第2話 昂れエロス
どうすればいいんだ。
こんな状況は生まれて初めてだ。
男は、パンツ一丁で仁王立ちしていることを除けば、取り立てて説明する必要がないような好青年だ。こがねがかったサラサラの髪は、眉毛に届くか届かないかといったところで切り揃えられている。その中性的な見た目は、一部の女子から支持を集めそうだ。
「うずくまってどうしたんだよ、同志よ」
「同志じゃねぇよ。服を着ろ、服を」
「あははっ。いやだな、服なら着ているだろ」
漢は裸が一張羅とでもいうつもりだろうか。
「パンツを履いている」
「お前のパンツに対する信頼度どうなってるんだよ!!!」
その布地面積は、服と呼ぶにはあまりにも心許ない。
「冗談さ。そう声をあらげるなよ。僕なりの初対面のジョークじゃないか」
初対面のジョークにしては、刺激が強すぎると思います。もう少し段階を踏んでいって欲しい。でも、裸の付き合いは仲を深めるというし、あながち間違ってはいないのかもと思ってしまう自分もいる。悔しい。
「そうかい。ところで、ここに来たのはお前1人か?」
あまりの衝撃で周りが見えていなかったが、この教室には、俺とこの変態しかいないようだ。
「そうだよ。今来てるのは僕ひとりだね。あっ、そういえば、僕は三上優だよ。よろしくね」
「おお、よろしく。俺は葵比呂だ。ところで、席とかってどうしてるんだ?」
「さあ? 僕たちのクラスは入学式の当日に、メンバーが決定されるんだから、席なんて決まってないだろうし、適当に座っていいんじゃない?」
なるほど、言われてみればそうだな。
ならば、早く来たものの特権だ。窓際の一番後ろ、あの席に座らせてもらおう。机の上にカバンを置いて、どかっと腰掛ける。
「ところで君、何で濡れてるの?」
先程、美人教師にしたような説明をしようとしたところで、俺が入ってきたのとは逆側のドアがガラガラっと開かれた。
「おっ、2人もいる! 今年のPクラスは私だけ、なんてことだったらどうしようと思ったよ」
そう声を発した人間は、なんと女子だった。天使のリングかと見紛うほどに、艶のある黒髪は、セミロングというのだろうか、肩のあたりまで伸びている。目はくりくりで、スッと通った鼻筋に加え、可愛らしい小さな口がついた、紛うことなき美少女がそこにはいた。
びびった。アイドルかなんかなんじゃないの、この子。
「ねぇ、席って決まってるの?」
「さっきも2人でそれについて話してたところだよ。僕たちは好きなところに適当に座ってる」
いつの間にか服を着ていた三上が、そう説明する。
「ふーん、そっか。どうしよう」
そういう彼女は、ちらっと俺の座る席を眺めて、トコトコと歩いてきた。
「私、白葉凛。隣い「構わないぞ。是非座ってくれ」い?」
はやる気持ちを抑えきれず、食い気味で答えてしまった。断る理由がひとつも見当たらない。
きっと、この子は特別だ。この先やってくるようなやつらは、むさ苦しい男どもばかりに違いない。それならば、美少女が隣に座ってくれるほうが、学校に来るのも幾分か楽しくなるというものだ。
しかし、なんだってこんな美少女が、このような無法地帯に放り込まれるのだろうか。
あまりの可愛さに、顔にしか目がいっていなかったが、改めて彼女を観察してみる。出るところはあまり出ていないが、カモシカのようにすらっとした手足といい、引き締まった腰回りといい、モデルのような造形美を感じさせる申し分のないスタイルのよさだ。ふむふむ、ほほぉーん。
……あぁ、この子、スカート履いてへん。
彼女は、学園のブレザーにカットシャツ、ネクタイを身につけているものの、スカート、靴下、靴を履いていないというなんとも前衛的なファッションをしていた。
「揃いも揃ってなんなんだよ!!!」
俺の声に、ビクッと肩をすくめる姿は、とてもキュートだ。
「あっ、悪い。その、何だろうな。お前は寝ぼけていたりするのか?」
「どういうこと?」
「いや、その、なんだ」
もし、彼女が、寝ぼけていてスカートを履くのを忘れてしまったのだとしたら、どう気付かせてあげるのがベストなんだろうか。故意でないとするならば、あったばかりの男達に、そのような格好を見せてしまっているという事実はとても恥ずかしいことだろう。
返答に悩む俺に、みかねた三上が救いの手を差し伸べてくれた。ナイスだ。うまくやってくれよ。
「彼は、どうして白葉さんがスカートを履いていないのか。その答えを知りたいらしいよ」
こいつに、デリカシーというものを求めた俺が間違っていたらしい。
「いや、そうなんだが。……すまん。なんで下半身ノーガードなんだ」
「ああ、そういうことか。私、足にものすごい魔力が流れててね。何でかよくわからないんだけど、ズボンとかスカートとかそういうものを履いたら、ざわざわーって感じで気持ち悪くなっちゃうんだ。それで、さっき無理やりジャージ履かせようとしてきた教師を蹴飛ばしちゃって、このクラスになったってわけ。ほんとは、私も可愛いズボンとかスカートとか履いておしゃれしたいんだけどね。こればっかりは仕方ない。あっ、でも、パンツは履いてるよ! Tバック!」
そうおどけて見せるが、白葉の顔は少し寂しそうだ。この子も女の子だ。人並みにおしゃれを楽しみたいというのが本音だろう。何? Tバックだって? 見せて見せて。
