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午前二時の遭遇

作者: 縞白



 部屋の明かりがついた。


 そのせいか、ふと目が覚める。

 布団の中でぼんやりとしたままベッド脇の目覚まし時計を見ると、午前二時を過ぎたところだ。


 1LDKの安アパートの照明に、タイマー機能なんて洒落たものが付いているわけもない。

 誰かがスイッチを入れたのでなければ、明かりはつかない。


 なのに、一人暮らしの私の部屋の明かりがついている。

 私は寝ていたというのに。


 一瞬、泥棒かと思ったが、不思議と人の気配はない。

 しかし別の、まったく異なる気配ならビンビンに感じた。




   ない……

            ないよう……


 ないの……


        どこにあるの……?




 気付かないのが難しいくらい、幼い女の子の声が繰り返し響いてくる。

 囁くような音量で、何を言っているのか聞き取りづらいが、探し物が見つからないようである。


 コト、コトン、カサ、と小さな音がするのはキッチンの方だ。

 “それ”はキッチンで探し物をしているようであるが、何を探しているのかを言うことはない。


 うちのキッチンは、味の濃い総菜やインスタント食品に舌疲れした私が適当に自炊しているので、それなりに物は揃っている方だ、たぶん。

 それでも無いというのだから、探しているのは何か専門的な器具だろうか。


 台所用品を売っている店に行け、と言いたいが、どうも半覚醒状態であるらしく、私の体はうまく動かない。

 なんだかぷにぽにした、ウォーターベッドのようなスライムのような何かに押さえつけられているような感じもしていて、頭をわずかに上げてキッチンの方を見るのも無理そうだ。


 仕方なく、「ない」「ないよう」と言う女の子の声を聞きながらベッドで横になっているうちに、私はいつの間にか眠っていた。







 翌日、あのナニカがつけた明かりは、つけっぱなしだった。


 消してけや。

 誰が電気代払うと思ってんの?


 と、安月給で日々をやりくりしている私は、怖いというよりブチ切れそうになりながら明かりを消した。

 そして、あれだけ探して見つからなかったのなら、もう来ないだろうと思ったのだが、甘かった。


 今日も午前二時過ぎ頃、部屋の明かりがついたのに気付いて目覚め、「ないよう」「ないの」と囁く女の子の声を聞く。

 昨日と同じように、ぷにぷにぽよん、とした何かの下敷きにされた私は動けない。

 そしてキッチンからは、コトコト、コトン、と小さな物音。


 うんざりしながらそれを聞きつつ、こうなると“それ”が何を探しているのかが気になってくるのが人情というものである。

 とんだ安眠妨害に、もっと怒ってもよかったのかもしれないが、もとから怒りが長続きしない性質の私は好奇心の方が勝った。



 そこでまたいつの間にか眠ってしまって、翌日。

 今度は台所用品を、あらかたキッチンの上に広げるように並べ置いてから、眠ることにした。


 しかし。




   ある……


            いっぱいある……


 ある……


       ありすぎてどれかわかんない……



   どれ……?




