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傭兵と小説家  作者: 南海 遊
Part 2. The Doll Across The Horizon.
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〈二十二〉ノーラドールの願望

 人形は唐突に目を覚ました。それは予期せぬ覚醒だった。スリープが解除されるのは、予定としてはあと数時間後の筈である。つまり、その目覚めがエニーキー・アンサーであることは明らかだった。連綿と続いていた環境に、これまでに無い外部からの出力があったのである。


 彼女は緩慢な動作で寝台から身を起こす。身体を動かすたびに、またいつものように自意識と身体の感覚のちぐはぐさを覚えた。まるで合わないパズルピースを無理やり空白に押し込めようとしているような、不自然な窮屈さ。未だに慣れることは無い。


 彼女は寝台に腰掛けたまま、ゆっくりと周囲を見渡す。部屋というよりは通路のような、いつもの彼女の部屋である。細長く、天井が高く、そして清潔な空気はどことなく余所余所しい。壁も天井も家具も、そして今まで自分が眠っていたベッドも、シミ一つない純白で統一されている。しかし唯一、足下のリノリウムの床は、まるで人の血をぶちまけたかのような濃朱であった。


 室内には七脚の白い椅子がまばらに置かれ、その上には彼女を模した七体の球体関節人形が、全裸のまま沈黙と共に腰掛けている。彼女たちはまるで何かの象徴のように、ハートを模した巨大な赤い模型を抱き締めていた。


 いつもの光景、いつもの冷たい部屋。しかし今日はそこに、いつもと異なるノイズがあった。


 人形たちの狭間を縫って、彼女の方に歩いてくる人物がいた。革靴の底がリノリウムの床を打つコツンコツンという乾いた音が、高い天井に響く。この出力が、彼女のスリープを解除したらしい。


「あなたは誰ですか」


 彼女が抑揚の無い声で問うと、その人物も同じ調子で答えた。


「突然すまない。探し物をしていてね」


 しかし、それは彼女の問いかけの答えになっていなかった。故に、再び彼女は問う。


「あなたは誰ですか」

「そうだね……護民官ピート、とでも呼んでくれるかな」どこか投げやりに言った後で、彼は自嘲気味に口の端を歪める。「まぁ、猫のようなものさ」


 その喩えは理解に苦しんだが、理解せずとも弊害な無さそうだ、と彼女は判断した。


「そうですか。私はノーラドールです」

「うん、だろうね」

「この部屋は鍵がかかっていた筈ですが」

「鍵を外すのは得意なんだ」

「動体に反応するセンサーもあった筈です」

「姿を消すのも得意でね」


 言った後で、青年はばつが悪そうに頭を掻いた。


「もっとも、思い出せたのはその二つの技術大系だけなんだけどね」


 彼女——ノーラドールは、静かにその青年を見つめていた。彼は何者なのか、この来訪が何を意味しているのか、その答えを青年の瞳から探るかのように。


「ふむ、思ったよりも機械的な反応だね」唐突に青年が言った。「もっと人間だった頃の人格がフィードバックされている、と思っていたんだが」


 どうやらこの青年は自分のことを少なからず知っているらしい。


「外部出力がうまくいってないのです」と、彼女は変わらず無機的に答えた。「実際は私の精神はこの状況に対してひどく混乱しています。この部屋にお父様とシャトーモア以外の方が入室したのは初めてですので」


「ふうむ」と、青年はノーラドールの瞳を覗き込んだ。「つまりはハードとソフトの親和性が取れていないのかな。これがレメルソン博士の限界だったわけだ」


 借り物の知識で作り上げたのだから当然か、と青年は独り言のように付け足して、小さく鼻を鳴らした。


「お父様もそのようなことを仰っていました。だからこそ、本来のソフトが入るべき適正なハードが必要なのだ、と」


 人形の言葉に、青年はわずかに顔を歪ませる。それは、嫌悪というよりは憎悪に近い表情だった。


「……なるほど、それがイヴというわけか」


 青年の独り言は人形には届かなかった。


「私はお父様の考えに反対です」


 と、人形は続ける。


「お父様は、私が以前のように——つまりは、生前のように、泣いたり笑ったりすることを望んでいるんです。ですが、私はそれは道理に合わないと思うのです」


 そう言って人形は無表情のまま俯いた。もしその親和性が実現していれば、きっと彼女は悲しそうな顔をしていただろう、と青年は思った。


「道理に合わない、というのは?」

「私は——ノーラ・レメルソンは十二年前に瀕死の重傷を負い、八年前に絶命しているのです。その自意識がこうして存在していることも不自然ですし、ましてや、それが『適正なハード』を新たに得るというのは、世の理に反していると思うのです」

