魔法少女 vs SAMURAI
「夷狄?」
「嗚呼」
道場で稽古をしていると、同じ美作流門下の乾が、鹿田に近寄って来た。
乾はつぶらな瞳で、犬のような顔を鹿田に向けた。鹿田は訝しんだ。乾の腕は確かだ。齢14にして美作流免許皆伝、天下に並ぶものなしとうたわれた天才志士である。
その乾が、怯えていた。
「近頃出るらしい。何でも道場破りをして回ってるとか」
「酔狂な奴だ」
鹿田は顔をしかめた。こちらは鹿に似ていた。
この鹿田もまた、美作流きってのやり手である。
火炎の乾、水天の鹿田。同い年で、仲も良く、巷では有名な二人だった。
乾が髷を撫でた。
「何でもその夷狄……女だという」
「女?」
鹿田は目を丸くした。
「若い女だそうだ」
「幼子の夷狄が、道場破りだって?」
「もう既に、九つは看板を持ち帰ったとか」
「ばかな。そりゃ誰も信じないわけだ」
鹿田は肩をすくめた。だが乾は話を譲らなかった。
「ワシは真剣なのじゃ」
「聞くよ」
「何でもその女、奇怪な格好に、見たこともない妖術を使うらしい」
「とすると、仙界の者か」
鹿田は笑った。乾はだが、笑わなかった。
「無論、ワシは信じとらんが……なんでもその夷狄女を見た奴がいうには」
乾が声をひそめた。
獄彩色に彩られた布を身にまとい、手に持った杖のようなもの一本で、数多の志士たちを倒してしまう。
「杖? 杖とは?」
「言った通りさ。その女は、道の真ん中に突っ立って、呪いのような言葉をつぶやき、その杖で大の男たちを倒しちまうらしい」
「じゃあ何か? その仙界女が、杖から仙術を出したとでも?」
「あながち間違いでもない。見た奴がいうには、何やら怪しげな光がその杖の先から出たとか出ないとか……」
「バカバカしい。そんな与太話、信じる方がどうかしてる」
「怖いか?」
「怖いだって?」
鹿田は身を乗り出した。
俄然、興味が湧いた。女の夷狄。怪しげな妖術使い。眉唾ものだが、鹿田も腕には自信がある。
「今夜、捕物がある。お前も参加しないか」
「いいだろう。本当にその女が実在するのなら、な」
根も葉もない噂とはいえ、自分たちの道場だけ尻尾を巻いて逃げたとあっては、沽券に関わる問題だった。乾は満足げに頷いた。
「実在するさ。あちこちで目撃されてる。見た奴は恐れ慄き、こう呼ぶんだ……」
”魔法少女”……と。
「魔法少女……ね」
鹿田は洗い立ての、新しい着物に袖を通した。
髷はまだ解かなかった。今宵は、長い夜になりそうだった。
◇
その晩。月の昇った戌ノ下刻。
鹿田は乾とともに、その女を待ち伏せ、街外れの橋のそばに身を潜めた。
明るい夜だった。
辺りは静けさに溢れ、そばでススキが風に揺れていた。
虫の音が、辺りに心地よく響き渡った。鹿田は息を潜めていた。
夷狄の女。
名も知らぬ異国の道場破り。
街の方々で、名だたる志士たちがその女を捉えようと、今宵身を潜めている。
鹿田は久しぶりに、血が騒ぐのを感じていた。
やがて、その時は来た。
当たりだ。運良く、鹿田たちの方へ来た。
橋の向こうから、人影が揺れた。顔は見えない。
だが背格好から女だと分かった。
なるほど聞いていた通り、見たこともない不思議な格好をしている。
風に揺れる長い布。手足を包む白い手覆。頭にも派手な紅色の禿島田を被っている。だとするとなるほど、腰にぶら下げているあれが、例の魔法の杖か。
「あれが”魔法少女”か……」
鹿田は唸った。まるで遊郭の遊女か、幻想絵巻から抜け出して来た妖狐のようである。
だが歳は若い。
果たしてあの童女が、本当に巷の道場を騒がせているほどの実力者なのだろうか?
