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傭兵と小説家  作者: 南海 遊
Part 2. The Doll Across The Horizon.
70/83

〈十九〉オーリア・アンダープラチナの描画

 初めて訪れる街ではあるが、ユナリア国民の誰もが持つ一種の憧れのようなものと共に、俺はその街の歴史をそれなりに知っている。


 大陸西部の大都市、ロア。


 それは東部のハイカーゴと同じく、近年の発展がめざましい都市の一つだ。その大きな要因となったのが、まさに我々が乗ってきた大陸横断鉄道を始めとする鉄道網の存在、そしてその礎となった半世紀前のゴールドラッシュだったという。


 フォーラニアン・ゴールドラッシュと呼ばれるその現象は、皇国時代の半ば頃まで人口が千人にも満たなかった小さな港町を、僅か二年間で常住人口三万人の都市に変え、さらにその後の二年間で五万人の大都市に変化させた。黄金鉱山は大陸各地から多くの人々をこの港町に呼び込み、人々は採取された黄金の恩恵で都市を発展させ、鉄道網を矢継ぎ早に繋げていった。


 加えて、古来より大陸西部では、その肥沃な大地と温暖な気候のおかげで、果物や野菜、穀物の収穫が豊富であった。ゴールドラッシュが一段落を迎えた後も、それらの作物はロアに集約され、大陸全土へと放射状に張られた鉄道網を使ってユナリア各地へ送り出されるようになった。


 黄金によって生まれ、西部の太陽によって育てられた、西海岸の楽園。

 それが、このロアという街である。


 ロアの鉄道の玄関口であるユニオンステーションは、そのゴールドラッシュの時代に建てられた白亜の建物である。いくつもの鉄道路線が交差し、その中はさながら迷宮のようだった。


 列車を降りた我々は、まず最初にその駅から脱出するのに苦労することとなった。ようやく建物から出た頃には、既に東の空から宵闇が迫り始めていた。駅舎の外、駅前通りには多くの酒場やレストランが建ち並び、甘い果実酒のような香りが潮風に乗って俺の鼻を擽った。これが西部の風の香りらしい。


「バーダロン、ヴィリティス!」


 駅を出るなり、我々に向けてそんな声が飛んできた。目をやると、通りの方から一人の女性が駆け寄ってきていた。豊かなブロンドの髪を風になびかせ、その表情には満面の笑みが浮かんでいる。女性らしい豊満な体躯であったが、身に纏う純白のワンピースが何処となく彼女に清廉な雰囲気を与えていた。


「オーリア!」


 バーダも珍しく歓びの笑みを浮かべ、飛び込んできたその女性と抱き合った。

 なるほど、彼女が女学生時代からの友人という、オーリア・アンダープラチナか。

 オーリアは抱擁を解くと、非難するようにバーダに言った。


「もう、列車が一日遅れるって電報を貰ったときは心配しました。新聞で見ましたよ、ハイカーゴで列車事故があったんでしょう? 大丈夫なの?」

「ええ、ちょっとしたトラブルよ。詳しくは後で話すわ」


「相変わらず心配性だな、オーリア」


 ヴィリティスもその表情から女騎士の装いを脱ぎ、旧友への愛慕の笑みを浮かべていた。しかし、オーリアはその姿を見て心配そうに眉を寄せた。


「どうしたの、ヴィリティス、その腕!」

「ああ、これは……」と、女騎士は言い淀む。「まぁ、これもちょっとしたトラブルだ」


「両腕を怪我するトラブルなんて、全然『ちょっとした』ことじゃないと思いますわ」


 病院にはちゃんと行ったのか、治るのにどれくらいかかるのか、といった質問を矢継ぎ早に繰り出してくるオーリアに、ヴィリティスは顔を顰めて沈黙していた。

 どうやら、この女性は二人にとっての監督役らしい。女学生時代とやらが目に浮かぶようだった。


「……女性が三人寄ればなんとやら、とはよく言ったものだね」


 と、ジョンが俺に耳打ちし、俺は「違いない」と頷いた。


 我々がしげしげとそんな三人の様子を眺めていると、唐突にオーリアの目がこちらの方に向いた。その視線が俺の腰に下げた剣の鞘に止まり、そこで彼女は何故か表情を明るくした。