「至極真っ当な意見を言うんだね、君は」


 青年は苦笑めいた表情を浮かべる。そんな優しげな表情のまま、彼は人形の彼女に語りかける。


「君は死にたいのかい?」

「はい。この世からもう完全に消滅したいと考えています」


 即座に人形は答えた。さらに青年は問う。


「それは何故?」

「正しさの為です」

「それは何の正しさ?」

「人間であることの正しさです」

「しかし、君は人間ではない」

「はい、ですが、私の精神は人間です」


 青年はそこで、ふむ、としばし考え込むような沈黙を置いた。


「——生存衝動を自由意志で屈服させられるのは人間だけ、というのがかつての定説だ」

「それは自殺出来るのは、という意味でしょうか?」


「そう。ただ、後年に人間以外にもそのような意志決定能力を持つ動物は存在する、という反証が出てきたけどね。少なくとも、自ら死を選ぶのは生命を持つ一部の存在だけだ。生命を持たない存在には、そもそも自死という考え方が無い。命が無いわけだからね」


 ノーラドールは、青年がいったいどういう意図でそのような話をし始めたのか、理解に時間を要した。その間に、青年が再び問うた。


「君が自死を選ばないのは何故だい?」

「その行動を、お父様が禁じているからです。そのように、この身体は出来ていますので」


 訥々と答える人形の無表情の顔を、再び青年はじっと見つめた。


「——やはり、君はシャトーモアとは根本から異なる構造をしているね」


「そうでしょうか」


「死ねない身体であるのに、死を望む。いや、或いは死ねない身体だからこそ、死を望んでいるのか……少なくとも、他の人形たちはそのような考え方はしないだろう。『死ねない身体ならば死なない』、彼女たちはそれだけだ。そこには衝動も無ければ葛藤も無い。その事実以上でも以下でも無い」


「それは彼女たちが人間であったことが無いからでしょう」


 ノーラドールは、表情の変わらぬ人形の顔でそう答えた。


「少しいいかい」


 と、青年はそっと彼女の手を握った。そして眼鏡の奥にある瞳を閉じる。


「上の資料室を色々と漁らせてもらったけど、不思議に思っていたんだ。レメルソン博士はその身体の殆どが機械仕掛けだが、自身の脳髄は人間のままだ。彼の意識は人間の頭脳という極めて複雑かつ膨大な演算能力を持つ機関が支えている。しかし、それなら君の自意識はいったい何に宿っているんだろう、ってね」


「私の身体に生身の脳髄はありません。それは八年前に完全に機能を失いました」


 変わらず無機的な口調で言うも、ノーラドールの精神は奇妙な揺さぶりを感じていた。青年はいったい何をしているのだろう。自分はいったい何をされているのだろう。何故だか分からないが、彼の握る手が自分の中に侵入し、その精神をなぞっているように感じられた。


