王立図書館
インドミナ王立図書館は、王国設立当時から存在する施設で、古書のラインナップは専門家を唸らせるほどの規模だ。しかし、市民の利用者は少なく、平日の昼間となると、どこか閑散としている。
ドクはいつもどおり、仕切りのある長テーブルの一角を陣取り、本を幾つも広げていた。ちなみに、本の題名は「古代文明・竜との対話」「アラビアナ半島に偏る竜族の謎」「未検証のまま封印された技術~文明に残された痕跡~」そして、「ウィスキーの古今東西」である……。
「今日も研究ですかな?竜騎士どの」
静寂の支配する図書館で、司書長のヒロタが声をかけて来た。白く長い髭が印象的な翁である。
ドクは顔を上げた。
「ああ、ヒロタさん。またお邪魔しています」
「ここは公共の場、遠慮は無用ですぞ」
図書館での会話は、独特の音量が必要だ。ワザとらしく声を落とすと、余計に耳障りになる。
「確か、竜と人類との関係をお調べになっておりましたな?」
「ええ。ただ、一兵士がこんなものを研究して、何になるんだって話なんですけどね」
ヒロタ翁は首を振る。
「そんな事はありません。知識というのは、槍にも盾にもなりますれば、兵士にとって何よりも必要なものでしょう」
「だといいですが………」
ドクは照れくさくて、頬をかく。必要だと思って始めた事だが、まだ答えも、成果も出ていない。
「悲しいかな、努力というものは必ずしも報われるものではありません。ですが、本人がまったく意図しない形で、その成果が出たりするのです。今は、ただ、迷わずに続けられた方がよろしいでしょう」
「そんなものでしょうか」
「ええ、そんなものです。そうですな……どれ、良ければ今まで調べた内容を、このジジイにお話いただけませんかな」
「はい?今からですか?なんの準備もしていませんよ!!」
急な展開に、思わずドクも腰が引ける。
「準備など。あなたの頭にあるものを、ただ、この年寄に放り投げるだけで結構ですから」
「いやあ、ウチの部下ならいざしらず、よりによってヒロタさんに講釈するなんて……」
「何を仰る。竜を駆る人から、直接、竜について語られる機会など、そうそうある事ではありません。どうか、年寄の道楽に付き合うつもりで、お願いできないですかな」
ここまで言われて断わるわけにはいかない。ドクとヒロタは連れ立って、テラスへと向かった。
まだ、凶暴さをむき出しにしていない太陽。青々とした芝生。張り出した大きな木。オアシスの様な日陰に、椅子が並んでいる。
「さてと……」
ヒロタ翁は、ゆったりと動作で、腰を下ろした。
「この季節の、この時間は、この中庭が最高でしてな。何より、他の職員に見られないのがいい」
思わず、苦笑するドク。
持ち出し禁止の書籍が並んでいるのは、ヒロタの特権というより愛嬌によるところが大きい。
「本当にやるんですか?私の意見なんて、誰かの意見を組み合わせた、ただのツギハギですよ」
「ツギハギでない理論などありません。さあ、どうぞどうぞ」
柔らかい物腰ながら、なかなかに強引である。
ドクは溜息を一つつき、ノートを広げた……。
「私が疑問を持ったキッカケというのが、竜の飼育方法についてでした。竜は、高い次元で人間と意思疎通ができる生物ですが、調教というものを一切しません。群れの中から、比較的おとなしい満3歳になる個体を、人間が譲り受け、広大な敷地で自由に暮らしてもらう。5歳になる頃、生涯のパートナーとなる人間との面会。竜側が許容すれば、晴れて一人と一匹は竜騎士になる……」
「ふむふむふむ」
「だから、馬と違い、竜には調教師がいません。訓練せずとも、彼等は全てを理解し、戦闘に参加する。その乗り手の機微を察する力は、恐怖すら覚えるほどです。まるで、心の中を覗かれているような……」
「それを人々は『竜の知恵』と呼んできたのですな」
ドクは頷いた。
「竜と接していると、よく分かります。彼等の知能は、人間のそれと比較しても、決して引けをとらない。それどころか、超然と人間の世界を俯瞰しているのではないかと、思う時があります。アホな話かもしれませんが、竜と人との関係が、今、私達が思っているものとは違うかもしれないのです」
ヒロタの目が輝く。目が先を促している。
聞き手として、最高の存在であると、ドクは感じた。今まで、腹の中から上手くでてこなかった言葉が、流れるように出てくる。
「人間は、本当に竜の生息域を奪ったのでしょうか?我らが祖たるオオクニ王は、本当に竜を征服し、その協力を取り付けたのでしょうか?当時に比べて、より鋭くなった人間の武器でも、竜を傷付ける事は難しい。それなのに人は、生存競争で勝ったと?」
「オオクニ王の勲」は、この国に生きるものなら、一度は耳にしたことがある――。
「子守歌がわりに聞かされてきた『オオクニ王の勲』ですが、どうも(というより、やっぱり)、歴史的真実とは違うようです。かといって、反証できる証拠もない。調べると、私と同じように疑問をもった人が多々いたようですが、どの学説も、私の知っている竜の実態とは違う気がするんです……」
ドクはその根拠を、文献から、はたまた、ノートから引用し、伝えた。
ヒロタ翁は、それを黙って――しかし、興味深げに聞いた。「良い教師は、良く聞く教師である」というのは、この国の言葉だ。
蓄積した情報を全て吐き出した時、ドクの頭の中は、クリアに整理されていた。
「よく研究されておりますな、竜騎士殿。あなたは自身の理論をツギハギと申されたが、なんのなんの、それだけ独自の考察をしておれば、もう立派な学説です。いやいや、お見それした」
「……自分でもびっくりです。ヒロタさんにお話しすることで、頭の中にかかっていた霧が晴れたようです」
「それは良かった。また、研究が進んだら、お話くだされ。この翁、時間だけは腐らすほど余っておりますので」
ウィンクをするヒロタ。
ドクは、ヒロタ翁は世界で一番ウィンクの似合う老人だと思った。