第6話 『賢者は歴史から学ぶ②』
ニイロ史料編纂所のソファーで、アンドロイドの少女リイナはしばらく口を開かなかった。
人間かと見紛うほど精巧に作られたアンドロイド。
自立型の無人機や、ナノマシン技術によって強化された兵士。
バイオテクノロジ―の発展によって、人類は死すらも克服できるとさえ言われていた時代。
RE―11 N/A、リイナが生み出された時代とは、そういう空想的とすら思えるほどの科学が発達した時代であった。
人々は科学技術と倫理によって作り出される輝かしい未来を信じ、明日に希望を抱いていた時代だったのだ。
それが、たったひとつの感染症による混乱を引き金にして、瞬く間に第三次世界大戦へと繫がり、文明社会はあっけなくバラバラに崩壊してしまったと伝えられても、そう簡単に信じられるものではない。
「リイナさん……」
言葉もなく、俯いているリイナの肩に手を置くアスタ。
どうにかしてリイナを慰めようと、彼は自らの頭から言葉を捻りだそうとするが、何も思い浮かばない。
文明の崩壊した世界に生きるアスタに、リイナが作られた時代のことは分からない。この少年が知っていることといえば、せいぜい文明崩壊に伴う破壊を免れた書籍や遺物などで垣間見た程度だ。
それでも、人間だと錯覚するほど精巧なこのアンドロイドの少女が受けた衝撃は、痛いほど伝わった。
家族や友人。
好きな本や食べ物。
行きつけのお店や、よく眺める景色。
そういうものがすべて、自分の知らない間に消え失せてしまったら。
アスタは、胸がギュッと締めつけられた。
「人間、というのは難儀なものでね。躍起になって何もかもを手に入れようとするくせに、その手に入れたものがどれだけ大切なものなのかを、失ってはじめて気づく。そして、それを何度も繰り返してきた」
自分のデスクに腰掛ける女性、ニイロ史料編纂所の所長であるニイロはゆっくりと語り始める。
「文明が崩壊する前、いや人類というものの歴史が始まったときから、そんなことばっかりだ。転んで、起き上がって、また転んでの繰り返し──。叡智の結晶であるアンドロイドのキミに、呆れられても仕方がない」
黒のレザージャケットのポケットから、切り傷のついたオイルライターとくしゃくしゃになった煙草のソフトパックを取り出し、その中から一本を取り出してその瑞々しい唇に咥えた。
彼女が右手に持ったライターが、キンという小気味良い金属音を鳴らして煙草に火をつける。
ふぅ、と紫煙を吐き出すニイロ。
「けれどね。その度に少しずつ前へと進むのも人間だ。少なくとも、私と少年はそう信じているよ。今回は、少しばかり派手に転んでしまったけどね」
「────まぁ、こんなものでしょう。人間は」
俯いていたリイナが、まるで何事もなかったかのように顔を上げた。
「ありゃ、切り替えが早いね」
「ワタシはアンドロイドです。そもそも喜怒哀楽は存在しません。それに、人間が度し難いまでに愚かであることは、既に知っていますので」
リイナは素早い手つきで自身の前にあるローテーブルで広げられた史料をまとめると、それを箱に入れた。
「愚か、人間はやはり愚かです。こんな世界で生きてほしいと願った夢島博士は、いったい何を考えていたのか……」
やれやれと大袈裟に肩をすくめながら、大きくため息をつくリイナ。アンドロイドなので当然と言えば当然だが、落ち込んでいる様子など微塵もない。
なんともつかみどころのないリイナに苦笑いしつつ、アスタは尋ねる。
「えぇっと……。たしか、その夢島恋博士って人の言葉に従って、リイナさんはこの世界での新しい居場所を探しているんだよね?」
「そうです。ワタシとしては、愚かな人類お仕置きの旅に出向いてもいいのですが。夢島博士は争いを好まない方だったので、そういった荒っぽいことは望まないでしょう」
「そ、それならさ」
少し目を伏せて、どうにも言い出せずにもじもじとするアスタ。
「なんですか。言いたいことがあるなら、早く言ってください」
「え、えぇっと。その────」
急かすように、ジッとアスタの目を見るリイナ。
