い。
目が回る。いや、バスが回っている!? バスが崖から落ちたんだ!
そう気付いたときには、私は乗降口の歪んだ段差に挟まっていた。上から人が降ってくる。だけどもう、何の痛みも感じない。
(ほんと、最悪な日……)
必死に手を伸ばした私は、目の前に浮かぶ乙女ゲーム『フィールド&ハーツ』のトップ画面に触れていた。
お読みいただき、ありがとうございます♪
次話から異世界。
本日の夜に更新予定です。