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傭兵と小説家  作者: 南海 遊
Part 2. The Doll Across The Horizon.
69/83

〈十八〉再び西へ

 聖女は通信を終える直前、何か報告事項があったらこのゾウイを呼ぶように、と言い残した。


「その場で呼べばすぐに姿を現してくれるでしょう。さながら、従順な執事のようにね」


 聖女の傍らではミラージュがニヤニヤと笑い、その半透明の姿の先ではゾウイ本人が乾いた苦笑を浮かべていた。そして現れた時と同様、まるで煙のように聖女の姿は消え去った。床に置かれた装置を回収し、ゾウイは大きく溜息をついていた。


「……ま、そういうことらしいんで。何かあったら呼んでください」


 もうどうにでもしてくれ、というような口調でそう言い残すと、ゾウイもまた宵闇に溶け込むようにして我々の前から去って行った。


 二人きりになった後で、俺は貯まりに貯まっていた疑問をぶちまけるかの如く口を開こうとした。が、その直前でバーダが人差し指を自分の口元に当てる仕草をしてみせる。


「……まずは食堂に戻ろう。道中、小声で話せ」と、彼女は周囲に目を走らせながら言う。「その方がリスクが減る。あの男にはなるべく聞かれたくない」


 俺は無言で頷き、礼拝堂を後にする。修道院の無人の廊下を歩きながら、俺は声を潜めて問うた。


「さっきの発言はどういう意味なんだ。キャビッジパッチの残骸なんて、回収してないだろ」


 たしかジョンの話によると、あの人形の残骸はジャズフェラー財団が手を出す前に、何者かによって回収されてしまっていた筈だ。


「はったりだよ」と、バーダは不敵な笑みと共に答える。「だが、その効果は抜群だったらしい」

「どういうことだ?」


「あの聖女の反応で分かった。ハイカーゴでキャビッジパッチの残骸を回収したのは第零騎士団ではない。また別の勢力(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)だ」


「別の勢力って……まさか、シャトーモアか?」

「いや、違うな。それだと時間軸が合わない。あの人形がここアルノルンに現れたのは、ハイカーゴ駅の事件があったからだ」


 そういえば、あの人形は「ハイカーゴの事件を聞いた館長が自分を使いに寄越した」と言っていたのを思い出す。俺は顰めっ面で再び問う。


「それじゃ、いったい何なんだよ、その別の勢力って」

「まだ確証が無い。明言はできん」


 例の如く、バーダはあっさりと俺の疑問を切り捨てた。やれやれ、またこれか。


「……しかし、おそらく我々がロアに着いた時点で分かる筈だ。私の予想が正しければな」

「そこまで言うなら、殆ど確証を持っているようなものじゃないのか?」


 俺の揶揄するような発言に、バーダは呆れたように首を振った。


「以前も言ったが、推論の段階で断言するのは——」

「『私のモットーに反する』だろ」


 俺は鼻を鳴らしながら、その言葉の先を口にする。バーダは一瞬驚いた顔を浮かべてから、にやりと笑った。


「分かってるじゃないか」

「おまえの人格はもう大体分かってきたよ」

「それは自分の思慮の浅さが分かってない奴が言う台詞だ」


 俺は苦い顔を浮かべる。確かに、こいつを言い負かそうとした俺の思慮が浅かった。


「そういえば」と俺は話の路線を戻す。「レメルソン博士の実の娘のことだが……」


 バーダもそれが気になっていたのだろう。真面目な顔になって頷いた。


「ああ、あれは間違い無くイヴと生き写しだ」

「まさか、博士の娘が実は生きていて、それがイヴだったり……」

「博士の娘が亡くなったアルノルン事変は十二年前だぞ。当時一四歳なら、今はその子は二六歳になっている筈だろう」


 計算も出来ないのか、という非難の視線が俺に突き刺さる。まったくもってその通りだった。


「しかし、だとしたらどうしてだ? もちろん、偶然なんかじゃないだろ」

「ああ、確実に意図的なものだった筈だ。レメルソン博士は亡くなった自分の娘にそっくりだったからこそ、イヴを養子にしたんだと思う。思えばあの自動人形シリーズの顔の造形も、何処となくイヴの——いや、ノーラ・レメルソンの面影があった」


