閑話 吸血鬼、ハーレムの在り方について説く
「んにゅう」
「……」
聖王国に向かう事が決定した翌日の朝。
吸血鬼ならば本来昼夜逆転している時間帯に、僕は暖かな陽の光と、くすぐったい吐息に目を覚ました。
心配を掛けてしまった事。さらに暫く会っていなかった事もあってか甘えん坊モードを常時発動しているソフィーには困ったものである。
抱きつくを通り越して覆い被さってきているソフィーを起こさないように体をずらす。いつもならここでさらに強く抱きついたりしてくるんだけど、疲れて深い眠りに入っているのか今日のソフィーには今のところその様子はない。
半分くらいまでずらせたところで勝利を確信する。
最近は敗北を喫っして、昼。下手をすれば夜までこのままの事が多かったけど、今日は勝つる。
「フィーちゃん。もう起きて」
だが、時には大胆に引き剥がすのも必要なのである。
唐突に木製の扉が開かれ、僕史上今1番来てほしくなかった人物ランキング一位のあの人と目と目があう。
落ち着けぇ。そう、こういう時はまず平静を装って、なんでもないように対応する事で、なんでもないような状態だと錯覚させるんだ。
「おはよう」
「朝っぱらからフィーちゃんが元気な挨拶なんて、目を見張るものがあるね。それはそれとして、この状況を詳しく説明してくれるかな?」
「……」
ソフィーチャンカワイイヤッター。
さて、現実逃避は程々にしよう。
かくなる上は。
「待って。ヨナはひどい勘違いをしている。そこにある現実だけが真実とは限らない」
「うん。ちょっとかっこよく言っても駄目だよ。許さない」
絶対絶命。
これはどう言い訳しても取り繕える気がしない。
数時間お説教コースだ。
僕が死を覚悟した刹那、救世主が目を覚ました。
「……ん〜?」
僕の上で、眠そうに目を擦り、あくびをするソフィー。
キョロキョロと周りを見回したのち、徐にヨナの方に視線を向けて口を開く。
「お姉ちゃんはあげないよ?」
……知ってた。
最初から味方なんていないって、賢い僕は知ってた。
『吸血鬼化』
だからそう。修羅場という津波を前にして、高い所に逃げる僕の選択は何一つ間違っていないのである。
☆☆☆☆☆☆
ほとぼりが覚める。
というのはどこにでもある話で、茜色の光が空を彩る頃にはヨナとソフィーの諍いも鎮静化を迎えていた。
どんな会話とどんな条約があったかは、僕が知らなくていい事である。
ほとぼりは冷めた。
ものの、終始無言でむすっとしている二人に腕を拘束されながら歩く。
なぜこんなことになったか説明しよう。
夕刻。変態が、要らぬことをヨナとソファーに勧めてくれた。『食べ歩きなど如何でしょう? 主様もヨナ様も母様も、聖王国に行く前に観光をしておくのも一興だと思います。所謂ダブルデートというやつです』
サフィアのダブルデートの使い方が間違ってるのはともかくとして。
観光。
これは僕にとってあまり経験のないものである。
前世は、まあそんな暇も友達もお金もなかったし。
今世は、観光するほどの都市に来たのはこの王都が初めてである。宿で美味しいものが食べられるから、観光や屋台の存在を失念していた。
だから、まあこの提案は僕個人にとっては悪いものじゃなかった。ソフィーとヨナが一緒じゃなければ。
獣王国はすぐ近くに海が広がっているためか、屋台で売られている食べ物は肉も多いが、海産物も多い。
文化的な問題なのか、残念な事にお寿司の姿は見当たらない。そうだよね、どこかのスライムみたいに様々な地方から食材をかき集めて、日本食の再現とか出来ないよね。
もう100年以上生きてるけど、故郷の味が恋しい吸血鬼です。
僕もどこかの眠み系吸血鬼のように、食文化にはあまり興味を持たずに生きて行った方が良いのだろうか?
