4.ゴシラカの秘密
手持ちがある限りひたすら投稿していきます。
神皇には、更なる秘密があった。神皇とその親族の一部の者のみが知る、その秘密とは、神皇の胸には必ず、『日輪の紋』と呼ばれる赤痣がある。
『神の力』は、この痣から放たれた光を全身に纏い、その状態で同じく光輝く『神薙剣』を振るうことで発揮されると思われていて、それが真実でもあった。
そして、神皇は、『神の力』を使おうが使わなかろうが、死に際してこの『日輪の紋』が光るのであった。以前に神皇が襲われ命を落とすことがあったが、その時も『日輪の紋』は輝き、襲撃者の命も奪った、毒殺に於いても同様に輝き、神皇も絶命したが、実行犯と影の首謀者も伴に絶命した、そのことからも、神皇は畏怖され、命を狙う者も無い神とも言える存在となっていった。
神皇の死に際して光る『日輪の紋』は、一つではない、次代の神皇の胸も同時に光その後『日輪の紋』となる。新たな神皇、そして『日輪の紋』の誕生である。この『日輪の紋』は神皇の血筋にしか現れない、いや太陽神の末裔にしか現れないといった方が正しい、神皇の直系だけでなく、傍流からも『日輪の紋』が現れたこともあった。しかしこの痣は普段は単なる痣である、刺青や他の方法でも幾らでも偽造できてしまいそうであるが、この『日輪の紋』には、更なる秘密があった。『月輪の紋』と呼ばれる、『日輪の紋』の候補者の証ともいえる痣も存在していたのである。この痣は丸い環の様な青痣で同じ様に胸の真ん中に拳程の大きさで存在していた。この痣は、神皇の子や、近い血縁の者にも、更にその傍流の者にも度々現れていた、しかし、神皇の秘密を知るものは極僅かであり、単なる変わった痣と思い人生を送ったものがほとんどであった。そして、この『月輪の紋』は、神皇の御代替わり等で消えたり、新たに現れたりもしていた。『月輪の紋』を持っていた者も、その痣が光り『日輪の紋』になり、神皇になって初めて知ることになるのであるから、多くの者は自分の胸にある痣が神皇の候補者の証であるとは思いもよらないのである。
『日輪の紋』 ● 赤痣
『月輪の紋』 〇 青痣
よって、神皇が、病に倒れたりすると、血縁者の中から『月輪の紋』を持つ者を探し集め、臨終の際には、『月輪の紋』を持つ者が集められ、神皇の死と、新たな『日輪の紋』の誕生を一堂で確認しあって来たのであった。老衰に関しても同じ様に確認されてきた。では、譲位に関してはどうされて来たかというと、譲位の際は、『神薙剣』を神殿に奉納することで退位することは出来る。そしてその際には、当代と次代の『日輪の紋』が同時に輝く為、逝去の際と同じ様に、貴族当主達によって、『月輪の紋』を持つ者が集められ、その中で退位が行われ、新たな神皇も見つけられていた。そのほとんどは、神皇の皇子や皇女に継がれてきたが、稀に貴族に継がれることもあった。そのため、誰に継がれるか解らない、譲位は行われることが無くなっていった。
しかし、200年程前に行われた、譲位では、新たな『日輪の紋』は現れなかった。実際には、光輝く『日輪の紋』があったはずであるが、本人もその事実に気づかなかった、たとえ気づいても、その意味まではどの道知ることは無かった。
そのため、当時最も力を有していた、貴族ヒューバラ氏の主導の基に、正統で無い、神皇の嫡子へと継がれてしまった。そしてヒューバラ氏は神皇の庇護の基に勢力を広げ、他の貴族達を都から遠ざけて行き、自らの血筋である、5つの家を摂家と呼び朝廷(中央政府)をそして、シャポーネの国自体を実質支配していったのである。
この時から、この国の太陽は徐々に輝きを失っていくことになり、神皇による『神の力』が振るわれることも無くなり、徐々に荒れていくことになった。そして今回もまた、先代神皇の葬儀もそこそこに摂家達血みどろな闘争の末に、3代前のトォーバの懐刀であったシーゼンが主導し、ゴシラカが第77代神皇となったのであった。もちろん当代ゴシラカの胸にも『日輪の紋』はあるはずもなかった。
一つ目の伏線を簡単に拾ったので、次から本筋に戻ります。