 思わず布団の中で脱力した。


 どんなお化けだか知らないが、自分が何を探しているのかも分からずに探していたのだろうか。

 そりゃあ見つからんだろうよ、と思って、ため息がこぼれる。


 それで、口が動くことに気が付いた。

 おや、これなら喋れるかも、と思って、さして深く考えることもなく声をかけてみる。


「ねえ、ちょっと、お客さん。探し物があるなら手伝うけど、いったい何を探してるの?」


 ざわっと気配がさざ波だつ。

 体の上からぷにぽよした何かがどいて、ようやく動けるようになったのが分かった。


「ああ、やっと動ける……。……で? 何を探してるの?」


 霊能力なんてものはサッパリ無い私には、お化けの姿はまったく見えない。

 ただなんとなく、まだ部屋にいることは分かる。


 返事を待っていると、お化けは幼い女の子の声で、ちいさくちいさく、答えを返した。




   かれーらいす……



              あったかいの……


 ない……


       さがした……


                  ないの……




 そりゃあ無いわ、と思うが口には出さない。

 幸か不幸か、カレーは私も好きなので、材料は揃っている。


 というか、数日前に作って食べたばかりだ。

 もしかしたら、その時の匂いを嗅ぎつけて、このお化けは連日うちのキッチンに通ってきていたのかもしれない。


「あったかいカレーライスは、作らないとないよ。欲しいなら今から作るから、ちょっと待ってて」


 野菜は基本的に安い時に大量買いして、切って洗って冷凍してある。

 なのでカレーなら、冷凍野菜と肉を鍋に放り込み、カレールーを入れればすぐ完成だ。


 深夜、丑三つ時にパジャマでキッチンに立って、自分はいったい何をしているんだろう、となんだかこの状況をおかしく感じながら、ぐつぐつと野菜を煮込む。


 お化けは狭いアパートの部屋の空間の大半を埋めているらしく、ちょっと動くとぷにっとした何かにぶつかるのも面白い。

 私がそのたびに「失礼、お客さん」と声をかけると、お化けは笑っているのか何なのか、そのたびにぷるぷると震えているようだった。


 笑いだしそうになるのを我慢しながら、どうにかカレーを完成させ、深皿へ明日の朝に私が食べるはずだったご飯を盛り付けてルーをかける。

 そこにスプーンをつっこんで「ほい」と差し出した。


「あったかいカレーライスだよ」


 私の意識はそこで途切れた。







 翌朝、食べ終わった皿とスプーンが、テレビの前のローテーブルに置かれていた。

 ベッドの上に起き上がった私は、そのことに満足するのと同時に、これでもう真夜中に起こされることもなかろう、とホッとした。


 ……のだが。




     かれーらいす……



 あったかいの……


            つくって……


  ほしい……


         ほしい……



 本日もまた、深夜のカレー作りである。

 しかも昨夜と同じく、完成したものを渡したとたん意識が落ち、ベッドで目覚めてカラの食器を見つけるという流れだ。


 こうなるともう、「さすがに今日は来ないだろ」とか楽観している場合じゃなくなってくる。

 なので私は仕方なく、三日目は夕飯をカレーにして、残りをタッパーに詰めて冷蔵庫に入れた。


 そして深夜、やはり来てしまったお化けに電子レンジの使い方を説明することにする。


「いい? ここにこのタッパーを入れて、スタートって書いてあるボタンを押すだけだから。それだけであったかいカレーが食べられるから。はい、押してみて」


 意外と素直なお化けが「うん」と答えた次の瞬間、パキョッという異音が響いた。

 何が起きたのか、すぐには理解できず、まじまじと電子レンジを見る。


 するとそこには、スタートと書かれたボタンが陥没し、明らかに壊れている電子レンジがあった。



 陥 没 し た ス タ ー ト ボ タ ン 。



 アッこれ「修理するより買い直した方が安いですよ」って言われるパターンのやつや、と遠い目で察する。

 誰だよ姿形も分からないお化けに電子レンジの使い方教えようとした奴は、と思うも、発想も実行も自分である。

 言い訳のしようもなければ、文句を言う先も無い。


 さようなら電子レンジ、こんにちは臨時出費……


 その日は結局、鍋で温めなおしたカレーを提供した。







 翌日、もういっそ来る時間を変えてもらおう、と連日の安眠妨害で睡眠不足な私は決意した。

 やはり来た午前二時の来訪、別の時間にすることはできないかと聞いてみれば、やったことはないけれど、たぶんできるんじゃないかな?という返答。


 よっしゃ、それならやってみよう、そうしよう!


