なんで美少女が俺なんかに……
それからというもの、僕は度々三島と話すようになった。といっても、休憩中や授業中は全く話さず、昼休憩の時間だけ、スタッカートのような会話を繰り返した。
「三島ってさ、なんでいっつもここいるの?」
「別に、特に理由なんてない」
「あっそ」
まあ僕が図書館に行く理由と同じで、三島も一人になりたいのだろう。なら僕は邪魔者ということになってしまうが、しかし三島は僕を拒絶するような素振りを見せなかった。
「ねえ、あんたいっつも本読んでいるけど、楽しいの?」
「楽しくなっかたら読まないだろ」
「そういうことが言いたいんじゃないことくらいわかるでしょ」
「へいへい。性格がひん曲がってるもんでね」
「そんなんだからグループワークの時に先生に怒られるのよ」
「うるせえ。今それはどうでもいいだろ」
そんな悪態をつく三島に、ほら、と僕は読んでいた本を渡した。
「結構分厚い」
「まあ、全集だからな」
「ほんとだ。太宰治全集八巻って書いてある。好きなの?」
「好きじゃなかったら読まねえだろ」
「だからそういうことがいいたいんじゃない」
むすっとした三島の顔が面白くて、僕は思わず笑ってしまった。人前で笑ったことなんて、久しぶりだ。
「まあ好きだよ。嫌う理由がないね」
「ふーん」三島は物珍しそうに分厚いハードカバーの本を触った。多少なりとも興味はあるのだろうか。
「三島は本読まねえの?」
「読まない」
「何してんの?一人の時」
「別に何にも」
「寂しい奴だねえ」
「それはあんたも一緒でしょ」
「ふっ、まあたしかに」
寂しい二人が、あまりものの二人が一緒にいたところで、結局は余りもののままで、寂しいままなのだが、しかし僕にはこの距離感が心地よかった。
風も吹かないようなこの場所で、三島といることが、心地よかったのだ。
その日の帰り、珍しく三島に話しかけられた。
「今日、あんたの家行きたいんだけど」
「どういう風の吹き回しだよ。別にいいけど」
「別に、特に理由なんてない」
「あっそ。僕の家、こっから歩くぞ?」
「別にいい」
「あっそ」
というわけで、何故か三島が僕の家に来ることになった。誰かと一緒に下校するのはもちろん、家に誰かを呼ぶのも、初めてのことだった。
多分、三島には三島なりの理由があるのだろう。しかし僕はそれを探ろうとは思わなかった。三島だって詮索されたくないところだろう。
いつもの通学路。三島は僕の少し後ろをついてきた。特に何も話すことなく、二人で歩いた。車が通り過ぎていく。木々は風に揺れ、少しはだざむかった。
夏が終わり、冬が近づいている。過ごしやすい気温ではあるが、どこか物足りなさがあった。
三島はデニール数の多いタイツに包まれた細い足で俯きながら歩いていた。まるで親に怒られた子供のようだった。
「お前さ、進路はどうすんの?」
「まだ決めてない」
「まあそうだろうな」
「あんたはもう決めてるの?」
「決めてるけど言わねえ」
「なんでよ?」
「……恥ずかしいから」
僕がそっぽを向くと、そんな僕の表情を見た三島は、少し驚いたような顔になり、そしてにこやかに笑った。
「何笑ってんだよ」
「いや、別に……。あんたもそういうとこあるんだなって思って」
「僕は意外とピュアだからな」
「ふふふ、今はそういうことにしといてあげる」
三島のその笑顔は、多分、僕が初めて見たもので、ああ、三島はこういうふうに笑うんだなと思った。それこそ、本当に子供のような、まじりっけのない笑顔だった。
しばらく歩いていると僕の家に着いた。「ただいま」と扉を開け、「僕の部屋二階だから」と三島を案内した。三島は「挨拶しなくていいの?」とまともなことを言っていたが、「いいんだよ、そんなこと」と僕は三島の背中を押した。
「すごい。本しかないわね」
そういって三島は目を丸くしていた。確かに僕の部屋には本とCDしかない。本棚に入り込まなくなった本は床に乱雑に置かれ、足の踏み場がないというほどではないが、整理されているとはいいがたい部屋だった。
「適当に座ってて。一応お茶用意してくるよ」
「別にいいのに」
「いいんだよ」
