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傭兵と小説家  作者: 南海 遊
Part 2. The Doll Across The Horizon.
65/83

〈十四〉ガンドシュタイフの照準

 ゾイゼン鍛冶店を——正確にはその跡地を——後にして、我々はアルノルンの大通りに出た。ヴィリティスの提案で、彼女たちが以前に世話になっていたという修道院に顔を出すことになったのだ。しかし、バーダは珍しく気が進まない表情だった。


「ヴィリティス、やっぱり行かなきゃ駄目か? 私はローレンス修女長から煙たがられていたわけだし」


「ああ見えて、修女長は未だにバーダのことを気に掛けてくださっているんだ。実はおまえの本を全部買って読んでくれていたりもする」と、ヴィリティスが諭す。「そんな恩師に顔を出すことすら厭うというのは、ユナリアを代表する作家としてどうかと私は思うがな」


 その諫言に渋々といった様子で、バーダは重い足を進めていた。と、その傍らでイヴが訊ねる。


「バーダお姉様は、もともとは修道女だったのですか?」

「ええ、ヴィリティスもね。両親を亡くしてから、私たちはここの修道院に引き取られたの」


 初めて耳にしたその話に、イヴは気まずそうに押し黙ってしまった。その強ばりを解すように、バーダは細やかに微笑む。


「お互い、境遇が少し似てるわね」


 それを聞いてイヴは安心するようにはにかんだ。何だか本当に姉妹じみてきた気がする。イヴがこのまま、この女のような暴君に育たないように、と俺は心の片隅で小さく祈った。


 大通りから脇道に入り、近道であるという裏路地に入る。人通りは殆ど無かった。ふと、正午を告げる鐘の音が町中に響いた。イクスラハの鐘よりも、何処となく重々しい音である。俺はきょろきょろと頭上を上げてみるも、この路地の谷底から鐘楼の姿を見つけることは出来なかった。


「大時計塔だよ」


 と、俺の様子を見てバーダが言った。俺は首を傾げる。


「大時計塔って、列車から見えたやつか? あれに鐘楼なんてあったか?」


「天辺にな」とヴィリティスが補足する。「街中からだと角度的に見えないんだ。背の高い建物が多いしな。大時計塔の鐘楼が綺麗に見えるのは、街中だとここから少し先の橋、リリーマン・ブリッジからだけだ」


「そうだ、あとで行ってみましょう」バーダが思いついたようにイヴに言う。「夕暮れ時のリリーマン・ブリッジから見る大時計塔は、知られざるアルノルンの絶景の一つなの。夕陽がステンドグラスを後ろから照らして凄く綺麗なのよ。ちょうど鐘楼の鐘も見えるし」


「へぇ、是非、見てみたいです」


 イヴが感心深く頷いた。知られざる、ということは人通りもそれほど無いのだろう。命を狙われている手前、あまり出歩かれるのは望むところではないが、それくらいの観光程度であれば許容範囲だ。


