陰キャ美少女が俺と話すときだけ甘々な件
三島と仲良くなり始めて数週間が経ち、もう次の席替えが迫ってきていた。たとえ三島と席が離れても、この関係はダラダラと続いていくのだろうが、なんとなく、そのことを惜しく感じている自分がいた。
次隣になった女子にどんな顔をされるのかわからないという恐怖感ももちろんあるが、単純に、三島と離れてしまうことを惜しく感じている自分がいた。
そんなある日、週末で学校が休みだった僕は自転車をこいで繁華街の脇道にある古本屋に向かった。特に何か欲しい本があったわけではなかったが、こうしてこの古本屋で本を物色しているのが、僕にとっての週末の楽しみだった。
繁華街の少し外れたところにある駐輪場に自転車を止め、古本屋まで歩いていると、ふと女性が僕の隣を通り過ぎた。
僕は慌てて振り返った。三島かと思ったのだ。しかしよくよく見てみると、その女性は三島とは全く違う顔をしていて、強いて似ているところと言えば髪型くらいのものだった。
なんだそりゃと肩を落として、僕は古本屋に向かった。
この頃、外に出ているときに、三島のことを意識することが増えていることには、僕も気づいていた。学校がない日に偶然三島と会えないだろうかと、心のどこかで思っている自分がいた。今みたいに、全然三島に似ていない人でも、三島だと勘違いしてしまうほどに、僕は彼女のことを意識していたのだ。
ただ、その異変の名前がわからなかった僕は、あえて見て見ぬふりをして古本屋に向かった。
といっても、古本屋においてある本は一週間前と大差なく、変わり映えのしないいつもの配色で、やはりいつも通り特段興味を引かれるものはなかった。
見慣れたというよりも見飽きた本の背表紙を指でなぞりながら、僕はどこか埃臭さを感じていた。
薄暗く、人の少ない店内。ここには僕と店主以外の人影は見えない。ふと三島の顔が朧げに僕の脳裏に広がった。例えば三島と、こういうところに来たいなあと思った。人が少なくて、落ち着いていて、昭和の時代に迷い込んでしまったかのようなこの雰囲気。あいつは気にいるだろうか。
そういえば、三島は中原中也の詩をえらく気に入っていた。正直僕はあまり詩に関心はないのだが、三島は「なんだかよくわかんないけど好きだな、この感じ」と言っていた。あの時貸したのは僕が持っている唯一の中原中也の詩集だった。僕はその詩集に入っていない詩が入っている詩集を選んで買って帰った。
そして僕は、自室の中で一人、その詩集を何度も読み返した。
月曜日。僕は眠気眼をこすりながら登校した。いつも以上に言葉を知らない人間どもの奇声が耳に痛かった。不機嫌さを隠そうともせずに、僕は教室の中にずかずかと入り、席に座った。もう三島は登校していて、「おはよ」とぶっきらぼうに挨拶をしてきた。
「ん」
僕は席について机に突っ伏した。
そんな僕を三島は横目で見ながら、しかし話しかけようともせずに視線をそらした。いつもの三島らしい。
僕らはあまり、教室などの衆目の前では親しく話さなかった。たぶん、僕も三島も、あそこの中だけの関係という、どこか二人だけの秘密を共有しているかのような不思議な感覚が好きだったのだろう。
別に話しかけたいならそうすりゃあいいのに。
僕は心の中で悪態をつきながら瞼を落とした。
その後いつも通り午前中はほとんど寝て過ごし、教室で弁当を食べた後、僕は本をもってあの場所に向かった。すると三島は一人で弁当を食べていた。
「あっ、きた」
こじんまりと慎ましく弁当を食べるその姿は、悲しさとは裏腹に、小動物のような可愛らしさがあった。
「うい」
僕はいつも通り三島の隣に座った。冷たい床の感触が、ズボンの布越しに伝わってきた。
「なんか、ここにいると寒いね」
「まあ、もう十二月だもんなあ」
季節はすっかり冬になってしまって、過ごしやすかった秋はとうの昔に終わってしまっていた。体を刺すような冷たい風が突き抜ける。僕は思わず身震いをしてしまった。
「そういえば席替えは?今日するんじゃねえの?」
今日は十二月に入って初めての学校がある日だ。あの担任なら席替えを行うはずだが。
「いや、だって寝てたじゃん。起こしても起きなかったから、余ったやつになってたよ」
「あっ、そういうことね」
まあ別に席替えに特段楽しみはない。しかし今回は、何故か、自分でくじを引きたかったのだ。
「まあ、いつものことだけどさ、ほんとよく寝てるよね。夜更かししてるの?」
「まあ、そんな感じ」
僕は足元に置いた一冊の本を意識せざるを得なかった。何故か少し恥ずかしくなってきて、こんなにも寒いのに僕の体温は上がっていくようだった。
「まあ、そんなことはいいんだよ」と話題を変えて、三島に昨日買ったばかりの本を渡した。
「これ、この前気に入ってた中原中也の違う詩集」
「あっ、ありがと」
「ん」
相変わらず三島はリアクションが薄い。もう慣れたが。なんというか、下手に気を回しすぎただろうかと、少し不安になってしまう。
三島は本のページをパラパラとめくりながら、どこか真剣な表情でそれを眺めていた。
「詩はあんまり興味ないって言ってなかったっけ?」
「うん。でもまあ、お前が好きだって言ってたから」
「えっ、ありがと。……うれしい」
そういって三島はほころぶように笑った。相変わらずそんな三島を直視できない僕は「おう」と生返事をして、平生を装った。
「……ねえ、今日もさ、家に行ってもいい?」
