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傭兵と小説家  作者: 南海 遊
Part 2. The Doll Across The Horizon.
76/83

〈二十五〉人形図書館のイヴ

 人形と一人の傭兵が激突する音が、地下室に響く——否、それは正確ではない。自動人形、シャトーモアの攻撃はすべて空を切っていた。炸裂しているのは、傭兵の振るう右手の剣と、刃の鎧を纏った左腕だけである。


 それはあまりに一方的な戦闘であった。傭兵が絶え間なく繰り出す斬撃によって、シャトーモアは腕を斬り落とされ、脚を捻り斬られ、その身体の破片を雨のように部屋中にばらまいている。もはやそれは、虐殺と呼んでもよかった。


 しかし、その傭兵——ソードに、もはや意識は無かった。瞳は従来の深い蒼から炎が燃えさかるような深紅に変わり、その口腔からは獣のような雄叫びが放たれている。そしていつの間にか、彼の頬のあたりにまで黒光りする刃の断片が見え始めていた。


 四肢を失ったシャトーモアを、やがて傭兵の禍々しい左腕が捉える。その豪腕が人形の頭部を鷲づかみにしたかと思うと、彼は寸部の躊躇いも無くそれを粉々に握り潰した。かつてアルノルンで、彼を圧倒的な強さで圧倒したシャトーモアは、その男に傷一つ付けることすら出来ずに完全に機能を停止した。


 バーダロンは呆然とその様子を見つめていた。


 ——いったい、何が起きているの?

 あれは、本当にソードなの?


 バーダロンの脳裏に、一人の獣の姿がよぎる。春先の事件で、あのイヴィルショウの山で遭遇した獣の少女、ペリノア。今のソードの左腕は、まるでその姿にそっくりだった。


 ソードの横顔が酷薄に歪んでいるのを見て、バーダロンは思わず身震いする。


「まさかあれも……『最愛の霊薬』の力だと言うの……?」


 一方、自動人形の主もまた、その一部始終を前に愕然としていた。その口が唖然とした言葉を漏らす。


「何だ、あの怪物は……」


 傭兵の左腕を覆う黒刃の鎧に、彼は見覚えがあった。人類の天敵、『牙持つ獣たち』が持つ、鋼鉄の三倍の硬度を持つという外殻、『攻殻』である。


 しかし、それを人間が持つという話など聞いたことも無い。何より、たとえそれを人間が持てたとしても、シリーズ最速の機体加速制御装置ハードウェア・アクセラレータを持つシャトーモアを、身体能力で凌ぐことなど有り得ない。


 その傭兵は、トーマス・レメルソンが初めて目にする——まさに怪物であった。


 だが、その科学者としての観察眼は、その戦闘時点からこれまでの数十秒間に起きた傭兵の変化を見逃していなかった。


 シャトーモアの頭部を握り潰す瞬間、その左腕の刃の欠片が一つだけ床に落ちたのを、レメルソンは確かに目撃した。そしてそれが、瞬きを数度挟む間に砂のように散り散りに消えていくのを。


 あの男は攻撃は一度も喰らっていない筈である。それなのに、身体の一部が欠損したということは、つまり——。レメルソンはそこで右手を小さく掲げた。すると、壁の穴から再び白い人形の大群が滑り降りてくる。


「攻略法は単純だな」 


 次の瞬間、夥しいほどの人形の大群が、ソードめがけて飛びかかった。しかし、ソードは四肢を床に着き、まるで地をのたうつかのように駆け回りながら、手当り次第に周囲の人形たちを破壊していく。


 左腕の攻殻と、右腕に辛うじて握られた剣が、まるで暴風のようにその空間を縦横無尽に斬り刻む。白い人形たちは乱切りにされていく野菜くずのように、その四肢や頭部を床に転がされていった。


 鋼鉄と鋼鉄がぶつかるけたたましい音が空間に響き、周囲に螺子と撥条の雨が降りしきる。しかし、その中にやがて、人形のものではない黒い破片も混じり始める。


「消耗戦だ、その名の通りのな」


 レメルソンは不敵に微笑み、両手の指を膝の上で合わせながら、その様子を興味深げにじっくりと観察し始める。


 その観察に集中しているが故に、彼は気づかなかった。

 その部屋の入り口に、一人の青年が姿を現したことを。


「……遅かったか」


 黒縁眼鏡の青年は、その部屋の惨状を見渡してそう呟いた。真っ先に目に止まったのは、夥しい血を流しながら床に倒れ伏す、イヴの姿である。彼女の顔からは生気が消え、その呼吸も今にも止まりそうなほどに弱っていた。


