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傭兵と小説家  作者: 南海 遊
Part 1. The Soldier and The Novelist.
7/83

〈六〉その紫煙は燻ぶらない

 置き引き犯に不運があるのだとしたら、それは二つ。逃げ込んだ先が大通りではなく裏通りだったこと、そして追っ手がそこに精通する俺であったことだろう。


 傭兵時代の最もくだらない仕事の一つに、飼い猫や飼い犬の捜索というものがあった。昼夜を問わずイクスラハの路地という路地を駆け回る、労力と時間の割に報酬が見合わない糞仕事だ。当然傭兵連中は誰もやりたくないものだから、依頼があるたびに担当はクジで決められたものだ。全く誇れることではないが、俺はその任務を担当した回数の年間最多記録保持者である。


 そういえば、と俺は思い出した。


 ……改めて振り返ってみると、あのクジは厳正を謳っていたくせに俺が制作に関わった記憶が一切無い。


 今更、もの悲しさと怒りが湧いてきたところで、視界に置き引き犯の後ろ姿を捉えた。犬猫を見つけるより遙かに簡単だ。


「待ちやがれ!」


 俺の声が閑散とした路地裏に響きわたり、逃走する置き引き犯が振り返って俺の姿を認める。その表情に浮かんだのは焦燥というよりは苛立ち。その顔には見覚えがあった。


「……ったく、何が理想郷政策だ」


 舌打ちと共に独り言を漏らして、俺は速度を上げる。


 置き引き犯は角を曲がり、別の路地に入った。俺は頭の中で地図をなぞる。その路地が続くのは小さな噴水のある広場、そしてその先は表参道だ。独立祭の観光客でごった返す町中に出られたら、追跡は難しい。噴水広場までには確実に捕らえねばならない。


 後を追って路地に入ろうとしたとき、俺の後方から走ってくる人影を捉える。書店にいた女が、息を切らせながら俺たちの後を追いかけてきていた。まったく、大人しく店で待ってりゃいいものを。だが構っている暇などない。俺は無視して狭い路地へと突入した。


 再び視界に捉えた盗人との距離を目算する。この速度ならばいずれは追いつけるだろうが、その前に表参道に行き当たってしまう可能性が高い。


 そう考えた俺は体勢を低くして疾駆、その勢いのまま石畳を強く蹴って跳躍した。


 空気が頬を切るのを感じながら、さらに路地を挟む煉瓦塀を蹴り上げる。重力が俺の身体を掴む前に、さらに反対側の壁を蹴って天高く飛翔。そのまま建物の屋根に着地し、勢いを殺さぬまま疾走を再開する。この路地は大きく湾曲している為、屋根づたいに直進すれば先回りが出来る。


 家々の屋根を蹴ってイクスラハの空を走り抜け、眼下に噴水広場を認めたところで、俺は重力に身を預けた。


 目論見通り、俺は乾いた音を立てて広場の入り口に降り立つ。俺の前方、路地裏から走り出てきた盗人の表情が一瞬驚愕に歪んだ。しかしそんな躊躇も一瞬、奴は速度を緩めずに上着の袖に潜めていた短刀を引き抜く。それを見て俺の口元が自然と緩んだ。


「さすが元傭兵、短絡的だな」


 男は凶刃を構えながら俺に突進してくる。強行突破するつもりらしい。しかし、


「殺気が足りねぇよ」


 俺は突き出された短刀を身を反らしてかわし、その腕を左手で絡め捕った。そのまま左回りで男に背を向け、右の肘で奴の鳩尾を突き上げて、全体重を遙か前方へと傾ける。男の顔が苦悶に歪み、俺の右肘を支点にその足が地を離れた。


 肘鉄からの背負い投げ、のみでは終わらない。


 男の身体を宙に跳ね上げた時点で右腕の支点としての役目は終わっている。一瞬、展開を察して絶望する男と至近距離で目が合ったが、俺はにやりと笑い返してやった。


 ―――次の瞬間、天を穿つ勢いで突き出された俺の右拳が、男の顔面を撃ち抜いた。


 盗人は声を上げることも出来ずに空中に投げ出され、派手な水しぶきと共に噴水の池に墜落した。一拍遅れて、男の持っていたナイフがカランという澄んだ音を立てて俺の足下に落ちる。俺はそれを拾い上げて、鼻を鳴らす。


