光を探して
目の前が赤い。
ただただ赤だけが、血の色だけが満ちている。
殺せ、殺せと自分じゃない誰かが訴えてくる。
目の前では肉塊から血が噴き出ていて私はそれを啜っている。
これは悪い夢なのだろうか。
パパを、ママを救えなかった私への罰なのだろうか。
誰も、どんなものも、殺したくなんてないのに。
それを本能が求めている、訴えてくる。
生きるために食事や睡眠が必要なように、なにかを殺すことが私の生きている価値なのだとそんな気までしてくる。
その度にダメだと自分に言い聞かせるけど、少し気を抜けば、深く、深く落ちて行ってしまいそう。
「ガァァァァ!」
しかしある時を境に真っ赤になった血の海が見えなくなった。
相変わらず思考は真っ赤に塗りつぶされて、破壊と飢えの衝動に促されるまま、血肉を貪ることしか考えられなかった。
それが、今は微かに視界の端に情景が戻ってきていた。
暗い鉄の色を見るに、どうやら私はなにか固いものに閉じ込められいるらしい。
本能は納得が行かないというように金切り声を上げているが、私は安堵した。
これでやっと楽になれる。
目に映る赤い光景が、人が死ぬのを見なくて済む。
そう思うだけで心はどんどんと楽になっていった。
しかし、私が死ぬことはなかった。
なぜだか毎日動物や魔物が鉄格子の間から投げ捨てられる。
無意識のうちに体はそれに喰らいつき、血を啜る。
もう死にたいのに死ねないなんてとんだ生き地獄だった。
そうして、何日か経った頃、私はなぜか、まともな思考ができるようになってきていた。赤く染まっていた視界も、靄のような感覚は残っているものの、ほぼ完全に晴れ、理性を保つために必要な五感が問題なく機能している。
それとともに体も徐々に元の姿に戻っていく感覚がある。
暗闇から、少しずつ光が差し込んで来るような、元の自分が戻ってくるような言い知れない感覚だった。
相変わらず、体は熱い疼きが止まないけれど、それでも自我を持てば保てるまで回復した頃。
「あの……」
私は、初めて檻を見張る看守に話しかけた。
「っ!」
看守は私を見て驚いたように目を見開き、物凄い勢いで部屋を飛び出していく。
一人残された部屋に静寂が広がる。
看守が部屋に居ない間、いつもならその静寂は保たれたままだけど、今日は違った。バタバタと部屋の外で物音やざわめき、喧騒が聞こえる。
その喧騒が唐突に止む。
何者かの強い一喝が聞こえたのち、部屋に入ってきたのは看守― ではなく、半裸で獣の皮のようなものを腰に纏い、獣耳を身に着けた、ムキムキの変質者だった。
「……」
「あー。こっちの言葉が分かるか?」
突然の変質者の登場に呆然とするなか、投げかけられた言葉に我に返り、激しく首を縦に振る。
「そうか、じゃあ『吸血鬼』っていう種族に覚えはあるか?」
「……しらない」
吸血鬼、そんな種族に聞き覚えはない。
ママやパパに外には亜人と呼ばれる種族がいるとは聞いたことがあるけど、それも確か獣人とかエルフとか海魔族とかそんな感じだった気が。
その亜人だって遥か遠くや辺境の地に住んでいるからそうそう会うことはないって。半ばおとぎ話のような感覚で耳にしていた。
「取りあえず、自分のステータスを確認してみろ」
変質者の人から聞かれた問いに疑念を持ちながらも素直に従い、ステータスを開いてみる。
ステータス
名前 サリエラ 状態 真なる始祖の吸血鬼(狂化)(安定)
種族 吸血鬼 性別 女
筋力 A- (狂化状体中)
俊敏 A- (狂化状体中)
耐久 B+ (狂化状体中)
魔力 A (狂化状体中)
体力 B+ (狂化状態中)
種族スキル
『夜行性』『吸血鬼化』『血に飢えた獣』『吸血』『再生』