「ニコラス! 君、今までどこに……」


 ジョナサンが最初に青年の存在に気づいた。しかし、青年がその問いに答える前に、小説家が立ち上がっていた。彼女はおもむろにその胸ぐらを掴む。


「何とかしろ、ニコラス……っ!」


 瞳に涙を浮かべ、バーダロンは言う。そんな彼女を横からジョナサンが宥めた。


「バーダロン、もう出来ることなんて……」


 しかし、バーダロンは止まらない。必死に、まるで脅迫でもするかのように、ニックの身体を力任せに揺らす。


「私はすべて知っている! おまえなら、イヴを救えるだろう!」


 ニコラスは言葉を失った。

 驚愕の後に、しかし奇妙に納得している自分がいた。彼女ならば、確かにすべてを知っていてもおかしくはない、と。


「しかし、僕は……」


 ニコラスは顔を逸らし、俯く。

 俯いた視線の先に、血まみれのイヴの姿がある。既にニコラスの靴の先まで血だまりが広がっていた。もはや誰の手にも、彼女の命を救うことは難しいだろう。


 ……しかし。


 と、彼の頭脳の奥底では禁忌の箱が開こうとしていた。


 ニコラスは首を左右に振る。駄目だ、そんなことは出来ない。許される筈が無い。


 ——何よりも自分は、それを為し得る自分をまだ信頼できない。


 だが、バーダロンはそんな彼の弱気を奮い立たせるかのように、その両肩を力強く掴んだ。


「ニコラス・テラー、思い出せ」


 顔を上げた彼の目に映ったのは、涙に濡れた小説家の顔。

 そして、それでも尚真っ直ぐに彼を見据える、宝石のような瞳だった。


「——これは、かつておまえが失った物語だろう」


 思わず、自分の胸元に手を当てていた。かつてそこにあった、か細い鎖の先の真実を求めるかのように。


 ——そうか。

 すべて、彼女は読み解いているのか。

 この僕の物語すらも。


 ニコラスは、ようやく自分の脚が地に着いたような気がした。


「お願い、ニコラス」


 再び涙を零しながら懇願するバーダロンの手を、ニコラスは優しく取った。


「……分かった。約束は、出来ないけれど」

「駄目よ、約束して」

「フォレスター……」


 自信があるわけではない。確証があるわけでもない。しかしニコラスは、無言で小さく、だが確かに、首を縦に振った。


 ジョナサンが、イヴの身体を静かに抱え上げる。


「行こう、ニック。もう時間が無い」

「分かった。ナイツ士長、護衛してくれ」

「任せろ、バーダ、おまえも……」


 だが、バーダロンは彼女たちに背を向けた。


「いいえ、私はここに残る」

「バーダ、何を!」


 肩を掴むヴィリティスを振り返り、バーダロンは静かに答えた。


「ソードを止められるのは、きっと私だけよ」


 長い付き合いである。小説家のその表情を、女騎士はこれまでに何度も見てきた。故に、説得することが不可能であることも。女騎士は諦めて、その肩から手を離す。


「……頼む、死なないでくれ」

「ええ、わかってる」


 バーダロンは青年を振り返り、言い放つ。


「イヴを頼む。信じているぞ、ニコラス」

「ああ、わかったよ、フォレスター」


 そして、傭兵と小説家を残して、三人は部屋から走り去っていく。


 ジョナサンの腕に抱えられたイヴは、霞んでいく視界の中で辛うじてそれを捉える。

 無数の悪意と非道が襲いかかる中で、それに立ち向かう傭兵と、毅然と立ち尽くす小説家の後ろ姿を。


「お、姉……様……」


 伸ばそうとした手は、しかし何に触れることも無く、儚げに空を撫でた。


 ◇


「こっちだ!」


 部屋を飛び出した後、ニコラスが駆けだした方向に、ジョナサンとヴィリティスは思わず声を上げた。


「そっちは地下への階段だよ!」

「何をしている、早く病院へ連れて行かないと!」

「今からじゃ間に合わない」そう告げるニコラスの顔には、悲愴な決意が宿っていた。「イヴを救うには、この道しか無いんだ」

「貴様はいったい何をするつもりなんだ、ニコラス?」


 ヴィリティスの問いに、ニコラスは肩越しに振り返って答えた。


「フォレスターとの約束を守る。たとえそれが、人の道に反することだとしても」


 彼の目に、ジョンに抱きかかえられたイヴの姿が映る。か細い呼吸が、今にも消えかけていた。ニコラスは苦渋に目を細める。


「……フォレスターは気づいていたんだ。『未来王の手記』を、誰がこの世界にもたらしたのかを」走りながら、ニコラスは語る。「彼女だけが、この事件の始まりを見抜いていた」