僕も僕とて初めて女子を家に来たということに、若干の興奮を感じていたのだろう。普段なら絶対にしないようなことをした。
一階のリビングでお茶を注いでいると僕の不審な行動に気づいた母さんが「あれ?どうしたのよ。誰か来てるの?」と料理の支度をしながら話しかけてきた。
「そう。友達?がね」
「へえ、珍しいわね。初めてじゃない、そんなこと」
「そうかもな。俺友達少ないし」というかいないし。
「何言ってんのよ」
そんな会話をしながらお盆にコップを置いて自室に戻った。すると三島は興味深そうに床に転がっている本を見ていた。
「あっ、ごめんなさい。勝手に見ちゃって」
「何そんなこと気にしてんだよ。別にいいよ。エロ本でもねえ限りはな」
「そんなものあるの?」
「そりゃああるだろ。僕だって高校二年生だぞ」
「ふーん」
「部屋ん中見渡してんじゃねえよ」
僕はお盆を机において、わざと音を立てながら座った。
それから三島は二三時間僕の部屋にいた。ぽつりぽつりと話すことはあったが、しかし特に目立った会話はなく、僕が「腹減った」というと、「じゃあ私そろそろ帰るわね」と言ってそそくさと帰っていった。
「家まで送ろうか?」
「そこまでしてくれなくていいわよ」
「あっそ」
「今日はありがとね」
三島は、少し不慣れな笑顔を見せて帰っていった。
しばらくすると、僕は図書館に行く日より、あの階段の踊り場で三島と一緒にいることが多くなっていた。
僕は三島の隣で本を読んだり、たまに思い出したかのように三島と話したりした。多少親密になると、三島は僕に笑顔を見せるようになった。純真で、無垢で、何も知らなさそうな笑顔だった。こういう表情もできるんだなと思った。
三島は少し僕の読んでいる本に興味を持つようになっていった。三島の方から「今度本を借りたい」と言ってきたほどだ。
「いいけど、お前が読んで面白いと思うような本、僕持ってるかわかんないぞ」
「それでもいいの」
「あっそう。ならいいけど」
というわけなので、その次の日、三島に何冊か本を貸した。「私の好みに合わせようとしなくていいから」と言われたので、僕が何回も読み返している本を見繕った。
「やっぱり太宰治と芥川龍之介は入ってるのね」
「まあね」
「ありがと。今度読んでみる」
そう言って三島は軽く笑った。
「ん」
僕は少し視線をそらしながら生返事を返した。
「ねえ、今日も家行ってもいい?」
「まあ、別にいいけど」
ここ最近、三島はよく僕の家に来ていた。あまり友人を家に呼んでいなかったので、そのことに母親も喜んでいた。だから迷惑ということはないが、なぜこんなにも僕の家に来たがるかということが、少し引っかかった。三島はその理由なんて言わなかったし、或いは、もう理由なんて必要ないと思われているのかもしれない。ならいいのだが、何故だか少し、腑に落ちないのだ。違和感の全容はつかみきれないが、何故だか少し気になってしまう。
そうして放課後、もう当たり前のように僕は三島と一緒に帰った。いつも通りお茶を用意して、特に何か話すわけでもなく時間を潰した。
すると三島が「ねえ」と僕を呼んだ。
「私と一緒にいて、退屈じゃないの?」
「いや別に。退屈だと思ってたら家にも来させないだろ」
「そうかもしれないけど……」三島は珍しくもごもごと口を動かしていて、どこか煮え切らない様子だった・
「なんだよ歯切れが悪いな」
「いや、だって、私、面白い話とかできないし、愛想も悪いし」
「いきなりネガティブだな。……いやだから、嫌だったら家にも呼ばないし、屋上のとこにもいかないだろ」
「そうだけど……」
「……」
三島がこんな婉曲的な言葉を求めているわけではないことくらいわかっていた。ただ、僕の肥大化した羞恥心と、常に付きまとう被害妄想的な思考が、三島の望む言葉を僕に言わせてくれなかった。
「まあ……」
僕は頬かいた。
「楽しいよ、お前といるのは」
「ほんと?」
「嘘なんて言わねえよ。そういう人間に見える?」
「そうだね。……うん。ありがと」
三島は花が咲いたような笑顔を見せた。
僕はそんな三島を直視できなくて、本を読んでいるふりをしながら「いいよ別に」とそっけなく返事をした。