スキル
『血液創造』『血液操作』『眷属化』『眷属召喚』
称号スキル
『始祖』『殺戮者』『魔物殺し』
耐性
『日光耐性』(狂化状態中は無効)
『斬撃耐性』『毒耐性』『魔法耐性』『刺突耐性』『打撃耐性』『斬撃耐性』『風耐性』『氷耐性』『水耐性』『痛覚耐性』
ステータスと念じると目まぐるしい量のスキルが頭の中に流れる。
種族が吸血鬼になっていることにも驚いたけど、一番はステータス。
村にいた頃の私はステータスオールGで、虚弱体質だったのに。
今の私のステータスは本の中で英雄と謳われる物語の主人公達と肩を並べられるほどのものだ。
「その様子だと記憶はなかった感じか……」
私の反応を見てがりがりと頭を掻く変質者さん。
めんどくさそうに溜息を吐いた後、真剣な表情をして腰を下ろし、私と目を合わせる。
「いいか。よく聞いとけよ」
そうして聞かされたのはここまでの経緯。
私が辿ってきた道筋。
吸血鬼となった私がしでかした一連の顛末。
森の中から唐突に現れた私が戦時中の軍を半壊させたこと。
その後は避難命令が下り、近隣の村や町に住む人が避難し、国は防衛に徹っし、軍備を整え、貴族や王族をも巻き込み近隣諸国で大騒ぎになったそうだ。
そして最終的に、私を捉える命令を下したのが、変質者―、獣王さんだったこと。
一時は、変質者の戯言だと、切り捨てようとした。
しかし、心が、手が血に濡れた感覚が、なにより自分の体の状態がそれを否定した。
血だらけだった。体には乾燥して、異臭を放つ血が纏わりついていて、服はもはや原型をとどめていないほどボロボロで、ぼろきれみたいで……
自慢だった銀髪も、人の血を浴びすぎた影響か、深紅に染まっていた。
どれだけ否定の材料を用意しても、夢だと嘯いても、身体にこびりついた血の匂いがそれが事実だと如実に訴えてくる。
悲観と悲嘆、絶望が心を満たす。
しかし五感は私の意に反し、このおぞましい異臭を心地の良い香りだと安らいでいる。
気持ちが悪い。
まるで、自分が人ではなくなったかのような。
否、すでに私は人ではないのだ。
血の香りに陶酔し、それを求めて破壊と殺戮を撒き散らした怪物。
『吸血鬼』に、なったのだ。
意図せず、乾いた笑いが漏れる。
正気に戻った方が酷だったのでは、そんな気さえしてくる。
暗い、淀んだ雰囲気を感じ取ってか変質者、改め獣王様は切なげな眼差しでこちらを見つめていた。
「……話は、わかりました。どうして、私は正気に戻ってしまったんですか?」
「ああ。端的に言えば『人魚の涙』のおかげだ」
「人魚の?」
「聞いたことくらいないか? 人魚の涙を呑むとどんな呪いや病気でもたちまち回復するなんて逸話。実はあれ実話でな。内の国は海魔族とは贔屓にしてるから融通してもらった。いっとくけどそれ、とんでもねえ貴重品だからな。王族や貴族ですら気軽に手が出せない額の国家の宝だ。ま、それを魔物の肉に混ぜて、お前に喰わせてやったてわけよ。ありがたく思え」
「……」
もしかして、この人は頭がおかしいのだろうか。
普通、こんなにも人が塞ぎ込んでいる際に、さらに心を抉って取り入るような言葉を掛けるだろうか。
直情的なのか、天然なのか、はたまた傍若無人なのか。
獣の王とはいえ、『王』という器に収まっているだけあって、飄々とした人だ。不覚にも、塞ぎ込んでいた気持ちが少し晴れてしまった。
「ま、『人魚の涙』を数日近く投与し続けてようやく結果が出たんだ。ったく、どんだけ強い呪いなんだか。んなわけで、今後も定期的に飲んでくれよ。あとお前の存在は他国には殺したって事で伏せてあるから。自分が亜人であることを無暗に人に伝えないようにな」
早口でそう捲し立てられ、話を飲み込む。