「ああ、あなたがソードさんですね」

「俺の名前を知ってるのか」

「ええ、もちろん。だってバーダが手紙に……」


「言っておくが」とバーダは俺をぎろりと睨む。「確かに私はオーリア宛ての手紙に貴様の話を書いた。しかし、内容の大半は貴様に対する愚痴だからな」


「だったら面と向かって言えよ」と俺は溜息をつく。「何を言われても言い返すな、とでも命令すりゃいいだろ」


「そんな性格の悪いことがこの私に出来るか、馬鹿者」

「旧友に手紙で陰口言ってる時点で性格悪いと思うんだが」


 俺とバーダのそんなやりとりを、オーリアは興味深そうに眺めていた。


「へぇ」


 と、オーリアは俺に一歩だけ歩み寄り、まるで絵画でも審美するかのように、俺の瞳をじっくりと覗き込んだ。何だか落ち着かない。近づいた拍子に、彼女の髪から何故か仄かに機械油のような香りが鼻先を撫でた。


 見つめてくる瞳は、さながらエメラルドのように透き通った緑色をしている。やがて、オーリアはその瞳を柔らかく細め、にっこりと微笑んだ。


「……うん、なるほど」

「なるほど?」


 俺は眉を寄せる。いったい彼女は何に納得したのだろう。


「良い人みたいですね」


 あっけらかんとした笑顔で、オーリアはそんなことを言った。


「良い人だ?」俺の眉間の皺がより一層深くなる。「いったい何を根拠に……」


 という俺の言葉は、ヴィリティスが遮った。


「無駄だよ、ソード。オーリアは生粋のアーティストだ。すべての彼女の基準は感覚。理屈は通じないさ」


 そういえば、彼女は画家だというバーダの話を思い出した。なるほど、先ほどの匂いは油絵のものか。


「そしてそのインプレッションが」と、俺の脇からジョナサン・ジャズフェラーが一歩前に出る。「数多の名作を生み出したんだ」


「あら、あなたは?」

「初めまして、ミス・アンダープラチナ」とジョンは社交用の笑みを浮かべて右手を差し出す。「私はジョナサン・ジャズフェラー。お会いできて光栄だ」


 オーリアはその手を握り返した。


「ああ、あなたがジャズフェラー社長ですね。バーダから電報で伺っておりました。私もお会いできて嬉しいです」

「君は知らないかもしれないが、実は個人的に君の絵の二枚ほど所有させてもらっている。どちらも素晴らしい絵だ。君の才能は本物だよ」

「まぁ、ありがとうございます。どちらの絵をお持ちで?」

「『プリズマの謝肉祭』と『果樹園で歌う子供たち』だ。片方は本社ビルの応接室に、もう片方は私が経営するホテルに飾らせてもらっている。なるべく多くの方に見てもらいたいからね」

「ああ、素敵です。私も金庫にしまわれるよりも、その方がずっと嬉しい」


 オーリアは口元に手を当てて、くすくすと笑いを漏らす。バーダの昔話で、オーリアはもともと良家の令嬢だったと聞いた覚えがある。確かに彼女の仕草の一つ一つには、どことなく庶民離れした品の良さが滲み出ていた。


「……ところで、バーダ」と、俺は何の気なしに隣に訊ねてみる。「彼女、オーリアってのは有名な画家なのか」


「おまえ、本気で言っているのか?」小説家は唖然として言う。「昨年の彼女の絵の売上は私の印税よりも上だぞ」


 俺は愕然として、改めてその女性を見やった。俺は小説家、バーダロン・フォレスターが果たしてどれほどの金を稼いでいるのかはわからない。しかし、俺に高価なコートを易々と買い与えることができるほどの経済力を持っていることは知っている。それよりも上だって?


 やれやれ、と俺は辟易した気分で周囲を見渡す。ユナリア一の大金持ちに、騎士団の士長、そして売れっ子の芸術家。この小説家に付き合い始めてからというもの、俺の交友関係の平均年収は加速度的に増大している。ここまで来ると妬みや僻みを感じることすら馬鹿馬鹿しい。


「あら、そちらのお嬢さんは——」


 と、オーリアの視線が下を向く。そこにはバーダロンの影に隠れて、頭一つ分小さな少女が立っている。イヴは戸惑うように目を泳がせた後で、伏し目がちに名乗った。


「私は……イヴ、です」


 声には覇気が無い。彼女は列車の中から消沈気味だった。ずっと、自分が我々に迷惑をかけているのだと思い悩んでいるのだろう。


 怪訝に首を傾げるオーリアに向かって、バーダが口開いた。


「ひとまずはゆっくり話せる場所に移動しないか。長い話になるんだ」

「そうですね。それでは、私のアトリエはいかがですか。あそこなら静かですし、それに——例の図書館も見えますよ」


 オーリアの提案に、反対する者は誰もいなかった。


 我々は街頭に止まっていた四頭立てのキャリッジ馬車を呼びつけ、我々六人はその狭い車室に身を押し込めた。


 ロアは南北に細長い都市である。そのせいか、西へ馬車を五分も走らせると、すぐに郊外に出た。途端に、鼻腔を擽る潮の香りが強くなる。景色から建物の数が減っていき、小さな坂を登りきったあたりで、唐突に視界が開けた。


