勇者と女神様
私は半壊した建物をそろりそろりと歩いている。
別に隠れる必要はないのだけど、人に見つかったら、何というか、その、気まずいというか……
私は一度、この城の主……魔王であるマヒルを殺そうとしたわけだし……
「というか、マヒルはどこ言ったのよ……。私がもう敵ではないこととか、ちゃんと伝わっているんでしょうね……」
私とマヒルは抜け道で魔王城から離脱したのち、戦いが終わったことを確認してから戻って来た。
どうやって確認したのかというと、魔王城から頻繁に打ち上がる巨大な魔法攻撃が止んだことから推測したのだ。
因みに、魔王城は巨大な魔法攻撃によって次々と形を崩していき、それを見ていたマヒルは口が開きっぱなしだった。
ちょっと……いやかなり気の毒ね……
そうして魔王城に戻って、魔物の全滅を確認した途端、私は体から力が抜けてしまった。
マヒルに肩を貸されて休憩室まで行ったことは覚えているのだけど、目が覚めたらマヒルは居ないし部屋の外は半壊した城。
いや、そもそもこの部屋も部屋とすら呼べないほどに破壊され、部屋の内外すら曖昧になっていた。
「こんな場所に私を放っておいて……といっても、まともな場所なんてもうなさそうね……」
とりあえず部屋を出てボロボロの場内を歩き回ってみたのだけど、ただでさえ複雑な城がさらに複雑に崩壊していて、向かうべき方向が分からない。
そもそも、ここまで崩れておいてなぜ城が崩落しないのか不思議だ。
「もう魔法で探索しようかな?」
サーチの魔法を使えば、一定範囲内の探索と索敵が可能だ。
上位存在にはバレる可能性があるので乱用できないけど、今の私がこの城で使う分にはバレても問題ない……はず。
そうしてサーチしてみると、大人数が集まっている区画があった。
「ここに行けばよさそうね……」
幸いその区画は遠くない。
少し歩くと、すぐに多くの人がいる箇所に到着した。
沢山の人が好奇心と興味の目で私を見てくる。
……やっぱりサーチしたのはバレてそうね。
私はできるだけ何も考えないようにして、近くのメイドさん? に尋ねた。
「マヒルはどこ?」
「あ、魔王様なら、そちらに……」
メイドさんが指し示したのは、壁の亀裂。
……そう、亀裂。
何か釈然としなかったけれど、私は素直に亀裂の中を覗いてみる。
そこでは、何人かの人たちが話し合いを行なっているようだった。
当然、声が漏れ聞こえてくる。
「だってそれしか無いだろ? 勇者にボロボロの城を見られるんだったら、むしろ魔王城を無くしてしまえばいい。もちろん、魔王城の無い状態で長い時間放置しておいたら、それはそれで人間に気づかれてしまうだろう。でも、別の場所に魔王城を再建するまでの時間稼ぎにはなると思う」
「駄目だよ! この城は、僕達の何千年もの思いがこもって……!」
「そうだね。それに、破壊するだけでは魔王城を無かったことにはできないよ?」
「なら、跡形もなく消滅させよう。難しいか?」
「そんな……!?」
あ、居た。
こうやって会議しているなんて、本当に魔王なんだな……。
でも、どうやら会議は難航しているようね。
というよりも、突飛な意見に皆が戸惑っているのかな?
話は続いていく。
「……ユニの魔法を使えば可能だ」
「ボス!?」
「……そうだね。その案を実現するならば、私の暗黒領域に魔王城をすっぽりと収納してしまうのがベストだと思う。異空間に保存するだけだから、破壊する必要はなくなるね」
「……頼めるか?」
「……」
「……」
「それしか、ないのですね」
どうやら、話はなんとか纏まったみたいね。
私は最後に発言した女性に目を向け……
目を、疑った。
「……お母、さん?」
ブラウンの髪に青い目。
何もかもが私と似通っていて、ともすれば、母親と似通っている。
が、違う。
私の親は、あの事件の当時でさえ、あそこまで若くはなかった。
「しかし、魔王城を無くすとなると、私たちはどうするべきでしょうか?」
「人間の王とは協力関係なんだろう? 素直に人間の国へ助けをこえばいいんじゃないか?」
「でも、僕たちは一応神様だよ? 人間の国に行くとしたら騒ぎになるんじゃないかな?」
「スミレとかは大丈夫だろうけど、ガイアは容姿も有名だから面倒なことになりそうだね」
耳を疑った。
それは私にとってあまりにも大きな意味を持つ名であった。
私は意を決して。
ゆっけりと亀裂から離れ、会議をしている部屋の入り口と思われる扉の前に立つ。
周りには魔王城の関係者がたくさんいたが、誰も私を止めようとはしなかった。
ギィ……っと、低い音色を奏でながらドアが開いてゆく。
手の中の汗は、魔王と対峙するときよりも多く感じられた。
「……っ」
「……」
「……」
向けられる視線。
かつて強く敵対した相手もいたため、こちらからも視線を返せたのはマヒルに対してのみだった。
そして、私は目的の女神の前へ。
「……ガイア様」
「……勇者、アイラルトリア……」
何故魔王城に?
マヒルと知り合いなのか?
私を勇者にしたというのは事実なのか?
