〈二十〉魔女の歓待
バーダロンたちの乗った馬車は、一〇分もしないうちに市街地に入り、目的地に到着した。週末の繁華街を駆け抜け、オフィスビルが建ち並ぶ一画に入ったところで、馬車は停車する。
スタンリー・ホールディングスの本社ビルは、ロアの中心市街地の中でも一際異彩を放っていた。
——まるで空白だな、とバーダロンは建物を見上げながら思う。
真新しいビルである。しかし、色彩豊かな看板が立ち並ぶ街の中心で、そのビルはまるで何かの手違いで作られてしまったかのような奇妙な場違い感を放っていた。
大通りに面した壁面には窓がひとつも無く、のっぺりとした純白の壁の中に入り口の黒い鉄扉がぽつんと付いているだけである。窓が無いので、それが果たして何階建てのビルであるかは外観からは分からない。周りのビルと比較して考えれば七階建て程度であろうか。通りに建ち並ぶガス灯がそのビルの壁面を照らし出し、宵闇の中であっても余計にその白さを際立たせている。
「相変わらず、退屈なビルだね」
馬車を降りるなり、ジョナサンは顔をしかめた。その横ではオーリアがにこにこと微笑んでいる。
「私は素敵だと思いますけど。新品のカンバスみたいで」
「君が此処に絵を描くのであれば、魅力的なビルに変わると思うがね」
「建物品評をしている時間は無い。行くぞ」
と、バーダロンは先陣を切ってビルの扉を開く。玄関ホールは二階までの吹き抜けになっており、外観と同様に白一色であった。入ってすぐの受付らしき場所では、夜も遅い時間だというのに二人の女性係員が立っていた。二人とも小綺麗な黒いワンピースを纏っており、同じような髪型と同じような化粧をしている。
「「お待ちしておりました、フォレスター様、アンダープラチナ様」」
二人は双子のように声を合わせ、深々と頭を下げる。名前を呼ばれなかったジョナサンはバーダロンの後ろで苦笑いをしていた。
「スタンリーがお待ちです」
「エレベータで最上階へどうぞ」
促されるままに廊下の奥に案内され、三人はエレベータに乗り込む。白い壁の箱は音もなく上昇を開始した。
「驚いたな」とジョナサンが口開く。「こんな時間にまで蒸気エレベータを稼働させていることもだが、何よりも凄い静音性だ」
「おそらくこの動力源はスチームではない」
対してバーダロンははっきりと言い切る。ジョナサンは眉を寄せた。
「となれば、まさか水圧式かい?」
「いや……きっと、我々の知る由もないものだ」
バーダロンの台詞とほぼ同時に、エレベータが目的地に到着する鐘の音が響いた。
開いた扉の先には、やはり白い空間が広がっていた。壁も床も天井もすべてが白亜に覆われているせいで、バーダロンたちにはその空間の広さが曖昧に感じられた。
おそらくは社長室なのだろうが、調度品は徹底的に排除されている。中央に黒い革張りのソファセット、その先に社長席らしき黒いデスクセット、それがこの室内の物質のすべてだった。
「——お待ちしてましたよ」
その社長席に座っていた女性が、来訪者に気づいてゆっくりと立ち上がる。オーリアとジョナサンは以前に会ったことがあるが、バーダロンにとってはこれが初対面であった。故に、彼女はその存在が放つ奇異な空気に、少し圧倒されてしまった。
妙齢の美しい女性である。長い黒髪と黒い瞳は、明らかにユナリア生まれの人間のものではない。黒く染められたブラウスに、同じ色のロングスカートを纏い、その足下まで黒い革靴で統一している。頭のてっぺんからつま先まで、ものの見事に黒ずくめだ。その異彩は、まるで彼女の存在にだけ神様が色をつけ忘れたかのような、ある種の非現実感すら放っていた。
——まるで魔女だ。
それが、彼女——フェイト・モルガーナ・スタンリーに対して、バーダロンが抱いた第一印象だった。
「突然のご招待にも関わらず、お越しくださいましてありがとうございます。さ、どうぞ、そちらへお掛けください」
フェイト女史は品の良い微笑を浮かべながら、客人をソファに促した。三人が腰掛けるのを確認してから、その部屋の主も静かに対面に腰を下ろす。そして、まず始めにオーリアの方を見やった。
