人間と月獣
そして、翌日。
「あそこで売られているものは何ですか? 随分と特徴的な模様ですが」
「鱗瓜と呼ばれる果実だ。皮が硬く味にも癖があるが、天日で干すことで甘味が増し、保存食として利用できる」
獣王は、姫を伴って街へと駆り出していた。
ゼルニスに進言された後、王は王なりにどうするべきかを考えてみた。彼女との婚姻を取り止めるべきだ、という考えは変わらなかったものの、全く話もせずに決めるのは逃げである、という自覚もあった。そのため、朝食の後に提案してみたのだ。
『お前がこの国に来てから、自由に外を歩く機会がまともに無かったと思ってな。今日は私も時間が取れたので、良ければ案内させてほしい』
『よろしいのでしょうか?』
『ああ。……嫌ならば無理強いはしないが』
『……いえ。私も、一度はしっかりと街を見たいと思っていたのです。喜んで、ご一緒させていただきます』
遠慮は感じたが、一応は本音であるようだ。今までほぼ城から出さなかったのは、姫の安全を考えてのことであったのだが、自分が共にいられるのであれば万が一は起こらないだろう、と王は判断した。
こうして、二人きりで街を巡ることになった姫と王。王はこの散策の中で、本当の意味で答えを出すつもりだった。彼女がこの国に対してどのような反応を示すか、それと同時にこの国が彼女にどのような反応を示すか。
「やはり、お店には国の特徴が表れるものなのですね。故郷では並んでいないものを沢山見かけます」
姫も、最初こそ周囲の視線を気にしてぎこちなかったが、次第に興味が勝り始めたようだ。気になるものを見付けては、王へと質問を投げ掛けてくる。
(少し、口数が増えているか)
それに気付いて、少しだけ気が楽になる。城の閉鎖的な環境が余計に悪かったのだろう、などと思いながら姫の様子を眺めていた。とは言え、これだけで婚姻破棄の意見を曲げる気にはならないが。
一方の国民は、姫の姿を気にしてこちらを伺うものも少なくない。無論、誰もが王への畏敬を優先させてはいるが、その中には明らかに人間への視線が含まれている。
「やはり、人間は物珍しいのでしょうか。少なくとも私は、一人も人間を見てはいませんが」
「そうだな。この国に人間が足を踏み入れることは増えてきたが、街中を巡る者は皆無だろう。交易も国境付近で行わせているだけだからな。今はまだ、そうせざるを得ない。あまり私から離れないように注意しろ」
王と共にいれば、彼女が姫であることは周囲にも伝わるだろうし、それに気付かずとも王が案内している相手を無下に扱うことなどないだろう。人間への視線は必ずしも敵意ではないが、それが皆無であると考えるのは楽観が過ぎる。この国には、人間との戦いで家族を失った者も少なくないのだ。
「………………」
ふと、姫は足を止めて、街中を見渡す。子供達が遊ぶ姿、買い物をする家族の姿、談笑する若者の姿、汗を流して働く大人の姿。獣の外見を持ってはいるものの、そこで繰り広げられているのは、当たり前の人の営みだ。
「どうした?」
「いえ。変わらないな、と思っただけです」
「変わらない?」
「人間も月獣も、こうして穏やかに過ごす姿は同じです。私達には、月獣の方々がどんな生活をしているのかなど、伝聞ですらほとんど伝わってきませんから」
「人間からは、我らは等しく血と争いを好む獣とばかり思われているようだからな」
そう口にすると、姫の表情が少し強ばる。別に皮肉のつもりではなかったのだが、王はそれが失言であることに気付いた。だが、今さら言葉を取り消すわけにもいかず、それと同時に謝るのも不自然だと考え、言葉を続ける。
「同時に、月獣には、人間を力のない生き物だと蔑んでいる者も多い。お互いに、理解が足りないのだ。理解できないから、相手を劣ったものだとして蔑みたがる。ある意味では、自然な心理でもあるだろうがな」
「………………」
「ならばこそ、互いに差などそれほどないと理解が深まれば、関係の改善も望めるだろう。無論、どれだけの時間がかかるかは分からない。そのためにも、私がこの国をより強固な一枚岩として発展させていく必要がある」