「始まりって、まさそれが」とジョナサンは問う。「ニック、君だというのかい?」


「ああ、どうやら僕は歴史改変者というものであるらしい」


 自嘲するように、ニコラスは口の端を歪める。その告白に、ジョナサンもヴィリティスも、驚愕してしまった。


「記憶は殆ど無いけどね。ずっと自分自身に違和感があったんだ。ずっと、何かを忘れているような奇妙な感覚が。列車の中でフォレスターから歴史線と改変者の話を聞いたときに、ようやく腑に落ちた。正確に自分自身をカテゴライズできた」


「自分自身の正体が分かっていなかったのか?」


 ヴィリティスの問いに、ニコラスは曖昧に首を振った。


「分からなかった。でも、僕がテラー夫妻に拾われていたときに持っていた宝石が、『本当の僕』に関係するものだとは昔から気づいていた。だから、ジョナサンに頼んで探してもらったりもしていたんだ。あの、EDISON’S RECORDと刻印された宝石をね」


「エジソンズ・レコード?」ジョンが目を見開く。「それじゃまさか、ロンド・ヴェルファスでオークション会場から『未来王の手記エジソンズレコード』を盗み出したのは……」


「僕だ」

「でも、どうやってあんな厳重な警備を……?」


「幼い頃、『エジソンズレコード』が僕に叡智を与えてくれていた。技術体系を、たった一つだけね」


 女騎士は数瞬後にそれに思い当たる。


「そうか、ハヴァンディア様のような……」


「人間の意志の介入によって物理世界に現象を引き起こす、未来の技術だ。僕らの世界では『意式』とか『クオリアル・フォーミュラ』と呼ばれていた。僕の身体はそのうちの一つだけを辛うじて記憶していた。光の屈折を強引にねじ曲げて、自らの姿を周囲から隠す光学式迷彩技法を」


 ヴィリティスは思い出す。それはかつて、聖女ハヴァンディアが自身の開発した四輪式車両を隠す為に使っていた技術だ。


「以前からレメルソン博士のことは疑っていた。ただ、半信半疑だった。偶然、名前が一緒だっただけかもしれないって。実際、オークション会場で『未来王の手記エジソンズレコード』を見つけたときは落胆もあったけれど、納得もあった」


「だからアルノルンでシャトーモアの話を聞いてから」ヴィリティスが言う。「一人で此処に向かったのか」

 ニコラスは頷く。


「居ても立っても居られなかった。ましてや、それが原因で今回のイヴを巻き込んでいるのだとしたら、と思うと……」


 息を切らしながら、三人は階段を駆け下りる。やがて階段は最下層に辿り着き、長い回廊へと行き当たった。三人は全速力で、その直線を駆け抜ける。


「かつての僕はこの世界にやってくる前に、自分自身の記憶を『エジソンズレコード』に保管した。歴史線逆行の際に起こりえる記憶の喪失を防ぐ為だ。本来は転移した時点で、自動的にバックアップが作動する筈だった。しかし、それは時流の影響か、うまく機能しなかった。おまけに、僕はその記録媒体から自分の記憶を取り出すためのパスワードも忘れてしまっていた」


 三人はやがて、大きな鉄の扉の前に辿り着く。ニコラスはそれを両手で押し開いた。


「——だが、僕はもう思い出した」


 その先に広がっていたのは、奇妙な空間だった。回廊の延長のような細長い部屋である。天井も壁も純白一色であるのに、床だけがまるで血の色のように深い紅をたたえている。いくつかの椅子が並び、その上には同じ数の白い人形がオブジェのように座っている。


 その部屋の最奥に、その寝台はあった。


 そして彼女は、そこに腰掛けて待っていた。


「——作業の再開をお待ちしていました。ニコラス・テラー」


 ジョナサンとヴィリティスは言葉を呑み込む。そこにいたのは、イヴと瓜二つの少女だった。しかし、それが人間の少女でないことは、一見して二人にも理解できていた。


 彼女の胸部の皮膚が剥がされ、機械の内蔵が向きだしになっていたからだ。そしてその中央には、紅く明滅する美しい宝石が埋め込まれている。


 唖然とする二人に、ニコラスは紹介する。


「彼女はノーラドール、レメルソン博士の娘の人格を保管した自動人形だ。『エジソンズ・レコード』は彼女のコアとして使われている」


「ニコラス・テラー、迅速な私の破壊を切望します。お父様に気づかれる前に」


 ノーラドールは抑揚を欠いた顔でそう言った。


「分かっている。ジョナサン、イヴを寝台へ」


 イヴはまだ辛うじて息はあるものの、その既に身体は冷たくなりかけている。自動人形はそんな寝台の上の彼女の姿をじっと見つめた。


「その少女が——お父様の言っていた候補者セミ・オリジナル、ですか」

「ああ、そうだ」


「そう、ですか」と、彼女はそっとその機械の腕を伸ばし、イヴの頬に触れた。「かわいそうに……」


 その言葉は機械的な響きだったが、ニコラスにはそこに確かに感情が込められているのが分かった。彼はそのノーラドールを、イヴの隣に横たわらせる。そして、その硝子玉の瞳を覗き込んだ。