つまり、この変人。
じゃなくて、獣王様は私の事を助けてくれた、ということなのだろうか。
最初の口ぶりからなにか意図があってのことはわかる。
ただ、それでも心はまだ悲観的で、晴れない。
私のやったことは取り返しのつかない大罪だという事実はもはや揺るがない。どうしてこの人はこんな私のためにここまで声を掛けて、発破を掛けてくれるのだろう。
「どうして私なんかを……」
「言われてみりゃあそうだな。なんでだろうな。ま、強いて挙げるなら亜人としての同族のよしみってとこかな。俺の国はまだ立ち上げたばっかで、それを頭ごなしに否定してくる人間や、幼い獣人を誘拐して商売なんてしようと画策してくる大馬鹿野郎もいる。お前の境遇は知らねぇ。が、純粋に放っておけなかったんだろうな。ま、俺と張り合える時点で、一国レベルの戦力にもなるしな。多分」
口をついてでた私の問いに獣王はあっけらかんとして答えた。
その言動は、理知的なようでどこか幼稚で、直情的に行動した結果。本当にどうしてこうなったかわからないと、言外にそう語っているようだった。
「なんですか、それ?」
思わずクスクスと笑いが漏れる。
雰囲気に吞まれている。
それを自覚しながらも、決して悪情感はない。
天然の人たらし。
この人が如何にして『王』という器に収まったのか、少し理解できた気がした。
クスクスと笑みを漏らす私を見て、獣王様はしばらく苦笑いで頭を掻いていた。一頻り笑い終えると、獣王様が柔和な笑みを浮かべてこちらを迎えた。
「やっと笑ったな。いつまでも辛気臭い顔してるから、まだ正気じゃないのかと思ったぜ。俺はライガ、こんなんでも一応此処を治めさせてもらってる。この先も末永くよろしく頼むぜ」
伸ばされた獣王様の、ライガさんの手を掴み、私は立ち上がった。
これからどうしていけばいいのかなんてまるでわからない。けれど、この人の下でならやっていける気がした。
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私が、正気を取り戻してから三日。
血を川の水で洗い流し、身なりも整えた。
極力日の光を避けるために黒いローブを羽織り、全身を服で覆っている。
万が一にも皮膚に日が触れないよう、ヒナタ共和国産の傘を差す。
『人魚の涙』を一滴だけ日に一度摂取する。
そんな不自由な生活にも徐々に慣れ、『人魚の涙』の効き目が功をなしたのか、現在は吸血鬼になる前とほとんど同じようにしっかりと思考することができていた。
「私、お墓参りにいきます」
そんな折、難しい顔で執務を執り行う獣王様に、そう進言した。
驚き、なぜが問うてくる獣王様に仔細に説明した。
偽善だと、醜いと、罵られても、蔑まれてもいい。
それでも私は殺してしまった人達の怨嗟の声を無視できなかった。したくなかった。
薄らとではあるものの、『吸血鬼化』で暴走していた時の記憶が私にあること。
怪物となった私に、命乞いをするものもいた、どこか遠くを見つめて、悲しそうな瞳をする人も、いた。
パパが殉職した時、私も筆舌に尽くせない感情に呑まれた。
それが仕事だから、誇りだからといっていたパパの姿がなければ、それを認められず、他国の騎士を、それを命じた貴族や王族を、意味もなく敵を探して、私は復讐に走っていたかもしれない。
遺族に謝るとかは考えなかった。
軍が、国が、私の事を伏せて、戦争が激化した、とのことで場が収まっていたから。
今更、話を蒸し返したら、遺族の人たちはさらに心に傷を負ってしまう。
でもせめて、せめて、自分が殺してしまった人達の弔いくらいはしないと、自分を許すことなんてとても出来る気がしなかった。