呼んでない
閑静な住宅街とは程遠いドクの家。
ルーティーンワークを終えたばかりリンダが、ソファに体を沈めながらボンヤリと折込広告を眺めていた。
「ごめんください――」
控えめなノックと共に、丁寧な口調が空気を揺らす。意識を失いかけていたリンダは、ハッと体を起こして玄関へ向かう。
覗き窓から見ると、聡明そうな女性と若い男性が立っていた。本人達が「竜騎士団の者です」と名乗らなければ、飛び込みの営業かと勘違いしてしまいそうだ。
ちなみに女性の方がキマリ、男性の方がケンゾウというらしい。
「旦那さんが、本日の午後、突然いなくなりました。普段の勤務態度から、脱走ではないと考えてはいますが、何らかの事故に巻き込まれた可能性もあります。よろしければ、お話をお聞かせいただけますか?」
口を開いたのは、手前にいた女性キマリ。
年齢はリンダよりも少し上だろうか。眉間に寄せた皺が、緊張と後悔を表している。ケンゾウの方は、無表情ながら、痛いほど緊張してしているのがヒシヒシと伝わってきた。
「!?」
リンダは、思わず口を押える。しかし、ぐっと踏ん張って、気丈にふるまう。「どうぞ、散らかっていますが」と二人を中へ誘導した。
「お邪魔します」
二人は身を屈めて、申し訳なさそうに壁端へ立った。
「座ってお待ちください、今、お茶をいれますから」
「どうぞ、おかまいなく――」
「いえ、私も、少し気持ちを落ち着かせてから聞きたいので……」
「ああ、それはそうですよね。気付かず、失礼しました」
「とんでもない。どうぞ、座っててください」
主に話しをするのはキマリの方だ。ケンゾウはきょろきょろと落ち着きがない。
「お待たせしました。うちの庭で採れたものですので、口に合うかどうか……」
「いえ、そんなことは……」
目の前で注がれたハーブ茶は珍しい香りがした。
「珍しい香りですね。でも、いい香り」
「いくつかの香草をブレンドしているんです。調合にはちょっと工夫が必要なんですよ?」
「奥様、ご自身で?」
「趣味みたいなものです」
リンダは出来るだけ、自然に笑えるように心掛けた。内心は、すぐにでも夫のとこへ駆けていきたい。探し出して、無事を確認したい……。
しかし、今は少しでも情報が必要だった。目を伏せ、キマリに話をするように促す。
「まず最初に断っておかなければならないのは、私達は情報をあまり持っていないという事です。私達は竜騎士団の中でも戦後復興や、内部調査をたずさわる部署で、比較的、内部情報に明るいのですが、この件については、予想すら立っていない状況です」
リンダの目には涙が浮かぶ。不安で押しつぶされそうになる。
「現在、もっぱら捜査中ではありますが、一件、気になる点があります。それは、前回の戦闘において、旦那さん――これからはドク副隊長と呼ばせていただきます――が、ファルクムアグリコラの毒を、人の身で使用した可能性がある事です」
「それが何か、いけないことなのでしょうか」
「いえ、それ自体に問題はありません。ただし、ファルクムアグリコラの毒というのは、そうそう竜から提供してもらえるものではありません。もし、旦那さんが、竜から提供してもらえる方法を知っていたとしたら、それは狙われる理由になりえるでしょう」
「意味がよく分からないのですが……」
「そうですね、お恥ずかしい話ですが、竜騎士団も一枚岩ではないという事です。もし、ファルクムアグリコラの毒を自由に利用する術を手に入れたとしたら、そのグループは騎士団において、有力な地位を得ることができるでしょう。強力で、かつ、比較的安全に使用できる毒というのは、暗殺においても有効なカードになりえます。もしかしたら、ドク副隊長も、それを危惧して自身の胸の中だけに留めておいたのかもしれません」
「そんな……」
「考えたくはありません。しかし、組織というのは、時にそういった化物を生み出す事があるのです」
リンダは思わず席を立って、台所へと向かった。先ほどから湯気を上げている鍋の中に、香草を一つまみ加える……。
「夫は……夫は、帰ってくるんでしょうか……」
立ち上がるキマリ。
リンダのすぐそばに立つ。
「できる限りの事はします。ですから、情報をください。何でもいいんです。懇意にしていた友人や、調べていた文献、部屋に残っていた旦那さんのノートでもいい。私達は、今、藁にもすがる思いでここへ足を運んでいるんで……す?」
膝をつくキマリ。
どうやら、視界が急激に歪んでいるらしい。
「大丈夫ですか?」
リンダがおろおろと駆け寄る。
「ええ……ちょっと、眩暈が……ケンゾウ、ちょっと手を貸して……」
部下の男に手を貸してもらおうとしたキマリだったが、みると机につっぷしている。
「ケンゾウ……?」
振り返るキマリ。
心配そうに見下ろす、慎ましやかな女性。
しかし、瞳の奥に潜む嘘に気が付く。流石は公安部といったところか。
「きさま……」
気が付いた事に気が付いたリンダ。そこで初めて、口元に笑みを浮かべる。残忍な顔に見えたのは、怒っているからだろう。
「魔女は潜むのよ。でも、山の中にじゃない。葉を隠すなら、ね?」
キマリは懐から短剣を取り出した。しかし、歪んだ視界の所為で、正対することすらできない。
「……こん……な……まさか……」
「残念ね」
「……だが……この家は……包囲……」
「それは大丈夫。安心して」
リンダが指さした方向――窓が全開だ。
「蒸気を家の周りに留める様にするのは大変でした。ここを離れるとはいえ、ご近所に迷惑はかけれないでしょう?」
「蒸気?飲み物じゃあないのか……」
「だって、あなた達、警戒してたじゃない」
「知っていたのか……」
飲んでいなかったのだ。
そして、それが、リンダに行動を起こさせるきっかけになった。
「クソ……逃げれ……ないぞ……」
「それも――」
リンダが言い終わらない内に、扉がぶち破かれた。
窮屈そうに顔をのぞかせたのはシルバ。
ドクは呼ばなかった。
ドクは向かわせたのだ――。




