仕事の朝
「ああ、だるい……」
寝ぼけまなこを擦りながら、ドクはベッド上で体を起こした。涼やかで、爽やかな空気が、窓から吹き込んでいる。リンダが開けておいてくれたのだろう。
「今日から仕事か……」
ドクは、気怠い身体にムチを打ちつつ、ベッドから降りる。なぜ、休日の朝と同じ行動をしているのに、いや、むしろ多めの睡眠時間を確保しているのに、こんなにも身体のノリが違うのか。
「まあ、そんなもんだな」
そのとおり。
それでも、なんとなく仕事の準備をしてしまうのが職業人ってもんである。「飯のタネがあるだけマシってもんよ」とクチャクチャになった精神を、むりやり織り込む事ができるようになって、ようやく一人前なのだ。
「おはよう~」
ドクは、中途半端な着替えのまま、リビングに降り立つ。もう、台所からは、いい匂いがしている。
「おはよう」
テキパキと働くリンダ。のそのそと洗面台へと歩を進めるドク。
口をすすいで、髭を剃り、顔を洗って、着替えをバックに詰める。冬より夏の方が、荷物が多くなるのは、肉体労働者のあるあるだろう。
玄関に回って新聞を取ると、テーブルに着く。
「晩御飯の残り、よかったら食べてって」
なるほど、出されたメニューには、昨日の夕食で見たものもある。しかし、そこに一手間を加えるのが、リンダクオリティ。香草がまぶしてあるなど、ほんのささやかなアレンジなのだが、「そのままは出さない」という心遣いが嬉しい。
結局、こういうことなんだと、ドクは思う。
仕事に向かう朝なんて、誰しも気持ちがいいわけがない。
ヤル気に燃えている季節でも、朝はやっぱりかったるい。
ましてや、今はドクにとって不遇の時期……。嫌な上司の顔を思い浮かべるだけで、食も進まない。
でも、誰かの心遣いがあるだけで、心は少しだけ軽くなる。
玄関を超える一歩に必要なエネルギーは、そんな、日常の合間にあったりするのかもしれない。
「いってきます」
ドクは、リンダの優しさに背中を押されて、ようやく家を出る。外は、ヒリヒリするような暑さを残しつつも、風の中に秋の香りが交じり始めている。代わり映えのしない通勤経路だが、季節の変化が少し楽しい。同じように職場へ向かう人達の姿に勇気をもらいつつ、先へ向かう。
実は、ドクにとって通勤は大事な時間。
彼は、どうも頭の切り替えがヘタクソらしく、仕事モードになるまでに準備時間が必要らしい。ダラダラと歩きながら、やりかけた仕事や、まだ温めている戦術に思考を飛ばし、徐々に「公人」へと自らを組み立てていく。もちろん、まったく関係ない事を考えている時もあるが、そういう朝は切り替えがうまくいかない。徐々に、ギアを上げていく、いわゆる助走期間が通勤なのだ。
5日前、下って来た山道を、今度は登る。少し、息が上がるくらいの運動強度。首のまわりにじっとりとした汗が浮かぶ。
道は徐々に整備されたものになり、陸竜騎士団本部(訓練施設に併設してある)に至る。武骨で頑丈なだけの素っ気ない建物が、軍事施設独特の雰囲気を漂わせている。ドクは、いつもどおり裏門から更衣室へと進む。
すれ違う同僚達と、品の無い冗談を交わしつつ、ロッカーの前へ。開いた扉の内側から、すえた臭いがする。
「おはようございま~す」
間延びした挨拶がしたので振り向くと、3つ年上の先輩であるエチゴがいた。エチゴは、陸竜騎士団全体を指揮する「指揮管理隊」に配属されている。
「あ、おはようございます、エチゴさん……。なんか、疲れてません?」
「休み明けは無理ポ」
みんなそうだ。
でも、制服に着替えて、鎧を身に付けると、自然と仕事モードに切り替わったりする。
「確かに。このロッカーで着替えるまでが、かったるいんですよね」
「着替えても無理ポ」
「……それは昨日の酒の所為ですね。疲労は肝臓からくるんですよ」
「いや、俺、最近あんまり飲んでないんだよ」
「とうとうドクターストップですか」
自他共に認める酒好きが、酒を辞める理由など、それしかない。
「いや、自主的に……」
「やばい……今日は外まわりなのに、雨どころじゃないかもしれない……」
「酷いポ。っていうか、作陸(作戦陸竜騎士隊)は外回りなの?」
「ええ。沿岸部の哨戒任務です。何だか、最近は物騒らしいんで」
「イスラル(隣国)が出張って来てる訳じゃあないんでしょ?」
「目撃情報から推測すると、他国から来た盗賊、海賊の類みたいですね。倉庫がいくつかやられたって聞きました」
「じゃあ、それって治安警察の仕事じゃん」
「応援要請ですよ。ホラ、何年か前に協定が結ばれたじゃないですか」
「あ~、なんかあった気がするポ」
「俺も言われるまで忘れてました。まあ、何かあったら後詰の部隊を要請しますから、お願いします」
ドクは真っ黒な兜を取り出して、その場を離れた。
向かう先は更衣室に隣接している武者だまり。そこで、ブリーフィングを行ってから、竜と共に現場へ向かうことになる。
「さあ、今日も頑張っていきましょうか」
誰に言うでもなく、ドクは薄暗い廊下を進んだ。