「何でもいいが、とっとと挨拶とやらを済ませようぜ」と俺は腹をさすりながら言った。「その修道院とやらで昼飯が出るわけじゃないんだろ」


 バーダが呆れたように溜息をつき、ヴィリティスはくつくつと笑った。女騎士が言う。


「アルノルン修道院の食事はこの世界で最も清貧なものだ。修道女長にお願いすればご相伴に預かれるだろうが、ちなみに私は同じ席には着きたくはないな」

「やれやれ、既にジョン・ジャズフェラーが恋しいぜ」


 俺の戯言に、隣でイヴがくすくすと笑っていた。

 やがて我々の行く先、路地の出口の辺りに大きな合歓木が見えてくる。その枝々に見え隠れするのは、赤煉瓦で作られた趣のある建物だった。


「懐かしいな」とバーダが呟く。「あれがアルノルン修道院の裏口だ」

「よくここから礼拝を抜け出していたな」


 ヴィリティスもまた、幼き日々を懐かしむように目を細めている。

 さっきのリットの件といい、随分と信心の浅いシスターどもだ。こいつらが世に解き放たれていることが、ある種の神の不在証明である。


「……さながら、不良シスターどもの里帰りというわけだ」


 俺は独り言のように呟きながら歩を進める。

 俺は彼女たちを先導するような格好で歩いていた。


 それが、ある意味では功を奏したのだと思う。


 俺が最初に裏路地を出て、修道院の裏門が面する路地に出たときだった。




 ——気がつけば、その強烈な殺気は。



 既に俺の左側頭部から数インチ離れた空間にあった。



 咄嗟に腰の得物に手を当てようとするも、間に合わない。



 しまった、と思考が走るよりも速く。






 ————俺の意識は完全に消失してしまった。






 ◇


 銃声が空々しい余韻を響かせる。イヴが絶叫したのは、ソードの右側頭部から鮮血が飛び散り、彼の身体が路上に倒れ伏した後だった。


「ソード!」

「待て、バーダ! 狙撃だ!」


 思わず駆け寄ろうとするバーダロンを、ヴィリティスが制止する。彼女は辛うじて路地裏に踏みとどまった。イヴは口元を押さえ、唐突に目の前で引き起こされた惨劇に顔面を蒼白にしている。


 ソードは路地に倒れ込んだまま、ぴくりとも動かない。その頭部から夥しい量の血が溢れだし、路上を赤く染めていた。バーダロンはそれを見て深呼吸をする。


 理性では理解していても、さすがに動揺してしまった。落ち着け、と彼女は自身に言い聞かせる。そんな彼女の服の裾を、震えながら握り締めるイヴの姿があった。


「お、お姉様、ソードさんが……」

「——大丈夫、あいつは不死身よ」


 そう答えながら、バーダロンは思考を猛スピードで走らせる。何が起きたのか、誰が起こしたのか、これからどうするべきか。現状の把握、そして推測、更にそこからの計画。しかし、動揺がノイズとしてその邪魔をする。とにかく、この状況はまずい。


「ヴィリティス!」とバーダロンは叫ぶ。「銃弾の軌道は見えた?」


「いや……しかし、弾はソードの頭部を貫通している。吹き出た血しぶきの角度から推測すると、かなり高い位置から狙撃された筈だ」


 女騎士は腰のサーベルを抜き、その鏡面のように磨き込まれた刀身を路地に向けて差し出した。刀身には建ち並ぶ無数の塔の姿が映っている。しかし、その何処に狙撃手がいるのかは分からない。


 バーダロンは思考する。待ち伏せ? 真の狙いはイヴか? だとすれば、最初にソードを狙ったのは何故? 不意打ちで先に護衛を排除するため? だが、こんなことをすれば、我々はこの路地からは出るわけにはいかなくなる——。


 自分の中のチェス盤をひっくり返し、とある推論に辿り着いたとき、バーダロンは咄嗟に反対方向を振り返った。自分たちが来た方向の遙か先、建物の谷底から辛うじて見える高い塔の天辺——そこに一瞬、きらりと陽光を反射する不自然な煌めきが見えた。


 血の気が引くと同時に、バーダロンは叫んだ。


「逃げろ!」


 ヴィリティスが即座に反応し、イヴの手を引いて、ソードが倒れ伏す路地の方に飛び出した。その数瞬後、先ほどまでヴィリティスがいた路上に、乾いた音を立てて一発の銃弾が突き刺さる。