あの、その、としばらく言葉を濁していたアスタだったが、リイナのその視線の圧に耐えられなくなり、意を決して話を切り出した。
「よ、良かったら! 僕の相棒として、一緒に回収者になってくれませんかっ!」
アスタ少年らしからぬ大声を出し、一か八かという必死さで彼は頭を下げた。
「お断りします」
「ええーっ!」
しかし、剣豪が藁束を切断するような勢いで、リイナは即座にアスタの健気なお願いを一刀両断。
一考すらしないその反応速度に、アスタは涙目になりながら驚いている。
「この世界のことを教えていただいたことには感謝していますが、それとこれとは話が別ですので。これからのアスタ様のご活躍をお祈りしております」
「せ、せめて理由を……」
「まず、その頼りない性格です。アスタ様は本当にこの崩壊した世界の住人なのですか。簡単に人は信じるし、やたらに優しい。銃火器の扱いには多少長けているようですが、貴方はそもそも戦いに向いていません」
「うっ!」
痛いところを突かれたのか、胸を抑えるアスタ。
その様子がおかしかったのか、ニイロはケラケラと笑っている。
「次に、ワタシはまだ貴方のことをあまり知りません。そんな状態の女性に、いきなり相棒になってくれと持ち掛ける辺り、アスタ様は女性経験があまり豊富でもなさそうですね」
「で、でもアンドロイドだから、性別なんて関係ないって……」
そして、アスタが反論する隙すら与えず、リイナは彼の顔をビシッと指差しながら畳みかける。
「最後に、その顔です。男なんだか女なんだか分からない、その綺麗な顔。なんですか、アンドロイドであるワタシに挑戦しているのですか。そんな女の子みたいな顔では、ワタシの相棒など到底務まらないでしょう」
「い、いや、それはあんまり関係ないような……」
「だまらっしゃい。とにかく、アスタ様の相棒にはなれません。そもそも、その回収者という職業もなんだか胡散臭いですし」
取り付く島もないという様子のリイナ。
がっくりと肩を落として、アスタは近くの椅子に座った。
「せっかく、僕にも相棒ができると思ったんだけどなぁ……」
「というか、アスタ様は既にニイロ様と相棒ではないのですか」
ニイロが吹き出して、短くなった煙草をデスクの灰皿で消す。
「ハハハッ、残念ながらそれは無理だねぇ。私と少年じゃあ、色々と違いすぎる」
「年齢とかですか?」
「斬り倒すよ。……何よりも、経験と力が違いすぎるんだよ。相棒ってのは、そういうものも含めて同じ所に立てなきゃダメなんだ」
なるほど、と納得したリイナがポンと手を叩く。
「その点、リイナちゃんと少年なら色々と相性が良さそうだし、力量も同じくらいだろう。その見立ては間違ってなかったけど、こういうのは互いの合意がないと駄目だからねぇ」
ニイロのその言葉に、リイナがムッとして唇をへの字に曲げた。
「お言葉ですが。ワタシは崩壊前の科学技術の結晶である、軍用アンドロイドの試作型です。温厚ショタのアスタ様と同等というのは、些か不当な評価かと」
それを聞いたニイロが、また笑う。
だが、今度はその目が笑っていなかった。
「────リイナちゃん。たしかにキミはお利口なアンドロイドかもしれないが。この世界には化け物みたいな人間や、本物の化け物がたくさんいるんだよ」
ぞくり、とリイナの背筋に冷たい感覚が走った。
やはりこのニイロという女性は只者ではない。
「まぁ、そういうことも含めて、回収者になるのも悪い選択じゃないと思うけどねぇ。まぁ、どうしても嫌というなら仕方ない。とにかく、当分はここに居て────」
タァン!
ニイロの言葉を遮るように、事務所の外で銃声が鳴った。
「出てきやがれ、ニイロォ! この前の借り、倍にして返しに来てやったぜクソ女ァ!」
いかにも頭が悪そうな声が事務所の中にまで届く。
その瞬間、アスタとリイナは確かに見た。
口角を僅かに上げて静かに、そして凶暴に笑うニイロを。
「いい機会だ。リイナちゃんに大阪……、今じゃダイハンって呼ばれているこの地域に、どんな常識外れの化け物がいるかを見せてあげよう」
そう言うや否や、デスクから立ち上がったニイロは外に繋がる窓に向かって走りだし。
窓の外めがけて、跳んだ。