 拳を握った私は、今日も鍋でカレーを温めなおしながら時計を指さす。

 昔からの習慣で、無いと落ち着かないので壁にかけてあるアナログ時計だ。


「私はだいたい七時に夕飯を食べるから、それくらいの時間に来てくれるとありがたい。もしカレー以外のものも食べられるなら一緒に作るし。で、短い針が七のところに来て、長い針が十二のところに来たら七時ね。ぷにちゃん、分かる?」


 ぷにぷにしているので、ぷにちゃんと呼び始めたのがいつからだったかは忘れたが、すでに定着しつつあるあだ名を呼びながら確認する。

 ぷにちゃんは「わかる」と「たぶん」を同時に言った。

 たぶんでも、分かってその時間に来てくれればそれでいい。



 ……などと、思っていた昨日の自分を殴りたい。

 ぷにちゃんは確かに私が言った通り、七時に来た。


 朝! の! 七時に!!


 そう、アナログ時計は一日に二回、七時を指すのである。

 なんで忘れてたんだか分からない、基本中の基本をうっかり失念していた自分はバカなんじゃないかと思う。

 いくら睡眠不足でボケていたとはいえ、痛恨すぎるミスに頭を抱えて新種の動物のようなうめき声をあげ、ぷにちゃんに「おねえちゃん、だいじょうぶ?」と心配された。


 ……良い子だな、ぷにちゃん。


 しかし改めて考えてみると、朝の七時に普通に来られるお化けって、お化けなのか?

 相変わらず霊感の無い私にぷにちゃんの姿は見えず、謎は深まるばかりである。


 あと、なんとなく流れで朝ご飯と夕飯を毎日一緒に食べるようになってしまったので、我が家のエンゲル係数が上がった。

 独身の派遣社員なのに、なんで扶養家族が増えたようなことになってるんだろうなぁ、自分……







 ぷにちゃんは甘党で、酸っぱいものや苦いものは食べない。

 ニンジンは甘いから好きだけど、ピーマンは苦いから嫌い、らしい。


 朝晩の食事を私と食べるようになって、カレー以外の味も知ったぷにちゃんは、嬉々として味の好みを語ってくれる。

 これまで出来上がったカレーを渡したとたん、意識を失っていたので、てっきり食べるところを見られたくないのかと思っていたけれど、とくにそんなこともないらしい。


 おかげで毎回、ふわふわと空中に浮かぶスプーンやフォークと、虚空に消えていく食べ物、という不思議現象を目撃している。

 何度見ても面白い。


 けれどすぐに、面白がってばかりもいられなくなった。

 それはぷにちゃんが突然、こんなことを言い出したからだ。



   ずっとここいる……



           ぷにちゃん、ここにいる……



  おねえちゃんのところ……



        ぷにちゃんいる……




 一緒にいる間、しょっちゅう体がぷにっとぶつかる安アパートの狭い部屋でお化けと同居とか、どう考えても無理すぎる。

 さりとて意外と優しい良い子であるぷにちゃんを、むやみに傷つけてしまうのは本意ではない。


 いったいどう説得したものだろうか。

 降ってわいた難題に、しどろもどろでお断りの言葉を探す。


「う、うーん。それはちょっと、難しいかなぁ。この部屋は狭いから、ずっと一緒にいるとお姉ちゃん、ぷにちゃんにぶつかっちゃって、うまく動けないんだよ。それにお姉ちゃん、あんまり稼ぎがないからね……。貯金も無いし……。つまりはぷにちゃん養ってく甲斐性が無いんだね……」


 言いながら、自分の現状を改めて認識して遠い目になった。


 そうだよ、ぷにちゃん養ってる場合じゃないんだよ。

 自分の老後の資金の貯蓄さえままならないのが現状なんだから。


 深いため息をついていると、ぷにちゃんは“稼ぎ”とか“貯蓄”とか“甲斐性”という言葉が分からなかったらしい。

 なになに? と繰り返し聞いてくるので、自分の情けなさに落ち込んでいた私は逆ギレ気味に開き直り、要するに金が無いんだ、という話を直球で説明した。


 すまんね、ぷにちゃん。

 今度は金持ってて余裕のある人のところに化けて出てくれ。

 その人が私より美味しいカレーライスを作ってくれることを祈ってるよ。


 お化けの世界にはお金というものがないのか、ぷにちゃんは終始「おかね……」「おかね?」「おかね」と、よく分からなさそうにつぶやいていた。







 そんな話をした翌日、派遣先でいつも良くしてもらっている先輩から、唐突に独立話を聞かされた。


「いやぁ、最初はちょっとした思いつきだったんだけどさ。意外と応援してくれる人が多いし、やってるうちにオレもどんどん楽しくなってきたもんだから、副業でやってたんだよね。