 バーダロンも転がるようにしてヴィリティスの隣へ逃げ込む。気配を消すように建物の柱に身を隠し、荒れた呼吸を落ち着かせる。心臓が早鐘のように鳴っていた。


「逆方向からの狙撃だと……?」ヴィリティスが愕然として呟く。「まさか、狙撃手は二人いるのか?」


「違うわ」バーダロンが即答する。「もし二人いるとすれば、こっちの路地に出た時点で我々は撃たれていた筈。狙撃手は一人よ」


 そしてそれは、おそらくロンド・ヴェルファスでイヴを狙撃した犯人と同一人物だろう。


「しかし」女騎士は困惑と共に言った。「今、撃たれた方向は逆方向だ。あんな短時間で狙撃地点をそこまで遠くに変えられる狙撃手など……」


「いいえ、たぶん、町中の塔の間を屋根伝いに高速で移動しているのよ」

「馬鹿な、そんな人間離れした芸当など……」


 そこで、女騎士も先ほどの友人の話を思い出したのか、その先を言いとどまった。バーダロンはこくりと頷き、その名を口にする。


「だから、相手はたぶん人間じゃない——自動人形、ガンドシュタイフよ」


 ソードからの話で、バーダロンは彼女たちが如何に人間離れした動きをするか知っている。そしておそらく、その狙撃技術も人間の尺度で測らない方が良いだろう。エンフィールド銃の有効射程距離は平地でおよそ三〇〇〇フィート、高所からであればさらにそこから伸びる。


 バーダロンは思わず舌打ちを漏らした。アルノルンは塔の街である。まさにここは狙撃手にとっては格好の狩り場というわけだ。


「このまま柱の陰に隠れていても、いずれは別の角度から狙撃される」バーダロンは思考しながら語る。「留まっているのは危険よ」

「だが、このままだと逃げ続けていてもいずれは追い詰められるぞ」


 ヴィリティスの言葉に、バーダロンは頷く。その通りだ。

 しかし、敵との距離の想定範囲は約三〇〇〇フィート、おまけに相手は頭上を高速移動する鋼鉄の怪物である。打ち倒すにしても、どうやって?


 彼女の思考回路は、凄まじい速度で無数の分岐を駆け抜けていた。今の自分の手の中にあるもので、逆転の一手を模索する。思考の中でアルノルンの街並を構築し、そこに想定できる限りの射線を描く。一方で、これまで自分が無意識に張ってきた伏線の糸をたぐり寄せる。糸が切れぬように慎重に、しかし、迅速に——。


 暗闇の中に光明が見えた瞬間、バーダロンは咄嗟に自分の懐から手帳を取り出し、その一頁をちぎり取った。そしてそこに万年筆を走らせる。


「バーダ、何を——」


 そんなことをしている場合か、という非難よりも先に、バーダロンは駆け出していた。その目指す先は、路上に倒れ伏すソードである。


「バーダ!」


 ヴィリティスの叫びと、銃弾が路面を穿ったのはほぼ同時だった。バーダロンは辛うじてそれを回避し、ソードの身体を乗り越えて対面の建物の陰に身を隠す。まさに間一髪だった。


 壁に貼り付くようにしながら、額に浮き出た汗を拭い、バーダロンは大きく深呼吸をした。


 ……これは一〇〇%パーセントの確信を持てる策では無い。しかし、今はその策に賭けるしか無い。


「——伏線は敷いたわ」


 と、バーダロンは対岸のヴィリティスとイヴに目をやる。


「ここから先は、私とあの怪物の知恵比べよ」


 口元に不敵な笑みを浮かべながら、バーダロンはそう呟いた。


 ◇


 イヴとヴィリティスは転がり込むようにして路地を渡り、バーダロンと合流した。幸いなことに、狙撃は無い。おそらく狙撃手は別の地点に既に移動しているのだろう。だとしたら、やはり自分たちもすぐに移動を始めなければならない。


 とはいえ、人通りの多い大通りに出てしまえば、最悪の場合、通行人の中に犠牲者を出してしまうかもしれない。バーダロンとヴィリティスは即座に相談し、裏路地を縫うように逃走することにした。


 バーダロンはイヴの手を引きながら路地を駆け抜ける。ヴィリティスが例の鞄を持って二人を先導し、その行き先をバーダが指示した。


「その角を右へ!」


 路地裏から路地裏へ。正確なルートを、バーダロンは走りながら思考する。つまり、敵の移動する狙撃地点を、前回の狙撃方向から推測しながら逃げているのである。それは、数十年をこの街で過ごし、塔の位置や路地の入り組み方を知っている彼女だからこそ、そして——無数の分岐を一度に思考することが出来る小説家、バーダロン・フォレスターだからこそ出来る芸当であった。


