出会い
僕は昔から、遊園地が嫌いだった。あそこにある遊園地の遊具も、必要以上に長い行列も、あそこにいる楽しそうな人も、そんな人たちが作る幸福感に満ちた雰囲気も、何もかも嫌いだった。
あんなところに行って何が楽しいのだろうかといつも思う。一日そこにいたとしても、結局列に並んでいる時間のほうが長いし、たいしておいしくもない料理は、何故か必要以上に高い。
あそこにいると、幸せであることも強要されている気がして、あの場にあるものすべては僕を責め立てているような気がして、どうしても嫌いだった。
小学校六年生のころ、僕は修学旅行で大阪にある有名なアミューズメントパークに行った。クラスのあまりものになった僕は、人数が少なかった班に入れられ、当然その班員たちから歓迎されることもなく、当日は案の定ハブられて一人で過ごした。あの時見た景色を、僕は未だに鮮明に覚えている。僕の目の前に広がるジェットコースターや、歩く人たちが、いつもより大きく見えて、それらすべてが、僕を冷かしてるようだった。僕をあざ笑っているかのようだった。
僕は怖くなって、その場を逃げ出した。一人になれるところに行きたかった。けれど、その場所に一人になれる場所なんてなかった。トイレさえ行列ができていた。僕は無性に泣きたくなって、でもそれだけは嫌だったから、流れそうになる涙を必死にこらえて、僕を責め立てる漠然とした幸福感から逃げ回った。
確かその時、見知らぬ人が僕に声をかけてくれた。一人で焦る子供の僕を見て、大人の人が手を差し伸べてくれたのだ。でも僕は、その人の手を取らなかった。優しから伸ばされたその手が、僕には悪意の塊にしか見えなかった。
そうして集合時間にそそくさと集合場所に向かうと、僕以外の班員はもうみんな集まっていて、僕が遅れたことを非難する視線を向けた。疲れ切っていた僕は、下唇をかみしめながら、そんな班員の後ろに並んだ。
なにも楽しくない修学旅行だった。僕はその日の夜、安いホテルの部屋で、みんな寝静まったころに一人で泣いた。
イヤホンからノイズにまみれたギターの音と、カートコバーンのシャウトが聞こえてくる。耳障りなはずのその音は、僕にとっては心地よく感じられた。英語の不得手な僕には何を言っているのかもわからないが、その叫び声は、まるで僕の心情そのもののように思われた。
しばらくすると、チャイムが鳴り、担任教員が教室に入ってきた。僕はイヤホンを取ってカバンの中にしまい込んだ。退屈な時間の始まりだった。
担任が入ってきても、教室内はまだ喧騒に満ちていて、騒ぐことしか能のない人間のような形をしたサルが、バカのように大きな声で笑っていた。
気持ち悪い。
僕は苦瓜をつぶしたような顔になりそうになるのを必死に耐えた。
「おーい、静かにしろー」
気だるげな教師がそんなことを言う。すると馬鹿どもは文句を言いながらも渋々席に着き始めえた。
そうして死にたくなるくらい退屈なSHRが始まった。僕は片肘ついて教師の話を聞き流していたので何を言っていたのかほとんど覚えていないが、おそらく、僕の学園生活には全く関係のないことばかりだっただろう。
特に眠いというわけではないのに大きなあくびをしていると、クラスがわっと沸き上がった。うるせえなあと顔をしかめ周囲の声に耳を傾けてみると、月の初めなので席替えをするとのことだった。
くだらねえ。
席替え程度でなんでそう騒げるのかねえ。僕はどうしようもないくらい退屈な視線を机の端の方に向けた。隠そうとすることもなく大きなため息をついた。
馬鹿ばっかだ。世の中。馬鹿しかいない。
しかしサルどもからしてみると、席替えというのは一大イベントらしく、頭が悪いことも隠そうともしない嬌声はなかなか収まらなかった。
その時くじを引いて、帰りのHRで結果を出すとのことだった。
「今しようよー」という脳みそを全く使っていなさそうな声が多数あがっていたが、そんな声に担任教師は苦笑いしていた。きっと自分の受け持つ生徒の無能加減に嫌気がさしていたのだろう。
席替えねえ……。
僕のような人間が席替えにいい思い出などあるはずがない。僕の隣になった人間はかならずいやそうな顔をしたし、一度隣になった女子が、席替えが行われるときに「やっとこいつの隣じゃなくなる」と嬉しそうに前の席に座る友達と話していたことを、僕は数年たった今でも鮮明に覚えている。お前の隣なんざ、こっちから願い下げだけどな。