 そしたらどんどん軌道に乗ってきて、もう本業でやっていけそうな感じになってきてなー。それで、じゃあ本腰入れてやってみるかってことになって、色々やってたらどんどん仕事増えてってさ。

 正直なところ今、ヤバイことになった、と思ってるんだ。とくに本筋とは別の、電話対応とかメール対応とかの事務系が、マジで手が回らんくて」


「はぁ、そりゃあ大変ですね。でも仕事が順調なのは良い事でしょうし、いっそ事務する専門の人を雇ってみたらいいのでは?」


「うん。だから今、スカウトしてんだけど。どう?」


 えっ、これスカウトなんです?

 めっちゃノリ軽いんだけど、大丈夫な話なんです??


 と、先輩の唐突な独立話は不安しかないスカウトに着地した。


 しかし話をよくよく聞いてみれば、先輩は一人でその仕事をしようとしているわけではなく、もうすでに三人ほど独立メンバーを集めているらしい。

 けれどその三人とも技術屋なので事務系の仕事は苦手で、それならと先輩が「オレ、いい子知ってるからスカウトしてくる!」と言って、私に話を持ち掛けた、というのが事の顛末だった。


 なんでも先輩は、私が派遣されてきた当初から、給料少ないのによく働くなぁ、この子、と思って眺めていたらしいのだ。

 これはべつに私が真面目だからというのではなく、単純に、うまく手を抜けるほど要領が良くないだけなんだけど……


 まあとにかく、怪しげな話ではあったけれど、先輩たちのやろうとしていることに賛同して後押ししてくれているというスポンサー企業は、思わず「はっ?! マジであの会社ですか?? 同名の別会社でなくっ?!」と確認してしまうほどの大企業だったし、先輩の“ちょっとした思いつき”で始まったという仕事はいわゆる隙間産業的な良い感じの内容だった。

 スカウトに応じてくれるなら正社員として雇うし、給料も今より確実に上がるという。


 良いことずくめのうますぎる話だ。

 ……本当に大丈夫なのかなぁ、これ。


 と、私が不安になってしまうのも無理なからぬことではないかと思う。

 そしてもう一つ、ぷにちゃんに「お金がないから」という理由で同居を断ったとたんのスカウトである、というのがどうにも気になる。


 が、いったいどういう流れでぷにちゃんとの話が先輩からのスカウトに繋がるのか分からないし、その日はまた夜の七時に来たぷにちゃんと夕食をとって、何も言わず普通に寝た。







 そして翌日、休みだ~、とのんびりしていたところへ響いた携帯電話の着信音。

 今度は叔母からの「ちょっと遊びに来ない? 話があるんだけど」という電話である。


 次は何だ、と少しばかり身構えつつ、親族の中で一番仲の良い叔母のマンションに向かう。

 大手の百貨店でバイヤーをしている独身の叔母は、終の棲家として購入した高層マンションの部屋に機嫌よく迎え入れてくれて、美味しいロールケーキと香りよく温かい紅茶でもてなしてくれた。


 いい年をしていつまでも結婚せず派遣社員をしている私は、家族から「早く結婚を」と急かされるのに我慢できなくなって家を飛び出したのだが、そんな私を否定せず、「私も独身だから、仲間ね!」と笑ってくれたのがこの叔母である。