 海、だ。


 我々の目の前に現れたのは、広大な真西洋だった。彼方の水平線にはまだ辛うじて黄昏の残照が海面を橙色に染めている。あと数分早ければ、或いは沈んでいく夕陽の壮大な景色が見えたかもしれない。浜辺には既に帰り支度を始める海水浴客の姿が多く、その誰もが幸せそうに見えた。彼らはこれから街の酒場に向かい、心地よい虚脱感と共に週末の夜を謳歌するのだろう。


 馬車は浜辺と平行に伸びる小道を、北へ向けてゆっくりと走る。小波の押し寄せる音が、俺の耳にこびり付いた街の雑多な音を拭い去っていく。


 ふと横目で見やると、バーダは少し物憂げな顔で俯いていた。海の方をあまり見ないようにしている。その表情には——適切な表現が見つからないのだが——罪悪感のようなものが宿っているように、俺には見えた。

 或いは、一緒に海に行く約束をした、今は亡き友人を思い出しているのかもしれない。


 道はやがて入り江を回り込むかのように婉曲し、小さなヤシの木の林を抜けたところで、小さな柵が我々の前に現れた。「私有地につき立ち入り禁止」と書かれた小さな門扉をくぐり抜けると、再び視界が開ける。都市部から馬車で十五分程度しか走っていないが、まるで別世界のように景色は一変していた。


 白い砂浜と、対照的に宵闇を孕んだ濃紺の海。浜から少し離れたところには、三角屋根の大きなログハウスがある。広いポーチが備え付けられ、そこには立てかけられたカンバスと、画材の載った小さなテーブルが置かれていた。馬車が止まり、オーリアが先に砂浜に降り立った。


「私のアトリエです」ログハウスを振り返り、彼女が紹介する。「春から夏にかけて、いつもここで海の絵を描いているんです」


「なかなかいい場所じゃないか」


 ヴィリティスの感想に、オーリアは得意げに胸を張ってみせた。


「そうでしょう、私も気に入っているの」

「……まさか、この入り江一つが、まるまるあんたの私有地なのか?」


 俺が疑問を口にすると、オーリアはさも当然のように頷いてみせる。


「ええ。静かに絵に集中できる環境が欲しかったので」


 圧倒的すぎて、もはや羨む気にすらなれない。さすがはフォレスターよりも売れているという画家である。


「いいなぁ、プライベートビーチか。私も憧れるが、なかなか良い場所が無くてねぇ……」


 ジョナサンが羨ましそうに言って周囲を見渡した。と、そこで彼の視線が静止する。


「おや、あれは……」


 彼が眉を寄せて目を凝らす先は、浜辺の遥か延長線上だ。それは切り立った崖がまるで海に突き刺さるかのように伸びる、小さな岬だった。そしてその岬の上、断崖絶壁の頂点には、煉瓦作りらしき建物が大海を睥睨するかのように聳え立っている。


「そうか、あれが——」


 バーダの呟きに、オーリアが神妙な顔で頷いた。


「そう、あなた達がこの大陸を渡ってきた、その目的地」


 その言葉の先は、少女が継いだ。


「……人形、図書館」


 イヴは服の裾を握りしめ、遙か先のその建物を睨みつけながら、呟いた。



 我々はアトリエの中に招かれ、大きなウッドテーブルを囲んで椅子に腰を下ろした。オーリアはわざわざ氷冷室から氷を取り出し、レモネードと称する飲み物を我々に振る舞った。初めて口にする飲み物だったが、柑橘の酸味と蜂蜜の甘みが長旅の我々の疲労を僅かに拭い去ってくれる。一心地ついたところで、オーリアから切り出した。


「また春先の一件みたいに、大きなことに巻き込まれているみたいですね、バーダ」


 彼女の視線は、イヴへと注がれていた。萎縮するように肩を縮こまらせるイヴに、オーリアが慌てて言う。


「ああ、ごめんなさい、イヴさん。あなたが気にすることは無いんです。トラブルに首を突っ込みたがるのはバーダとヴィリティスの性分なので……」

「そこに私の名前が入っているのは、いささか釈然としないがな」


 女騎士が自嘲的に口元を歪める横で、バーダは神妙な顔で口開いた。


「オーリア、あなたには説明しておいた方がいいでしょうね」


 バーダロンはその場で、今回の件についてこれまでに起きたことを一つ一つ詳らかに説明した。イヴのこと、自動人形のこと、そして、アルノルンでの聖女ハヴァンディアとの通信のこと。ただし、そのときに見せられたレメルソン博士の娘の写真については、あえて口にしなかった。


