ソフィーの母
ピチョン…… ピチョン……
「ん、うぅ……」
頬に感じる冷たい感触に、ソフィーの意識は徐々に覚醒していった。
やがて完全に目の覚めたソフィーは涙と水滴に濡れた頬を拭いフラフラと進みだす。
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今はもうソフィー、一人しかいなくなってしまった家。
ソフィーは知らないが、まだ幼いソフィーを守るために生前暮らしていたエルフたちが協力しあい、膨大な魔力の土魔法により作られたもので魔物の侵入を阻むことの出来た唯一の家である。
魔物の増加とともに減り続けてきた『禁忌の森』のエルフたちは必然的に精鋭といえるほどに強いエルフたちだけが残っていた。だが魔力に長け、寿命の長いエルフといえど、魔物との激しい戦いに日に日に傷は増え、身体は衰えていった。
やがてほとんどのものが戦える状態ではないほどに衰弱したころ。
エルフたちは当時。まだ幼く、戦闘を経験したことのなかったソフィーの母。クロエに自分たちの全魔力、さらに命と引き換えに生命力を魔力に変えて乗せることで、増幅させた、命の集合体ともいえる家を託した。
先人たちの生きた証。
ノース(家)は見事。魔物の侵入を防いだ。
だが、幼かったクロエ一人で生きていくことはとても過酷なことだった。
クロエはノースの周りに生えた僅かな木々から、果物や木の実、食べられる野草を集めてその命をつないだ。戦闘を知らなかったクロエは魔物に見つかっては脱兎のごとく逃走し、家に帰っては一人震えて泣いてしまうこともあった。
魔物の恐怖におびえ木の実をとって生活する。次第にクロエは生きている意味も価値もわからなくなっていった。
転機が訪れたのはソフィーが生まれてからだった。
楽しいことも、嬉しいことも知らない。絶望に染まっていた人生は、ソフィーが笑顔を見せてくれるだけで、面倒を見るだけで。たったそれだけのことで、灰色に染まっていたクロエの人生は再び彩どりを取り戻し始めた。
ソフィーがいれば自分はどうなってもいい。
半年もたつ頃にはそんな風に思うことが当たり前になっていた。
クロエにとって夢のような時間はあっという間に過ぎ去っていった。
ソフィーが3歳になったころ。
自分の溺愛するソフィーが『外』に興味を持ち始めてしまった。
クロエは胸が締め付けられるような感覚に陥ったが。それを表情に出すことはせず、ソフィーを宥めて何とか外への興味を反らした。
胸内で安堵の表情を浮かべるクロエに気付くこともなく、ソフィーは天使のような微笑みを浮かべていた。
ソフィーが5歳になったころ。遂にノースの周りから取れる食料が底をついた。
もっと遠くで食料を探したくても魔物がいれば戦う事ができないクロエに残された選択は今あるすべての食糧をソフィーに与えることだけだった。
やがてクロエは命を落とした。
クロエのお願いとは全く関係のない。
何も口にしなかったことによる飢え死に。
『餓死』によって……
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ソフィーが後ろを振り向いて一歩踏み出せばすぐ近くにある。
先人たちの残した家が。
だが、ソフィーは家に入ることはなかった。
幼い少女が自分のせいで大好きだった母が亡くなってしまった事を知った。
ソフィーがとった行動は森をさまようことだった。
自分も母の死を追って旅立つ。
つまりそれは『自殺』だった。