「元傭兵がこんな安い武器を使うな、軟弱者」


 気を失って池にぷかぷかと浮かぶ元商売敵に、俺はそんな言葉を吐いた。


 名前こそ知らないが、一度剣を交えた者の顔を俺は忘れない。この男は俺の所属していた『夕陽の組合』ではなく、別の組合に所属していた傭兵だった。ヒュウの言葉を借りれば、いわゆる『沈んだ船の船乗りたち』という奴である。職を失い、小狡い盗人になり果てたというわけだろう。話だけではなく、実際に現状を目の当たりにして、俺の中に苦々しさが残った。


 背後から誰かが走ってくる足音がして、俺は振り向く。肩で息をしながら広場に現れたのは、書店にいたあの女だった。


「よう、遅かったな」


 それを見て俺は口元に不敵な笑みを形作る。自分の荷物を盗んだ悪漢を捕らえてやったのだ、さすがに罵詈雑言は口に出来まい。


「これは、貴様が……?」


 息も絶え絶えに問う女に、俺は手元のナイフを弄びながら、余裕の表情で肩を竦めて見せた。


「ま、そういうことだ」

「そう、か」


 女は息を整えるとツカツカと俺の元までやってくる。数秒後の感謝の言葉を期待しながら、俺は返す言葉を考える。気にするな、大したことじゃない、礼はいらない。そんなところだろう。


 しかし、女の取った行動は、清々しいほどに俺の予想と真逆だった。


「―――こんの馬鹿者がぁぁぁぁ!」


 女は殺意を瞳に宿し、見事なまでに美しいフォームの上段蹴りを俺の顔面に叩き込んだ。


「ぐふぉ!?」


 あまりにも唐突で避けきれなかった。油断と驚愕、衝撃に俺はよろけ、さらに落としたナイフを踏んでバランスを崩す。突然の出来事に混乱した俺は体勢を直すことも出来ず、そのまま豪快な水音を立てて池へと転落する。まだ冷たい池の水が俺の全身を飲み込だ。


 殴られた? いや、蹴られた? 俺が? なぜ?


 池の水を少し飲みながら、俺は憤怒と共に水面に顔を出す。


「てめえ、何しやが……」

「私の鞄に、何てことをしてくれたのだ!」


 鞄?


 顔を上げると、女は池から旅行鞄を拾い上げていた。どうやら俺が盗人を殴り飛ばした時に、一緒に吹き飛んでしまったらしい。そのまま男と共に池に墜落してしまったというわけだ。


「こんなのってひどいわ……」


 びしょ濡れの鞄を抱きしめる女の目は、少し涙で潤んでいた。あまりの豹変っぷりに思わずたじろぎ、俺は反論の言葉を見失ってしまう。代わりに口から出たのは、何かを言わねばという強迫観念に駆られた、意味を持たない言葉。


「いや、あの……」


 女は鞄を抱き抱えたまま、キッと俺を睨みつける。それは先ほどまで書店で俺を強気になじっていた女の顔ではなかった。鞄がひとつ水に濡れたくらいで、何故にそこまで追いつめられたような顔をするのだろうか。


「その、なんだ、それは不可抗力というか……」

「うるさい! もう私に話しかけないで!」


 ヒステリックに叫んで、女は踵を返す。


「おい、ちょっと!」


 とにかく何か弁明をせねば、と俺は呼び止める。

 その声に一瞬足を止めて、女は振り向いた。


 ―――絶対零度の、瞳とともに。


「話しかけないで……!」


 未だかつて浴びたことのない凍てついた視線に、俺は気圧されてしまう。怒気を纏いながら広場を出て行く女の背中を、俺はびしょ濡れのまま呆然と見送るしか無かった。


 女が去った後で俺はようやく池から上がる。水を吸った衣服が気持ち悪い。


「何なんだよ、いったい」


 そんな独り言を呟かずにはいられなかった。黙っていると空しさに泣けてきそうだったからだ。


 ひとまず落ち着こうと思い、噴水の縁に腰掛ける。ジャケットから煙草を一本取り出し、口に咥えた。ライターを取り出し、火を着ける。


 着くはずがなかった。


 俺は泣いた。



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[一言] 小説家の女が最悪 台無し
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