 稼ぎには月とスッポンほどの差があれど、そんなことは気にならないくらい私は叔母が好きで、叔母も私を可愛がってくれて、休みの日はたまにこうしてお茶をしたりする。


 美味しい紅茶を飲んで、スポンジふんわり、クリームとろりのロールケーキに舌鼓を打っているうちに、すっかりいつものリラックスタイムに入っていた私は、しかしいつもと違う叔母の話に仰天した。


「えっ? それじゃあ海外に引っ越すことになるの?」

「そうなのよ。急な話で私も戸惑ったんだけど、良いチャンスだし、行ってみようと思って」


 ニコニコと笑顔で言う叔母は、とても戸惑っているようには見えなかった。

 すでに意思は固まっているようである。


 対して私は、戸惑った上に頭を抱えた。


 バイヤーの仕事で海外に買い付けに行った際に知り合った大手企業の知人に好待遇でスカウトされ、転職と海外移住を決めたという叔母が、なぜか私に今住んでいるこの部屋を格安で貸してくれるというのだ。

 叔母が言うには、「何軒も見て回った末に一目惚れして買った部屋だから、手放すのは嫌なの。でも、誰も住まないでいたらもったいないし痛むだけだし。かといって、知らない人に貸すのも嫌だし。あなたが住んでくれるのが一番嬉しいのよ。だから本当は家賃も要らないんだけど、それだと断るでしょう? だからまあ、このくらいの家賃でどう?」ということらしいのだが。


 叔母の提示する家賃は、あまりにも格安すぎる。

 だがそれを訴えても、本人は「そうはいっても、私はこれから給料倍以上になるから、家賃収入とか、とくに欲しいと思わないのよねぇ。それより気に入ってる部屋を信頼できる人に任せたい、っていう気持ちの方が大きいのよ」と、困ったような顔で言う。


 私を信頼してくれる叔母の気持ちは嬉しいし、正直なところこんな良い部屋に格安で住める、という話には心惹かれるのだが。

 昨日の先輩からのスカウトといい、あまりにも重なる“うますぎる話”に、どうすればいいのか混乱する。


 頭を抱えて「う゛う゛ーん」とうなった結果、私は叔母に相談することにした。


「……ごめん、ちょっと待って。その話進める前に、少し聞いてもらいたいことがあるの」


 信じてもらえようがもらえまいが、もうどちらでもいい。

 とりあえず自分一人で抱え込んでいるのがしんどくなったので、吐き出したくなっただけである。


 そして幸運にも、叔母は私の突拍子もない奇妙な話を、馬鹿にすることなく真剣に聞いてくれた。

 仕事で海外を旅し、いろんな人や物事に出会ってきた叔母は、私が今経験している奇妙な出来事について、「そういうこともあるのかもしれない」と柔軟に受け止めてくれたのだ。


 その上で、叔母は難しい顔をした。


「小さい女の子の声、ねぇ……」

「うん。お母さんと手をつないで保育所に通ってるくらいの子じゃないかなぁ、と思う。声とか、食べ物の好みとかはね」


「でも、一瞬で電子レンジのボタンを陥没させるくらいの力があって、アパートの部屋を占拠するくらいの大きさもあるのよね?」

「そうなんだよね……。一緒にいる時はしょっちゅうぶつかるし、あの臨時出費は痛かった……」


 思い出すと、ハァ、とため息がこぼれる。

 そんな私に、叔母は心配そうに言った。


「ずいぶんのんきだけど、あなたそんなことがあったなら、一日目に相談してきなさいよ。そうしたらその日のうちにお祓いしてもらいに連れてったわよ」

「え? そんな危ない感じする?」


「私はオカルトに詳しい方じゃないけど、子供の声で釣ってくるのは基本的に危ない相手だっていうのがセオリーよ。例外は座敷童くらいじゃない? でも話を聞いてると、あなたのところに来てるお化けは座敷童じゃなさそうだし」