「ヴィリティス、その角を左に出た瞬間に狙撃がある筈よ! 二時の方向!」

「分かった!」


 ヴィリティスは路地から躍り出ると同時にサーベルを引き抜き、指示のあった方へと全神経を集中させる。頭部を守るようにしてサーベルを構えた瞬間、衝撃がその刀身を押し返した。数瞬遅れて、銃声が木霊する。


 エンフィールド銃は単発式の狙撃銃だ。二発目を装填するには時間がかかる。それはつまり、敵はほぼ確実に一発目を頭部か心臓に撃ち込んでくるということである。


 ヴィリティスの胸は騎士団特注の白銀の鎧が覆い、致命傷から守ってくれる。ならば、彼女は頭部への狙撃を警戒するだけで良い。その一発目を凌ぐことが出来れば、バーダロンとイヴが路地を渡るだけの時間を稼ぐことが出来る。


 それでも、超長距離からの狙撃をサーベルの細い刀身で弾き返すなど、並みの人間に出来る芸当ではない。事実、銃弾を弾き返す度にヴィリティスの背筋には冷たい汗が滴った。


 しかし、最も神経を擦り切らせているのは、指示を出すバーダロンである。


「……ここまでの狙撃方向は想定通り」


 バーダロンもまた、額に汗を浮かべながら言う。推測が間違っていれば、親友の女騎士は命を失う可能性だってある。故に、彼女は自らの推測を自身で幾十回、幾百回と否定し、限りなく一〇〇パーセントの確証に近いもののみを高速で選択しなければならなかった。


 ヴィリティスが倒れれば、もはや自分たちを守ってくれる者はいなくなる。そうなれば、イヴは——。


 バーダロンは歯噛みし、少女の手を握る力を強めた。


「——イヴ、全部が終わったら、私はあなたを本当の妹にするわ」


 走りながら、唐突にバーダロンはそんなことを言い放っていた。イヴが困惑しながら見上げる。何を言われているのか分からない、といった顔だ。しかし、バーダロンは構わず続けた。それはまるで、自分自身に言い聞かせるかのようだった。


「法律なんて知ったこっちゃ無い。戸籍なら私がどれだけの金を出してでも偽造してやる。あなたはこれからイヴ・フォレスターを名乗りなさい。いいわね?」


「え、あの、お姉様、今はそんな……」

「いいわね!」


 有無を言わさぬバーダロンの語気に、半ば気圧されるようにしてイヴは頷いていた。


 そう、バーダロンは怒っていた。かつて無いほどに怒っていた。


 何も分からず、何も知らず、ただただ広大な世界に放り出されて、挙げ句、こうして命を狙われる少女……こんな馬鹿馬鹿しい不条理を、この私が許せるものか。


「——このくそったれたシナリオは、このバーダロン・フォレスターが書き換えてやる」


 その言動があの傭兵に少しばかり似てきていることに、彼女自身は気づいていなかった。


 追走劇がやがて一時間にもなろうかという頃、イヴも、そしてバーダロンも体力の限界を迎えつつあった。先ほどから何度か、同じ路地を行ったり戻ったりしている。しかし、狙撃の方向は毎回違っていた。


 ヴィリティスは体力こそまだ余裕はあったが、度重なる死線の連続に、集中力が切れつつある。おまけに、逃走することに精一杯で、彼女はまだバーダロンの狙いを聞くことすら出来ていない。


 やはり、このままでは自分が言っていたようにジリ貧だ。いったい、バーダはこれからどうしようと——。


「……よし、嵌まったわ」唐突に、バーダロンが笑みと共に言った。「さっきの狙撃位置、そして今の私たちの位置。これが最後よ」


 そのとき、バーダロンたちが立っていたのは裏路地の終点だった。目の前には大通りが広がり、少なからぬ人々が往来している。すぐ側には河川が流れており、幅広の石橋が架かっていた。女騎士は、その橋の名を呟く。


「リリーマン・ブリッジ? 何を考えている、バーダ。ここには遮蔽物は無いぞ!」


 ヴィリティスは周囲を見渡しながら言う。橋の直近には背の高い建物は無く、橋が続く大通りの行き着く先は、この街で最も高い大時計塔である。こんな場所にみすみす姿を現したら、まるで撃ち抜いてくれと言っているようなものだ。