「アンダープラチナ先生、お久しぶりです。先日は見事な静物画をありがとうございました。スタンリー病院の待合室に飾らせて頂いております。ご来訪される方からは非常にご好評で、我々も嬉しい限りです」
「あ、ありがとうございます、スタンリーさん」どこか緊張した面持ちでオーリアは答える。「私も皆様に見ていただけるのは嬉しいです。またご入り用でしたら、遠慮無く声を掛けてください。もし病院や施設に飾るのであれば、それこそ無償でも……」
「——ちゃんと費用を請求した方がいいと思うよ」オーリアの傍らで、ジョナサンが皮肉っぽく呟いた。「彼女が相手だと、逆に請求されてしまう可能性だってあるんだから」
フェイトはそちらの方に視線を向けると、先ほどと同じように彼に微笑みかける。
「ジャズフェラー社長もご無沙汰しております。たしか、東部のティア・ヴェネ劇場の竣工式以来でしょうか」
「ああ、我が社のスタジアム建設計画を強引にねじ伏せて、御社があれを設立して以来だ」
ジョナサンも負けじと微笑を返すが、その瞳には憤りにも似た激情が込められていた。それを前にして、フェイト女史はくすくすと小さな笑いを漏らす。
「相変わらず、仕事熱心な方ですね。尊敬いたします」
ジョナサンは何か言い返そうと口を開きかけたが、この場での論争は不毛と気づいたのか、諦めてソファの背もたれに体重を預けた。それと入れ替わるようにして、バーダロンは姿勢を少しだけ前に傾ける。合わせて、フェイトの双眸が彼女を捉えた。
「改めまして」と、フェイトはバーダロンに対して小さく頭を下げる。「フォレスター先生、お初にお目に掛かります。私がスタンリー・ホールディングスの代表、フェイト・スタンリーで……」
「社交辞令はいい」と、バーダロンは鋭く言い放つ。「今は時間が無い」
突き放すような言い方に、傍らのオーリアがおろおろとしていたが、バーダロンは気にも止めなかった。しかし、それは相手も同じだった。
魔女の鉄仮面のような微笑を睨み付けながら、バーダロンは問いの刃を突き刺す。
「——フェイト・モルガーナ・スタンリー、貴様は歴史改変者だな?」
◆
「ええ、その通りです」
あっさりと、フェイト女史はその問いに答えた。
「私はあの聖女ハヴァンディアと同じ——歴史の軌道修正の為に、西暦世界からやってきた改変者の一人です」
あまりの急展開に、ジョナサンとオーリアが愕然とする。しかし、バーダロンは落ち着き払った様子で、目の前の人物を睨めつけていた。
実はここまではバーダロンの想定通りであった。その前提の認識が無ければ、おそらくは相手も話が始められないだろう、と彼女は読んでいた。
「しかし、驚きました」フェイトは言う。「私から打ち明けようと思っていたのですがね。いったい、いつから私の正体に気づいてらっしゃったのでしょうか?」
「気づいたのはアルノルン、確信したのは先程、手紙を貰ったときだ」
「……ということは」と魔女は静かに笑って、意味深に自分の背後に一瞬だけ視線を投げた。「突き詰めれば、ハヴァンディアの打った一手がきっかけ、というわけですね」
バーダロンは少し驚いてしまった。その発言は、バーダロンの推理の道筋を完全に読み切ったことの証明だった。
——なるほど、この国の経済界を掌握できるわけだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」ジョナサンが頭を抱えながら声を上げる。「駄目だ、私には全然理解ができない。説明してくれないか」
「ああ。私が真相に気づくことができたのは、ある意味ではジョナサン、おまえのおかげでもあるからな」
バーダロンが言うと、ジョナサンは更に困惑した様子で首を傾げた。
「私の?」
「故に、きちんと説明してやる義理があるだろう」
そう言ってバーダロンはソファに深く身を沈め、足を組んだ。フェイトもどこか楽しそうに、口を閉ざして傾聴の姿勢を示す。そして、彼女は語りだした。
「——そもそもの始まりはハイカーゴだ。あの街でキャビッジパッチの残骸を秘密裏に回収した連中がいた。そしてそれはジャズフェラー財団でも無ければ、第零騎士団でも無かった」
バーダロンは視線を対面に突き刺す。
