表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/9

逃避と嘆息

「ふう……」


 その日の夜遅く。己の部屋で執務に取り組んでいた月獣王は、疲労感に溜め息をつく。彼は、戦場で三日三晩戦い続けることのできる屈強な戦士だが、頭脳労働から来る精神的な疲労はまた感覚が違う。

 そうしていると、部屋をノックする音が聞こえてきた。返事をすると、扉が開いて従者のひとりが入ってくる。


「失礼致します、陛下。頼まれていた資料をお持ち致しました」


「ああ……感謝する。そこに置いてくれ」


 返答をしながら、筆を持つ手は止めない。だが、その表情に疲労の色が濃いことは、気配りのできる従者には気付かれたらしい。


「お疲れのようですね、陛下」


「……いや、問題はない。もうすぐ片付く」


「もうすぐ、とは、傍らに山のように置かれた書類を全て終わらせれば、という意味ではございませんか?」


 自分の性格をよく知る、側近とも呼べる従者の指摘に、王は押し黙る。図星だったことを悟った従者、山猫の頭部を持つ長身の青年は、咎めるわけでもなく提案する。


「今日はお休みになられてはいかがですか? 最近はどうにも、無理をしているように見受けられますが」


「今の私には、休んでいる暇はない。数年が経過したとは言え、この国は未だに新興国。地盤は、まだ固まっていない。やらねばならぬことは、いくらでもあろう」


「その通りですが、雑務は僕や他の配下に任せることも可能なはずですよ。……恐れながら、陛下はもう少し己の負担を減らすべきです。あなたが倒れでもすれば、それこそ一大事でしょう」


「私は、そう簡単には倒れたりはしない」


「あなたの強靭さは承知しておりますが、限度というものがあります。それに今は、陛下が一番に取り組まねばならないのは、未来の奥方に不自由をさせないことだと思いますが」


 側近の投げ掛けた言葉に、王の動きが一瞬だけ止まり、耳と尻尾が下がった。その反応は、従者の予想通りではあったが。


「やはり、姫のことですか」


「何が言いたい」


「ここ数日の様子がおかしかったからこそ、こんな話を持ち出したのです。その原因など、容易く思い付くでしょう」


「私は、別にいつも通りだ」


「僕から見ればそうではありませんよ。……何か悩みがあるとき、他のことに没頭しようとする癖がありますからね、陛下には」


「……ゼルニス」


 従者としての口調は崩さないまま、しかし踏み込んだ意見を言う男に、王は振り返り、名前を呼ぶ。名を知る程度に、彼は王に近い位置にいる人物だ。王の仏頂面に、少しだけ苦いものが混じった。


「私の判断は……間違っていたようだ。今回ばかりは、そう思う」


「縁談を受け入れた事について、でしょうか?」


「そうだ。……彼女はこの国に来てから、常に物憂げな表情を浮かべている。公の場に出るときには社交のため微笑みはするが、それも貼り付けたようなものだ。私と二人きりの時には、そんな作り物の笑顔すら見たことがない」


 その事実が、王に重くのしかかる。何故ならば王は、別に彼女が陰気な性格というわけではないことを知っているからだ。


「元より物静かな方ではあったが、同時に……よく笑う娘だったのだ、彼女は」


 政略結婚ではあったが、二人は一年も前から面識があった。彼女の国を王が訪れた時には、言葉を交わす機会も多くあったのだ。だからこそ、王は今の彼女を見ていると、胸の中に苦々しいものが込み上げるのを感じる。


「人間から見れば、私は異形でしかない。好きでもないどころか、化け物と添い遂げねばならないなどと考えれば、誰でも絶望するだろう」


「随分と、自虐的なお言葉ですね」


「客観的な判断だ。我ら月獣の多くが人間を貧弱な生物と考えているのと同じことだろう。……間もなく、約束の1ヶ月が経つ。断るとすれば、私から断らねばなるまい。遺恨を残さぬための方法を、考えねばな」


 姫に判断を任せては、責任感の強い彼女は恐らく婚姻を受け入れるだろう。そうなる前に解放しなければならないと、王はここ数日で決めていた。そんな王に、渋い表情をしたのは従者だ。


「僭越ながら、一言だけ。あなたは、考えすぎているのではないでしょうか」


「……私の誤解だと言うか? ならばなぜ、彼女はあそこまで辛そうにしている」


「いえ、そうではなく……少なくとも、あなた一人で出す答えではないでしょう? 一度、姫ともじっくり話をするべきです。避け続けていないでね」


 避けているということをはっきりと突き付けられると、王は低く呻いた。彼自身も避けていると分かっていたからこそ、その言葉が痛かった。


「差し出がましいことを言いました、お許しください」


「……いや。確かに、お前の言うとおりかもしれない。少し、考えてみるとしよう」


「勿体なきお言葉。……陛下、資料と一緒に焼き菓子を置いておきますね」


 焼き菓子、と口にした瞬間、王の耳がぴくりと跳ねた。そんな主君の姿に従者は苦笑する。この屈強で強面な王の好物が、蜂蜜をふんだんに使った焼き菓子である、などと知っているのは、今となっては彼ぐらいだった。少なくとも、軽く気を紛らわせることには成功したようだ。


「では、僕は失礼致します。陛下、くれぐれもご自愛ください」


「ああ。他ならぬお前の進言だ、いま取り掛かっているもので切り上げるとする。……それから、ゼルニス。時間があるならば、少しだけ……」


「…………」


「……いや、何でもない。ご苦労だった、下がるが良い」


 言いかけた言葉を飲み込んだ王に、従者は一礼して部屋を後にする。そのまま少しだけ歩き、王の鋭い聴覚でも聞こえないだろう距離まで離れてから、彼は溜め息をついた。


(「少しだけ話し相手になってほしい」かな。昔はよく、そうやって相談に乗っていたからね)


 しかし、今の王がそれを口にしないと決めていることを、彼はよく知っている。全ての月獣の王であることを自らに課した男は、特定の誰かに弱味を見せることを避けているからだ。――かつて親友と呼びあった幼なじみにすら――。

 そんな男が、少しでも「間違っていた」などと弱音を漏らし、相談を求めようとした。戒めを破りかけたという時点で、今回の件でかなり精神的に参っているのが分かる。


 だからこそ彼は期待しているのだ。王の戒め、その例外・・となる可能性を持った女性に。どうやら事態はよくない方向に転がりかけているようだが。


「本当に不器用だよ、君は。僕も、人のことは言えないけどさ」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