「ノーラ、君との約束は守る。だから、君の力を貸してくれ」


 ノーラドールはじっとニコラスの瞳を見つめてから、一度、すぐ真横のイヴに視線を移した。そして、すべて受け入れるような静かな声で、言った。


「それは、私の願望でもあるようです」


 ニコラスは頷き、今度はその隣で、息も絶え絶えに喘ぐイヴの頬に手を触れた。


 ——これは結局、自分に端を発する悲劇だ。もし自分が、あのエジソンズ・レコードを奪われたりしなければ、こんなことにはならなかった筈なのだ。


 そして視線をノーラドールの心臓、紅に輝く宝石に向ける。


「……僕の外部記憶はこのストレージの深奥、パスワードでロックされた隠しパーティションにある」確認するように言った後で、慚愧に顔を歪める。「もし僕が四年前、いや、この世界に転移してすぐにパスワードを思い出していれば、こんなことにはならなかった」


 しかし、ヴィリティスは冷徹に言い放つ。


「後悔は後だ。バーダと約束しただろう」

「ああ、分かっているよ」


 そう、彼にも分かってはいる。

 しかし、このニコラス・テラーの本当の記憶というものが、果たして彼にどのような影響を与えるのかは分からない。その人物がどのような人格だったのか、今の彼にはまったく思い出せないのだ。それが、今のニコラスを躊躇させた。


 果たして彼は、この地獄からこの少女を救う救世主となるのか、それとも世界を滅ぼす悪魔となるのか——。


 ——信じているぞ、ニコラス。


 不意に、そんなバーダロンの言葉が脳裏を過ぎった。計らずも、彼の口元に笑みが浮かぶ。

 まったく、彼女は何を根拠にそんなことを言えるんだろう。僕自身ですらこれほど恐ろしいというのに。或いは、それが科学者である自分と、小説家である彼女の明確な違いなのかもしれない。


 ——彼女はきっと信じているのだ。

 化学や論理をも超えた、大団円を。


 ならば、自分も信じよう。

 あの小説家が思い描く、ここから先の物語を。


 ニコラスは懐から小さなドライバーを取り出し、ノーラドールの心臓部の解体作業に入る。螺子を外し、強化硝子のカバーを外す。接続されたいくつかの管を引き抜くと、まるで血のようにオイルが噴き出した。ノーラドールの身体がびくんと震え、周囲に濃密な機械油の香りが満ちる。


「部品が足りなくなる可能性がある」額の汗を拭きながら、ニコラスは二人に指示を出す。「そこの椅子に転がってる人形を持ってきてくれ。そいつらを使い回す」


 ジョナサンとヴィリティスは、言われるがままに走った。


 やがて、ノーラドールの胸部に、その紅い宝石——エジソンズ・レコードが露わになった。


 呼吸を一つ挟んでから、ニコラスは意を決し、その宝石に手を伸ばす。


 指先が触れた瞬間、思考に懐かしい電流が走ったような気がした。頭の中の霧が晴れ、論理の筋道がクリアになっていくような感覚。


 そうだ、幼い頃はこうだった。この宝珠が、自分の思考を補助してくれていたんだ。


 ニコラスは深呼吸を挟み、そのパスワードを思い描く。

 無意識のうちに、その言葉を口にしながら。


「——『そしてもちろん、僕はピートの肩を持つ《You know,I think he is right.》』」


 それが、かつての自分が愛した小説の一節であることを、彼は数瞬の後に知ることになる。

 次の瞬間、まるで堰を切ったかのような怒濤の記憶の奔流が、ニコラス・テラーの脳髄を呑み込んだ。



 ◇


 その広大な地下室では、破壊と消耗が続いていた。傭兵——ソードは、刃の左腕を振るいながら、襲い来る人形たちの身体を破壊し続けている。


 バーダロンは歯噛みしながら、その様子を見つめ続けることしか出来ない。

 変わり果てたソードを前にして彼女が抱いたのは、恐怖よりも悲しみだった。


「もういい、やめろ、ソード……!」


 思わず、バーダはそう呟いていた。彼女の目には、ソードが傷つき苦しんでいるようにしか見えなかった。その左腕を覆う攻殻の鎧は、少しずつ剥がれ落ちている。それに合わせるようにして、ソードの動きが最初の俊敏さを欠き始めた。その横顔は獰猛に牙を剥き出しつつも、蒼白になりつつある。