「あれを回収したのはスタンリー・ホールディングス、お前たちだ。その代表、フェイト・スタンリー、おまえの指示でな。違うか?」
「ええ、その通りです」
例のごとく、フェイトはすんなりとそれを認める。しかし、ジョナサンは釈然としていない様子だった。
「そんな馬鹿な、あり得ないよ……」
「そうでもないさ。ハイカーゴで行われていた大火祭のスポンサーはスタンリー・ホールディングス。手を回せる人材は当時あの街に大勢いた筈だ。フェイト社長が動かせる人間だって当然——」
「いや、だから、その条件はこちらも同じだったはずだろう」
バーダロンの解説を遮って、ジョナサンは強く首を左右に振った。
「何より、その場にはこの私もいたんだよ」
ジャズフェラー財団の創始者は、冷徹にそう言った。
「自惚れではなく、これは冷静な分析だ。あの状況下での指示系統のアドバンテージは確実に私、そして我が財団にあった。現場に駆けつけられるとしたら、スタンリー社よりも我々が早い筈だ」
「ああ、私もそう考えていたよ」とバーダロンは頷く。「ハイカーゴにはジャズフェラー財団の支局もあるからな。しかし、ジャズフェラー財団が回収に向かった頃には、列車はもぬけの空だった。だから私は最初、第零騎士団を疑った。財団よりも早く手を打てるとすれば、我々を監視し事情を把握している彼らしかいないだろう、とね」
しかし、そのバーダロンの認識はあのアルノルンの修道院で覆される。
「だが第零騎士団は逆に、ジャズフェラー財団が回収したものだと思い込んでいた。お互いがお互いを疑っていたんだ。しかし、真実はそのどちらでも無かった。となれば考えられる方向性は一つ」
バーダロンは指を一本立てる。
「秘密裏にそんなことが出来るとしたら、残るユナリアの二つの財閥、カリフドとスタンリーくらいだろう。そんな中でフェイト・スタンリーが突然、人形図書館を買い取るなどという意味深な行動を見せた。そこで私の中で符号が繋がったんだ。スタンリーはこの自動人形の一件に絡んでいる、とね」
そこで、気難しげな顔で沈黙していたオーリアが、ゆっくりと口を開く。
「ええと、そのハイカーゴ市での一件ですけど……それじゃつまり、単純にスタンリーさんは誰よりも早く状況を察知し、誰よりも早く手を回した、ということですか?」
「いやいや、だからそれが釈然としない」とジョナサンが言う。「フェイト・スタンリー女史はあのとき、ハイカーゴからずっと離れたこのロアにいたんだよ。数千マイルもの距離を超えて、どうやって現場の状況を把握し、現場に指示を出したって言うんだ? しかも、現場にいた私よりも早く……」
「——そんなもの、ルクシオン・ドライヴァ通信しか無いだろう」
ぎろりと、バーダロンはフェイトを——そして、その背後に隠れている人物を睨みつけた。
「違うか——ゾウイ・ミラージュ」
しばし、静寂が空間を満たす。やがてフェイトの背後、ソファの影から小さなため息が聞こえた。そしてゆっくりとそこから姿を現したのは、銀髪の青年の姿だった。ジョナサンとオーリアは、突如として現れた第三者に愕然とする。
彼はぼりぼりと頭を掻きながら、暗鬱に顔を歪めていた。
「……あー、こいつは過去最悪の展開ですわ」そう呟いて、ゾウイは恨めしげにバーダロンを見上げる。「姐さん、いつから俺が二重スパイだと?」
「あのアルノルンの夜からだ。ハヴァンディアにふっかけた私のブラフがきっかけだよ」
それは『キャビッジパッチの残骸はジャズフェラー財団が回収している』という、バーダロンのついた嘘のことである。
「あの一瞬、おまえの表情に驚きが宿った。そんな筈が無い、とな。その時点でこいつは真相を把握していると察したよ」と、バーダロンは不敵に微笑む。「同時に、ハヴァンディアに何かしら背反するものを抱えている、とね」
「……うわー、それ完全に自分のせいじゃないですか。余計最悪だよ、もう」
青年は目頭を抑えながら、自責に押しつぶされるかのように項垂れていた。
「ルクシオン……何通信だって?」
再び疑問符を頭上に浮かべるジョナサンに、ゾウイが答える。