 言いながら、バーダの目に鋭い冴えが宿る。


「おそらくその符号は、今回の一連の事件の根幹に関連している筈だ」


 食堂に入る前に「さっきの話はイヴにはするな」とバーダは俺に念押しをした。ただでさえ今のイヴは、自分のせいで俺とヴィリティスが傷ついたと気に病んでいるのだ。さらに余計な混乱はさせない方がいいだろう。


 食堂に入ると、何故かその場の一同の視線が我々に突き刺さった。それはどこか、我々の戻りが心待ちにされていたかのような、奇妙な違和感を感じさせた。気がつけばそこには、イヴとヴィリティスの姿が無かった。


 すると、シスター・ローレンスが我々のもとにやってきて耳打ちした。


「矢継ぎ早で申し訳ありませんが、あなた方が離席している間にもう一人、客人がいらっしゃいました」

「客人ですって?」


 バーダの問い返しに、修道女長は神妙に頷いた。


「とても慌てた様子でした。今は院長室で、ヴィリティスとあなた方のお連れの少女がお話をしています。共通のお知り合いだとか」


 その二人と我々の共通の知り合いとなれば、心当たりは少ない。俺はやれやれと首を振った。


「夕食はまた当分お預けだな」


 空きっ腹を抱えたまま、俺とバーダはその足で院長室へ向かった。扉を開けると、そこには三人の姿があった。一方のソファにはヴィリティスとイヴが座り、その対面には一人の男が腰掛けている。男の姿は何処となく憔悴しているように見えた。


 バーダが意外そうに目を見開いて、その男の名を呼ぶ。


「ジョナサン? どうしたんだ、こんな時間に?」

「ああ、バーダロン、それにソードくん。困ったことになった」


 ジョナサン・ジャズフェラーは、珍しくかなり動揺していた。慌てて走ってきたのだろう、髪も乱れ、ワイシャツは汗で身体に貼り付いている。


「どうした、何があった?」


 俺が訊ねると、ジョンは額に手を当てながら、端的に答えた。



「——ニコラスが、姿を消したんだ」



 ◆


 翌朝、我々はアルノルン駅から再び大陸横断鉄道に飛び乗った。その中にはジョナサン・ジャズフェラーと、ヴィリティス・ナイツの姿もあった。


 バーダは負傷中のヴィリティスが我々の旅に同行することに強く反対した。しかし、「有給を西海岸へのバカンスに使うだけだ」という女騎士の頑なな主張の前に、反論を呑み込むほか無かった。


 乗車前、俺も率直な意見を女騎士にぶつけてみた。


「——手負いの騎士が何の役に立つんだ」

「誇りの問題だ」とヴィリティスは真剣な目で答えた。「あの敗北のまま、この私が引き下がれるわけが無いだろう」


 やれやれ、あの小説家にしてこの親友ありか、と俺は溜息をついた。


 客室に荷物を運び込み、我々五人が列車のコンパートメントに腰を落ち着けた頃に、ちょうど汽笛が鳴り響いた。列車がゆっくりと動き出し、アルノルンの街並が車窓の向こうでゆっくりと加速し始める。その様子を眺めながらバーダが口開いた。


「まったく、大変な帰郷だったな」

「本当だぜ。俺なんて頭をぶち抜かれたんだからな」


 俺がこめかみに指を当てて悪態をつくと、バーダとヴィリティスは小さく笑いを漏らした。しかし、残る二人は沈痛そうな表情のままだった。


「……ニコラスさんは、本当に一人で人形図書館に向かったのでしょうか」


 ぽつりと、イヴが呟く。その目線の先、彼女の手には一通の手紙があった。昨夜、ニックがジョンに残した書き置きである。そこにはニックの筆致で、短い文章が走り書きされていた。


『少し暇を貰う。必ず戻る。心配しないでくれ』


 ジョンが溜息と共に答えた。


「部下の調べによると、ニコラスは昨夜、ロア市行きの深夜特急の切符を買っているようだ。間違い無く、西海岸に向かったと思う」


 昨夜のジョンの話によると、夕食の約束に一向にやってこないニックを訪ねたところ、彼の研究室にはこの手紙が残されていたらしい。研究室には、慌てて荷造りをしたような形跡も残っていたとのことだった。