 ——それはまるで、命をすべて燃やし尽くそうとしているかのようだった。


「ソード、もうやめて!」


 思わず、バーダロンは駆け出していた。理知的な行為では無いと理解していた。しかし、バーダの脳裏には、砂となって消えていくあの日のペリノアの姿が蘇っていた。


 ——これ以上、ソードがあの状態でいるのは危険だ。


 翻るソードの前に、バーダロンは両手を広げて立ちはだかる。恐怖がまったく無かったわけではない。しかし、それ以上のものを、彼女はソードとの間に信じていた。


 獣と化した傭兵の豪腕が、獰猛な速度でバーダロンに襲いかかる。しかし、バーダロンは唇を噛みしめ、微動だにせず真っ直ぐにソードを見つめる。


 暴走するソードの赤い瞳がその姿がを認める。


 その瞬間、男の灼熱のような暗い憎悪の中に、まるで陽射しのような光が射し込んだ。その光に照らし出された理性が辛うじて顔を上げ、熱量を解き放たんとする筋肉の動きに急制動をかける。


 刃の左腕は、バーダロンの首から数インチのところで静止した。


「が、我ガ駕が……ッ!」


 ソードの身体はまるで何かに耐えるように震えていた。その瞳の赤が、ゆっくりとその鮮やかさを失っていく。バーダロンはそれを見て、一歩、彼へと歩み寄った。


 そして、その広げた両腕で、優しく傭兵の身体を抱きしめる。彼の耳元で、穏やかに語りかけながら。


「……ありがとう、守ってくれて」


 その言葉がきっかけだったのか、ソードの全身から力が抜けていった。彼の身体はまるで糸を切ったかのように弛緩し、ぐったりと床に倒れ伏してしまった。バーダロンはその顔を覗き込み、呼びかける。


「ソード、おい、ソード……?」


 呼吸は荒い。彼の意識はどうやら暗闇の底に沈んでいるらしい。バーダロンの呼びかけに対して、彼は魘されるような呻き声を返すだけだった。


 そこで、ガチガチという、鋼がぶつかり合うような小さな音が聞こえた。バーダロンは顔を上げ、それがレメルソンの義手による拍手だと気づく。いつの間にか、周囲の白い自動人形たちはその動きを静止していた。


「実に興味深い」


 レメルソンはその生身の右目に喜色を宿しながら、ソードの黒刃の左腕を見つめていた。


「ふむ、『牙持つ獣たち』の攻殻とほぼ同じか、或いは硬度的にはそれ以上か。何より、どうやって人間の身でそれほどの身体能力を引き出しているのか、非常に興味がある」


 レメルソンは車椅子を動かして、ゆっくりと二人の元に近づいてくる。


「それを解き明かすことで、我が人形の研究も新たな発見を見るやもしれんな」

「……新たな、発見だと?」


 バーダロンはゆらりと立ち上がった。レメルソンは尚も語る。


「五年を費やしながらも候補者を失ったことは惜しい。だが、すべての試行と失敗はやがて研究自体の精度を高めていく。或いは次こそは、ノーラに相応しい人形を産み出せるかもしれない」


 レメルソンの右目には、強い意志の力が宿っていた。バーダロンはその瞳に既視感を覚える。春先のマルムスティーン枢機卿の事件である。


 ジェームス・マルムスティーンは自らの理想の為に、このユナリアに戦火を放とうとした。あの男は、それこそが真に正しいことなのだと信じて疑っていなかった。


 目の前の男、トーマス・レメルソンの瞳に燃えさかるのはそれと同じ炎だ。


「……何故だ」


 バーダロンは思わず問うていた。


「何故、貴様はそこまで自分を信じられるのだ?」

「私が信じているのは自分などではない」男は即座に答える。「ノーラだよ」


 そこでレメルソンが浮かべたのは、愛寵の微笑みだった。


「私の人生のすべてはノーラのためにあった。ノーラこそ、この世界に望まれて生まれてきた天使なのだ。だからこそ」


 男の顔が憎悪に急変する。目を剥き、歯を食いしばり、怨嗟を込めた口調で、彼は吐き捨てる。


「そんなノーラを地獄に突き落としたアルノルン事変を、私は受け入れるわけにはいかない。そんなもので、ノーラを失うことなどあってはならんのだ。ノーラはこの世界に生きていなくてはならないのだ。幸福に、笑っていなくてはならないのだ!」