「ルクシオン・ドライヴァ通信ですよ。原理は俺も知らないッスけど」
「私も一度しか見たことが無いが」とバーダロンが補足する。「超長距離の即時的情報伝達が可能な通信方法、というのが正確なところかな。四八〇〇マイルも離れたハヴァンディアが、まるで目の前にいるようだったよ。奴の話では、歴史改変者の持つ特殊な技能が無ければ機能しない装置だそうだ」
そこで、バーダロンはフェイトに視線を送る。
「——つまり、ゾウイ・ミラージュだけでは起動できない。彼と貴様が繋がっている、と仮定すれば、必然的に貴様が歴史改変者である、という図式が浮かんでくる」
フェイトはそれを聞いて満足げに頷いていた。
「さすがフォレスター先生。物語の裏を読むのはお手の物、というわけですね」
バーダロンは小さく顔を顰める。春先のハヴァンディアもそうだったが、彼女にはどうもこの歴史改変者という連中の余裕ぶった態度が気に食わなかった。
と、そこで再びゾウイが大きく溜息をついた。
「なんか自信無くしますね。油断してたとはいえ、表情で機密を漏らすとか。隠密稼業も潮時ッスかねぇ」
そんな呑気なことを嘯くゾウイを見て、バーダロンは呆れたように言う。
「大した騎士の忠義だな。その通信技術は、元はと言えばおまえの主であるハヴァンディアのものだろう?」
その言葉に、ゾウイは開き直ったかのように戯けた調子で首を竦めて見せる。
「俺が勝手に使ってることは、まだバレちゃいないッスよ。仮にバレたとしても、あの人は俺に利用価値があるうちはどうこうしたりはしないッス。兄貴の存在もありますしね」
「しかし、他人事ながら、これはかなりリスクのある裏切り行為だと私は思うがな。国家機密を騎士団員が第三者に漏らしているわけだろう」
「……それは、アンタがこっちに背を向けるリスクを知らないから言える台詞っスよ」
乾いた笑みを口元に浮かべながら、ゾウイは独り言のようにごちる。
「あら、リスク?」そこでフェイトはやんわりと小首を傾げた。「デメリット、の言い間違いかしら」
ゾウイは苦い顔を浮かべて、再びため息をついた。
「……報酬もそれなりに貰ってるッス。副業みたいなもんですよ」
「持ちつ持たれつ、はビジネスの基本ですから」
そう宣うフェイトの余裕は微塵も崩れることは無い。
……なるほど、詳細は分からないが、良いように使われている、というわけか。哀れな男だ。
バーダロンは半ば同情のような視線をゾウイに送っていた。
「——いずれにせよ」と、今度はフェイト・スタンリーが話の舵を掴んだ。「先生の推理は正解です。一連の事件に関しても、私はゾウイの報告を通して全貌を殆ど把握しております。フォレスター先生、あなたがとある不死身の傭兵と出逢ったところから、ね」
思わずバーダロンの片方の眉が上がる。そんな動揺をわずかに漏らしてしまったことに舌打ちしそうになったが、辛うじて堪えた。
——つまり、この女は春先の事件、マルムスティーン枢機卿の一件も全貌を把握している、ということか。そして、今この場でその切り札をちらつかせる、ということは、どうやら彼女は我々に対するイニシアチブを握りたいらしい。
「……予想通りだな」
誰にも聞こえないほどに小さく、バーダロンは唇を動かしていた。追及が飛んでくる前に、彼女は本題に切り込んだ。
「それで、我々を——いや、私をわざわざ呼びつけた理由は何だ?」
対して、フェイトが笑みを浮かべる。それは先ほどまでの社交辞令的な微笑ではない。企みを背後に隠した、魔女の表情だった。
「ええ、我々の利害は一致すると思うのですが——単刀直入に申し上げますと、あの人形図書館の館長の暴走を止めて欲しいのです」
◆
「人形図書館はもともと稀代の変人資産家、エリオット・ギンズバーグ氏の持ち物であったことはご存知かと思います」
と、フェイトは語り始めた。
「ギンズバーグ氏は何故か人形というものに偏執しておりました。人形と人間の違いは何であるか、それは知識である——それが氏の考え方で、故に彼はあの図書館を作ったのです。『人形に本を読ませる為の図書館』をね」
そこで、魔女は皮肉っぽく口元を歪めてみせた。