「しかし」と口を開いたのはヴィリティスだ。「どうしてニコラス・テラーが人形図書館に向かう必要がある? 今回の一連の事件では、彼はたまたま巻き込まれた側の人間の筈だろう」


 それについてはジョンも口を噤んだ。俺は隣で俯くイヴに、一瞬だけ視線を投げる。


 あの夜、ニックが食堂車のバーカウンターで語っていた話が思い出される。彼は八年前に妹を亡くしたと語っていた。そしてその面影をイヴに重ねているということも。


 ……まさかニックは、イヴの為に単身で人形図書館に乗り込もうとしているのだろうか。しかし、だとしたら彼はそこで何をするつもりなのだろう。


「ニコラスの目的は、現段階では推測の範囲を出ない」バーダは腕組みをしながらそう言った。「直接会って問いただすしかあるまいよ」


「しかし、間に合うだろうか」とジョンが言う。「彼の乗った深夜特急は明日の昼にはロアに到着するが、我々の列車はその日の夕方頃だ。第一、その人形図書館には昨日のシャトーモアだっている。無事でいてくれるといいが……」


「少なくとも、現状の我々に出来ることは祈ることだけだ。時速四〇〇マイルを超える速度で移動する手段は、残念ながらこの時代に人類は持ち得ないからな」


 バーダはどこか諦観を孕んだ口調で言った。


 しかし、俺は彼女の先ほどの発言が少し気引っかかった。


「——ニックの目的が『推測の範囲を出ない』と言ったな、バーダ」俺は口開く。「分からない、ではなく」


 俺の発言に、他の一同がはっとして顔を上げる。バーダは自らの失言を悔やむように、苦い顔をしてみせた。


「……まったく、おまえは時折、鋭いところを見せるな」

「はぐらかすなよ。おまえがそういう言い方をするときは、大方の予想が付いているときだ」


 俺の追及に、バーダは頭を振って溜息をついた。


「……分かった。正直に言おう。推測は出来ている。しかし、これについても確証は無い。はっきり言って荒唐無稽、私の妄想に近いものだ」

「でも、春先の事件にしたって、おまえのその推理が当たってたじゃないか」


 俺が反論するも、バーダは頑として首を縦に振らなかった。


「当たらなかった推理もある。たまたまそれを口に出していなかっただけでな」


 しかし、その回答でその場の一同が納得するわけがなかった。集中する視線に耐えかねて、再びバーダは大きく溜息をつく。


「とにかく、今は待て。私がロアに着けば、ほぼ確実に何らかの動きがある筈だ。それを確認したら全部話すよ」


 それだけ言って、バーダは再び車窓に目を戻した。流れゆく景色はやがて人々の営みを拭い去り、広大な荒野に変わっていた。


「——この物語は、いずれ必ず私のものにしてみせる」


 ぽつりと、バーダは列車の行く末に向けて呟きを漏らした。


 ◆


 昨夜から寝ることの出来なかったというジョンは、仮眠を摂るために一旦客室に戻っていった。本来療養していなければならないヴィリティスについても、バーダが口うるさく説得して自分の客室に下がらせた。だいたい、あの女騎士は全治二週間の筈なのだ。去り際に彼女は「ならば一時間経ったら起こしに来てくれ」と言っていたが、俺とバーダは顔を見合わせ、無言でそれを無視することにした。


「親友思いの友人だな」


 俺が女騎士の後ろ姿を見ながら呟くと、バーダは辟易の吐息を漏らした。


「自分の両腕が無くなっても、彼女は私を守ろうとするだろう」そして、その口元が苦笑めいた弧を描く。「たぶん、春先の一件を、ヴィリティスはまだ引きずってるのよ」


 あの女騎士が、聖女の片棒を担いで俺とバーダを策に嵌めたときのことを言っているのだろう。俺は鼻を鳴らす。


「だったら、最初からしなきゃ良かったのによ」

「——私と同じくらい、彼女もアトラが大好きだったからよ」


 俺は無言を貫いた。彼女たちの深奥にある絆は、他人である俺がおいそれと触れて良いものではない。そんな気がした。


「しかし、ジョンも随分と友人思いだな」と俺は話題を変える。「意外だったぜ。自分の部下が一人いなくなっただけで、会社の社長自身がわざわざ探しにいくなんて」


「ああ見えてジョナサンは人情深い人間なのよ」言った後で、バーダは首を振って言い直す。「いえ、逆ね。彼にはむしろ人情しかない。自分の目の届く範囲の人間は誰もが幸せになってないと気が済まない。だから、そのために大金を稼いでいる」


