08 年賀状スルーの件
昨年、師走に入ってからマスコミやインターネットで年賀状スルーについて取り上げることが多くなった。
そして元日、わが家に届いた年賀状にも「来年からは新年のご挨拶を控えさせていただきます」という文面のものがちらほら…本当に来たぞ!
噂に聞いていたけど、本当に来るとは思わなかったので切手シートが当たったくらいはしゃいでしまった。
新年の挨拶を控えたい。つまり年賀状はもう出しませんよと言いたいわけだ。それだけ年賀状を出すのも負担になってきているのだろう。精神的にも経済的にも。
はがき代くらいと思う人もいるけれど、少しずつはがきも切手も値上がりしてるし、職場での年賀状のやりとりがNGというところもある。若い世代は携帯、スマホが浸透しているのでTwitterやLINEで新年の挨拶を済ませてしまう。
第一、お金がキャッシュレスの時代に突入しているのだ。
年賀状そのものが消えていく運命なのかもしれない。
実際のところ、私も交友関係が広くないので年賀状は十枚も出していない。中学時代、部活やクラブの友人、先生に書いていたころが枚数的にもピークだった。
社会人になって最初に勤めていた職場は年賀状のやりとりはOKだったものの、「Aさんに送るなら、Bさんにも送っておかなきゃ不自然だな」という気の使い方をして疲れた。
だから年賀状のやりとりをせずに済むようになって気持ちが楽になったのはたしかだ。
少しさびしく感じたけれど、縁のある人には街中でばったり会うこともあるし、仲のいい友達からは盆と正月の前後に帰省を知らせるメールが届く。
ふだんからの交流があるなら、紙媒体の挨拶がなくてもいいじゃないかという意見もわからなくはないのだ。むしろ、年に一度も会いもせずに、年賀状だけで挨拶を済ませる相手なんて付き合いをやめたほうがいいんじゃない、というのが現代のドライな考え方。
年賀状スルーもまた人間関係の断捨離であり、シニア世代には終活の一部になるのは仕方がないと思った。
しかし、律儀なのもシニア世代の人間が多い。
父のかつての職場関係の人間に送った年賀状はほとんど返事がある。そのうち年賀状スルー宣言をしたのは一件のみ。残りは「送ってきたら(年賀状を)出せばいいや」というのんびり思考派だ。それはそれで実は困るのだ。
元旦以降に年賀状送られても、返事が着くころには正月三が日が終わってしまうだろう。だからといって面倒がって放っておくと「東野さんとこ年賀状を送ってこなかったから、来年はもう出さなくてもいいな」という都合のいい解釈をされるのも癪だ。
今後のシニア世代の年賀状は「年賀状スルーか、後出し年賀状」がパターン化していくのかもしれない。
それにふと恐ろしいことを思いついた。自分から年賀状スルー宣言をしたのを忘れて、翌年年賀状を送ってくる人間がいたらどうしよう、と。