「もちろん、人形が本などを読む筈がありませんし、読めたところで人間になれる筈もありません。しかし、ギンズバーグ氏は頑なに、その現象の断片——『人形が人間になり得る可能性を秘めた瞬間』というものに固執していました。結果などどうでも良かったのでしょう。私には理解できませんが、言うなればあの建物自体がアートのようなものだったのではないでしょうか」
「……ああ、なるほど」ぽつりと、オーリアが呟いた。「そう考えれば、何となく分かるような気がしてきました。絵画は現実を変えられないけれど、人は変えられる……それと同じようなことかと」
「ええと、つまり」とジョナサンが小難しい顔をしながら言う。「ギンズバーグ氏は世界に対して個人的な何かを訴えたかった、ということになるのかな。ううむ、自己実現にしては内向的というか難解というか……」
「結局、そうして誰にも理解されないままギンズバーグ氏は寿命を迎え、人形図書館はユナリアの奇天烈な建物として残されました。建物と蔵書は当初はご親族に相続されましたが、扱いに困った彼らはそれを州に押しつけ、今に至るというわけです。ところで——」
と、フェイトは指を一本立てる。
「実は私は十年ほど前に、ちょっとしたことでその人形図書館の中を見せていただいたことがあるのです。そのときに、ギンズバーグ氏の細やかな秘密を知ってしまいました」
「細やかな秘密?」
バーダロンの瞳に、僅かに興味の色が宿る。
「ええ。あの図書館に置かれている無数の人形ですが、実は誰がどこで作ったのか、これまで誰にも分かりませんでした」
「ああ、有名な話だね」とジョナサンが言う。「都市伝説の一つだ」
「そう。実は私、その都市伝説を偶然解き明かしてしまったんです」
バーダロンは知らず知らずのうちに、少しだけ体勢が前のめりになっていた。その様子にフェイトが愉悦めいた表情を浮かべていたが、彼女は構わずにその先を促す。
「それで、何が分かったのだ?」
「工房です」
「工房?」
「はい。あの二階建てと思われていた人形図書館ですが、実は地下に隠された広大な施設があったのです。そこには無数の人形の部品が並ぶ、工房らしき部屋もありました。そして、ギンズバーグ氏の筆跡で書かれたいくつもの図面も」
へぇ、とジョナサンが感嘆する。
「ということは、人形図書館の人形を作ったのは、資産家ギンズバーグ氏本人だった、ということか。グランヨーク・ポストがコラムにでも書きそうなネタだな」
「秘密の地下室、か」バーダロンが口開く。「貴様の言い方だと、その存在は管理者である州もまだ知らない、ということか?」
「ええ。私だけの秘密にしておりました」
「ふん……過去形、か」
バーダロンの目が、真実を見抜かんばかりに鋭く細められる。対するフェイトは静かに首肯を返す。その表情からは、先ほどまで浮かべていた仮面のような微笑が剥がれ落ちていた。
「——七年前、私は偶然、とある発明家と知り合いました。彼は私にとって非常に貴重な技能を持った人材で、どこか静かに発明に集中出来る場所を探しておりました。そしてそれは、誰にも見つからない場所であればあるほど良い、ということでした」
「それで州に内緒で、その図書館の地下工房を紹介したというわけか」バーダロンは呆れたように首を振る。「立派な不法侵入幇助だな」
同様に、ジョナサンもどこか勝ち誇ったかのようにせせら笑っていた。
「経済界の重鎮、スタンリーが随分とせこい真似をするものだね。そんな建物くらい、簡単に金で手に入れられるだろうに」
「重鎮がそんなことをすれば新聞各社がこぞって取り上げ、肝心の秘匿性が失われるでしょう。今回みたいにね」
ジョナサンはぐっと押し黙った。フェイト女史の言うことももっともだったからである。
「もちろん、私が個人的に他に隠れ場所を用意する、という選択肢もあり得ましたが、研究施設を作るとなれば、それなりのお金を動かさねばなりません。しかし、彼の目的のためにも、そして私の目的のためにも、目立つことは極力避けたかったのです。あの人形図書館の地下工房はそういった意味では完璧でした。秘匿性の面でも、設備面でもね」
バーダロンは話を先に進める。