「なんだよいきなり。いつも毎日のように来てるじゃないか。別にいいよ」
「うん。……そっか。ありがと」
そういって三島は本を両手で抱きしめた。
放課後、やはり三島とは席が離れてしまった。三島は最前列の扉側の席になり、僕は真ん中より少し扉側の席になった。僕はいつものように机に突っ伏しながら、腕と前髪の隙間からそんな三島の背中を見ていた。
放課後、三島は僕のところに来て、「帰ろっか」と言ってきた。
「そうだな」
僕はカバンに教科書を詰め込んで三島と教室を出た。いつもの通学路を二人で歩く。こうして二人で歩くことにも慣れてきた。
いつもは僕の少し後ろを歩く三島だが、今日は僕の隣側を歩いて、少し距離を縮めてきた。大げさに腕を動かしながら歩くと、少し三島のその細い指に触れてしまいそうなくらいの距離だった。
僕は横目で三島のことを見た。三島は相変わらず少し俯いていた。前髪の隙間から除く瞳が、黒曜石のようで、僕をとらえて離さなかった。
いつも僕らはほとんど話すこともなく下校しているし、そのことに思うことはなかったのに、何故か今日は何か話したほうがいいのではないかと焦りを感じた。僕といて、三島は楽しいのだろうか。
「あー、あのさ、僕が今まで貸した本で、何が一番好きだった?」
絞りだした話題は、結局、僕の好きな本に関することだった。
普段僕はそんなこと聞かないので、三島は少し驚いた様子で僕を見た。
「んー、なんだろ。全部面白かったよ」
「ヘー、意外と趣味が合うんだな」
「そうかもね」
「でも、中原中也が一番よかった感じ?」
「そうかも。なんだろ、正直よく意味は分かってないんだけど、悲しい感じがするんだけど、それだけで終わってないっていうか。どこか温かさがあるっているか、そういうとこが好き」
「ふーん」
なんとなくわかるような気がする。三島の言葉の真意と僕が今思ったことが一致しているかどうかはわからないけれど、僕にもそういう感覚はある。
僕はもともと理想主義的だった。例えば僕の嫌いな大人たちが言うような「みんな仲良く」なんていう幻想を本気で信じていたし、僕はみんなを愛せて、みんなに愛されるものだと思っていた。僕は目標に向かって努力で来て、何かを成し遂げて、それを誰かに褒められて、それで誰かが喜んでくれる。そういう理想を、本気で信じていた。でも、現実はいつだって残酷で、僕はそんな理想を形にできるだけの能力はなくて、はかなく散っていた桜の花びらをかき集めては、汚れてしまったそれを眺めて泣いていた。年を重ねるごとに僕は妥協を覚えて、諦観を知って、それで自分の理想を現実と合わせていった。けれど、そんな劣等感が、知らず知らずのうちに、僕の現実をゆがめていって、それで昔信じていた理想を、見えなくしていった。けれど多分、僕はそんな理想をかなえたいだけだったのだろう。もうすっかり忘れてしまっていたけれど、僕はただ、当たり前の幸せを、手に入れたかっただけなのだろう。
僕は三島となら、幸せになれるだろうか。
僕は三島を、幸せにできるだろうか。
そんなことを考えながえら、僕はもうすっかり寒くなってしまった道を三島と歩いた。
家に着くと、いつものように僕は三島を自室にあげ、お茶を取ってきた。母さんが買い物に行って家にいなかったので、好都合だった。
そうして自室に戻ると三島は僕が貸した中原中也の詩集を読んでいた。
「面白い?」
「うん」
「ならよかった」
僕はカーペットの上に座った。そうして真剣な表情で僕の貸した本を読む三島を眺めていた。
「……どうかした?」思っていた以上に僕は三島のことを見つめていたようで、そんな僕の視線をいぶかしんだのか、三島が僕を見た。
「あっ、いや、別に他意はねえけど。……あー、よかったらさ、それ、やろうか?」
「えっ、悪いよ。そんなこと」
「いいんだよ別に。半分くらい、お前のために買ったようなもんだし」
「……ありがと。大事にするね」
「ん」
なんだか僕が僕でなくなってしまったかのようだった。三島のために三島が好みそうな本を買って、それを夜遅くまでずっと読んで、そうしてそれを結局三島にあげる。誰かのために自分から何かをしよう、してあげようと思ったのは、久しぶりのことだった。或いは初めてかもしれない。
「ねえ、なんでこんな私にさ、そんなに優しくしてくれるの?」
「えっ、なんでって……」
三島の朧げに揺れる視線が僕を射抜く。僕は心の奥底に触れないようにしておいた感情に指紋をつけられたような気分になった。
僕はいよいよ、自分の感情にふさわしい名前を付けなければならなくなっている。単純で簡単な記号のような言葉を言えば、きっと僕が前に進める。きっと、僕は少しでもいいから変われるはずだ。
でも僕は葛藤した。
僕が言うべき言葉を言うことによって、この関係を壊してしまうのが怖かった。もう二度と、三島と話すこともできないようになってしまったら、僕は一体どうすればいい。
僕はつばを飲み込んだ。
三島はじっと、僕の方を見ていた。何かを、ねだるかのように。
僕は深呼吸して、そうして正座して、三島と面と向かった。
「お前が好きだからだよ」
僕はそんな短い言葉を口にした。口の隙間から空気が漏れた。一瞬沈黙が流れ、僕は顔を俯かせた。ドロドロとした不安が今更になって僕を襲ってくる。
けれど三島は、そんな僕を拒まなかった。
「……うれしい。私も好きだよ」
そういって三島は涙袋に涙を軽くためながら、ほころぶように笑った。