4. 姉と弟
「喜べミレーヌ。お前の婚約が決まったぞ」
「良かったわねミレーヌ。お相手は王太子のアルス殿下なのよ」
私が聖務でくたくたに疲れて、久しぶりに屋敷に帰ってきてみれば、突然お父様とお母様から婚約の打診を通り越して、既に婚約が結ばれたと知らされました。これには私も随分と呆れたものでした。
「おめでとうございます姉上」
「え、ええ、ありがとうフェリック」
一つ歳下の弟が心から祝福してくれているのが分かり、私も戸惑いながらも笑顔を作りました。フェリックはとても素直で可愛い弟なのですが、貴族としてはもう少し猜疑心や裏を読む力が不足しているように感じられます。
ですので私は家督を継いだフェリックが誰かにすぐ騙されるのではないかと不安を覚えたものでした。
アシュレイン王国では力ある貴族、財のある商家が台頭してきており、彼らの存在が王族の権威を脅かし始めていました。
王家はそんな貴族や商家の力を国の運営に必要であると認識はしていましたが、自分達を蔑ろにし始めた彼らの存在を苦々しくも思っていたようでした。
その現状を打破したいと思っていた矢先に登場したのが、私――ミレーヌ・フォン・クライステルというわけです。
つまりこの婚約は、アシュレイン王家が隆盛を取り戻す為に画策したものなのです。
クライステル家の隆盛と私の容姿、聖女としての盛名に、社交界では私を『アシュレインの翠玉』、『翠宝の聖女』などと呼んで持て囃しておりました。そんな私の齎す影響力を取り込もうとアシュレイン王家は判断したのでしょう。
クライステル家としても王家との縁戚関係を持つ事で、より家の繁栄が盤石になるとの思惑がお父様もあったようです。
「――つまり、私とアルス殿下の婚約は、そんな時流に乗っての政略的なものなのですよ」
「それでは姉上は好きでもないのに殿下とご結婚されるのですか?」
確かにこれは完全な政略結婚ではあります。それに私も女ですので、好いた殿方と思いを遂げたい願望がないわけではありません――
「フェリック、私達は貴族なのです。国民の為、領民の為、貴族はその義務を果たさなければいけないの。政略結婚とはその義務の一環なのです」
――ですが私も貴族の娘です。
それがクライステル伯爵家の為とあらば否応もありませんし、私自身も普通の事であると認識しておりましたので、政略結婚を忌避するつもりはありません。ですから、特段この婚約に関して不満を抱いてはおりませんでした。
「しかしそれでは姉上も殿下も幸せになれないのではありませんか?」
「国家の正道は時として個人の幸福より優先されなければいけないの。特に貴族ともなれば」
「そんな……お互いの気持ちを無視する結婚は不誠実ではありませんか!」
「私はもちろんですが、殿下も政略についてはご理解されている筈です。お互いに理解の上であれば不誠実にはあたらないわ」
不快感を顔に滲ませるフェリックは、どうも政略結婚に対して嫌悪感を抱いているようです。
こういった好悪の感情を率直に表に出すのは人としては正しいのでしょうが、可愛い弟の将来を思うと少し心配になってきました。
「ですが結婚は神の前に愛を誓うものの筈です。愛の無い結婚は神に不誠実でしょう。姉上は聖女なのに神を欺く真似をなさるのですか?」
「そうではないのよ。この結婚はアシュレイン王国に住まう全ての人々の幸福を願うものなのですから、言うなれば国に対する愛なのです。それは神もご理解下さるわ」
逐一フェリックに貴族の心構えを説いていくのですが、どうにも純真な弟は真っ直ぐ育ち過ぎてしまったようでした。
結局フェリックは納得のいかない不満顔のままでした。
弟は弟なりに姉である私を思っての発言なのでしょう。
しかしこのままではいけないと、フェリックが退出した後でお父様にフェリックの教育について不安を口にしました。
「お父様、フェリックはとても真っ直ぐに育ちました。人の気持ちを考える優しい子です。ですがこのままで良いのでしょうか?」
「教師からは勉学は優秀だと聞いている。問題はないだろう」
お父様は領地経営を成功させ、クライステル家を大きく繁栄させた敏腕家です。ですが、どうにも教育に関しては他者に任せっきりのきらいがあります。
「勉学の能力と貴族における処世は必ずしも一致しません。フェリックは感情があまりに表に出すぎています。少しは人の表裏について理解しないと……」
「ははは、そこら辺は経験だからな。おいおい私の仕事を見学させて学ばせるさ」
この時、私はお父様の楽観に多少の危惧を覚えたのです。
「しかしフェリックはもう15歳です。貴族の清濁を学んでいてもよい年頃です。少しは謀計を理解させる必要はありませんか?」
私があまりにしつこいせいか、お父様はむっとされてしまいました。
「お前は殿下との婚約についてだけ考えていればいい。話はこれまでだ」
私は頭を下げて退出するほかありませんでした……