鹿田は興奮を押し殺すように身じろぎした。
風が止む。やがて数歩と近づかぬうちに、向こうもこちらに気付いた。
ふと童女の足音が止まる。間合いをはかっているのだ。
橋を挟んで、お互い、じいっと気配を窺い合った。
「鹿田」
「嗚呼」
耳元で乾が囁いた。
それが合図となり、鹿田はさっとステッキを抜き、勢い良くその女の前に躍り出た。
「マジカル♤スプラーッシュ!!」
先手必勝。鹿田が叫ぶ。
マジカル♤スプラッシュ。
幕末の魔法志士・鹿田の十八番魔法でもあった。
甲高い絶叫とともに、鹿田のステッキから、大量の水流が吹き出した。月明かりの下に、魔法で作られた水の奔流が爆ぜる。
「何奴!」
女が驚いて後ろに飛び退いた。
同時に、女は脇に指していた杖を抜き、その切っ先を鹿田に向けた。
「気をつけろマジカル♤鹿田! その女、杖で攻撃して来る!」
「了解! ありがとねっ、マジカル♧乾!」
相棒の助言に、鹿田は厳かに頷いた。
乾が、鹿田の隣で援護射撃を行なう。
乾のステッキからは、炎の波が飛び出す。
重々しい表情は、そのまま魔法の難易度を表し、歯を食いしばって攻撃を放つその姿は、まさに志士であった。
水と炎の波状攻撃。
火炎の乾、水天の鹿田。
幕末が生んだ、至高の魔法であった。
「スプラッシュ!! マジカル、マジカル♤スプラ〜ッシュッッ!!」
「ファイア! マジカル♧ファイヤー!! マジカル♧ファイァアッ!!」
二人の志士は叫び続けた。魔法少女の名誉にかけて、国の威信にかけて、叫びながら、技を出し続けた。
この国の名誉にかけて、魔法道場の名にかけて、夷狄には負けられない。
「鹿田!」
「おう!」
二人は息を合わせた。素早く寄り添って、お互いのステッキを重ね合う。合体魔法だ。
「喰らえ!」
「「ラブリー♡ファイヤー♤スプラ〜ッシュ♧!!」」
「む……!」
女が唸った。顔は険しいが、しっかりと二人の魔法を避けている。
案外簡単に避けられたことに、鹿田は衝撃を覚えた。
「お主、やりおるな……!」
「どうもこの時代の奴らは、どいつもこいつもおかしな技を使うな」
「おかしいのは、貴様の方だ!」
乾が叫んだ。
「その仙界の杖で、何をしようというのだ!?」
「これか? これは……」
しゃらん……
、と何処かで鈴が鳴った。
その瞬間、女が笑みを見せた。
くっ、と小さくかがみ、それからあっという間に鹿田との間合いを詰めた。
「な……!?」
「刀と言う。こう使うのだ」
一閃。
鹿田は息を飲んだ。
見えなかった。
いつの間に。目が眩むほどの早業であった。あれほど距離があったのに、一瞬で懐に入られた。二人の魔法を避けたものも、ましてや反撃して来る者も、久しくいなかった。こんな見たこともない技を使う女が、この世に存在していたとは。鹿田は愕然とした。
「カタナ……!? カタナとは、一体……!?」
「破ッ!!」
「……!?」
女の杖が、ゆっくりと動いて見えた。
言われた通りだった。乾の言っていたことは、本当だった。
ゆったりと、動きが遅く感じられる時の流れの中で、鹿田はふとそんなことを思った。
仙術。
だが実際には、仙術ではなく、目にも留まらぬ瞬撃だった。
あまりの速さに、鹿田の意識の中で、動きがゆっくりと見えたに過ぎない。
「斬り捨て御免ッ!!」
奇怪な呪文をつぶやき、女が、杖を上に振り上げる。
その途端、鹿田の腕からビッ!! と血が飛んだ。
「ぎゃっ!!」
一瞬遅れて、激痛が腕を伝って脳天へと駆け上る。
気がつくと、鹿田はステッキを投げ捨てていた。
「な、ななななんだ……!?」
「斬ったのだ」
「斬ッ……!?」
さながら噴水のようであった。月光に鮮血が舞う。千切れてはいない。だが動脈を切ったのは間違いない。己の腕から吹き出る血の量に、鹿田はうろたえた。
はっ、と気づいた時には、女は、すでに鹿田の遥か後方にいた。返り血すら浴びていない。目にも留まらぬ足捌き、軽快な身のこなしであった。
「斬ッ、とは……?」
鹿田はそう言いながら、背に冷や汗がじっとりと滲むのを感じていた。速い。詠唱から攻撃の発動まで、全く無駄がない。こんな技を受けたのは初めてだった。
「おのれ、面妖な技を……!」
「それはお互い様だ。お主らこそ何なんだ? その木の枝は?」
「木の枝ではない! これは我が道場に伝わる由緒正しき魔法のステッキよ!」
お主こそ妙な杖を。そう叫んだ乾は、青ざめた顔で尻餅をついていた。
女は乾を冷たい目で一瞥した。まだ斬れる杖は構えたままだった。
「フン。この時代には、刃物はないのか? どうやらお互い、自己紹介が必要なようだな」
「何……? 道場破り風情が、生意気なことを……!」
「まだ我々の魔法は負けてはおらぬぞ!」
「勘違いするな。向こうが襲ってきたからこの身を守ったまで。我は武士よ」
「ブシ……?」
「そうとも。我は武士の節野だ。侍よ」
「サムライ……?」
「”魔法少女”ではないのか?」
鹿田と乾が顔を見合わせた。ブシと名乗った女が、不思議そうに首を傾げた。
「この間からずっと気になっていたのだが、お主らの言う、その”魔法少女”とやらは一体何なのだ?」
「”魔法少女”を知らぬのか?」
乾が目を瞬かせた。
「”魔法少女”とはつまり、我々のことよ」
「お主らが、その”魔法少女”なのか?」
「嗚呼。拙者が魔法少女・マジカル♤鹿田志賀子と」
「同じくワシが、マジカル♧乾犬子よ」
二人は目配せして名乗りを上げた。
片手を胸の前に掲げ交差させ、姿態を取ることも忘れなかった。
「二人が、魔法少女……」
「嗚呼」
「我が国では魔法が発展している。そして我々魔法少女は、この国を憂い、志士を募っているのだ」
「てっきりお主も、新手の”魔法少女”だと思っていたんだがな」
「知らんな。全く妙な国に迷い込んだものだ……」
ブシの節野は苦笑した。
「その”魔法”とやらは、一体どうやって使っているんだ? できれば詳しく聞かせてくれ……」
◇
鹿田と乾は侍を知らなかった。
節野は魔法を知らなかった。
こうして、二人の魔法少女志士・鹿田と乾は、異国の女侍・節野と出逢った。彼らの出逢いによって、この国は激しく回天していくのだが、それはまだ、もう少し先の話である。
《続く》