6話「捕らえる眼」
6話「捕らえる眼」
古びたホテルの一室で、佑人は目を開けたまま、カビ臭いベッドに横になっていた。
部屋は埃にまみれ、あちこちに蜘蛛の巣が張っている。
そして、ベッドに仰向けで横たわる、佑人の目は、虚ろ。
焦点が合っていない。
まるで、魂が抜かれているかの様だった。
そんな生気のない、佑人の顔を、恋人の小百合は、嬉しそうに眺めていた。
「佑人。私の、佑人。」
小百合は佑人の顔を指でゆっくりとなぞる。
そして、その指は、徐々に首もとに下がり、鎖骨辺りをさ迷う。
「…小百合…。」
小百合に触れられているのが、嬉しいのか、佑人は、生気のない顔でありながら、笑みを浮かべた。
「佑人。あなたは素敵よ。私をあの地下から救いだしてくれた。あんな場所に閉じ込められて、苦しかったわ。でも、そんな生活ももう、終わりね。だって、あなたが私を助けてくれる。」
そう言いながら、小百合は指を佑人の胸に置いた。
「あなたが、私に、この命をくれるのだから。」
小百合は、口の端をあげ、ニヤリと笑った。
その笑った口元から、よだれをたらす。
だんだんと小百合の黒髪が下から吹く風で舞い上がり、指先の爪が獣の爪の様に、鋭く尖っていく。
そして、その尖った指先で、佑人の鼓動を探す。
「見つけた。んふふふっ。」
小百合が不気味に笑い、指先に力を込めた。
ガシャーン!
突然、窓ガラスが割れる音がして、小百合は振り返った。
「誰だ!」
小百合は、しゃがれた声で叫んだ。
「お楽しみの所、申し訳ないが、その男を返してもらおうか。」
余裕のある、男の声。
割られた窓ガラスの残骸の上に立つ。
綺麗な満月を背に、背の高い、無造作に伸ばした髪を夜風になびかせ、黒のジャケットを羽織った男が小百合を睨む。
「何を言っている。こいつは私の食事だ!」
小百合はそう、叫ぶと、佑人に向けていた鋭い爪を、男に向けて、振り下ろした。
ガシャーン!
小百合の爪は地面に散らばったガラスを更に砕いた。
「はっ!いない!」
小百合は男を捕らえられていなかった。
すると、小百合の耳元で、男が囁いた。
「食事だぁ?。妖怪は妖怪らしく、爬虫類でも食ってな。」
「はっ!」
横を向くと、すぐそこに男の顔。
そう認識した瞬間、男の長い足が小百合の腹部にヒットした。
「ぐわぁ!」
もう、人間ではない、うめき声を上げて、小百合は部屋の壁に飛ばされた。
「さぁ、もう、お遊びは終わりだ。」
そう言って、男は右手を前に突き出した。
そして、その手のひらを開く。
すると、手のひらに、5センチ程の赤い線が現れた。
その赤い線から、メリメリと音がする。
赤い線は、粘膜を引きながら、上下に開いていき、ギョロンとした両生類の様な眼が現れた。
「あ、あんた、まさか!」
それを見た小百合は、驚愕する。
「さ、サイコロ眼!」
男はニヤリとした。
「最後にサイコロ眼を見られて、良かったな。」
男がそう言うと、右手の眼が赤く光出す。
「いやー!助けて!」
小百合が叫ぶ。
すると、男の腕を誰かが掴む。
男は目の端で、その人物を確認する。
「何やってんだ、お前。」
男がその人物に冷淡な声で問いかける。
しかし、声は返ってこない。
虚ろな目をしたままの佑人が、男の腕を、両腕で羽交い締めにしていた。
男の腕は下がっていく。
自分に向けられていた、男の手のひらの眼が、地面に向かって下がっていくのを見た小百合は、立ち上がり、部屋の出口に向かった。
しかし、男はそれを許さなかった。
佑人が腕に絡み付いたまま、事も無げに、もう一度腕を上げ、小百合に手のひらを向けた。
手のひらの眼が再び、赤く光出した。
その光は小百合の逃げようとする、背中にあたる。
すると、小百合の動きが止まった。
いや、小百合は動けなくなっていた。
「いい加減目を覚ませ。クソガキ。」
男が佑人に言った。
「いつまであの女の妖術に掛かってやがる。」
虚ろな目をした佑人が、顔を上げ、動けなくなった小百合を見た。
「…さ…ゆり…。」
感情を失った声で、佑人が呟く。
「あの女はもう、人間じゃねぇ。妖怪だ。」
「よう…かい…。」
また、佑人は呟く。
そして、動けずもがく、小百合を見つめる。
「ぐわぁ。」
人間とは思えない、声を上げる、小百合。
その姿を見た佑人の目から一筋の涙がこぼれた。
そして、だんだんと佑人の目に生気が蘇る。
佑人は羽交い締めにしていた、男の腕を離した。
「ここ…は…。?」
佑人は誰に聞くでもなく、呟く。
先程まで、小百合と手を握りあっていた、あの豪華で綺麗なホテルの姿はそこにはもうなかった。
あるのは、暗くて、カビの匂いのする、古びた部屋。
そして、目の前には、変わり果てた姿の小百合。
「お前は幻覚を見てたんだ。この部屋も、あの女も。」
「幻覚…?」
「あれが、あの女の本当の姿だ。」
佑人の目に映ったのは、綺麗な恋人、小百合ではなく、ボサボサの髪を振り乱した、うめき声を上げる、獣の爪を持った、妖怪の姿だった。
その事実を目の前に、佑人は、気を失い、その場に倒れた。
目には涙をためたまま。
そんな佑人を横目に見て、男は小百合に通告する。
「さぁ、消滅の時だ。」
「いやー!」
小百合が叫んだその時だった。
ブー、ブー、ブー。
男のジャケットのポケットから、何かが振動する音がした。
「ちぃっ。」
男は小百合に向けた手をそのままで、反対の手で、ポケットを探った。
音の正体は、携帯の着信だった。
男が電話に出ると、安西の声が聞こえてきた。
「もしもし、見つかったかな?今、君の携帯のGPSを頼りに、そっちに向かってるから、二人とも、そのままにしといてよ。」
「はぁ?!」
陽気な安西は、男の返事を聞くことなく、電話を切ってしまった。
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