 一通りを話し終えた頃には、外の太陽はすっかり沈み込んでしまっていた。

 オーリアは落ち着いた様子で話を聞いていたが、ジョンの方が少し動揺した様子だった。


「ハヴァンディアが……この国の聖女が、歴史改変者だって?」


「黙っていて悪かったな、ジョナサン」とバーダが謝罪する。「吹聴して回るべき話ではないと判断していたんだ。しかし、今は事情が変わった」


「一応、諫言を挟ませていただくが」ヴィリティスが冷徹に言い放つ。「口外しないのが身のためだぞ、ジャズフェラー」


 ジョンは大きくため息をついてから、真剣な顔で頷いた。


「……分かっているよ。この情報はユナリア国民にとってはむしろ毒だ。幸福よりもむしろ不幸を多く生み出すだろう。今の所、私もそれを望んでいない」


 オーリアは僅かに顔を蒼白にしながら、沈黙していた。彼女が何に対してショックを受けているのか、俺には分かる。彼女もまた、春先のバーダと同じように推測が出来てしまったのだ。この世ならざる奇跡の力、未来で生み出された技能。そして、かつてそれを振るい、多くの人々を救った、彼女たちの親友——。


「……ごめんなさい、オーリア」バーダが沈痛そうな表情で呼びかける。「本当はあなたにはもっと早く話しておきたかったのだけど、手紙や電報で伝えるにはあまりに危険な情報だったから……」


 その横では、ヴィリティスもまた顔を伏せ、苦渋に眉を寄せていた。春先の事件ですべてを知りつつ、聖女の配下として親友のバーダを利用していたのは、この女騎士である。しかし、今の彼女の瞳の奥には慚愧の炎が垣間見えた。


 ——私と同じくらい、彼女もアトラが大好きだったからよ。


 列車の中でのバーダの言葉が思い出される。俺自身、この女騎士を心の底から許したわけでもないし、信頼しているわけでもない。しかし、彼女が抱く想いの大きさは、他人である俺がおいそれと軽々しく触れてよいものでもない。


 彼女たちの心中を察したのか、オーリアは気丈な笑みを浮かべた。


「……いいのよ。こうして今、ちゃんと話しに来てくれたんですもの」


 微笑の片隅に悲哀の残滓を残して、彼女はやんわりと首を振った。その後には真剣な表情に切り替わる。


「ええと、それで——その聖女様は、今回の自動人形の件について殊更に危険視している、ということでいいのかしら」

「そうだ。正確には、その原因となった本物の『未来王の手記エジソンズレコード』を警戒している」と、そこでバーダは顔を顰める。「それをどうにかして盗み出せ、というのが聖女閣下からのお達しだ」

「でも、バーダロンが大人しく体制に従うというのは、珍しいわね」


 オーリアが意外そうに問うと、バーダの眉間の皺が一層深くなった。


「……利害の一致を理解できるくらいには大人だよ、私も」


 実際は枢機卿殺しの弱みを握られているからなのだが。あの聖女が本気になれば、バーダはともかく、俺やヴィリティスを幽閉するくらいのことは容易いだろう。


「ううん、なんだか不可解なことばかりですね。ちょっと整理してみていいですか」


 そう言って、オーリアは突然部屋の奥から真っ白なカンバスを持ってきて、皆の目に見えるように立てかけた。そこに、絵筆でさらさらと絵を描いていく。


「疑問はいくつもありますが、とりあえず大きなところでは三つ。一つ目は、列車とアルノルンでイヴさんを襲撃したという自動人形」


 彼女がそこに描いたのは、二人の女性給仕の簡易な絵だった。キャビッジパッチとガンドシュタイフを表しているのだろう。その後で、ちらりとイヴの傍らにある旅行鞄に目をやる。


「彼女たちの目的がその旅行鞄の奪取だとしたら、それはいったい誰の命令だったのか」


 あのアルノルンの時計台で、シャトーモアはその二体の襲撃を「彼女たちの暴走」と言っていた。しかし、彼女たちには明らかにイヴの殺害と旅行鞄の奪取という目的があった。それは果たして、暴走と称して然るべきなのだろうか。俺にはやはり何か裏があるようにしか思えない。


