9. 婚約破棄
それから間もなくして、私の一生を左右する事件が起きたのでした――
それは心地のよい風に可憐な花びらが舞う、日差し暖かな明るい未来を期待させる季節――そんな穏やかな春の日でした。
『聖務』の一環で王都の結界にある綻びを修復しておりましたら、アルス殿下より突然の召喚がありました。
ここ最近は聖女の責務と王太子妃教育があまりに忙しく、アルス殿下とは久しくお会いしておりませんでした。ですので、この急な呼び出しに私は訝りました。
「ミレーヌ・フォン・クライステル!」
そして王城に到着すると、アルス殿下は怒気を含んだ声で私の名を呼んだのです。
感情をあまり露にすることのない殿下の剥き出しの怒りに、何をそんなに憤慨しているのかと私は戸惑いました。
「貴様の伯爵家の権威と聖女という立場を利用しての数々の横暴を見過ごすわけにはいかない。この場で貴様との婚約を破棄させてもらう!」
アルス殿下の仰る言葉は耳に入ってはきましたが、その内容を理解しかねて私は言葉を失いました。
「貴様は己の権力を笠に着て、優しく大人しいエリーを虐待したそうだな。彼女が逆らえないのをいい事に、暴言を吐き続けたとの証言もある。エリーがどれほど傷ついたと思っている!」
茫然としている私を他所に、アルス殿下の責めが続いていきました。しかし、その内容は全て根も葉もない誹謗中傷でした。
「いつもミレーヌ様との修練でグズ、庶子のくせになどと罵倒され辛く当たられて……それにいつも恐ろしい形相で私を睨むのです。私とても恐くて……」
全く心当たりのない内容を訴えるのはアルス殿下の背後に隠れ、その背中に縋る様にしている1人の愛らしい令嬢――男爵令嬢のエリー・マルシアでした。
「姉上がそんな残酷な人だとは思いませんでした!」
ここのところ、私の帰宅が遅いせいですれ違いが多く、疎遠となっていた弟のフェリックがエリーの傍に寄って怒りを露わにしました。幼少期より可愛がり、あれだけ懐いてくれていた弟の変容ぶりに私は愕然としました。
「それに、ご自分の『聖務』を私に押し付けて……」
エリーは何を言っているのでしょう?
寧ろ彼女の方こそ私を『悪役令嬢』と意味の分からない言葉で責め立て、聖女としての務めを放棄し、いつも私とエンゾ様を困らせていたというのに。
「聖女としての職務を放棄していたなんて!」
「人品が伴わないで何が聖女だ」
「清純そうに見せて我々を欺いていた悪女め!」
ですがエリーの周囲を固めていた見覚えのある男性達が、彼女の言葉を妄信し口々に私を責め立て始めたのです。
「お待ち下さい。私には全く身に覚えのない事ばかり……」
聖女としての修練を促し、心構えを説けば、虐めだなんだと私を詰り、自分は『乙女ゲームのヒロイン』だと彼女は喚き散らしてきたというのに。
私はエリーのこれまでの行状を必死に訴え弁明ました。
しかし、私の言葉はアルス殿下には届きませんでした。
しかもそれだけではありません。現在の聖女の実情を知っている筈の人達までもが、挙って事実を捻じ曲げ私を非難してきたのです。
親しくしてきた貴族の子女、共に魔獣を討伐してきた騎士達、そして実の弟フェリックまでも……
「しかもエリーの聖女としての資質が自分より高いのを逆恨みし、自分の仕事を押し付けて『魔獣』討伐の機会に彼女を亡き者にしようとした事はもはや明白!」
「そのような事実はございません!」
エリーは自分のしたい『聖務』だけを行っていました。私がそのような陰謀を画策するなど不可能です。誰もが私を敵視する四面楚歌のこの場で、それについて私は懇々と説明しました。
しかし、この場に誰一人として私の味方になる人はいませんでした。
「反省の色でも見られれば温情も与えるつもりであったが、言い訳ばかりで己を省みない貴様に情けを掛ける必要はない。取り押さえろ!」
私は抵抗をしているわけではありません。それなのに、衛兵達から無理矢理に取り押さえられてしまいました。これが今まで聖女として『聖務』を全うしてきた者への仕打ちなのでしょうか。
私は自分の言葉が届かない理不尽に対し、絶望で打ち拉がれました。
「貴様の貴族籍を剥奪し、王都より追放する!」
無情なアルス殿下の宣言に顔を上げれば、エリーはアルス殿下や私の弟や友人、騎士など見目麗しい男性を侍らせて嘲笑っているではないですか。
どうして誰もこの状況をおかしいとは思わないのでしょうか?
こうして真面な詮議も無いまま、私は覚えのない罪で貴族籍と聖女の名誉と権限を剥奪され投獄されたのでした……
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