「……で、その発明家というのが、例の『館長』という人物か」
「その通りです。彼は極めて優れた発明家で、私が求めるものを作り上げることが出来る、唯一の人材でありました。故に、私は彼と取引をしました。隠れ場所の秘匿、そして開発資金の一部援助をする代わりに、『それを作って欲しい』とね」
バーダロンは顎先に指を当てて、しばし沈思黙考した。彼女には『それ』が何なのかおおよその予想がついていた。
「——それが、あの受付にいた二人、つまりはおまえに従順な自動人形、ということか」
オーリアとジョナサンが驚きの目でバーダロンを見やった。
「え、あの方々が、人形……?」
「なんだって……そんな、まさか」
バーダロンは二人に説明する。
「ほら、最初に玄関ホールに入ったとき、彼女たちは何故かジョナサン・ジャズフェラーの名前だけを呼ばなかっただろう。それは来訪者が私とオーリアだけの予定だったからさ。そのように記憶されていたから、そのようにしか対応できなかったんだ」
「……私はてっきり、スタンリー社総出で私を排斥しようとしているのかと思ったよ」
ジョナサンは乾いた笑みで溜息をついた。
バーダロンはそこで、解せないといった表情でフェイト女史を見やる。
「だが、貴様がわざわざあんな人形を作らせる意図がよく分からないな。まさか、スタンリー社の人件費の節約が目的ではなかろうに」
「ええ、もちろん。もっと大局的な視野からです。私は彼に、あの自動人形の量産を依頼したんです。やがて巻き起こるであろう——『世界大戦』のためにね」
バーダロンは得心したように頷いた。オーリアは疑問に首を傾げ、ジョナサンはその単語に渋い表情を見せる。
「世界、大戦、ですか……えっと、また、九〇年前みたいな大きな戦争が起こる、と?」
オーリアが躊躇うように問うと、それには隣のジョナサンが答えた。
「そう考えている識者もいる、というだけだよ。今の段階ではね」
「起きますよ、確実にね」と、フェイトは真剣な顔で主張する。「しかもそれは、九〇年前の独立戦争とは規模が違います。文字通り、戦火はこの国のみならず世界中を呑み込むでしょう」
バーダロンは春先の事件を思い出していた。彼女と対峙していた枢機卿、マルムスティーン——彼もまた、やがてその大戦が起こりえるであろう、と推測していた。そこで彼女は、フェイト女史の真意に辿り着く。
「そうか——軍隊、か」
バーダロンの言葉に、魔女は背筋が凍るような微笑と共に頷いた。
「その通りです。多くの国々が兵力を求める時代が、やがてやってくる。もしそこで、死を恐れず、命令のままに動き、情に流されない——そんな兵士が大量にいたとしたら、どれほど魅力的な商品になり得ると思いますか?」
「ふざけるなっ!」
突然、ジョナサンが立ち上がり、激昂した。
「まさか、それをビジネスとでも呼ぶつもりか? それでどれだけの人間が命を失うと思っているんだ? あなたがやろうとしていることは、『戦争そのものを売ろうとしている』ということだぞ!」
義憤の瞳で突き刺されながらも、しかしフェイト女史は動じることは無かった。そんな彼女を見つめながら、再びバーダロンは険しい顔で首をひねる。
「……解せないな」
「あら、何がでしょうか?」
「歴史改変者である貴様が、そこまでして金儲けに執着する理由だ。それがいったい、貴様の目的、歴史の軌道修正とやらにどんな関係が……」
「関係はございます」
バーダロンの言葉を遮り、フェイトはぴしゃりと言い切った。そこで初めて、彼女の顔に感情のようなものが現れる。バーダロンはその表情に見覚えがあった。
そう、春先の一件で、ハヴァンディアが最後に見せたものと同じ。
——覚悟と切望をもって目的を遂行せんとする、悲愴の色だった。
「大戦はこの世界でも必ず起こります。私のいた西暦世界がそうであったように、千六百万人以上が命を落とす、史上で二番目に最悪の戦争です。しかし、私は生き延びねばならない。そしてその為には、私の基盤を盤石のものにしなくてはならない。私が滅亡することは許されないのです。それよりも多くの命を奪う大災厄、|交差時点励起〈クロスホエン・コンフリクト〉を回避するために——」