 ——そして、何よりもこの旅行鞄である。あのゴルドですらぶった斬れない鞄の中身は、いったい何なのだろう。


「二つ目としては、その人形図書館の館長ですね」と、今度はその隣に顔の無い男性の絵を描く。「本当は性別すらも分かりませんが……その人物は何者なのか。そして、レメルソン博士はどうして娘さんをたった一人で、その人物のもとへ送り出したのか」


 ふと横を見やると、イヴは俯きながら自分の膝の上で拳を強く握り絞めていた。その謎を一番疑問に思っているのは、間違いなく彼女だろう。


「そして三つ目は、ニコラス・テラーさん」


 オーリアはさらさらと眼鏡の青年の絵を描き加える。


「先ほどの話では、彼が単身で人形図書館に乗り込んだ理由も分かりません。ジャズフェラーさんは本当に心当たりが無いんでしょうか?」


「心当たりと言ってよいかは分からないが……」と、彼はちらりとイヴに視線を投げた。「ニコラスはイヴの境遇の件で、並々ならぬ憤りを抱いてはいたようだ。あー、なんと言うか……」


 ジョンが言い淀んでいると、イヴが冷たい声色で答えた。


「——亡くなった妹さんを、私に重ねていたからだと思います」


 俺はぎょっとして彼女を振り向いた。


「イヴ、知ってたのか?」


 俺の問いに、彼女は真剣な顔でこくりと頷いた。


「ごめんなさい。あの列車の夜、喉が渇いたのでお水を頂こうと食堂車に行ったんです。バーダお姉様はお休みになっていたので、一人でこっそりと。そこでたまたま、お二人の会話を聞いてしまいました」


 俺はやれやれと息を吐いた。責めるような目をバーダに送るも、何故か彼女は腕組みをしたまま、真剣な顔つきで瞳を閉じていた。イヴが、震える声で続けた。


「だから、ニコラスさんが一人で人形図書館に向かったのも、きっと、元を辿れば私のせい……」

「——いや、それは違うぞ、イヴ」 


 そこでバーダロンは目蓋を開け、鋭利な口調で否定する。


「それだと辻褄が合わない。もし彼の行動が義憤に駆られたものだったとしたら、アルノルンで我々と別れた後、そのまま次の列車でロアに向かっていた筈だ。しかし、ニコラスが出立したのは、シャトーモアとの邂逅の後だ」


 そういえば、あの後のニックの様子は少しおかしかったような気がする。別れ際の彼は明らかに上の空だった。


「きっかけはたぶん、シャトーモアの話——『本物の未来王の手記(エジソンズレコード)』の情報だったと思う。今思えば、そのときのニコラスの顔には驚き以外の感情も浮かんでいた。決意、覚悟、或いは——それは翹望ぎょうぼうにすら近いものだった気がする」


 バーダの言葉に、ジョンははっとして顔を上げる。


「それじゃあ、ニコラスの目的って……」

「ああ——確証は無いが、おそらくはその『本物の未来王の手記(エジソンズレコード)』じゃないかと私は睨んでいる」


 それが、バーダがロア行きの列車の中で言い淀んだ推測、であるらしい。

 しかし、どうしてニックがそんなものを求める?

 そんな一同の疑問は、ジョンは代弁した。


「それじゃ、ニコラスは『本物の未来王の手記(エジソンズレコード)』を求めて、単独行動に出たって言うのかい? 求める理由が分からないな。まさか、私のように所有欲に突き動かされたわけじゃあるまいし」

「確かに、彼はどちらかと言えば無欲な青年だな」


 と、その横でヴィリティスが鼻を鳴らした。バーダも諦めたような吐息を漏らす。


「だから、あくまで推測だよ。それは直接会って聞くしかあるまい。単なる学術的欲求か、或いは——それを使って何かやり遂げたいことがあるのか」


 ……やり遂げたいこと、か。


 未来の叡智を手に入れてまで、やり遂げたいこととは何だろうか。俺は逆の立場で考えてみる。俺であれば——そうだ、あの聖女ハヴァンディアのように、過去の時間に飛んであの故郷での惨劇を止めようとするかもしれない。失敗するたびに、何度も——。