僕は帰りやすいという理由だけで、一番扉側のこの席を気に入っていたので、少し残念ではある。
なあんで僕だけ、月一回罰ゲーム受けないといけないんだろうな。
そんなことと思って、心の中で自虐的に笑ってみた・
昼休憩、一人で細々と弁当を食べた後、僕は図書館に向かった。誰もいない閉鎖的な雰囲気のある図書館で、僕は一人で本を読んだ。
本を読むのはもともと好きだったが、何よりこの図書館の雰囲気が、僕は好きだった。あまり人がいなくて、薄暗くて、なんの声も聞こえないこの雰囲気。まるでここには僕しかいないかのような感覚。煩わしいものはすべて消え去ってしまっていて、ここには僕の望むものしかない。この感覚が、僕は好きだった。
本を読んでいると、僕はいろんなことを忘れることができる。鬱陶しいクラスメイトの顔や、およそ同じ人間のものとは思えないような大声や、なんの役にも立たない教師のご立派なご高説や、僕を苦しめる漠然とした敗北感から僕をかくまってくれる。
今僕は芥川龍之介の「蜃気楼」を読んでいた。短編小説ばかり残している芥川龍之介の作品の中でも、この作品は特に短く、小説特有の起承転結も特にみられない。ただ、僕はこの作品に充満している漠然とした陰鬱さや不安や、希死念慮のような雰囲気が好きで、もう何回も読み返していた。
こんな脈略もない話の、どこに僕はこんなにも魅力を感じてしまうのだろうか。そんなことを考えるだけで楽しかった。
しかしそんな楽しい時間はすぐ過ぎ去ってしまい、昼休憩の終わりを告げるチャイムが鳴った。僕は顔をしかめながら教室に戻った。
二年生の教室がある南棟を歩いていると、生徒に囲まれる教員の姿があった。その教員は若い男性で、主に女子生徒から人気が高かった。敬語も使えない間抜けな女子生徒たちは、教員に群がって他愛のない話をしていた。
僕はそんな光景を初めてピカソの絵を見た時のような表情で見ていた。僕は教師が嫌いだった。教師という存在は、いつもきれいごとと理想論ばかり振りかざして、僕にとって有益なことを何一つよして投げかけてはくれない。「みんなで仲良く」とか「輪を乱すな」とか言って、いつも僕をあの気持ちの悪い集団の中に押し込めようとする。でもそういう連中から、僕はいつも歓迎されなくて、結局一人になって、それなのに、押し付けるだけ押し付けたそいつは、何も知らないような顔をして、あのご高説を繰り返すのだ。「仲良くしろ」と。
ふざけるなと、いつも思う。みんな仲良くなんてできやしない。綺麗事だけ押し付けて、僕を苦しめるだけ苦しめて、そのあと何もしてくれないくせに、無責任なことばかりぬかすな。そんなものは戯言にもならない。
ため息をついて、僕は教室に入ろうとすると、教室から出てきた女子生徒とぶつかった。しかし女子生徒は僕の方に一瞥くれただけで謝りもせず、そそくさとトイレのほうに向かった。
僕はそんな女子生徒の背中を眺めながら、どうせ音楽聞く時間なんてないのにイヤホンをつけた。
帰りのHRの時間、予告通り席替えが行われた。当然のように教室には地響きのような声が鳴り響いた。しかし僕は机に突っ伏して退屈さを隠そうともせずに、少し眠たい瞼をそのままにして教壇のほうを眺めていた。
結局、僕は一番窓側の席になった。帰るとき面倒くさそうだなあという僕らしい感想の反面、隣の席の人間が気になった。今度はどんないやそうな顔されるのかなあと憂鬱さに心を浸していると、ある女子生徒が僕の隣の席に座った。僕は横目でそんな女子のことを見た。ショートカットの黒髪に、白い肌。気の強そうなきりっとした目つきと、むすっと閉じられた唇。端整な顔つきをしているが、人を寄せ付けなさそうな雰囲気があった。端整な顔つき、というところ以外は僕と似た部分があるようにも感じられた。確か、名前は三島といっただろうか。
三島は隣の席でけだるそうにする僕をちらりと見て、全く表情を変えることなく席に着いた。
三島は、僕と同じく、このクラスで友達がいない人間だった。誰かと話しているところをほとんど見たことがないし、楽しそうに笑っている姿なんて、もっと見たことがない。いつも猫背でつまらなさそうにしている。何を考えているのかよくわからないし、いじめられているわけではないが周囲から疎まれているのは確かだった。あえて人と関わることを嫌っているきらいがあり、グループワークがあった時は、最低限の会話だけして、必要以上の接触を避けているようだった。
三島ねえ。
