抗う者たち
「ぁあぁあぁぁぁッッ!?」
唇を噛んで意識が飛ぶのを堪える。
血が滴る断面を『血液操作』で止血し、出血を抑える。
八重歯が唇に刺さったのか、口内が血の味で満たされる。
「かはっ」
息が出来なくなるのを恐れ、痛みを堪えながら血を吐きだす。
すぐに『再生』を起動しようとするも、頭上で足音が響く。
どうするどうする、どうすればいい。
再生するか、ダメだ。その間に攻撃されるのは目に見えてる。
自分の血を武器に変えて攻撃するのは、魔力の消耗が激しすぎる。『再生』する魔力が残らなかったら、そのまま死ぬことになる。
高速で思考が流れていく。
策を練っては棄却され、棄却をしては策を練る。
痛みの波も押し退けて、焦りが思考を加速させる。
だけど、それでも一向に打開の策は浮かばない。
「……こんな事をしたい訳ではないのだがな。今の私には任をこなす事だけが生きている意味なのだ」
逡巡の間に、持ち上げられたような感覚を感じた。
もはや一刻の猶予もない。
身に染みてそれを感じ取り、『血液操作』で下半身を引き寄せ、無理矢理『再生』を敢行する。
意外にも、老人はそれを止めようとはしなかった。
思わぬ暁光。
だがしかし、それに歓喜する暇もなく、直ぐに不幸も訪れた。
魔力切れ……
直感でそれを理解した。
『吸血鬼化』による全能感が微塵と消え、立て続けに『吸血鬼化』を行った反動が、魔力切れによる疲労感が滂沱の如く押し寄せる。
かつてないほどの気怠さが五体を襲う。
矢継ぎ早に致命傷レベルの痛みを体感したせいか、頭痛までする。
自分の周りだけ重力が重くなったかのような、錯覚にすら陥り、さらにはステータス増幅による全能感が消えたせいか、入らぬ不安まで押し寄せる。
疲弊に身を任せて瞼を閉じると、引き摺り込まれるように暗闇が視界を覆い尽くす。
詰み。それを完全に理解して、焦燥と罪悪感が自らを責め立てる。
されど、どうする事も出来ない。
「フィーちゃん!!」
遠くで僕を呼ぶ声が聞こえる。
力を振り絞って微かに瞼を開くと、夕刻の西日を背に、颯爽と翔けるヨナの姿が見えた。
このままじゃ、ダメだと体を覚醒に導こうと足掻く。
だが、それでも徐々に視界は薄れ、瞼が重くなっていく。
「逃げ、て」
微睡に引き摺り込まれ、意識を失う刹那。
掠れた声でヨナに逃走を促す。
最悪の展開を脳裏に描く暇もなく、僕の意識はあっさりと闇に落ちた。
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理不尽の権化。
父。ゴライアスハガンとの死闘を終え、ノクス君との再試合を開始した会場を離れ、ボクは治療室で回復魔法を受け、安静を取っていた。
そんな折だ。
騒がしかった会場の喧騒が俄に聞こえなくなり、それと入れ替わるようにして、治療師の人が駆け込んできたのは。
「ヨナ様! クローフィー様が!?」
血相を変えて、飛び込んで来た治療師のお姉さん。
一度落ち着かせてから、端的に事の顛末を聞いたボクは一も二もなく、治療室を飛び出した。
出場者用に備え付けられた治療室を抜け、闘技場に続く渡橋を前に、桃色の髪をポニーテールにした出場者とすれ違う。
あれは確か、フィーちゃんがやたらと気に入っていた……
って、今はそんな悠長な事を気にしてる場合じゃない!
闘技場内にかかる渡橋を全速力で駆け抜け、フィーちゃんの元へ急ぐ。
ボクは、もう母さんに守られてた頃のボクじゃない。
頼りないかもしれない。情けないかもしれない。
けどそれでもいい。それだっていい。
でも、もう二度と、大切な人を守れないなんて嫌だ!
恋人の一人救えないなんて、男が廃る。
どれだけ力が足りなくても、不相応でも関係ない。
ボクは、ボクがフィーちゃんを守るんだ!
