月と陽の出逢い
「………………」
城に戻り、王の部屋に辿り着くまで、二人はほぼ無言だった。
いたたまれなくなり、そのまま自室に戻ろうとした姫を、王は短く呼び止めた。少し話がしたい、と。
「……今日は、済まなかった。お前にはただ、この国のありのままの姿を見てもらいたかっただけだった。しかし、私の考慮が不足していたばかりに、危険な目に遭わせてしまった」
「……陛下のせいではないでしょう。あなたは己のやるべきことを果たしただけです」
「それを言うならば、お前を安全に案内するという役割を私は果たせなかった。少しでも目を離すことの危険を甘く見ていたのだ。それに比べれば、まだ騒動の場に連れていった方が安全だっただろう」
「それは結果論でしょう?」
「過程がどうあれ、王には結果が求められるものだ。結果がこれであれば、それは私の落ち度に他ならない」
「………………」
王が自責にとらわれる中。姫が、意を決したように顔を上げた。
「陛下。はっきりと、お聞かせください。あなたは私達の婚姻について、どう考えていらっしゃるのですか?」
「なに?」
「私がいなければ、あなたがそのように気を張る必要はないでしょう。ただでさえあなたは、多くのものを見なければならない。私のような小娘に、気を取られている暇は無いはずなのに」
「何が、言いたい」
「私達の婚姻は、あなたにとって望ましくないものではないのでしょうか。あなたが国のために、私のような爆弾を抱え込もうとお考えなら……ここで、白紙にすべきだと思うのです」
それは紛れもなく、終わりを始めるための言葉。王の表情は、仮面でも貼り付けたかのように動かない。
「……あの方の言葉には反論致しましたが、同時に、はっきりと感じてしまいました。私は、あなたの荷物になってしまう。仮に私があなたと婚姻すれば、今よりも多くの問題が浮かび上がるでしょう。私自身へのものであればともかく、あなた自身への謗りも受けるかもしれない」
「………………」
「私も、覚悟はしてきたつもりでした。それでも、それは私自身の覚悟でしかなかった。あなたにどのような負担があるかは、考慮できておりませんでした」
人間を嫌う者は、王へとその感情を向けるかもしれない。徐々に固まりつつある国の地盤を揺るがす要因にもなりかねないのだと、姫は感じてしまった。
だからこそ、最後の言葉を告げようとする。黙り込んでしまった王へと向けて、真っ直ぐに。――王の変化には、気付かないまま。
「幸い、婚姻の話は、まだ正式なものではない。今ならば、そこまでの遺恨もなく、無かったことにできるでしょう。ですから……あなたが望まぬと言うのならば、私は」
「そこまで、私が嫌いか……?」
「……え?」
吐き出されたその言葉。姫の想定とは離れた王の呟きは、彼女には何故か、とても辛そうに、苦しそうに聞こえた。
「いや……当然の、話だな。私は、己の欲望のために、お前を苦しめているのだから」
「陛下、何を……」
王のそんな呟きに、姫はただ困惑するばかりだ。王はきっと、淡々と縁談の破棄を受け入れるだろうと思っていた。もしかすれば、国のためだと粘るかもしれないとも想定はしていた。しかし、こんな言葉が彼の口から出てくるとは、予想だにしていなかった。
王は、そんな姫の様子に、目を伏せつつ言葉を続ける。
「人間と我ら。その溝は、未だに深い。表面はともかく、お互いがお互いを理解しようとせず、蔑みあう。この関係の修繕は困難で、可能としても恐らく長い時が必要だ。そんな中でこの婚姻の話は、酔狂の極みと言えるだろう」
「それは……私も、理解しておりました」
「だから最初は、断ろうと思った。そもそも、望まぬままに婚姻を結んだところで、互いに幸せになどならぬと。だが、断れなかった」
「……なぜ、ですか?」
理由を問うと、王は少しだけ黙った。重い沈黙が辺りを満たす中、彼は少しだけ思考を過去へと飛ばしていた。
「お前は、覚えているか。私が建国後に初めてお前の国を訪れた時の話だ。私は、視察に訪れた街中で、人間から襲撃を受けた。野蛮な獣人など追い払え、という過激派の仕業だった」
「……覚えております。私にとっても、痛ましい事件でしたから」
「…………。襲撃の結果、私は負傷した。私にとっては大したこともない傷だったがな。お前が場を収めてくれなければ、大事になっていた可能性もある」
あの時、その場に現れた彼女の姿を、そしてその時の会話を、王は今でもはっきりと思い出せる。
『何をしているのです! あなた達は、我が国を訪れてくれた客人を害すると言うのですか!』
『し、しかし姫様! こんな野蛮な化け物を、この国にのさばらせるわけには……!』
『黙りなさい! 彼があなた達に何をしましたか? 何もしていないでしょう! ただ、街を歩いていただけです! 偏見だけで命を狙うなどと……野蛮なのはどちらですか!!』
姫である彼女は、国民に慕われていた。彼女が制することで相手の士気は一気に落ち、同時に現れた衛兵によって事態は何とか収束した。主犯格は捕らえられたが、獣王の意思により極刑にはなっていない。
強い女だと、そう思った。人間の女性などただひとりの例外を除いて儚く弱々しい、と考えていたが、そのときの彼女の姿は、そんな印象とはかけ離れたものだった。
そして彼女は、その場を離れようとした王を引き留め、傷の手当てをしてくれたのだ。その気になれば容易く自分を殺せてしまう異種族を、恐れる素振りも見せず――内心はどうあれそれを表に出さず――治療してくれた娘の姿を、王はじっと眺めていた。
自分に向けられた優しさが、王には想定外だった。国交を結ぶにあたっても、人間から真の意味で受け入れられるのは遥か先だと考えており、むしろ襲撃を普通の反応だとすら思っていた。それなのに、彼女はそうしなかったどころかそれを咎めた。
彼女が姫であることは分かっていたので、王である自分に配慮したのだろうかと思っていた。だが、後々聞いてみると、姫はこの時点では王の素性には気付いておらず、護衛の一員だと思っていたらしい。獣王の一団が訪れることは知っていたが、まさか王がひとりきりで、護衛も伴わずに街を歩くとは思っていなかった、と。王が誰よりも強く、護衛の必要がない、月獣ならではの感覚の違いだった。
だから王は、強い興味を持った。いったいこの姫がどういう人物なのか。或いは、これからの交流で彼女は大きな意味を持つかもしれないと、そう考えた。