 青年は目蓋を閉じたまま答える。


「しかし、君は明らかに自由意志を持っている。それを保持できる『器』は、人間の頭脳と同程度の機能を持っていなければならない筈だ。だとしたら——」


 と、そこで青年は目を開ける。その瞳には自らの予想が当たったと言わんばかりの、満足げな光があった。


「やはり、そうか」

「何か分かったのでしょうか」

「ああ、僕の探し物がね。懐かしい同調を感じた。どうやら君の中にあるらしい」


 人形はほぼ無意識のうちに、自らの胸を見下ろし、そこに手を当てた。それは普段では有り得ない所作だった。


「私の、中、ですか」顔を上げ、問う。「それを取り除くと、私はどうなりますか」

「君の人格を維持できなくなるだろう。すなわち、死だ」

「そうですか……」


 しばし、ノーラドールは沈黙する。


「……あなたは、私の中にあるその『器』とやらを探して、この人形図書館に侵入してきたのですか」


 その問いに、青年は苦笑いを浮かべた。


「まぁね。というより、もともと、それは僕の持ち物だったらしいんだ」

「あなたの?」

「うん。とても大事なものだ」

「これは、いったい何なのですか?」


「簡単に言えば、魔法の頭脳、ってところかな。それは持っているだけで、その所有者にちょっとした知識を与えてくれる。その中にはたくさんの知識や理論が入っていてね、実はパンパンに詰め込みすぎたせいで、少し滲み出てるみたいなんだ。たぶん、レメルソン博士はそれを掬い上げて、自動人形や記憶保存の知識を得たんだろう」


「知識が、滲み出てる、ですか」 


「そう。実はそれは、本来は科学者たちが演算に使うための補助脳だからね。持っているだけでちょっとした天才になれちゃうんだよ。かつての僕がそうだったみたいに」


 もっとも、と青年は神妙な顔で付け加える。


「滲み出ていると言っても、それは中に入っている膨大な情報の一滴でしかない。だから、たったそれだけで、これほど高性能の自動人形を生産してしまうというのは、やはりレメルソン博士は生粋の天才なのだろうね」


 ノーラドールは沈黙する。逆説を導き出す。そしてそれを口にする。


「それでは、本来の持ち主であるあなたならば、その一滴だけではなく、もっとたくさんの情報を引き出すことが出来る、ということですか」


「今なら、ね。実はつい最近まで、その情報を引き出す方法を忘れてしまっていてね。宝箱は手元にあったのに、鍵が無い状態だったんだ。そして鍵を思い出した頃には、宝箱は誰かに盗まれた後だった。もう八年も前の話だ」


「八年間、ずっと探していたんですね」


「うん。鍵を思い出して以来、方々を探したよ。同じ名前のものが海外のオークションに出ると聞いて、飛んでいったこともある。宝物庫に忍び込んで、こっそり返して貰おうとね。さっきも言ったけど、得意なんだ、そういうのは。ところが、いざ盗み出してみると偽物だった。ただのノートブックさ。この時代の科学者としては、それなりに興味深い内容ではあったけれどね。念のため、持ち帰って最後まで読んでみたけど、本物についての記述はどこにも無かった。そのときは、やっぱりな、とがっかりしたよ」


 ははは、と軽く笑って、青年は頭を掻いた。


「でも、ようやく見つけた。まるで自分の半身を見つけたような気分だ。この大陸と真珠海——いや、時間すらをも渡る、長い長い旅だったよ」


 遠い目をする青年の口元には、しかし穏やかな微笑が浮かんでいた。彼を見つめながら、ノーラドールはその微笑を心地よく感じた。何故かは分からない。少なくとも、この青年にはその『探し物』を手にする適正な権利がある、と彼女は思った。


「持って行ってください」故に、彼女はそう申し出る。「その行為の利害は、私とあなたで一致する筈です」


 死を望む人形、人形の死でしか得られぬ者を求める青年。


 しかし、青年は頷くことも、首を横に振ることも無かった。その単純な図式は理解していたし、彼女、ノーラドールの存在が本来あってはならないものであることも理解していた。この存在こそがあの男の狂奔の礎であり、そしてあの少女の悲劇の源であることも——。


 だが、決めかねた。青年は結論を先延ばしにするかのように、言葉を紡ぐ。


「君の人格を保管しているのは、おそらく一つの赤い色をした宝珠だ。光に透かすと、黒い蝶のような紋様が中に浮かんでるように見える」


「宝珠、ですか」


「ああ。正式名称は超剛性大容量演算記憶媒体(スーパーリジディティカリキュレーションリムーバブルメディア)。しかし、その長ったらしい名前が気に食わなくてね、以前の僕は別名で呼んでいたらしい。その名称は、宝珠の中に浮かぶ黒い蝶の肩羽根の部分に刻印してある筈だ」


 黒髪の青年は、鼻梁の眼鏡を指先で押し上げてから、言った。


「——EDISON’S RECORD、とね」



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