色々と、疑問はあったと思う。
もしかしたらお礼を言いたかったかもしれない。
けれど、私から出てきた言葉はそのどちらでもなかった。
「……ごめん、なさい」
謝罪。
私は何に対して誤っているのだろうか。
マヒルの味方になって、少女を取り戻した私が、何を許してほしいのだろうか。
ああ、そっか。
やっぱり罪悪感があるんだ。
魔王討伐を諦めたことで、結果的に多くの人たちを裏切ったことを。
私を応援してくれた人を裏切ったこと。
両親を、裏切ったこと。
そうやって勇者としての責務を投げ出した私は、私の信仰神であるガイア様の顔に泥を塗ったことにもなる。
それら全ての思いがこもった謝罪だった。
「許せないことはあります」
その言葉に、私はうなだれる。
「許せないことは、貴方が、魔王様を殺しかけたこと。それだけです」
「……え?」
ガイア様の表情は、とても穏やかだった。
「それだけ、ですか……?」
「それだけとは失礼ですね。何よりも重大な罪ですよ?」
「でも私は……」
「アイラルトリア」
ガイア様は、強く言った。
「罪とは、誰かが誰かの基準で勝手に決めるものです。私の基準では、貴方の罪は魔王様への仕打ち。では貴方が感じている罪悪感は、誰が決めたものでしょうか?」
「私の罪を……決めた人……?」
今まで出会った多くの人たちや、両親、になるのかな……
「貴方です」
「……え?」
「他人から罪を言い渡されても、自分が納得できなければ罪悪感は感じません。その罪悪感は、あなたの基準によって生み出されています」
ひどく合理的なようにも、無理やり納得させられているようにも感じる理論。
ただ、適当に丸め込まれているわけではないことは、ガイア様の表情から伝わってきた。
「かつて、愛する人を喪った英雄がいました。彼は誰からも、もちろん愛する人からも責められてはいませんでしたが、彼は世界全てに詰られる迷夢に捉われてしまい、破滅しました。彼が彼自身を許せなかったのです」
それはありふれた物語のような顛末。
でも私は、そこに今の自分に重なるものがあるように思えた。
「もう一度考えてみませんか。貴方が、貴方自身を許すべきかどうかを」
……私は。
どうして私を許せないのだろう。
申し訳ないから?
様々な人の期待を裏切ったから?
それは間違っていないと思う。
じゃあ、様々な人の期待を裏切ったら、どうして私が罪悪感を感じるのだろう。
それは、恩を感じているから?
人々に友好を感じているから?
人々を守りたかったから?
きっとその通りだ。
では、私はどうして人々を裏切ったと、恩を返せなかったと、守れなかったと感じたのだろうか。
それは……
「私は。人々が倒せと言った魔王を倒しませんでした。これからも倒す気はありません……」
友好的な人々の願いである魔王討伐を放棄した。
それが、私の感じる罪だった。
「ええ。それこそが貴方が自分を許せない理由であり、貴方の迷夢です」
迷夢。
さっきの英雄の話が頭をよぎる。
「彼は世界の人々に詰られる迷夢に捉われました。先ほども言った通り、これは彼自身が生み出しているものです。他人が生み出すものではなく」
ガイア様の話は、ひどく抽象的だ。
多分、私に気づかせようとしているんだと思う。
私は、迷夢に、妄想にとらわれている?
物語の英雄のように?
では英雄の彼は、どういう夢に捉われた?
それは人々に詰られ、罵倒され、責め立てられる悪夢。
誰も、彼を責めていないのに。
「誰も、責めていない……?」
私は。
私が魔王討伐をしないことをどこかで許せていないけれど。
他の人は、どうだろうか。
宿場のおじさん。
教会の神官様。
警備の兵士さん。
国の王子様。
魔王を討伐できませんでしたと私が言ったら。
宿場のおじさんは、ゆっくり休むように言ってくれるだろう。
神官様は、勇者の役目を努めた私を労ってくれるだろう。
兵士さんは、何があったのか事細かに聞かせてくれと頼んでくるだろう。
王子様は、そっかと一言だけ言って、受け入れてくれるだろう。
誰も責めてはいない。
誰も責めていなかった。
「私の想像では……、きっと、誰も私を責めません……」
「……そうですね。私も、貴方を責める人はいないと思います」
それだけ。
たったそれだけの話だった。
「貴方は、勇者として極めて模範的に、そして盲目的にここまで来ましたね。きっと誰もが、貴方の無事と平穏を祈って応援したのでしょう」
私は、気づけばガイア様のすぐ傍にいて、ガイア様に手を握られていた。
「魔王を倒して欲しい。この言葉は、決して表面通りの言葉ではなかったのです。それは、あなた自身の目的の達成と、安寧を祈る言葉。ええ、誰も貴方を責められるはずがありません。だって貴方は人々が願った通りに、安らぎを見つけたのですから」
ああ、そっか。
私はそんなにも、盲目的で愚かで。
周りのことなんか全然見えてなかったんだ。
気づけば私は、ガイア様の腕の中で、大粒の雨を止めようともせずに零し溢れさせていた。
それは、私が数時間ぶりに勇者を取り戻した瞬間だった。
改めて、ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。
この物語はここで完結となります。
まだ明かされていない謎は多いですが、それを明かすストーリーを書くかは未定です。