「あー、うん。座敷童って家に憑くんだったよね? そうすると、ぷにちゃんはたぶん違うんじゃないかなぁ」


「ぷにちゃん、ねぇ。……うーん。案外、あなたのそういうお人好しなところが良い方に転がったのかもしれないわね」

「うん? どういう意味?」


 心配そうだった顔から一転、好奇心をのぞかせた叔母の言葉に、首を傾げる。


「最初に声が出せるようになった時、『お客さん』って声をかけたって言ったでしょう? そこから仲良くなって、今の『ぷにちゃん』になってるのよね? もしかしたら、そのせいで相手も友好的な『お客さん』になって、『ぷにちゃん』になったのかも、ってこと」

「私の呼び方のせいで、ぷにちゃんがぷにちゃんになった、ってこと?」


 いまいち意味が分からないまま聞き返すと、そうそう、と叔母が頷く。


「怖がってると、ただの草でも幽霊に見えることがある、の逆ね。あなたはまるで怖がらずに、むしろ友好的に迎え入れちゃったから、相手も怖がらせる余地がなくなったのかも」

「そっかぁ」


 なんとなく納得した。


「それじゃあ、ぷにちゃんがカレー探しに来たのがうちで、良かったのかもしれないねぇ」

「あなたって子は、なんでそう……。いえ、まあいいわ。あなたの性格について言ったって、今さらだものね。それよりも」


 叔母はまた真剣な表情に戻って、言った。


「影響力が、強いわ。

 お金が無くて部屋が狭いから、って同居話を断ったとたん、先輩からのスカウトと私からの話が入るなんて、異常事態もいいところよ。外堀を埋めるにしてもあまりにも露骨だし。注意した方がいい。

 なんならお祓いしてくれるところ紹介するけど、今から行く?」


 まさか真顔でお祓いをすすめられるとは思っていなかったので、私は面食らった。

 そしてそこではじめて、自分が意外とぷにちゃんを受け入れているらしい、ということに気づく。


 最初は安眠妨害され、電気をつけっぱなしにされたことにキレ気味だったけれど。

 あったかいカレーライスを食べたがり、動くとぷにょんとぶつかるのに笑うようにぷるぷるさざめき、アナログ時計が一日に二回七時を指すことに気付いて奇声を上げた私を「だいじょうぶ?」と心配してくれたぷにちゃんを。


 私はもう、姿が見えなくても、得体が知れなくても、受け入れてしまっているのだ。


「うーん……。お祓いは、やめとく」


 そうして、気付けば私はそう返事をしていた。


「影響力が強い、っていうのは確かだし、その辺は注意しなきゃいけないんだろうけど。でもさ、今のところ誰も不幸になってないんだよね。

 独立するって話してる先輩はすごく楽しそうだったし、叔母さんも良い条件でスカウトされて、その仕事をしたいと思ったから転職と海外移住を決めたわけでしょ? ほら、みんなハッピーじゃない?

 それに、もしぷにちゃんの影響でそうなったんだとしても、私がぷにちゃんの同居を断る前に先輩も叔母さんも動いてたでしょ。えーと、ほら、思いつきから独立できるだけの仕事を育てたのは先輩の力だし、海外の企業の人にバイヤーとしての能力を認められた叔母さんだって、これまでの実績があったからそういう話が来た、っていう意味で。

 だからたぶん、ぷにちゃんの影響って、そこに私を絡めただけなんじゃないかなぁ、って。そうなるとさ、ぷにちゃんのこと、そんなに怖がることないんじゃないかなって気がするんだよね」


 自分で自分の考えを確かめるように言った言葉は、なんだかまとまりがなくてよく分からないものになったけれど。

 結論としては「お祓いはしない」だ。


 叔母は私のまとまりのない話を聞いた後、しばらく目を閉じていた。

 そして数分してまぶたを開くと、頷いた。


「分かったわ。それじゃあ私も腹を括りましょう。今までの仕事の実績にはそれなりの自負もあるけど、それでも私があんな好待遇でスカウトされたのも、『ぷにちゃん』のおかげかもしれないしね。そうなら恩返しも兼ねて、あなたがここで『ぷにちゃん』と平和に暮らせるよう、とことん協力しようじゃないの!」