 それはきっと、彼自身のエゴなのだろう。しかし、彼はそのエゴを貫き通す為に、数多の手と策を使ってこの世の最大の武器——大金を手に入れようと日夜奮闘している。それは少なくとも、俺なんかよりもずっと崇高な生き方のような気がした。


 面倒な奴だけど、だからこそ憎めないのが困りものだわ、とバーダは呆れたように付け加えた。俺はその様子を見てこっそりと口の端を緩めた。


「——ごめんなさい」


 と、そこで唐突に、俺の視界の下からそんな呟きが聞こえてきた。目をやると、俺が座る対面、バーダの傍らで、イヴが肩を縮こまらせて俯いていた。


「ヴィリティスさんが傷ついたのも、ニコラスさんが姿を消したのも、元を辿ればすべて私のせいです」


 意気消沈した様子で、彼女はそんなことを言い出した。


「自分を責めすぎよ、イヴ」と、バーダが彼女の肩に手を置く。「あなたに責任なんか何も……」


「でも、私と出逢わなければ誰も傷つかなかったんですよ!」


 バーダの言葉すら遮って、イヴはそう叫んだ。周囲の乗客たちが、何事かとこちらを振り向いていた。しかし、イヴの言葉は止まらなかった。


「私があのとき皆さんに声を掛けなければ、こんなことにはならなかったんです。ソードさんが痛い思いをすることも、バーダお姉様が命がけで皇都を走り回ることも」


 顔を上げた少女の瞳には、今にも零れそうな涙が浮かんでいた。それは彼女が初めて見せる、激情の吐露だった。


 一連の事件の中で、彼女なりにずっと責任を感じていたのだろう。昨日のアルノルンで起きたいくつもの事件が、そんな彼女の罪悪感に最後の一刺しを入れた。すべての始まりが、自分に端を発しているのだ、と。


「イヴ……」


 肩に置かれたバーダの手を振り切って、イヴは胸の内を余さず絞り出した。


「私なんて、あのときキャビッジパッチに殺されてれば良かったんです!」


 それを聞いたとき、俺は思わず立ち上がっていた。そして次の瞬間、俺の拳骨が落雷のように少女の頭に落ちる。全力ではないにせよ、それなりに力を込めた拳骨だった。


「きゃっ、え? え?」


 痛みよりも、混乱が少女の顔に表れていた。彼女は涙目で頭を押さえながら、俺を見上げる。そんな少女を鼻息荒く見下しながら、俺は静かな口調で言う。


「他人に怒られたことはあるか?」

「え、その、いえ……」

「それじゃ、俺が最初だ」


 と、俺は右手の人差し指をイヴの鼻先に突きつけた。


「殺されてれば良かった、なんて軽々しく言うな。それは俺の仕事への最大限の侮辱だ」


 断固とした口調で、半ば怒りすら込めながら、俺は言う。


「犬の糞みたいな職業の俺たちにだって、誇りはある。いいか、イヴ。たとえ護衛対象がこの国の教皇で、仮に今のおまえみたいなことを言ったとしたら、俺は全力でその教皇の顔面に拳をぶち込む。後頭部から拳が突き抜ける勢いでな」


 するとイヴの隣で、バーダが呆れたように吐息をついていた。


「……それだと護衛対象を自分で殺すことになるだろ、馬鹿」


 ぐ、と俺は唸り、再びどっかりと座席に腰を沈めた。締まらない説教に自分が嫌になりそうだったが、その後はバーダが引き継いでくれた。


「さっきの馬鹿馬鹿しい喩えは別にして——ソードの言ったとおりよ。事実としてソードは、そしてヴィリティスも、あなたを守ることに全力をかけた。それが彼らの仕事であり、大げさに言えば、存在理由だから。それを軽々しく無為にするような発言は、他人の想いを踏みにじることと同じよ」