 愛娘のノーラに対する、悍ましいほどの愛情。自分の目的の為ならば、あらゆるものを無感情に燃やし尽くす、狂奔にも似た強烈なエゴイズム。


 それが、トーマス・レメルソンを奮い立たせるものだった。


 バーダロンの脳裏に、ふとあの日の光景が過る。血まみれで倒れ伏す親友の姿と、燃えさかる病院——。

 この男の炎は、きっとあの十二年前のアルノルンから、ずっと燃え続けているのだろう。


「——私の親友も、十二年前に亡くなった」


 バーダロンは俯きながら、そう口開いていた。


「彼女もアルノルン事変の業火に焼かれて、わずか十一歳でこの世を去った」

「……そうか」


 そこで初めて、レメルソンの顔に浮かんだ表情があった。同情、である。しかし、バーダロンはそれに目もくれずに続けた。それはもはや、独白に近いものだった。


「彼女には未来があった。人々を癒やす聖女として、人々に夢を与える小説家として。でも、そのすべては唐突に、理不尽に、消え去った」


 あの寄宿舎の四人部屋で、窓際でタイプライターを叩いていた彼女の姿が蘇る。振り返って向けられた、優しげな微笑み。一緒に海に行こうという、他愛の無い約束。だがそれらは、固く閉ざされた扉の彼方へと消え去ってしまった。


 バーダロンは、拳を強く握り締める。

 それでも、私は——。


「ああ、分かるとも」


 と、レメルソンは急に優しく語り出す。


「その悲しみも、不条理も、私は痛いほどに分かる。だからこそ、私は……」




「貴様に分かるものか!」




 バーダロンは顔を上げ、烈火の如き怒りと共に叫んだ。


「その悲しみを背負い、立ち上がった私の気持ちが! 絶望に打ちのめされ、それでも明日へと歩き出したこの男の尊厳が、貴様如きに分かってたまるか!」


 あの夜のソードの姿を、バーダロンは思い出していた。


 自らが愛する者を自らの手で突き刺し、ソードは歩き出した。

 それは決して、かつて過去にあった安らぎを求めたからではない。

 それでも前に進まねばと、生きねばと、彼が歯を食いしばりながら決めたからだ。


「レメルソン、貴様は過去だ。すべてを過去に求める死者と同じだ。悲しみも絶望も受け止められず、ただただそれから逃げ続ける臆病者だ」


 その言葉で、レメルソンの眉間に不愉快そうな皺が刻まれる。男は温度の消えた声色で問う。


「——ならば、貴様は、ノーラがこの世界から死ぬことが、正しかったと言うのか?」


「そうではない。私だってこの世界で起こる悲劇を容認するつもりも、肯定するつもりもない。だが、それは起きるんだ。どれほど用心していても、どれほど目を向けまいとしていても」


 バーダロンはそう言って、自分の胸を強く押さえた。不慮の事故で亡くなった両親、志半ばに果てた恩師のコヴァイン枢機卿、そして生きる意味を与えてくれた、親友のアトラ——それらの死は、決して正しいものではない。


 だが、それは起きた。


「それでも、私たちは生きていかねばならない。それを受け止めて、時代を前に進めていかなくては……」

「綺麗事だ」

「そうだ、それは綺麗なことだ。尊いことなんだ」


 バーダロンは即座に切り返した。


「レメルソン、この世界が大きな列車だとしたら、この列車を此処まで走らせてくれたのは、これまでに亡くなった人たちだ。彼らがいたから、列車はレールを外れずに走り続けて来られたんだ。そこで私たちが火をくべる手を止めたら、列車は止まる。彼らが走らせてくれた数千マイルの距離も無駄になる」


 願いと、尊厳を込めて、バーダロンは言い放つ。


「私たちは、この大陸の果てを目指さなくてはならないんだ。彼らの物語を、あの水平線の向こうに連れて行くために」


 レメルソンは沈黙していた。無表情で、じっとバーダロンを睨み付ける。やがてその表情が忌々しげに歪んだ。ぎり、という歯を食いしばる音が聞こえたかと思うと、男は吐き捨てるように言った。


「——ノーラの乗っていない列車など、止まっても構わん」

「……レメルソン博士」


 そこで、バーダロンは静かに口開いた。そして目の前の男に対して、初めて憐憫と哀切の瞳を向ける。



「——ノーラは、もう死んだんだ」



 その断言がきっかけだった。

 レメルソンの顔が醜悪に歪み、その口からはまるで絶叫のような言葉が解き放たれる。



「黙れぇぇぇぇッ!」


 男が両腕を大きく広げたとき、周囲に異変が起きる。今まで静止していた人形たちが、まるで吸い寄せられるかのようにレメルソンのもとへ集結していった。


「ノーラは死んでなどいない! ノーラは生きているのだ! たしかにまだ、あの子の魂はこの世界にあるのだ!」


 まるで稚児のような主張を叫びながら、レメルソンは怨嗟の目でバーダロンを睨む。やがて人形の群れは、レメルソンを車椅子ごと呑み込んでいった。ガチン、ガチン、と、何かの歯車が噛み合っていくような硬質な音が、矢継ぎ早に響く。