「フィーちゃん!!」
凄まじい闘気を放つ老人。その小脇に抱えられるフィーちゃんの姿が視界に映る。
愛しい人の無事。
それに安堵する心と、大切な人を傷つけられた激情が体を疾く突き動かす。
「逃げ、て」
息も絶え絶えに、こちらに手を伸ばし懇願するフィーちゃん。
疲労に耐えかねたかのようにその指が力を失い、宙に垂れる。
同時に、ボクの怒りは瞬時に頂点に達した。
荒れ狂う感情の波を止めもせず、激情のままに疾駆する。
彼我の距離がある程度潰れたと同時、身に付けたばかりの縮地を敢行した。
「死ね」
老人の頭目掛け、流れるように回し蹴りを叩き込む。
「早いな」
纏う尋常じゃない雰囲気から、予想はしていたけれど、憎たらしいことにボクの全身全霊の蹴撃は鞘の腹で、意図も容易く受け止められていた。鞘ごと頭を砕かんと、さらに力を込めて押しやると、老人は横に逃れて距離を取った。
縮地に微塵も動揺を見せない辺り、治療師のお姉さんに聞いた通り壮絶な手練れだ。
「大した力だ」
嫌味の如く、賛美を浴びせてくる辺り性格も悪いと来た。
フィーちゃんを傷つけられた恨み、なにがなんでもその体で償わせてやる。
「悪いが、まともに相手をする気はない」
唐突に、老人がフィーちゃんを地に横たわせる。
矢継ぎ早に、老人が届く筈もない間合いで、抜刀の構えを取った。
全く持って理解に苦しむ、一見は荒唐無稽なその行為。
しかしそれに、言い知れない薄ら寒さを感じて、直感に従うまま咄嗟に身を屈めた。
それが功を成した。
「……!?」
風切り音が耳朶を叩き、数瞬後、遥か遠くから破砕音が響き渡った。
なんらかの魔法。
そう見切りをつけて、警戒を強める。
再び前を見据え、目を見張った。
いない。先程まで老人が佇んでいた場所には横たわるフィーちゃんだけが残され、誰一人いなかった。
「逃げた、のか」
一発、いや出来れば百発はぶん殴ってやりたかった。
愛しい彼女を傷つけられた彼氏の身としては当然の権利だと思う。
身を震わせる激情は、確かにある。
ただ、最優先事項はフィーちゃんの救出だ。
敵を殺す事は悪魔でも二の次だ。
「「上です(なの)!!」」
胸を撫で下ろした瞬間、弛緩しきった気を張り詰めさる鯨波が響く。
警告に従うまま、頭を守るようにして両腕をクロスする。
「っぐ!?」
刹那、踏ん張りを掛けなければ耐えられない程の衝撃が身体を貫いた。それが、跳躍からの大上段からの振り下ろしだとわかったのは、完全に受け切った後だった。
余裕を崩さず、後退する老人。
「鎌鼬の雨」
しかし、それに追い縋るように幾多もの風の刃が荒れ狂った。
決まった。
そう思ったけれど、どういった原理か風の刃はなにかに打ち消されたかのように相殺されていた。破砕音が後方で響いているのを考えると、最小限の動きで自らに迫る風の刃だけを打ち消したのだろう。
「お姉ちゃんを、傷つけた罪は思いの!」
「主様は私が必ず救い出します」
ボクの前に躍り出て、ポニーテールとツインテールを靡かせながら、高々に老人に言い放つ二人。
一人は、肩口まで伸びた鮮烈な赤髪をポニーテールにした、フィーちゃんと瓜二つの相貌の美人さん。
瓜二つとはいっても胸に携えた双丘と、スラッとした身長。
客観的に見ると、フィーちゃんの娘というより姉と言われた方がしっくりきてしまいそうだ。
もう一人は、腰辺りまで伸ばした流麗な黄金の髪をツインテールにした、耳の長い幼子。
フィーちゃんとの仲直りで互いの身の上話をした際に、話だけには聞いていた、サフィアさんとソフィーちゃんだった。