国という共同体を生み出すことで、王は部族間の争いを鎮めた。だが、彼は理解している。それだけでは単位が大きくなっただけで、人間を含む他種族との交流を粗末に扱えば、今度は国と国の争いが起きるだけだと。
「一口に月獣と言えど、元々の文化は様々だ。それこそ、文明のレベルもまるで違う。原始的な戦闘民族としてあった部族も、元から最先端の技術を駆使していた部族もいた。最近は、ようやく技術が全体に浸透してきたようだがな」
「それぞれの文化や規律を分けて管理する、という方法はとらなかったのですか?」
「古き慣習を大事にすることと、進歩を捨てることは違う。それに、自由を認めることと、一切の規律が存在しないことも違う。集団としてまとまるには、何らかの画一的な指標は必要だ。一気に切り替えろと言うのは酷だが、そこに格差を生んでいては、月獣の中ですら差別が生まれるだろう。仕事に関しては適材適所だがな」
例えば、とある戦闘に長けた部族は、戦いこそ日常であり戦こそ誉れと考える集団だった。それを放置すれば、どう考えても争いの種になる。だから王は、彼らを軍として取り込んだ。その上で、まずは私闘を禁じ、発散のために訓練の設備を充実させた。その後、武を競い合うための闘技場を建設し、だが殺すことだけは厳禁とした。戦う文化の否定はせずにそれを生業とさせ、また、国に適したものに変えていったのだ。
なお、これは思いの外すんなりと受け入れられた事例だ。何故ならば、彼らは強さは敬うべきと考えており、王はこの国で誰よりも強いのだから。
「とは言え、発展を受け入れるのには時間がかかるのも事実だ。それに限らず、文化の違いから起こった衝突は山ほどある。この数年、折り合いをつけさせるために法の制定には苦労してきたが……ようやく、まともな形になりつつあるところだ」
「それが実を結んでいるからこそ、こうして皆さんが平和に過ごせているのでしょうね。建国から数年でここまで安定した国になったのは、陛下が指導者として民を確かに導いてきたからなのでしょう」
「それが、私に求められる役割だからな。王とは、国の象徴だ。私が確かな方針を定め、舵取りをすることで、国という共同体は確固たるものになる」
自分の所業に傲ることはないが、卑下することもない。己に自信の持てない王に従おうと思う者はいないだろう。王としてあるべき振る舞いを、彼はよく理解していた。
そうして、他愛のない会話を挟みつつ、二人は街を巡っていく。相変わらず笑顔は見られないが、会話ができているだけ、食事の時間などと比較すればかなり気楽だった。だが、姫は時おり王の様子を伺っては、萎縮して口数が少なくなる。
(……私がいなければ、彼女はもっと自由に振る舞えるのだろう)
婚姻が決まる前の彼女は、そうだった。王と話す時も、礼節こそ失わなかったが、明るく遠慮なく話してくれていた。今のように笑顔を見せなくなってしまったのは、間違いなく縁談が浮上したあの日からだ。
それでも、今日は案内を全うしようと決めて外出したのだ。王はできるだけ姫に自分を気にさせないよう気遣いながら、彼女からの質問に答えていった。
そうして、小休止を挟みつつ、一時間ほど巡っただろうか。とある区画に入った辺りで、姫が疑問を王に尋ねる。
「この辺りは、他と比べて少し人通りが少ないようですね」
「ああ。この区画は、最近になって整備が済んだばかりの居住区でな。事前の募集はかけていたようだが、まだ住民が少ないのだ。それにしても、普段より静かだが……む……?」
ふと、王が目を細めた。彼の視線の先には、多くの人々が集まっているようだ。どうにも不穏な空気で、騒ぎになっているらしい。
「何か、トラブルでしょうか?」
「残念ながら、まだ種族や文化の衝突はゼロではない。だからこそ私も定期的に街中を巡ってはいるのだが……」
少し、思案する。問題を放置するわけにはいかないが、姫を連れていけば危険に巻き込んでしまうかもしれない。どれが最善かを考え、答えを出す。
「ここで待っていてもらえるか? すぐに片付けてこよう」
民の意識も騒動に向いている。少しの時間ならば大丈夫だろう、と判断して、王は姫にそう投げかけた。彼女が頷いたのを見て、王は人の波をかき分けて騒動の中心に向かっていった。