まあ、僕と似ているところがあるからと言って特段関わろうとは思わない。むしろ普通の人間よりももっと関わりたくない。しかし、この一か月間は、次の席替えの時に嫌味を言われることもないだろうと思った。
人生というのは退屈なもので、変わり映えのない日々が何度も何度も繰り返されるものだ。少なからず、僕が高校生である限り、この似たような日々を繰り返すことだろう。三島という僕と似た人間が僕の隣の席になったところで、それは変わらない。同じ時間に起きて、支度をして、つまらない授業寝て過ごして、帰宅し、本を読むなり音楽を聴くなりして時間を潰して同じような時間に寝る。全く面白みのない日々だ。
僕はいつも通りの時間に起きて、いつも通り学校に行った。そうしていつも通り適当に授業を寝て過ごしていると、三限目の理科の授業の時にグループワークが行われた。席が近い四人と班を作らされ、僕と三島と残り名前もよく覚えていなければ顔もよく思い出せない生徒二人と班を作らされた。
こういうことに非協力的な僕は寝たふりをしてその時間をやり過ごした。三島がどうしていたのかはよくわからない。
そうして拷問のような時間をやり過ごした後、昼休憩の時に担任が教室の中に入ってきた。
珍しい。何かあったのだろうか。まあ僕には関係のないことだろう。そう思って僕は弁当を箸でつついた。
すると担任は僕の名前を読んだ。少し驚いて僕は顔を上げた。僕と目が合った担任は「ちょっと来い」と手を振った。
「お前、今日理科のグループワークの時、寝て過ごしてたみたいじゃないか。先生怒ってたぞ」
「はあ、そうですか。すいません」
「しっかりしろよ」
「そうですね。反省します」
「はあ。……お前さ、クラスでうまくやれてるのか?」
僕は顔をしかめた。口の中に毒がたまっていくようだった。舌がヒリヒリと痛みを発した。
「まあ……」
「いっつも一人でいるところしか見ないから、心配なんだよ」
「そうですか。別に僕はこれでいいと思ってますけどね」
「せっかく同じクラスになったんだから仲良くしないとダメだろ。もう子供じゃないんだから」
「そうですよね。わかりました」
早くこの場から立ち去りたかった。何の役にも立たないこんな話を聞いたとこで、なんの意味もない。先生の心配したふりをするその表情も、声音も、態度も、すべて僕の怒りの琴線に触れた。
早くその口を閉じてほしかった。もう僕に向かって何も、どんな言葉も投げかけてほしくなかった。
僕は意識を別のものに向けて、何も聞こえないようにして、その場をやり過ごした。そうして足が震えてき始めてきたころ、先生は僕を解放した、考えられないくらい心の水面の波紋が乱れていた僕は、乱雑に鞄から本を取り出して図書館に向かった。すると何故かその日は図書館に人が集まっていた。見ると、図書委員の集まりをしているようで、図書館は使えなくなっているようだった。
うまくいかねえな。
そんな言葉を吐き捨てて、僕はいらだちを隠そうともせずにその場を離れた。どこに行こうかなとあたりをふらふらしていると、「立ち入り禁止」と策をされた、屋上に続く階段を見つけた。
まあ、ここでいいか。
僕は策を超えて、階段を上った。すると、屋上の扉の前に三島がいた。扉に背中を預けながら三島はつまらなさそうに天井をぼんやりと眺めていた。
物音に気付いた三島は視線だけ僕に向けた。
しかしすぐ興味をなくしたように視線を天井に戻した。
その場から離れてしまってもよかったのだが、なんとなく三島と話したいと思ってしまった僕は「ご挨拶だな」と三島に声をかけた。
しかし三島は屍のように反応しなかった。
「今日のグループワークの時のこと、僕だけ怒られたよ。お前もどうせ、たいしてなんもしてないんだろ?」
「……私はあんたと違って、そういう時はちゃんとやる」
「意外だな。どうせなんもせずぼおーとしてるもんだと思ってた。それこそ今みたいに」
「別に、好きでこうしてるわけじゃない」
「ふっ、まあそうだろうな」
僕は三島の隣に座った。
「別のとこ行かないのね」
「まあ、なんとなくな」
そこから僕は三島と多少会話もした。短い会話をとぎれとぎれながらも繰り返した。別に三島のことを知りたいとか、三島に興味があったとか、そういうことは全くないのだが、何故だかその時は、三島の隣にいることに不快感を覚えなかった。
チャイムが鳴ると、僕らは不倫しているカップルがホテルから出てくるときのように何も話すことなく、むしろ少し距離を取って教室に戻った。