竜王
「ドク!」
駆け寄るリンダを、ドクは全身を使って受け止めた。人目を憚る必要はない。ここには人目などないのだ。
「リンダが無事でよかったよ」
「数少ない魔女の血を、あんなところで絶やす訳にはいかないわ。久しぶりの調合で、上手くいくかどうか不安だったけどね」
魔女とは、かつて山岳地帯に住んでいた一族のこと。女性優位の社会を築き、野草を調合して幻覚作用を発生させる等の防衛手段をとっていたことから、魔女と称され、インドミナ王国により徹底した弾圧を受けた歴史がある。
「シルバは?」
「そこ」
森の影から、銀色の影がすり出してくる。相変わらず、均整のとれた美しいライン。
「リンダをありがとう」
頭を下げるドクの肩を、シルバが甘噛みする。どうやらドク自身がピンチなのにもかかわらず、リンダのところへ向かわせた事に抗議しているらしい。
「ごめんって。俺達は一蓮托生だ、分かってるよ」
「グウウウウウ」
シルバは唸りながら、恨めしそうにドクを睨み付ける。どこか、ホッとしたような顔をしていたのは、最初だけだった。
リンダは周囲を見回して、つぶやく。
「ここが、そうなんだ――」
ここは、竜の領域の最深部。苔むした岩々と、黒々とした木々が、濃密な空気の中に息づいている。竜騎士でもここへ足を踏み入れた者はいない。竜達にとっても神聖な場所だ。
「なんで、こんなに離れた場所で落ち合う事にしたの?」
「シルバに提案されたんだ。でも、ここへ着いたら意味が分かった。いや、全ての意味がつながった」
そういってドクはリンダの手をとる。
「行こう。向かうところも、向かう理由も、歩きながら話すよ」
リンダは、まるでバージンロードを歩く様に、それに従った。
「ようするに、ここは彼等にとっての王都なんだ」
「嘔吐?」
「いやいや、ゲロりはしない。もちろん、今の我々にとってみれば、王都はゲロみたいなもんだけど、そうじゃなくて、敬うべき人がいる場所てこと。ああ、議会を開催する場所としての性格も持っているらしい」
「そんな竜がいるの?すっごい強い?」
「びっくりするよ?ホラ、もう見えた」
鬱蒼とした森の中で、そこだけがスポットライトを当てたように、神々しく浮かび上がっていた。
竜達がかしずく中央――そこに横たわる一人の男。いや、老人。
「え?……人なの……?」
「気を付けて。竜にとって『礼』は言葉だから」
「でも……あの人……」
「うん。リンダが感じていることに間違いはない。彼はもうすぐ逝く」
「竜達は、それを悲しんでるの?」
「そうだね。だけど、それだけじゃない。さあ、一緒に行こう。俺達は彼等の言葉を聞かなくちゃならなん」
「どういうこと?」
ドクは、いたずらっぽく苦笑を浮かべる。
「すまん、つい、リンダに相談する前に決めちまった」
「何を?」
「彼の後継者が俺。そんでもって、その妻が君」
「……後継者?」
「そう――彼は竜王だ」
…………。
「ごめん、イマイチ、言ってる事が分からないんだけど……」
「説明はきちんとする。でも、思ったよりも時間がないから、今は一緒に話を聞いてくれないか?彼も、妻の承認が取れていない事は知ってるんだ」
そういって、ドクはリンダを「竜王」のところへと引っ張っていく。いつになく強引だから、リンダもフラフラと付いていってしまう。
見た事も無い巨竜の隙間をぬって、たどりついた台座の横。横たわる老人は、死に向かう人間とは思えない穏やかな表情をしていた。
柔らかいローブにつつまれた優しそうな翁。とても荒々しい竜の王とは思えない。
「……あなたがドクさんの細君ですか。……すまないが、この姿勢のままでよろしいかな?」
弱い。
しかし、しっかりと届く声が、リンダを捉えた。
「はい。ご無理はなさらないでください」
「ありがとう……。もう、相棒の竜も亡くなって久しい。力を取り出すのが難しくなっておりましてな……」
ドクはリンダを肩へそっと手を置いた。意味はきっとない。
「……もう聞いたとは思いますが、あなたの夫であるドクさんに、私がこれまでしてきた仕事を託したいと考えておるんです……」
「お仕事というのは?」
「一言では言い難いのですが……しいていうならば、竜との関係について人間と交渉をすることでしょうか……」
「交渉……」
竜王は静かにうなずく。
「インドミナ王国がまだ赤子だった頃……この国は、他国からの侵略におびえる、いわゆる弱小国。竜に圧迫された小さな土地で畑を耕し、身を削って貢物を強国に送り、守ってもらう存在……。しかし、ある時代、一人の王が身を挺して、竜の代表と契約を結んだのです………」
「オオクニ王ですか」
「さよう……。オオクニ王が結んだ契約は二つ……一つは、竜の領域に立入らず、他国からの侵略にも死守すること。もう一つは、月に一度、人間の頭を竜に見せること……。その見返りはもうご存知でしょう。御主人が就いていた仕事――竜騎士として、若い竜を戦いに協力させるということです……」
「頭を見せる?」
「竜は、生物として異質でしてな……。彼等は私達ではとうてい触れることのできないモノへ、直接干渉することができる……。記憶……知識……そしてエネルギー……」
「でも、人の頭を見てどうするのですか?」
「人もまた異質な存在でしてな……爪や、毒を持たなくても、発明という武器を持っている……」
「なるほど。それで知識を……」
「この竜の里も、人間から頂いた知識で、大きく変わりました……。我々は共闘関係にあるのです。しかし、人間の欲は深い……」
「それで、交渉役として人間の協力者が必要だったんですね」
「ええ、そのとおりです。しかし、その制度を利用しようとする動きがありました……。その勢力が、今回、ドクさんとあなたを危険にさらした。彼等は、自分達の息がかかった者を竜王にしようとしていたのです……」
「そんな……」
「竜王は、竜の歴史の本質に触れた者、触れようとした者にしかつとまりません……。竜側の立場にいる必要があるからです……。今回の襲撃は、ドクさんが『純粋な疑問』から歴史の真実へと目を向けた事が原因です。彼等にしてみれば、自然に竜王の資質を得ようとするドクさんが邪魔者でしかなかった……」
「ひどい」
だが、竜王は微笑んでいた。
「……時に人は残酷な判断をします。しかし、それは竜も一緒……。人は弱く、まとまるから、皆を生かすために個を犠牲にしてしまう事がある……。権力への志向も、結局は生物としての本能に過ぎない……。どちらがどうというのではなく、どちらもそれぞれに問題があるのです……」
リンダは頷いた。
竜王は満足そうに眼を再び閉じた。振るえる手が、空に伸びる。
「我、竜王ヒロタ。これより竜騎士ドクへ竜王の継承を行う――」
手を握るドク。
流れ出してきたのは、知識でも、エネルギーでもなく、ただの気持ちだった。双方を思う気持ち。
「竜王は継承された。そして、王立図書館司書長としての立場もここで譲る……。インドミナ王へ、戴冠の完了をしらせよ……」
そういって、ヒロタ翁は二人に向かってウィンクをした。
相変わらず、最もウィンクの似合う老人であった。
二人の日常は変化を遂げた。
おだやかな日々を中心にして……。