「見せ、いや、なんだろうな。魔法が使えることで生じる悩みもあるんだな。見せて。俺はさ、魔法が全く使えなくて、結構馬鹿にされたりしてきたんだ。だから、魔法に悩まされてるものどうし、仲良くしてくれ。あとTバック見せて」
まずい。慰めようとしているのに、欲望に蓋が効かない。
「ふふっ、だーめ。そんな安い女じゃないんだから。でも慰めてくれてありがとね」
なにこの子、めっちゃええ子やん。
「ところで、魔法使えないって、魔力がゼロってこと?」
「おん、そうだよ」
「君が葵比呂君か!! さっき、上原先生がめっちゃ怒ってたよ。魔力のない葵って男に深く傷付けられたって。なにしたの?」
上原っというのは、先程の美人教師の名前だろうか。そうか、いきなり目をつけられてしまったか。俺、何にもしてないんだけどなぁ。
「うーん、何かしたっけな。しかし、目をつけられるのは厄介だなぁ。極力近づかないようにしないと」
「謝れば済む話なんじゃ……。流石はPクラスといったところなのかな?」
失礼な話だ。世界一このクラスが似合わない、品行方正な男を捕まえて、そんなことを言うだなんて。
少し咎める意味を込めて、白葉を睨むが、彼女はどこ吹く風で周りを見渡しながら言った。
「結構、人集まってきたね」
そう言われて、あたりを見渡すと、確かに続々と人が集まってきていた。加えて、先程までそばにいた三上の姿も無くなっていた。あいつ、いきなり服を着たり、突然いなくなったり、手品が得意なのかなぁ。
集まってきたKクラスのメンバーは、各々が適当な席に座り、思いのほか静かにしている。同じ中学出身なのか、ところどころでグループを作っているものもいるが、大半は自身の席で携帯電話をいじったりしている。
なんだか、拍子抜けだ。最初に出会った男があれだったので身構えていたが、やはり大半は自分と同じような高校生なんだな。
「そういえば、さっきまで一緒にいた人って友達なの? いきなりいなくなったけど」
「ああ、三上のことか。初対面だよ。最初に集まったのが、俺とあいつだったってのもあって話してたけど、まだ何にも知らん。唯一わかっているのは、奴が変態だということだな」
「変態ねぇ。結構可愛らしい顔してなかった?」
「なに、タイプなの?」
白葉はやつに好意を抱いてしまう一部の人間だったか。奴を好きになるのは、茨の道だと思うが、この子はいい子なので応援してやろう。
「ちがうちがう。わたしはもう少し男らしい人がタイプだから」
「ほーん。おっ、噂をすれば」
ガラガラっとドアが開けられ、三上が教室に入ってくる。トイレでも行ってたのか?
三上はそのまま教壇の前で立ち止まり、こちらに向き直った。
「やあ諸君。先程、魔力検査が終わった。つまり、ここにいる諸君らが、これから学園生活を共にする同士だ。僕は、三上優。このクラスの代表を務めるものなのでお見知り置きを」
三上の方を向いているのは、俺と白葉のみ。除いてではなく、のみというのがネックだ。他のやつは、談笑したり、携帯を見ていたりしている。君たち、もう少しクラスメイトに関心を持ちなよ。
「ふむ、どこの馬の骨とも知らない僕が、このクラスの代表であるのが不満とみえる」
あんまり他人に興味がないだけだと思うなぁ。
三上は、腕を組み、何かを考えた後、ニヒルな笑顔でこう発した。
「僕はエロスだ」
ガタガタ!!
まるで統率された軍隊のように、三上に向き直るPクラスの面々。何事だ!?
「エッエロスだと……!?」
「奴がそうだと言うのか!?」
「エロス……噂には聞いていたが、実在したのか」
各々が神妙な面持ちで、感想を述べる。三上を見つめる瞳には、どこか尊敬のような、そういったニュアンスが秘められているようにも感じられる。いや、エロスってなに?
「彼があの悪名高いエロスだというの!?」
なぜか白葉まで戦々恐々としている。
「なあ、エロスってなに? 有名なの?」
そう尋ねると、白葉は驚いた表情でこちらを見つめた。
「あなた、あのエロスを知らないの!? 思春期の王と言われる男よ!!」
なに、その不名誉な称号。つまり、とんでもない変態ってこと?
「彼はね、同級生の女の子のスカートをスカートをね」
ほーん、スカートめくりねぇ。まあ、たしかにエッチと言われればそうだが、やんちゃな中学生ならやりそうなことだ。エロスなんて、大それた名前にも程がある。
「パンツごと破り去ったと言われているわ」
前言撤回、バケモノじゃねぇか。手をかけられた女子生徒は、きっと、重度の男性不振に陥ったに違いない。
「彼の通る道に下着は残らないのだとか」
もういいよ。奴のやばさは十分伝わったから。なんで、あいつはシャバにいるの? 時代錯誤の蛮族じゃねぇか。初対面で見たあいつは、まだ全然本気じゃなかったんだ。
恐れ慄く俺をよそめに、尚も演説は続く。
「なぜ、僕たちは魔法を得た。それは、エロを探究するためだ。僕たちは、同じ志のもとに集った同志だ。今こそ手を取り合い、共に楽園を目指そうではないか!!」
「「「オオ――!!!!」」」
バラバラに見えたKクラスが、今、一つになった。
たった1人、エロスという存在によって。
そう、Kクラスとは、どうしようもないほど思春期真っ盛りで、どうしようもないほどにエロに興味をもってしまった男たちを隔離するための監獄なのだ。
いや、ほんと、土下座でもなんでもするんで、今すぐ別のクラスに変えてください。