3. アシュレインの翠玉
私の本当の名はミレーヌ・フォン・クライステル。
ここアシュレイン王国にある伯爵家の1つ、クライステル家の長女として生を受けました。
幼少期は取り立てて特別な事もなく、他の貴族令嬢と同じように暮らしていたと思います。ただ、貴族としての暮らしや教育に息苦しさと言うか、据わりの悪さと言うか、どこかここが自分の居場所ではないような、漠然とした違和感を覚えてはいたのを記憶しております。
その様に多少の閉塞感を覚えていたものの、私は平凡で平穏な生活を送っていました。ところが10歳の洗礼の日にそれが一変したのです。
洗礼を受けるべく王都の聖堂で儀式の手順に従い、私は司祭様の前で跪き黙祷しました。そして、司祭様は目を閉じる私の頭頂部に聖水を振りかけました。
その時――
「何だこの光は!」
「これは……間違いない聖なる力だ」
「では、クライステル卿のご息女は……」
俄かに周囲が騒めき始め、その異様な雰囲気に耐えられずに、私は閉じていた目を開いて愕然としてしまいました。
信じられない事に私の身体が光り輝いていたのです。
そのあまりの驚きに私は硬直してしまいました。
「おめでとうございますミレーヌ・フォン・クライステル様」
「司祭様、あの……これはいったい?」
「ご安心下さい。むしろこれは慶事なのです」
私は戸惑いましたが、司祭様はとても嬉しそうに笑いました。
「貴女の体から発した光は聖女の気。それは貴女が聖女である証しなのです」
その日より私は聖女となったのでした。
聖女――
それは結界を張り、大地を清め、『魔』を滅したりすることで、国に『魔』が蔓延らぬようにする聖なる力『神聖術』を修めた者を指します。
私が生まれた頃には、このアシュレイン王国にも数人の聖女様がいらっしゃったと聞いております。ですが高齢で引退されていたり、既に儚くなっておられたりと、私が聖女になった時にはエンゾ様というご高齢の聖女様が一人だけとなっておられました。
「初めまして。私はエンゾと申します」
「お、お初に御目文字いたします。私はミレーヌ・フォン・クライステルと申します」
「これはご丁寧にありがとう存じます」
私は聖女としての『聖務』を教えて頂く為に、唯一の聖女であるエンゾ様の下に通うよう指示を受けました。
「浅学菲才の身でエンゾ様にはご迷惑をお掛け致しますが、教えをご教授いただきますよう伏してお願い申し上げます」
「ふふふ、そんなに畏まらないで。私は貴女と違って出自は平民なのよ」
「ですが、私は教えを乞う立場ですので」
「くすくす、貴女はとても真面目な娘なのね」
そう笑うエンゾ様は商家の末娘なのだそうですが、下手な貴族よりもよっぽど威厳のあるお方でした。幼かった私を厳しくも優しく導いて下さった素晴らしい聖女様でした。
そんなエンゾ様のお導きのお陰で、私は歴代最強の聖女と謳われるようになりました。エンゾ様には感謝をしてもしきれません。本当に素晴らしいお方でした。
エンゾ様と過ごした日々はとても充実したものでした。もっとも、聖女は私とエンゾ様の2人しかいない為、『聖務』はとても厳しく忙しいものではありましたが。
しかも私は伯爵令嬢でもありましたから、15歳のデビュタントを機に聖女としての『聖務』だけではなく、貴族令嬢としての義務である社交も熟さねばなりませんでした。
ですが正直に申しまして、私はあまり社交界を好みませんでした。エンゾ様との実直な語らいとは異なり、貴族は虚言と倨慢の塊で、社交の場は不誠実な空気で満たされており、私には水が合いませんでした。
ただでさえ『聖務』で忙しいのに、貴族の下らない腹芸に付き合うのには辟易しましたが、これも貴族の家に生まれた者の務めです。
できれば夜会はいつも壁の花でやり過してしまいたかったのですが、周囲がそれを許してはくれませんでした。
それは、クライステル家が領地経営に成功して台頭してきており、その長女である私はアシュレインの貴族にとって無視できない存在となっていたからでした。くわえて、輝く様な金色の髪と透き通るエメラルドの様な翠の瞳を持つ私の容姿は、自分で言うのも烏滸がましいのですが、とても美しく目立つものだったからです。
更に、聖女としての名声もあって私の存在は、私の意思とは無関係に社交界で燦然と輝いてしまっていたのです。
やがて、私は瞳の色に擬えて、こう呼ばれるようになりました――
――『アシュレインの翠玉』と……
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