 ぐっと拳を握り、任せておけ、と胸を張るその姿は出陣前の武将のようである。

 そうして、え? 何? どうしたの? と、ポカンとして置いてきぼり状態になった私をよそに、叔母は「風水に詳しい友達がいるから、これから電話してみるわ。ちょっと二日くらい待っていてちょうだいね。この部屋、万全の状態に整えておくから!」と宣言し、本日のティータイムは終了となった。


 展開が早すぎてついていけないんですけど、どういうことなの……








 それから数日後、私は独立した先輩に雇ってもらって正規の事務員となり、アパートを引き払って「風水的に完璧!」らしい叔母のマンションに引っ越した。

 同居話を断る根拠が無くなってしまったので、当然のようにぷにちゃんも一緒だ。


 無事に引越しが終わったことを叔母に報告すると、「それならもう、私が言うことは何もないわ」という返事がきたので、もしかしたら風水的に完璧な部屋というのは、ぷにちゃんが悪いものでないかどうか試す意味もあったのかもしれない。

 けれど私もぷにちゃんも、そうとは知らずに何事もなく通過してしまったようだし、叔母ももう何も言わないというから、まあ、かまわないだろう。


 あと、私は叔母から「健康診断、行ってきなさい」と有無を言わさず命じられ、目を丸くしたのだが。

 なんでも風水に詳しいという友達から、昔、行動がおかしいので“狐憑き”と呼ばれた人や、幽霊や怪奇現象に遭遇した人というのは、脳に問題があった可能性が高い、という話を聞いたのだそうで。

 正体不明の『ぷにちゃん』と遭遇している私も「もしかしたら」と言われ、なにそれ怖い、と震えあがって病院に飛び込んだが、「何の異常もありませんね」と太鼓判を押されて終了。

 叔母もその友達も人間だし、異常が無いなら良かったはずなのに、なぜか狐につままれたような気分になった。


 そんなドタバタもありつつ、始まった新生活。


 前の会社より高給を約束してくれた先輩が、ちゃんとそれを守ってくれているので、懐もそれなりにあたたかくなったし、叔母のマンションは前のアパートの部屋とは比べ物にならないくらい広いから、ぷにちゃんとぶつかることも少なくなった。

 それでもたまに、ぷにぽよん、と体がぶつかるけれど。


「おっと、ごめんよ」


 ぷにちゃんは笑うようにぷるぷるとさざめく。

 姿は見えないのに、どうしてか最初から分かるそれを感じて、私もくすりと笑みをこぼす。

 たぶんこれ、わざとぶつかって遊んでるんだろうなぁ。




    おねえちゃん



  きょうのごはん、なぁに?



                    なぁに?


 おねえちゃん


         きょうもいっしょ



                     ぷにちゃん


    おねえちゃんと、いっしょ




 幼い女の子の声が幾重にもかさなって響く。

 うーん、オカルトに弱い人には怖いかもしれない、と心のどこかで思いつつ、もう慣れてしまった私はトントンと包丁で玉ねぎを切りながら答える。


「今日はカレーライスだよ」


 やったぁ、とはしゃぐ声がまた幾重にも響き、私はにっこりと笑った。





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― 新着の感想 ―
[良い点] ほっこりしました笑 [一言] 面白かったです
[気になる点] これ、おねえちゃんに彼氏ができたり、お子様ができたりしたらどうなるのか興味ありますねえ。 仲良く平和裏に進むのか、闇落ち展開するのか、まあ、このヒロインの正確なら「家族が増えた!」でハ…
[一言] 怪異を受け入れたら色々好転しました。 昔話でよくこう言うのあったな~。 続きを楽しみにしてます♪ 貧乏神を受け入れたら福の神になりました。って昔話を思い出しました。
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