休日の朝
年一回の集中訓練の後は、連休になる。
ドクは昨日の疲労もあって、日が昇って大分たってから目を覚ました。隣を見ると、もうベッドは空になっている。リンダはもう、家事を始めているのだろう。
兵のどもが夢の跡――。
乱れたシーツから、のそのそと這い出す。
ちなみに、寝室のベッドは二つある。もともと、一つだったのだが、どうもドクは朝方に隣人の体をまさぐるという悪癖があるらしく、リンダが睡眠を妨げると主張し、別々になったのだ。
下着一枚でクローゼットの前に立つと、一番目立つ場所に、目新しい部屋着が掛かっている。リンダが、ドクの不在中に買っておいた物だ。しかし――青く染めた麻の生地でできていて、一見悪くない品なのだが、着てみるとどことなく田舎のおっさん臭い。そのくせ、襟元は「変にこじゃれた感じ」になっているから、タチが悪い。というかイラつく。
この恰好で人に会うのは勇気がいるが、部屋着なら問題ないだろうと、ドクは妥協点を見出す。まあ、こんな所も彼女らしい愛嬌の一つだと、諦めがついているのだ。
「おはよう」
小さな――しかし、よく陽の当たるリビングダイニングへドクが顔を出す。案の定、リンダはすでに朝食を作り始めていた。
「おはよう、よく眠れた?」
「おかげ様でぐっすり」
「私も、誰かさんのおかげでぐっすり。寝坊しちゃったから、朝ごはんはちょっと待っててね」
「はいよ。手伝う事あったら言ってくれい」
意味深な会話を行いつつ、夫婦はいつもどおりのポジションに立つ。ドクはダイニングテーブルで本を広げ、リンダはキッチンで腕をふるうのだ。
実は、ドクが訓練でいない間、リンダの食生活は乱れきっていたのだが、今日はとても楽しそうにフライパンをふるっている。相手がいるからこその料理なのだろう。
「おまちどうさま~」
出て来た料理は、ちょっと朝ごはんには重たそうなラインナップ。
「お、おおお、これは……」
「作り過ぎました。でも、残さず食べて」
にっこり笑うリンダ。ドクの口角が引きつる。
「完食はきついかもしれんぞ?」
「私の事が嫌いになったのね!!」
「わざとらしい演技はやめなさい」
ドクは、焼きたてのパンに手を伸ばしながら、平常運転の妻に安心感を覚える。
「それ、イイでしょう?安かったんだよ」
リンダがドクの部屋着を指さす。どこか、誇らしげだ。
「この、ポパイベーコン、美味しいな」
「最後の一着だったんだけど、がんばってゲット。なんと半額!!」
「こういうシンプルな料理で、腕の差がでるんだよ」
「これからの季節、やっぱり麻は最強ですよ」
「やっぱり、リンダさんの料理は最高だ~」
「…………」
「…………」
ジロリとドクを睨むリンダ。どうやら、夫の反応が気に食わないらしい。
「気にいらないと?」
しかし、ドクも引いたりはしない。夫婦生活、一度の譲歩が取り返しのつかない事態へと発展することもあるのだ。
「部屋着としては、大丈夫だ」
「ひどい。せっかく、買ってきたのに」
「好みは人それぞれ。失礼でない限りは、主張するべきだと思う」
「理屈っぽい」
「不条理よりましだよ」
「もうアッタマきた!今日の昼ご飯は自分で作って!」
「いやいやいや、ちょっと、待ってくれ。落ち着いて、今の俺の姿を見て欲しい。そんでもって、質問に答えてくれ」
「イヤ」
咳払いを軽くしてから、ドクが質問をする。
「リンダさん、想像してください。恋人同士のロマンチックな夜――あなたの隣にいる男性が、この服を着ていたら……。このもっさりしたフォルムのクセに、襟元がオシャレな感じになっているこの服で、ぐいぐい甘い言葉を吐いてこられたら!!」
「くッ…………」
「そんでもって、中途半端に見えているスネ毛がフワフワ漂い、でも、顔だけはキメキメで……」
「すいませんでした。私が安さに引かれて暴走しました」
「分かってくれればいい。気持ちは感謝してる」
「でも、もったいないから着てね。あのボロボロのシャツよりはマシでしょう?」
「あれは着心地が最高なんだよ~」
「あんな服を夫に着させていたら、妻の神経が疑われます!」
ドクは「この服を着ていても神経を疑われるぞ」と言いたかったが、堪えた。引くべき時は引くのが、夫婦生活のコツなのだ。
おかげで、今日も平和である。
「今日は、図書館に行くんでしょう?」
リンダが豚の香草焼きを取り分けながら尋ねた。いやいや、もう食べれないと、ドクが手で制す。
「え?買い出しに付き合わなくていいの?」
「必要なものは切らしてないし、せっかくの休みなら自分の為に使いたいかな~って」
「そうか……今日は買い出しに付き合うつもりだったけど、そう言ってくれるなら出てくるよ」
王立図書館での調べものは、ドクのライフワークになっている。
「お弁当、作る?」
「いや、そこまでさせるのは悪い」
「朝の残りを詰めるだけだよ」
「う~ん、それなら……頼もうかな」
「かしこまりました。夕飯までには帰るよね?」
「そんなに長く勉強してられないよ。昼過ぎには帰るかもしれない」
正直、休みの日の調べ物は長く続かない。途中、ぜんぜん関係ない本に時間を奪われる事も珍しくないのだ。
「じゃあ、帰って来てから、一緒に行ってもらいたいところがあるんだけど」
「はいよ、分かった。何時までに帰ればいい?」
「時間は気にしないで。夕方で大丈夫だから」
「分かった。じゃあ、今日は自由にさせてもうらうよ」
ドクは残ったスープをたらい上げて、朝ごはんを終えた。
食事が美味しいだけで、人生は幸福だと言ったのは誰だったか――。とにかく、ドクは幸福に満たされながら、窓の外を眺めた。
柔らかな日差しが差し込む、休日の朝である。