と、そこでフェイト・スタンリーは言葉を切った。小さく息を吸い込み、ゆっくりとそれを吐き出した頃には、彼女の表情には先ほどと同じ冷徹の色が取り戻されていた。落ち着いた口調で、彼女は言う。
「いずれにせよ、戦争が起きたとき、我が社の資産を守るための兵力は必要でした。私が彼に自動人形の量産を依頼したのは、どちらかと言えばそういった自衛の意味もあります」
しかし、ジョナサンの憤慨は収まりが付かなかった。
「だが、そんなものを生み出した時点で、それこそ戦争は苛烈に……」
「落ち着け、ジョナサン」と、バーダロンは彼のシャツの裾を引っ張り、着座を促した。「過去形だよ。彼女のそのビジネスは頓挫した。だから、我々は此処に呼ばれたのだ」
当初の前提を思い出したのか、ジョナサンははっとして腰を下ろした。
「……そういえば、館長の暴走、とあなたは言っていたな」
冷静さを取り戻したのか、ジョナサンは膝に肘を置き、幾分、前傾姿勢で問うた。フェイトはこくりと頷く。
「そうです。私は裏切られました」
その穏やかならざる単語で、場の空気が少しだけ冷たくなる。
「彼は自らの研究、彼自身の最大目的の為に、すべてを切り捨て始めました。それはこれまでの私の投資を蔑ろにするかのような、極めて悪質な行為です」そこで、小さく苦笑を挟む。「契約違反で賠償金を請求したいところですが、そもそも取引自体が極秘事項ですので、まぁ、それに関しては泣き寝入りするしかありません」
「なるほど、ようやく見えてきたよ」と、バーダロンが言った。「貴様が人形図書館を買収したのは、その館長なる人物への警告だったわけだ」
「最近では彼は私に会ってもくれませんでしたからね。強硬手段を執らせていただきました」
先ほどフェイトが言っていたように、あの一件は大々的に報道され、秘匿性にひびが入った。加えて、その建物自体を彼女が完全に掌握することで、館長に対するプレッシャーを掛けたわけだ。
「だが、それも通用しなかった」とバーダロンは言う。「そういうことだな?」
フェイトは演技めいた溜息と共に頷いた。
「もはや交渉の余地が無い状況です。正直今となっては、彼は私の秘密を知る最重要の危険人物、何としても排除せねばなりません」
「排除って……」
物騒な言葉に、オーリアが口元を押さえる。しかし、フェイトは構わずに続けた。
「だからフォレスター先生、あなたにお願いしたいことというのは、ずばり——人形図書館の館長の殺害です」
「一介の小説家に頼むことではないな」バーダロンは辟易した様子で首を振る。「だったら、暗殺者でも何でも雇え。それくらいの財力はあるだろう」
「駄目です。私に繋がる痕跡は塵一つとして残せません」
フェイトはばっさりと切り捨てたが、バーダロンは即座に切り返す。
「それなら我々なら良いという理由は何だ? いずれにせよ、こうして膝を交えて会談している時点で、我々の間に繋がりが出来ている。ジョナサンとオーリアが証人だ。どんな手を打ったところで、いずれ貴様に辿り着くだろう」
「いいえ、あなた方ならば法で裁かれることも、それが表沙汰になることもありませんよ」
フェイトは不敵な笑みを浮かべて、ちらりとその傍ら——これまで黙していたゾウイ・ミラージュを見やった。ゾウイは咳払いを一つ挟んで、口を開く。
「あー、今回の件ですけど、たぶん姐さんたちが何をやっても、うちの上司が完璧にもみ消すと思います。なんかそれくらい、情報が外に出たらヤバい案件みたいなんで」
バーダロンはその図式を理解した瞬間、思わず顔を顰めた。
最悪だ。
……ユナリア合衆教皇国の聖人、しかも第零騎士団を動かせる人間の庇護となれば、黒も白に変えることが出来るだろう。フェイトはその庇護を受けたバーダロンとソードを利用して、この件を歴史の闇に葬ろうとしている、というわけだ。
しかし、他人に——しかも、あの鼻持ちならない聖女と同じ連中に、駒として使われるというのは、本来、シナリオを描く側であるバーダロンにとっては屈辱的だった。