「あの子ガこの世界で、もう一度笑えルのならば、私は何もかもヲ捧げる覚悟ガある!」


 あまりにも奇怪な光景だった。人形たちはその形状を変形させ、レメルソンの機械の身体に組み合わさっていく。両脚へ、両腕へ、胴体へ——。


「コの人間ノ、身体でスらな!」


 やがてそこに現れたのは、巨大な一体の人形だった。全長で二〇フィート近くはあるだろう。その身体は、すべて人形の身体が組み合わさって出来ていた。体表には感情の無い人形の顔がまるで斑点のように浮かび、その頭部の部分ではトーマス・レメルソンの上半身が忌々しげに世界を睥睨していた。


 バーダロンによって突きつけられた現実。

 それを拒絶するかのように、男は絶叫する。


「たトえ戯レ言にすらモ——」


 男の瞳から、既に理性は消えていた。


「ノーラを殺さセはせん!」


 歪んだ声で尚、娘への愛を語りながら、その怪物は小説家の前に立ちはだかった。


 ◇


 その青年は一度、膝から崩れ落ちてから、ゆっくりと立ち上がった。

 そして、寝台の上で横たわる少女の姿を見下ろす。


「——案ずるな、人生に意味は無い」


 そう言って、彼は薄く微笑んだ。それは哀しげな、或いは優しげな、はたまた見方によっては底冷えするほど無感情な表情にも見えた。


 それは、ニコラス・テラーの外見をしていたが、まったく別の人間だった。


 イヴは浅い呼吸を何度も繰り返しながら、そんな彼の顔を見上げていた。周囲には喉の奥にまで絡みついてくるような、濃密な機械油の匂いが立ち込めていた。


「……たまに懐かしく思うよ。そう嘯いた作家は、この世界ではまだ物心もついていないんだ」彼は少し寂しそうに呟いた。「こちらの彼も、銃ではなくペンを取ってくれるといいんだが」


 それが、この正暦世界には存在しないサマセット・モームという作家の言葉であることは、もちろん、イヴには分からなかった。理解しようと努めることも出来なかった。そのための気力は、既に大量の血液と共にイヴの身体から流れ出てしまっていた。彼女の肉体のあらゆる機関は、着実にぬくもりを失いつつあった。


「とにかく、そんなに悲しむ必要も、焦る必要も、それに怒る必要も無い。人間なんて意思を持った人形と大差無いんだよ」


 その言葉はイヴに、慰めのようにも、はたまた逆に蔑みのようにも聞こえた。だから嘆かなくていいんだよ、と。あるいは、おまえは所詮、人形なんだ、と。


 イヴの視野が霞む。途切れ途切れの記憶が、走馬灯のように彼女の頭を駆け巡る。だが、それでも彼女は希わずにはいられなかった。


 イヴは世界の空気を弱々しく振動させる。


「助け、て……」


 しかし、彼は瞼を伏せて首を振った。

「残念ながら、いくら私といえども、この状態から『君』を救うのは不可能だ」


 そんなことはイヴも知っていた。それほど彼女は愚かではないし、強欲でもなかった。だから彼女は最後の力を振り絞り、自らの本当の願いを口にした。








「——あの二人を、助けて……!」







 イヴが最後に見た光景。

 不条理と暴力と悲劇に、真っ向から立ち向かう、傭兵と小説家の姿。


 自分はこの旅の間、ずっと彼らに守られてばかりだった。


 彼らは教えてくれた。

 アイスクリームを、ポップコーンを、回転木馬を、ゴールデンリングを——この世界の楽しさを。


 ——笑いなさい、イヴ、とあの人は言った。

 ——人はね、心臓が動いているだけじゃ、生きてるなんて言わないのよ、と。


 だから、私は私は笑えたのだ。

 生き始めることができたのだ。

 人間に、なることができたのだ。


 そして今、その二人が危機に陥っている。


「お、ね……が、い……」


 たとえこの身が朽ち果てようと。

 魂のひとひらしか、この世に残らずとも。

 ここから先の私を、この世界が許さずとも。


「わ、たし、は……」


 私は。


「あ、の、ふた、りを……」


 だから……!


