喪失
今までにない、どこか重たい雰囲気の中、僕は三島を部屋に案内した。といっても、三島はもうこの部屋に何回も来ている。案内というのもおかしな表現かもしれない。
僕がいつも通りお茶を出そうとすると、「今日はいいいから」と、三島が止めた。
三島は床に正座しながら、先ほどとはうって変わって、どこか緊張に顔をこわばらせているようだった。
そんな三島の雰囲気に触発されるように、僕も真剣な面持ちで座った。
「ねえ、私のこと、好き?」
「どしたんだよいきなり」三島がそんなことを聞いてくるなんて珍しい。確かに僕はあまりそういうことを口にする人間ではないが。
「いいから、私のこと、どう思ってる?」
「……好きだよ」
「そっか」三島の望む言葉を投げかけたはずなのに、しかし三島の顔は依然として固いままだった。あるいは少し悲しそうでもあった。
「ほんとは、もっと早く言っておくべきだったんだろうけど、嫌われたくなくて、言えなかった」
そう言いながら、三島は自分の制服に手をかけた。
「いや何してんだよ」思わず僕は狼狽してしまった。僕と三島の間には、まだ肉体関係はない。ここで突然おっぱじめようとでもいうのだろうか。
そんな僕の一応の制止の声にも耳を貸さず、三島は制服のボタンを一つずつゆっくり外していった。
そして、三島の素肌があらわになった。
「……」
僕は思わず息をのんでしまった。
三島の体は、痣だらけだった。あまりにも痛々しい、化膿した傷跡。どす黒い青痣。赤く腫れあがっている部分もあった。
言葉を失った僕の顔を見て、三島は名状しがたいほどの悲しそうな表情を作った。
まずい。そう思った時はもう遅かった。いや、というよりも、まずいと思ってしまうことが、もうすでに問題だった。
三島は制服を脱いでいた時とは対照的に乱雑に服を着て、逃げるように部屋を去って行ってしまった。
「おい待てよ!」そんな静止の声もむなしく、三島は扉を閉めて出て行ってしまった。追いかけなきゃ、そう思っていても、足が動かない。
僕がこの時、三島に対してどんな表情を浮かべていたのか、僕でもよくわからない。けれど、チクチクと痛みを発す動かない足が、すべてを物語っていた。
その日の夜、僕が風呂から上がると、三島から一時間前にメールが届いていたようだった。いつもは僕が連絡をしても返ってこないのに珍しい。やはり怒らせてしまっただろうか。僕がメールを開くと、
「私も好きだよ」
と、短く書かれていた。
どうやら許してくれたみたいだ。一応メールで謝罪の返信を入れた。そして明日学校でちゃんと謝ろう。大丈夫だ。僕らの関係はまだ壊れていない。やっと自分の理想を少しでも体現できるかもしれないと思えたのだ。僕は三島を簡単に離したくない。
三島が困っているなら、僕が何とかしてやる。そんな殊勝なことを思いながら、その日は眠った。
けれど、僕はもう二度と、三島に謝ることはもちろん、会うことさえかなわなかった。
その日の夜、三島は自宅で首をつって自殺した。
次の日、三島は学校に来なかった。しかし、その代わりに、警察が来た。
SHRの前に、担任に呼び出され、警察が来てると言われた。僕には何のことかわからなかった。僕は犯罪なんて犯したつもりはない。強いて言うなら信号無視くらいだろうか。
いぶかしみながら担任に案内され、警察のところに行くと、僕は耳を疑うようなことを言われた。
曰く、三島は死んだのだそうだ。
あの後、家に帰って首をつって死んだのだそうだ。
僕は現実を受け止められなかった。僕の所為だ。僕があの時、三島を拒絶してしまったから。だから三島は自殺なんてしてしまったのだ。
けれど、警察が言うには三島の両親が三島を虐待していたらしい。あの痣も、あの傷も、すべては親につけられたものだというのだ。けれど、僕が三島を自殺に追い込んだ原因の一つであることに変わりはない。
僕はその場に座り込み、人目もはばからず泣きながら謝った。もう何に謝っていたのかさえ分からなかった。三島に似た黒い影が、僕を責め立てた。あの時のあの言葉が、僕を苦しめた。
僕が、僕が三島を受け入れなかったから。
警察も担任も、そんな僕を責めなかった。けれど、僕は自分で自分を許せなかった。僕は好きな人さえ、幸せにすることができなかったのだ。むしろ、不幸のどん底に叩き落して、自殺にまで追い込んだ。そんな僕のどこを、僕は自分で許せばいい。
その後、二三時間事情徴収を受けた僕は、担任に今日はもう帰れと言われ、ひっそりと一人で帰宅した。いつもは三島がいたのに、今日はいない。僕の少し後ろをちらつく、あのいとおしい影は、もうどこにもない。
家に帰ると、僕は何も言わずに布団の中に入った。目の前を真っ暗にすると、後悔が僕を襲ってきて、気を紛らわせたかった僕は、本棚を見た。
ふと、僕は三島が好きだった中原中也の詩集を手に取った。その詩集の最初の詩が、僕をとらえて離さなかった。
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠のうちに死を夢む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
涙が止まらなかった。
僕は三島となら、自分が昔持っていた理想をかなえられると思っていた。愛し愛され、お互いを認め合って、それで当たり前のような幸せを手に入れられると思っていた。
汚れた桜の花びらをかき集めて泣いていた日々じゃなくて、満開に咲き誇る桜になれると思っていた。僕らなら、そうなれると思っていた。
けど、駄目だった。僕じゃやっぱり、駄目だった。
僕なんかに、人を幸せになんてできやしないのだ。
それなのに、三島は最後まで、僕のことを好きでいてくれた。あのメッセージを、三島はどんな顔をして打ったのだろう。三島はどんな顔をして、こんな最低な僕に愛の言葉を投げかけてくれたのだろう。
……三島。僕もお前のことが大好きだよ。
待っててね。すぐ行くから。お前を一人になんてさせないから。
そしたら今度は、今度こそは、幸せになろう。
愛してるよ。