 もしかしてニックも同じなのだろうか。


 八年前、彼が両親と最愛の妹を亡くした事件——あのスカーレットクラウドの惨劇は、彼にとってもやり直したい過去の筈だ。だとしたら、彼はまさかそのために……。


 と、考えたところで、俺は頭を振った。それこそ妄想に過ぎない。第一、その『本物の未来王の手記(エジソンズレコード)』で過去に遡れると決まったわけでもないのだ。


「——今すぐ、人形図書館に行けば分かります」


 静寂を破ったのは、イヴだった。彼女は真剣な眼差しでテーブルの中央を見据えながら、落ち着いた声で言う。


「これまでのすべての謎だって解き明かされる筈です。何より、今ならニコラスさんを止められるかも……」


「駄目だ」バーダがはっきりと断言する。「人形図書館へ向かうのは明朝だ。今夜はこのオーリアのアトリエに泊まる」


「お姉様は、ニコラスさんが心配じゃないんですか?」


 珍しく、イヴが強気な瞳でバーダを見上げた。バーダはその瞳をしばらく見つめ返した後で、首を左右に振った。


「ニコラスとて馬鹿じゃない。夜も更けようとしているのに、むざむざ何の用意も無く敵地に飛び込んだりはしないよ。何より、彼だってあのシャトーモアの化け物じみた強さを目の当たりにしているんだからな」

「でも……!」


 未だ矛先収まらぬ様子のイヴの肩に、バーダはそっと手を当てる。


「焦る気持ちは分かるわ、イヴ。でも、まだ待ちなさい。私たちにはまだピースが足りないの」

「ピース、ですか」

「ええ、とても重要な最後のピースよ。でも大丈夫。今夜中には必ず揃うわ」


 バーダの目には何かしらの確信が込められていた。イヴはそれを懐疑的な目で見つめる。


「分かってちょうだい、イヴ」


 バーダの念押しに、しかし、イヴは答えずに視線を逸らしただけであった。

 あれほどまで慕っていたバーダにまで、露骨に反抗的な態度を見せるイヴ。おそらく、それは彼女の焦燥の表れなのだろう。今回の件で一番の渦中にいるのは、この十四歳の少女なのだ。

 バーダもその胸中を分かっているのか、それ以上の無為な説得は控えた。


「ああ、そうだ」


 その場の雰囲気を払拭するかのように、オーリアが明るい声を上げた。


「お腹、空きませんか。もうこんな時間ですし、夕食にしましょう」


「ああ、それはいい提案だ」ジョンも大きく頷く。「たしかにもうお腹ぺこぺこだよ」


「皆さんがいらっしゃると聞いていたので、実は料理の下ごしらえは済んでいるんです。手早く用意してしまいましょう」


「私も手伝おう、オーリア」と女騎士が立ち上がる。「鍋を混ぜるくらいなら、この腕でも出来る」


「それじゃ、私も——」


 と、バーダが立ち上がろうとした瞬間。

 オーリアとヴィリティスが凄まじい勢いで振り向いた。


「いえ、大丈夫よ、バーダ」

「おまえは座っていろ、長旅で疲れただろう」


 反論を挟む暇すら与えず、異口同音に言い放つ二人。その表情は何故か妙に真剣だ。一方で、バーダは口を曲げて憮然とする。


「別にそこまで疲れてないけど……あら、この香りはコーンチャウダーかしら。それじゃ、私が最後の味付けを——」

「駄目!」

「座れ、バーダ!」


 鬼気迫るような言葉をぶつけられ、バーダは圧倒されるように動きを止める。困惑した様子の彼女に、オーリアが慌てた様子で笑いかける。


「ほ、ほら、せっかくだから、バーダに私のフォーラニア料理を味合わせてあげようと思って」

「うん? まぁ、オーリアが手料理をご馳走してくれるって言うのなら、大人しく待ってようかしら」


 どこか釈然としない様子ではあったが、バーダは調理場に立つのを諦め、再び椅子に深く腰掛けた。その様子を見て、二人が胸を撫で下ろしたのを俺は見逃さない。


 ——なるほど。

 俺はバーダの手料理を味わったことはないが——つまりは、そういうことなのだろう。ふとジョンと目が合うと、どうやら彼もそれを察したらしく、無言でこくりと頷いていた。とりあえず、こいつを調理場には立たせないようにしよう、という暗黙の合意形成である。


 そこでふと、オーリアの視線が、椅子に腰掛けたまま俯いているイヴに止まった。その顔には未だ、沈痛と焦燥がない交ぜになった表情が浮かんでいる。オーリアはそんなイヴの元にやってきて、後ろからその両肩に優しく手を置く。


