遊びは、お金を持っている人の方が有利なんですよ。
一口に遊びと言っても、その種類は多岐に渡る。鬼ごっこやかくれんぼ、テレビゲームやボウリングなど、挙げ切れないほどに数多い。
そして実は、ほとんどの遊びで共通する事柄があります。それは、お金持ちの方が有利。です。
いくつか例を挙げてみましょう。
ゲームでわかりやすいところだと、ソーシャルゲームの課金ですね。いっぱい課金できる人ほど、強くなったり優位に立ちやすいです。仮にお金をかけずにその時に一番強いキャラクターなどを入手しても、すぐにそのキャラクターよりも強いキャラクターが実装されたりするのはお決まりです。そうなったらお金に余裕の無い人は、狙ったキャラクターを引き続けるのは厳しくなります。
それにゲームは一つだけではなく、いくつもあります。たくさんのゲームで課金したかったりソフトの購入をしたかったりと思うと、お金の少なさはそのまま取捨選択で取れる自由度の少なさとなります。
次はサイクリングを見てみましょう。サイクリングを行うには、もちろん自転車が必要になります。自転車は安い物では一万円もしないですが、高いものでは百万円を超える物もあります。高ければ高いほど良いかと言われればやはり例外はあるのですが、多くの場合において金額と性能は比例します。
自転車本体だけでなく、他のところにお金がかかってきたりもします。飲み物を携帯したい時は、リュックサックに入れればそれで満足ですか? フレームにセットできるようになるボトルホルダーを追加購入出来れば、より快適な走行が可能になりますよね。身体への不要な負担を減らせれば、心身を壊すリスクを減らす効果もあります。
ではここで、鬼ごっこを見てみましょう。こちらは確かにお金をかけずとも出来ますが、お金をかけた方が有利になれる可能性が広がります。走るのが速くなれば有利になるのはわかりますよね。その、走るという行為はお金で能力上昇を見込めます。
走り方が悪い場合は、プロの方に指導してもらえば改善出来るかもしれません。広い空間を確保しての練習が出来ない場合は、スポーツジムを使用する選択を取れるようになります。靴の選択肢も広がるでしょう。貧困者が富裕層に絶対勝てないわけではありませんが、可能性の多さでは絶対に勝てません。
このように、お金の少ない人は選択肢が少ないのです。可能性や有り得たかもしれない未来が、少なくなるのです。
対してお金のある人は、多くを選べます。お金が少ない人では選べない項目も、選べるのです。
一応、お金が少ない人にも、お金持ちに勝るかもしれない事柄があります。
それは、反骨精神です。妬み嫉みを力に変えて能力向上に打ち込める何かで遊べば、お金持ちより良い結果を得られるかもしれません。
しかし、果たしてそれは遊びなのでしょうか。
遊びの域を超えてしまってはいないでしょうか。
遊びとは、楽しい気持ちを得るために行うものではないでしょうか。
結局、気楽さという観点でもお金持ちには敵わないのです。叶えたい遊びがあるのなら、まずはお金を得るところから考えましょう。