彼女が即座にそれを断らなかったのは、一人の少女の存在が頭の中にあったからである。イヴ——彼女を守るとすれば、おそらく自分たちはその館長とやらとの対峙は避けられない。となれば、立ちはだかる最大の障壁は——。
そんなバーダロンの考えの先を読むかのように、フェイトは口開いた。
「自動人形、シャトーモア」
思わず、バーダロンは舌打ちを漏らしてしまった。その様子を見て、フェイトは余裕の笑みを浮かべる。
「あなたがこうして此処を訪れた最大の理由は、その脅威に対抗できる力を求めて、でしょう」
図星であった。バーダロンは、フェイト・スタンリーが歴史改変者であると分かった時点で、その交渉をすべきだと判断していた。そのために、こうしてフェイトの招待に応じたのである。あの自動人形、シャトーモアの並外れた戦闘能力に対抗する為には、こちらにも規格外の力がいる。もしそんなものがあるとすれば、それは未来の科学技術しかない。
「もし、あなたが私の要望を聞き入れていただけるのならば」と、フェイト女史はジャケットの懐に手を入れた。「これを差し上げます」
そこから取り出されたのは、掌に収まる程度の羅針盤のような機械だった。以前、バーダロンが見た、ルクシオン・ドライヴァ通信の為の機材に似ている。
「一階の玄関ホールの自動人形と一緒に、『彼』が私に納品した唯一の発明品です。ブラディオン・ディスターバー、と彼は言っていました」
「ディスターバー?」
聞き慣れぬ単語に、バーダロンは眉を寄せる。
「簡単に言えば、人形の動作を強制終了させる電磁波を一時的に発する装置です。あの子たちはオーナー、つまりは私の命令には従順ですが、なかなか融通が利かないところがありまして。例えば『掃除をしなさい』という命令だけをすると、その範囲の定義が無いために世界中の掃除をし始めるのです」
「なかなかユーモアのある人形たちだね」
と、ジョナサンが戯けて口を挟んだ。フェイトは取り合わずに続ける。
「私がその場にいれば『やめなさい』という指示も出せますが、そうでない場合は彼女たちは誰の命令も聞きません。そういった時の保険ということで、彼が付けてくれた付属品です。言うなれば、緊急停止スイッチ、といったところでしょうか」
「——それがシャトーモアにも通用する、という保証は?」
バーダロンの懐疑的な視線に、フェイトは落ち着いた様子で首を左右に振る。
「ありません。ですが、この装置の理論はほぼ確実に通用すると思われます。この時代に、そこまで対策されたエンジンを積むのは非合理的です」
フェイトはそこで、どこか自嘲的に口の端を歪めた。
「もっとも、私の見立てでは、ということです。私はもともと、あの聖女ハヴァンディアのような専門的な科学者ではありませんでしたから」
バーダロンは真剣な表情で、そう語る魔女の瞳を睨んだ。
……つまり、信じるか信じないかは自分次第、ということか。
しばしの沈黙の後で、バーダロンは大きく溜息をついた。
結論など、悩むまでも無い。結局はプライドの問題でしかないのだ。
——どちらにせよ、自分たちはその館長とシャトーモアと戦わねばならないのだから。
差し出されたその機械を、バーダロンは奪い取るようにして受け取った。それを見て満足げに頷くフェイトの姿が、余計に彼女の神経を逆撫でする。
「……話は終わりだ」
吐き捨てるように言って、バーダロンは立ち上がる。フェイトはそれを見上げながら微笑んだ。
「実に良い取引でした」
「二度としたくない取引だよ」
捨て台詞と共に踵を返そうとするバーダロン。しかし、ジョナサンがそれを押しとどめた。
「ちょっと待ってくれ、バーダロン」彼はフェイト女史を振り返り、訊ねる。「肝心なことを聞いていない」
フェイト女史は脚を組み直し、小首を傾げた。
「何でしょう? 何でもお答えいたしますが」
「その『館長』という人物についてだ。いったいそいつは誰で、目的は何なんだ。私たちはまだその名前すら聞いていないんだぞ」
「あら、失礼いたしました。てっきりもうご存知かと思いまして」
フェイトは口元を隠しながら、演技めいた謝罪を挟んだ。
「——彼は『未来王』の叡智を盗んだ男、すべての自動人形の造物主」
そして、魔女はその名を口にする。
「彼の名は……」