「——イヴさん、あなたも手伝ってくれる?」

「……え?」


 きょとんとした顔で見上げるイヴに、オーリアは優しく微笑む。


「料理をしたことはあるかしら?」

「いえ、でも……」

「そう、それじゃ、教えてあげる。ほら、こっちに来て」


 戸惑いながらも、手を引かれるようにしてイヴは立ち上がる。そして伏し目がちに、小さな声で答えた。


「……分かりました」


「うん? イヴが手伝うなら、私もやっぱり手伝おうかし……」

「大丈夫、あなたは座ってて!」

「そのマスタードから手を離せバーダ!」


 ……駄目だ、見ちゃいられねぇ。


「——バーダ、ちょっと話がある」


 と、俺は強引に彼女の腕を掴んで、アトリエの外に連れ出した。


「え、ちょ、ソード、何を……」


 ポーチに出る直前、肩越しに屋内を見やると、オーリアとヴィリティスとジョンが俺に向けて親指を立てているのが見えた。

 良い仕事が出来て何よりだ。


 ◆


 太陽はすっかり水平線の向こうに落ちて、辺りは宵闇に満ちていた。目の前の真西洋はさながらコールタールのように、闇を呑み込んで静かにたゆたっている。


 波打ち際の少し手前までバーダを連れ出して、俺は手を離した。


「もう、何なのよ……急にこんなところに呼び出して」


 夜の帳のせいで表情は判然としないが、彼女の口調からは憤りが感じられる。さて、どうしたものか。とりあえずこいつを調理場に立たせまいと連れ出しただけなので、特別話すことも無い。


 波の音が、そんな我々の沈黙の隙間を縫って浜辺に響く。やがて雲の切れ間から僅かに月光が射し込み、それは再びすぐに雲の影に隠れていった。


 何故かは分からないが、バーダはどこか落ち着かない様子だった。暗闇の中で、その両手が背中の後ろで手持ち無沙汰にもぞもぞと動いているのを感じる。苛立っているのだろうか。このままでは依頼人の怒りを買いかねない。さて、どうする、と俺は試行を回転させる。


 ようやく話題を見つけて、俺は口開いた。


「あー、おまえがさっき言っていた『最後のピース』とやらの件だが……」

「——え?」

「ほら、今夜中に揃うはずだ、とか言ってたじゃねぇか」


 再び月光が射し込み、バーダの顔を照らした。そこには呆れと憤りを混ぜて半分にしたかのような表情があった。


「……ああ、そのことか」


 何故か大きなため息を挟んでから、バーダは腕を組んだ。その口調が、いつもの作家然としたものに戻る。


「そのままの意味だよ。おそらく今夜、遅くとも明朝には、動きがある筈だ。私とお前に対してな」


 俺は首を傾げる。


「俺とお前? 動きってのは、いったい誰の……」


 と、そこで俺の耳は、波の音の狭間にもう一つの音を聞いた。それは遠くから聞こえてくるくぐもった蹄と車輪の音。浜辺を馬車が走ってくる音である。

 バーダの口元が不敵な笑みを浮かべる。


「思ったより早かったな」


 そうこうしている内に、椰子の木の林の狭間にランタンの灯りがちらちらと見え始めた。その馬車はやがてこの浜辺に姿を現し、まっすぐに我々の方までやってくると、ぴたりと停止した。


 四頭立ての立派なコーチ馬車である。その瀟洒な箱馬車は街を走っているような駅馬車の類いではない。間違い無く、どこかの金持ちの所有物だ。御者は夏の夜だと言うのにかっちりとした臙脂色のジャケットを纏っている。彼は御者台を降りると、恭しく俺たちに頭を下げた。


「夜分に失礼いたします。こちらにアンダープラチナ様はいらっしゃいますでしょうか?」


 俺は眉を寄せる。オーリア? しかし、いったいどうして、箱馬車がこんな時間にオーリアを訊ねてくる?

 疑問顔の俺とは対照的に、バーダロンはすべてを理解しているかのように、落ち着いた調子で口開く。


「中にいる。まずは私が話を聞こう。私の名はフォレスターだ」


 すると、御者は懐から一通の封筒を取り出し、宛名をちらりと見やった。


「……それはちょうど良かった。こちらはアンダープラチナ様とフォレスター様に宛てられたものです」


 バーダがその封筒を受け取ったのと時を同じくして、ログハウスのポーチにオーリアとジョンの姿が現れた。


「どうしたの、バーダロン?」

「さっき馬車の音が聞こえたような気が……え?」


 浜辺に降りるなり、二人は見慣れぬ馬車を目にして驚きに口を開く。バーダはその封筒の中身に目をやった後で、肩越しにそれを二人に見せる。


「招待状が届いたぞ。オーリアの絵画の大ファンからだ」

「私の、ファン?」

「ああ。要約すると、『先日購入したアンダープラチナ先生の絵画について一方ならぬ感銘を受けた。是非、我が社にお招きしたい。そちらの馬車をお使いください。訪問中のフォレスター先生もどうかご一緒に』だそうだ」


 あまりに突拍子の無い内容に、俺たち三人の頭上に疑問符が浮かぶ。


 バーダも一緒に、だと?

