絶望に染まった心
今回は多少話が重めです。
少女が再びマンティコアに特攻を仕掛けようとした。
――刹那
「ういんどかったーー!!」
可愛げな声とともに魔法が打ち出された。しかし、その可愛い声に似合わず高威力なその魔法は 風属性の高威力魔法『ウインドカッター』スキルとは関係のない純粋な魔力によって作り出される魔法であり、かなりの魔力量が必要だったりする。
無論、硬い皮膚を持つマンティコアには傷1つとしてつていなかったが、視線をソフィーに移させるには十分な威力を秘めていた。
マンティコアが反転し、標的を即座に攻撃してきた対象であるソフィーへと移す。低い唸り声を上げながら十数メートルはあった間合いを一瞬で喰らいつくし、ソフィーへと牙をむいた。
咄嗟に魔法障壁を展開したソフィーだったが、数瞬もしない間に結界に亀裂が入る。マンティコアは一時でも自分の攻撃を防がれた事に苛立ちを隠そうともせず咆哮した。
『グルぅアアァ!!』
「――――! 『あいすにーどる』」
キラキラと粉雪が舞い収束してできた氷の槍を放つもそれをまったく意に介さずマンティコアは執拗にソフィーを狙う。
そこにクローフィーが乱入し、再びマンティコアと相対する。
マンティコアは実にシンプルな強さだ。荒ぶる矛となる爪と尻尾の超速攻撃。
大抵の人間は攻撃をされた事を知覚すらできず息絶えるだろう。
「があああああ!!」
雄叫びを合図に再び化け物と『血に飢えた獣』が激突した。
「ギシェえー!!」
爪と爪が火花を散らしてぶつかり合う。
しばらく拮抗していたが力で勝っているマンティコアの爪が徐々に押し始めクローフィーの体を切り裂いた。
骨まで届いていそうな爪の痕を残し、クローフィーはその場にあっけなく倒れ伏した。
「―――おねえちゃん!!」
「ギシェええええええ!」
駆け寄ろうとしたソフィーにもマンティコアの無慈悲な尾が襲いかかる。
横なぎに放たれた尾は遠心力を十全に発揮し、極限の威力。戦いの場で冷静さを欠いたソフィーにそれが躱せるはずもなく直撃した。ボールが跳ねるが如く、何度も地面に体を打ち付け、転がり止まった時にはソフィーの意識はすでに闇へと落ちていた。
―――――
どこだろう? ここ?
何も見えない真っ暗な空間。掠れ、薄れゆく世界。そんな世界で僕は彷徨っていた。
……いや、ほんとうはわかっている。ここはたぶん自分の心の中。冷たい闇が眠る僕の心中。
まどろむ意識の中でうっすらと見えた光景は自分がマンティコアの尾に吹き飛ばされた姿。それでも自分はマンティコアに再び刃を向けている。
「ははっ……」
それを見た僕は思わず乾いた笑い声が漏れた。
こんなにおかしいことはない。
醜い。実に愚かだ。己で作り出して、自分を守ろうとした人格が自分が死ぬほうに働いている。
―――ああ。思えば前世も今世もろくでもない人生だった。
前世は退屈でバカみたいにクソみたいな人生で生きているのが嫌で嫌で仕方がなかった。
誰も彼もが僕の事を蔑むような目で見つめていた。
嘲笑っていた。
バカにされていた。
鈍くさくて、顔も下の下に位置していた僕の立場はクラスのカーストで断トツの最下位だった。
毎日うざいとか、顔が見てて気持ち悪いとか、とにかく理由をつけては蹴られて殴られて、「死ね」とか「きえろ」とか「ごみ」とかそんな罵詈雑言を何度も浴びせられ。
中学までは孤立してはいたものの我関せずといった感じで楽だったのに。
高校に入ってから突然。
理由はわかってる。孤児院にお金がなくて教育もまともに受けてなかったから、ノートとかも利用できなかったため、それで頭が良くなるはずもなく底辺な高校に入学した。
最初の頃は味方がいない空間といじめが恐ろしく、耐えきれなくなって先生に相談した。
そうしたら『生徒の問題』とか支離滅裂な理由をつけてだんまり。
多分だけどいじめとか治安が悪いとかそういった事実を学校で徹底的に隠蔽してたんだと思う。
そんな生活が2年も続いたものだから心は壊れ毎日を虚ろに過ごしていた。
孤児院に帰ってもいいことなんてありはしない。
心のケアなんてしてくれるほど孤児院は裕福ではなかったし、毎日けがをして帰ってくる僕を気味悪がって誰も近寄ってこなかった。
本当に何が楽しくて生きているのかわからない。
そんな人生だった。
でもそんな僕にも一つだけ心の拠り所となる場所があった。
たまたま学校の図書室にあったPCで見つけたネット小説。
その世界で生み出される夢や冒険を見て現実逃避という名の生きる希望を見出せた。
物語に没頭して時間を忘れることがあった。
それが異世界だったんだ。
異世界に来て、転生したとき自分でも驚くくらい興奮した。
これでやっと自分は報われると思った。
いろんな人がほめてくれて、支えてくれて、嘲笑の視線が羨望の眼差しに代わるのではないかと淡い希望を抱いた。
女になっていたことすらも面白おかしい程度の事でこれから起こるであろう素敵な日々を思えば興奮に胸の高まりが収まらなかった。
……でも現実はそんなに甘くはない。
襲い掛かる魔物、衣食住の確保。
それでも自分に『力』があったからやってこれた。
一人でも楽しかった。
でもマンティコアとの戦いで自分の信頼していた『力』なんてものは容易く打ち砕かれて、崩壊した。
それは身体だけじゃなくて心も。
自分の感情に檻をかけて閉じ込めてしまうくらいに。
マンティコアと戦った後。
初めて負った傷が痛くて、苦しくて、絶叫した。
初めて自分を殺し得る怪物に出くわして見えない敵に怯え一晩中泣き叫んだ。
恐怖に体が動かなくて怖くて布団にくるまっていた。
それでも生きていたいから『恐怖』の感情を追い出して生存するためだけに判断も理性もスキルにゆだねた。
もう。死んでもよかった。いや、死にたいんだ。
もうどうでもいいんだ。ソフィーの事も自分の事も何もかも……
『死』という現実の前ではすべて無意味なんだよ。
いっそなにもなかったことにして消えてしまいたい。
そんな感情が心の奥底から膨れ上がり自分の存在そのものすらも忘れようとした。『ういんどかったー』
声が響いた。幼い声だ。愛おしい声だ。
ああ、これは誰の声だっただろうか……
……
……
……
ソフィーの声だ。
意識を集中して外を見れば息を切らして肩を震わせ、恐怖でおかしくなってしまいそうで、それでもマンティコアと相対しているソフィーの姿があった。