 バーダは真っ直ぐにイヴを見つめ、そして、厳然とした口調で言う。


「ソードに謝りなさい」


 初めて見るバーダの真剣な眼差しに、イヴは少し怯んだように震えた。しかし、やがて顔を上げ、俺に真っ直ぐに向き直ると、深々と頭を下げた。


「その……ごめんなさい、ソードさん」

「よし」


 と、俺は手を伸ばして、そんなイヴの頭を乱暴に撫でてやった。呆けた顔を上げる彼女が目にしたのは、俺の不格好な微笑だっただろう。


「謝ったんなら、この話は終わりだ」


 しかし、再びイヴは表情を曇らせて俯いてしまう。


「……でも、私は結局、皆さんに迷惑をかけることしかできていないんです。皆さんが私のために何かをしてくれても、私は皆さんに何もしてあげることができない」


「イヴ、人間関係は損得勘定じゃないわ」


 と、バーダが乱れたイヴの髪を優しく撫でつけながら言う。


「すべて私たちの意志でやったことよ。あなたの旅に付き合うと決めたことも、全部ね」

「……それは、同情から、ですか?」


 俯きながら、イヴはそんな卑屈な言葉を口にする。対してバーダは悪戯っぽく笑った。


「さぁね。私にも分からないわ」

「え?」

「少なくとも、そんな言葉一つで片付けられるような単純な動機じゃないと思うわよ」

「お姉様は小説家なのに、言葉で説明できないのですか」

「小説家は、言葉だけでは伝えられないことを伝えるために、物語を書くのよ」

「物語?」


「そう、これはまだ物語の途中。あなたは最後の頁に辿り着いたときに理解すればいい」バーダは優しく微笑む。「私たちの想いと願い、そして、これがどんな物語だったのかを、ね」


 イヴは俯き、バーダのその言葉を吟味するように沈黙する。


 彼女の中の激情はひとまずは落ち着いたように見えたが、しかし、その表情はやはりまだ晴れなかった。そんな彼女の胸中を察したのか、バーダは俯く彼女の顔を覗き込んで再び口開いた。


「あなたが私たちに、何かしらの引け目を感じていることも分かる。でも、それはこれからの人生でゆっくり返してくれればいい」

「でも、私に出来ることなんて……」


「今の自分が全てじゃねぇよ」と、俺は口を挟んでいた。「一四歳そこそこで出来ることなんざ、元から限られてるさ」


 そう言いながら、俺の脳裏にはかつての自分自身の記憶が蘇っていた。あの山を下りて、どうしようもない無力感を抱えながら路地裏を放浪し続けた、あの若かりし頃の記憶……夜が来る度に、心に幾千もの針が刺されたような痛みを覚えた、あの日々のことだ。


「——それでも生きなきゃならねぇし、生きてりゃ嫌でも成長する」


 それでも心はやがて痛みに耐えられるようになり、手は今まで届かなかった場所に届くようになる。

 そう——この世界でもっとも無様なガキだった俺ですら、そうだったのだから。


「大丈夫よ、イヴ」とバーダが語りかける。「明日のあなたは、きっとあなたが思っているよりもずっと強いわ」


 イヴはしばらく口を噤んでいたが、やがてその言葉を受け入れるかのように、こくりと小さく頷いたのだった。


 ◆


 アルノルンを出発した列車は予定通りに、ユナリア大陸を西へと駆け抜けた。


 夜を越え、次の日の朝を迎え、そしてその日の太陽が列車の進行方向に沈み始めたとき、車窓の彼方にとうとう我々の目的地が見え始める。


 我々は下車の準備を終え、コンパートメントの座席に着きながら、その街の遠景を視界に捉えた。


「もうすぐ到着だな」


 バーダが車窓の向こうに向けて呟く。見えてきたのは、ハイカーゴに負けぬほどの背の高いビルの群れである。初めて目にする街並に、俺の口からも自然と独り言が零れた。


「……あれが、この大陸の西の果て、か」


 俺たちの旅の終着点であり、このユナリア合衆教皇国の最西端に位置する街。


 フォーラニア州、ロア。


 その街並の彼方には、夕暮れに染まる広大な海が広がっていた。

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