 ……いや、待て、おかしい。


 どうしてこの手紙の差出人は、バーダが今、オーリアの元にいると知っているんだ?


「オーリア、最近、どこかの社長が絵を買いに来たことはある?」


 バーダの突然の問いに、オーリアは鼻白む。


「社長? ええと……あ」と、彼女は思い出したように手を叩いた。「確かに一社、社長本人ではありませんが、代理の方が買いに来ました」


「そいつは誰だ?」


 俺は思わず訊ねていた。オーリアは答える。


「ロアの大きな会社で……そう、スタンリーさんです。スタンリー・ホールディングス」


 その名前に俺とジョンは愕然とする。それは確か、つい三日前に人形図書館を買い取った人物の名前である。バーダが頷いていた。


「ああ、そのスタンリーから招待状だよ」

「こんな時間に? なんて非常識な」

 ジョンは顔を顰めて言い捨てる。


「ああ、確かに非常識だ。しかしそれでも、この差出人は我々がこの招待に応じると思っているんだよ」バーダロンはどこか楽しげに口の端を吊り上げる。「悪いが夕食はまた別の機会にしよう。オーリア、早速準備をしてくれ」


「バーダロン、まさか君、この招待に応えるのかい?」


 ジョンが愕然として訊ねるも、バーダは涼しい顔で頷く。


「これこそが私の待っていた最後のピースだよ。ジョナサン、おまえも来るか?」


 ジョンは一瞬だけ逡巡を挟む。しかし、弱気を振り払うかのように首を振り、やがて決心したように頷いた。


「ああ、私も行こう。フェイト・スタンリーが暗躍しているというのなら、それと同等の力が必要になるはずだ」


 ジャズフェラー財団の創始者は、力強くそう言った。

 やれやれ、と俺は首を振る。何が起きているかは分からないが、とにかく俺はこの流れに身を任せるしかなさそうだ。


 ——と、そんなことを思った矢先だった。

 唐突に、ログハウスから勢いよく飛び出してくる人影があった。


「バーダ、ソード、大変だ!」


 ヴィリティスは普段からは想像も出来ないほどに慌てた様子で、我々の元に走ってくる。バーダが怪訝に首を傾げる。


「ヴィリティス? どうしたの?」

「イヴがいない!」


 出し抜けに言われた一言に、一同が驚きの声を上げる。


「外に薪を取りに行かせたっきりだ。おかしいと思って様子を見に行ってみたら、リビングの鞄ごと彼女が消えていたんだ……すまない、私がついてながら……」


 女騎士は悔恨に顔を歪め、頭を下げる。俺は思わず舌打ちを漏らし、吐き捨てる。


「あいつ、一人で人形図書館に向かったな……!」

「アンダープラチナさん、あの図書館まではどれくらいで行けるんだ?」


 ジョンの質問に、オーリアがしどろもどろに答える。


「ええと、歩けば三〇分くらいですが、馬を使えば一〇分もかからないかと……」

「——馬は?」


 バーダの冷徹な問いに、オーリアがログハウスの後方を指さす。


「林の中に馬小屋があります。私の馬が一頭いますが……」


 そこでヴィリティスが首を左右に振った。


「……さっき見に行ったが、それも空っぽだった」


 俺は海に向けて悪態をつく。その隣で、バーダも苦渋に顔を歪めていた。


「どうする、バーダ」


 俺の問いに、彼女は大きく息を吸い込んでから答えた。


「——仕方あるまい。ソード、ヴィリティス、今すぐイヴを追ってくれ。私はスタンリーと話を付けてくる。オーリア、ジョナサン、お前たちは私と来てくれ」


 一同は皆、ほぼ同時に頷く。俺はバーダに耳打ちする。


「……すまない。一時、お前の側を離れる」

「構わん。おまえは一刻も早くイヴに追い付いてくれ」

「ああ。その前に一つだけ、お願いだ」

「……何だ?」

「無茶はしないでくれ」


 バーダはその口元に、小さく微笑を浮かべた。


「——分かってるわよ」


「ソード、急ごう!」


 ヴィリティスが先を急かす。俺は頷き、その後を追って走り出した。そんな俺たちの背に、バーダの声がかかる。


「こちらも話が済んだらそっちに向かう! 頼んだぞ、ソード、ヴィリティス!」


 ああ、と俺は心の中で頷きを返した。


 ——今夜、この不可解極まりないクソったれた事件のすべてを、終わらせてやる。


 闇夜を切り裂き疾走しながら、俺は遙か前方の岬を睨み付けた。


 月の無い夜の中で、人形図書館の異様が我々を睥睨していた。

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