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引き波

 先頭を行くのはドク。


 鬱蒼とした森が、木が、草が、後方へすっ飛んでいく。

 新しい情報は何も入ってきていないので、こうなると作戦もクソもない。「現場合わせ」の「出たとこ勝負」――反射的思考の扉を開けて、恐怖心という安全ブレーキを取っ払う。


「ドクさん、突っ込み過ぎです!!」


 サイゾウが後方から声をかける。ドクはそれに小さく手をあげて答えた。でも、速度は変えない。正直なところ、ドクは単独でこの暗殺を断行しようとしていた。

 毒の使用を許可したのはシルバだけだし、なにより、人数が(多少)多くても状況は好転しない。捨て駒の様に部下を使えばソレも可能だろうが、そういう決断をドクはすることができない。


 ――せめて、分かり易い恰好をしていてくれよ……。


 ターゲットの識別――それだけが心配。

 ファルクムアグリコラ種の最高速度は、全地上生物のうちでトップクラス。人間を背に乗せて運べる生物の中では、最も速い。しかも、皮膚が金属の様に硬く、羽毛のクッションもあるため、刃物は容易に刺さらないから、トップスピードのシルバに障害はないと言っていい。

 問題は、索敵が上手くいかなかった場合だ。

 方向転換によって、スピードが落ちれば、たちまち引きずり倒されるだろう。なるべく遠い位置から目標を決めて、一気に、そこへ突っ込まなければならない。


 ――爪が()()()さえすれば……。


 ドクは祈るように、前傾姿勢になった。

 足元から響く、リズミカルな足音が、死地へと誘うドラムロールに聞こえる。シルバの呼吸は、荒く、深いが、乱れてはいない。

 気負い過ぎていない、いい状態ではある。


 どこかで、小さく鬨の声が響いた。

 戦場が近い。

 

 ドクはそろそろと右手で槍を構え、左手で腰の刀をまさぐる。ひんやりと硬い金属の温度が返ってきて、気持ちを陰鬱な高揚へと引き込んだ。

 しかし、今回の主役はドクではなく、シルバだ。ドクの仕事は目標を彼女へ的確に伝えること。速度を落とすことなく走り抜ければ、死神の爪は間違いなく、目標を掴むだろう。


「シルバ、左に迂回しよう。たぶん、敵は第一部隊を責めているはずだ」


 ドクは、疾走するシルバに方角の修正をかけた。

 隊のメンバーも後に続く。


 鬱蒼とした木々の間から差し込む太陽光が、太く、大きくなっていく。街道が近い証拠。隊員達も、その気配を感じてか、ぎゅっと、隊形を固め始めた。



 そして、木々が途切れる。

 一気に声が大きくなった。


 ドク達は今、街道の一段上、マヤヅル方面へ並走する形で進んでいる。横目で見ると、乱戦なのが見て取れた。騎士達は竜から降りて、小さな円陣を組みつつ応戦している。盗賊達は、暴れ回る竜の間をぬって、果敢にその円陣へ挑んでいた。

 なるほど、ここへ一部隊として参戦しても意味はないだろう。大きな流れに飲み込まれるだけだ。


「シルバ!この先、上だ!!」


 ドクが方向を示す。

 根拠は計算とか、そんな上等なものじゃない。ただ、盗賊達の広がり方を見て、そっちの方向にいるだろうなと思っただけだ。

 しかし、シルバの足に迷いはなかった。

 これも、信頼とか、経験とか、そういう分かり易い類のものじゃない――。





 そして、少し高台の岩場。

 盗賊団の頭目が、戦況を見守っていた。

 小柄な男で、体躯も細く、一見すると農夫の様にも見える。

 しかし、眼孔だけが異様に鋭い。張り出した額と、鬱蒼とした眉毛の奥で、猛禽類のソレが怪しい光を発している。

 一種、特別な緊張感が周囲にあって、誰一人声を発していない。この乱戦の中で、ここだけが冷静さを保っている。頭目の口調も、落ち着いたものだ。

「そろそろ、足止め用の障害物が取り除かれるな……」

「計画通りといったところでしょうか」

 答えたのは、参謀兼ボディーガードだ。こちらは戦闘職種らしい体躯をしている。

「うむ。しかし、竜を捨てるとは思わなかった。おそらくモリアの判断なのだろうが、なかなか奇策を思いつく……」

「だが、一時しのぎである事は否めませんね」

「それでも、戦場で一時をしのいだことは大きい。気を抜くなよ」

「「はい」」

 周囲に侍る十数人の護衛が、必要最低限度の音量で返事をする。やはり、練度が高い。


 だが、こんなにがっちりと組織された盗賊団でも、穴があった。

 それは、背後である。


 王国の虎の子――竜騎士隊が乗り込んでくる事を知った盗賊達は、張り巡らされたネットワークを使い、完全に敵の動きを把握してきた。事実、竜騎士隊は罠にまんまとハマり、悲惨な結末を迎えようとしている。

 出来過ぎだ。だからこそ、生まれてしまった穴。

 完全に戦場を掌握し、罠にもガッチリはめて、「後は力勝負!」という状況下で、背後の心配をする人間はいない。

 そもそも王国側も、作戦竜騎士隊にそんな効果を期待していないのだ。敵側が分かるはずもない。



 戦場にいる全ての人間の意表をついて、ドク達は、文字通り目標の背後に飛び出した。数名が反応して、槍等を投げて来るが、当たらない。トップスピードを維持したまま、シルバはそれらをかいくぐる。


 ――リーダーはどこだ!!


 ドクとシルバは、やや円を描くような動きで索敵を行う。どうやら、護衛は付けていたものの、陣形までは整えていなかったらしい。一瞬、「陣形を組んでいない方が分かり難い」と焦ったドクだったが、護衛の中央ほどの所に、不敵に笑う小兵がいた。

 間違いない。

 ()()()()()()()と感覚的に分かる。


(かしら)を守れ!!」


 誰かの声があったが、ここにきて盗賊団の弱点が露呈してしまう。

 基本的に利害関係だけでつながっている連中なので「身を挺して」まで、ボスを守ろうとする人間は少なかったのだ。


「どけ!!」


 ドクの槍が、いいかげんな軌道で振り回されると、信じられない事に、頭目までの道が開いてしまった。労せず標的と正対したドク。頭目は武器も持たず、傲然とした態度で仁王立ちする。


 シルバの速度が、更に上がる。

 ドクは振り回した槍を上段に構えて、必殺の気合を込めた。

 

 不敵に笑う頭目に、飛びかかる一体の竜騎士。

 突き出される槍を体をねじって躱す頭目だったが、左大腿部へシルバの爪が突き刺さった。

 深くない。

 しかし、血液の中に毒が入り込むには十分な深さ。わずか数秒の接触だったが、多くの人間の運命を変えてしまった瞬間だった……。

 




 頭目が痛みに顔をしかめ、それでも気丈に顔を上げた時、急襲した竜騎士の部隊はすでに森へ吸い込まれていくところだった。

 小さく、舌打ちする頭目。

 この状況判断に優れた男は、即座に自らの体に刻まれた傷が何を意味するのかを理解する。


 ――ちくしょうめが……。


 直後、凍えるような寒さが頭目を襲い、手足の感覚が奪われていく。膝が折れる。痛みは無いが、体から何かが抜けていく気がする。吐く息は白くなり、肌は氷のように青白い。


 ――心臓に達する氷……よく言ったものだ……。


 極寒の湖に沈んでいくような錯覚に襲われながら、激動の人生を生きた男は天を仰ぐ。日光は分厚い水に阻まれて、遠く、か細い……。

 

 







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