「まも、り、たい……!」


 守りたい。


 ——この世すべての、悲劇から。 



「……敬虔だね。奇しくもそれは実に人間らしい感情のひとつだ」


 冷笑のようなものを浮かべながら、彼は言った。


「——分かった。その願い、この『未来王』が叶えよう」


 彼の返事が聞こえたかと思うと、イヴの意識は暗闇の奥底へとゆっくりと落ち始めた。


「地獄へは私も共に堕ちてやろう。もとより、此処は既に地獄のようなものか」


 遠くにかすかに聞こえる声をよそに。

 イヴという存在が、世界から離れていく。

 思考という行為すら飲み込む暗黒へ。

 そしてその彼方にある、覚醒の瞬きへ。


「——念の為、別れを告げておくよ。君の眠りが安らかであることを、そして続く人生が豊かであることを」


 ◇



 白い空間だった。色も無く、明かりも、暗闇も、時間も無かった。

 イヴはいつの間にかその空間に立っていた。

 貫かれた筈の心臓に、しかし痛みは無い。

 見下ろすと、傷すら無かった。


 ふと気づくと、自分の目線の先に人影が映る。


 イヴがそれに向かってゆっくり歩み寄ると、向こうもこちらに歩いてくる。ちょうど同じ歩数分を歩いたところで、二人は邂逅した。それは、まるで鏡を見ているかのようだった。自分と瓜二つの少女である。彼女はにっこりと、イヴに向けて微笑んだ。


「こんにちは、やっとお話ができるね」

「あなたは?」

「私はノーラ・レメルソン。あなたのお名前は?」

「私は、エヴァン……」


 と言いかけたところで、イヴは口を閉じた。


「いえ、私はイヴ」と、彼女は言い直す。「イヴ・フォレスター」


「そう、イヴ。イヴね」


 と、ノーラは嬉しそうにその名前を繰り返した。イヴは怪訝に周囲を見渡した。


「ここはどこ?」

「ここは私の中、あの人が言うには『エジソンズ・レコード』という場所みたい」

「私は死んだの?」


 その質問に、ノーラは言いづらそうに俯いた。


「……ええ、あなたの肉体は、もう動かすことはできない」

「——そう」


 イヴは項垂れる。悲しみが溢れだしたが、何故か涙は流れなかった。


「ねえ、イヴ。あなたは生きたい?」

「え?」

「もう一度、あの世界で生きてみたいと思う?」

「うん、思うわ」

「どうして?」


 その問いに、即座にイヴの口から言葉は出なかった。答えが出なかったからではない。どの答えから口にすべきか、迷ったからだ。

 少しだけ考える時間を置いてから、イヴは答えた。


「あの人たちと、もう一度、一緒に歩いてみたいから」


 ノーラはその言葉を吟味するような沈黙を置いてから、再びにっこりと笑った。


「そっか。うん、わかった」


 そう言って、ノーラはイヴを抱きしめる。そして、優しく語りかける。


「それなら私の身体を、あなたにあげる」

「それじゃ、あなたは?」


「私はもう、充分に生きたの。それほど長い人生じゃなかったけれど、楽しい思い出だってたくさんある。少なくとも、あなたよりはね」

「でも……」


「だから、今度はあなたの番。でも、一つだけお願いがあるの」

「お願い?」


「お父様を止めてあげて。もう、楽にしてあげて欲しいの」

「レメルソン博士を?」


「うん。私にとっては、大事なお父様だから」

「わかった。約束する」


「——これから、とても苦しくて辛いことが起きる。あなたはそれに耐えなくちゃいけない。大丈夫?」

「うん。大丈夫よ」


「逢えて良かったわ、イヴ」

「私もよ。ありがとう、ノーラ」


 ——そして、その世界は電源が切れたかのように、静かに閉じた。



 そして、イヴは現実世界に浮上する。


 最初に身体中に雷が流れるような感覚があった。


 そして、気が狂うほどの激痛が全身を襲う。


 まるで魂を焼けた鋏で掴まれ、無理矢理に針のぎっしり生えた箱に押し込められてるかのような、拷問にも似た感覚。


 痺れて、苦しくて、熱くて、痛くて、怖い。


 でも、それでも——。


 これが、自分の身体でなくとも。


 人間の身体でなくとも。


 世の理に反するものであっても。




 ——もっと手を伸ばしなさい、イヴ。




 いつかあの人が、私に言ってくれたから。




 ——大丈夫、あなたは私が捕まえていてあげる。




 だから……!


 その言葉が、彼女の全身に熱量を迸らせた、次の瞬間。









「お姉様っ!」







 ——自動人形、イヴ・フォレスターは覚醒した。

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