それとも1日30時間睡眠とか、3色昼寝おやつ+吸血付きで誰かに養ってもらった方が良いのだろうか。
思考の渦にハマっていると、いつの間にか買ってきたのか、ソフィーとヨナがなにやら言い争いながら僕に串を渡して、否、押し付けてくる。
「フィーちゃん。この焼き魚、すごく美味しいんだよ。形だけだけど、貴族のボクが言うんだから間違いないよ」
「お姉ちゃん。こっちのお肉の方が美味しいの。秘伝の特製のタレが使われているらしいから、食べててワクワクするもん!」
唸って威嚇し合うソフィーとヨナを宥めつつ、二方向から差し出された串から逃れる。
こんな時出来るハーレム系主人公はどうするべきだろう?
優柔不断になすがままになるのか。
それとも豪胆に落ち着いて構えるのか。
それとも二人がどうしていがみあっているのかわからず呆けるのか。
僕はそのどれでもない。
降り掛かる火の粉は払うのでも受けるのでも気づかないのでもなく、逃げるのが正解なのだ。
災害からは逃げるのが基本なのだ。
立ち向かうなんて無謀なバカがする事なのだ。
だから、この場から走って逃れる僕の選択は、なにも間違ってなんかいない。
「ソフィー。結界!」
「の! ラジャー!」
全速力で戦略的撤退を試みた僕の前に黄金色の結界が現れる。
ちょっと! いつも啀み合ってるのになんでこんな時だけ息ぴったりなのさ!
脳内でツッコミを放ちつつ、僕は即座に『吸血鬼化』を敢行する。獅子が兎を狩るのに全力を尽くすように、兎が獅子から逃れるのにも全力を尽くすのだ。
咄嗟に創造した小刀を逆手に持ち、結界に向けて切りつける。瞬く間に亀裂が広がり、結界の一部分が損傷する。その間を前周り受け身の要領で通過。
逃げに徹した僕を甘く見てはいけない。
中二病が日々教室に入ってきたテロリストを撃退する妄想を繰り広げるように、僕も日々ヨナやソフィーから逃れられるように算段を練っているのだ。
自称逃走のエキスパートこと僕クローフィー。
そう簡単に捕まりはしない。
この人混みじゃ、ヨナもまともに縮地を使えまい。
僕にはぼっち時代に鍛え上げられた周りの人をうまく避けながら移動する固有スキル『孤高の極み』(自称)がある。
勝った。第四章、完。
などと、その気になっていた僕の姿はお笑いだったぜ。
順調に引き離す事に成功した僕の前に、現れたのはニョロニョロという擬音だけでも気味が悪いあのシルエット。
一瞬、呼吸が止まる。
「カヒュ」
衝撃と嫌悪感に、無意識に喉の奥から声が漏れる。まるで制止を強制されたかのように、体が硬直する。
王都の人混み。といっても、前世に体感した都会の駅に比べれば大した事はない。
僕の前に蛇の模型を投げ込むスペースくらい、ある。
人の目、正確には獣人の目を気にして、羽を展開しなかった事が裏目に出た。
こ、これはいくらなんでも反則だと思います。
この秘密の弱点を知ってるのは、ヨナだけ。
となれば必然的に犯人はあの人である。
「ごめんねフィーちゃん。出来ればこの手は使いたくなかったんだけど、つい?」
つい? じゃない。
そんな軽率な言葉で片付けて良い代物ではないぞこれは。
名を呼ぶのすら忌々しいアレの模型を袋に仕舞い込んでベルトにかけるヨナ。
無に帰せよ。今の模型!
やめやめろ。僕を完封する危険物を、常に常備するんじゃねえ!
「お姉ちゃんは主役なんだから、逃げちゃ駄目なの」
「そうそう。フィーちゃんにはボクとそこのエルフの食のプロデュースのどちらが上か、比べてもらわなきゃいけないからね。今日はそう簡単には逃さないよ」
再び両腕を拘束される。
「……そうですか」
抵抗する気力も湧かない僕はこれに不承不承、頷くしかなかった。
世のラノベ主人公のみんな。
ハーレムは、無責任に形成してはいけない。
無意識にしろ、後で苦しむのは自分の方だからだ。
そんな簡単な事を、僕は休暇中に改めて学ぶのだった。
……けど、心は日の本の男。クローフィー。
いつまでも、ハーレムを作る夢は諦めないってばよ。