 しかし、バーダロンは不敵に笑って見せる。


「大丈夫——信じて」

「いや、おまえのことは信じているが、しかし……」


「いえ、信じるのは私じゃないわ」呟くように、バーダロンは言った。「もたもたしていると奴の狙撃地点がまた変わってしまうわ、早くあの橋の上へ走って!」


 バーダロンは有無を言わさず、イヴの手を掴んで走り出す。ヴィリティスも慌ててその後を追った。


 行き交う人々を掻き分けるようにして走り抜け、橋のちょうど中心まで辿り着いたとき、バーダロンは後方を振り返る。そして、三〇〇〇フィート先に聳え立つ大時計塔を仰ぎ見た。


「——これが、私のチェックメイトよ」


 ☆


 バーダロンたちがリリーマン・ブリッジに辿り着く、ほんの数分前。


 自動人形、ガンドシュタイフは次弾を装填しながら、塔の屋根を蹴って跳躍した。全身を風が呑み込み、身に纏う女性給仕の服の裾をはためかせる。重力のエネルギーを計算しながら、彼女はアルノルンの屋根を猛スピードで駆け抜けていく。


 ガンドシュタイフの計算はすべて無機的に、最高効率で行われていた。標的の逃走ルートはやがてアルノルンの大通りに行き当たる。この位置から最短で到着できる、最適の狙撃地点はどこか——その回答はすぐに弾き出される。


 跳躍の連続の最中、ガンドシュタイフの双眸が目的地を捉えた。アルノルン大時計塔、その天辺。あそこ以外の位置からでは、標的は建物の陰になって狙撃が不可能だ。


 彼女は時計塔の壁にある小さな凹凸を蹴り上げるようにして、遙か上空に駆け上がっていく。巨大な文字盤を越え、その上にある吹き抜けの空間——大鐘楼に、自動人形は静かに降り立った。


 すぐさま銃を構え、狙撃体勢に入ろうとした、その直前。



「——よう、待ってたぜ」



 人形の予期せぬ声が、アルノルンの空に響いた。


 その台詞に反して、そこで待ち構えていた人物は、まるで今ちょうど此処に辿り着いたかのように肩で息をしていた。にも関わらず、彼は痩せ我慢のような笑みを見せながら、鋼鉄の剣を腰の鞘から引き抜く。


「身体ならちょうど暖まってるぞ——今なら、鋼鉄だってぶった斬ってやるよ」



 そう言って、不死身の傭兵が自動人形の前に立ちはだかった。

 

 ◆


 俺が意識を取り戻したとき、周囲には野次馬が出来ていた。俺がむくりと起き上がると辺りでどよめきが起こり、俺は思わず自分の失態に舌打ちを漏らした。頭痛と吐き気がしたが、耐えられないほどではない。いったいどれくらいの間、意識を失っていたのだろうか。バーダは、イヴは——?


 と、気づくと俺の右手には見知らぬ紙片が握られていた。開いてみると、そこにはバーダの文字で何かが走り書きされてある。


『最速で大時計塔の天辺へ行け、狙撃手をそこに誘き出す』


 実に端的で要点のみを押さえた文章であった。俺は周囲を見渡し、遙か頭上高くまで聳え立つ時計塔の姿を認めると、再び舌打ちを漏らした。


 本音を言えば、今すぐにあいつらを追いたいところだが、おそらくバーダは狙いがあってこの書き置きを残した筈だ。ならば、信じるしかあるまい。俺は若干の目眩を覚えながらも立ち上がり、群衆を押しのけて時計塔を目指した。


 大通りを全速力で駆け抜け、軽く千段以上はあろうかという階段をこれまた全力疾走で駆け上がる。大時計塔の頂点に到達すると、そこは柱のみの吹き抜けになっており、アルノルンの街並が俺の全視野角に広がった。こんな時でさえ無ければ、溜息が出るほどに壮大な光景である。頭上には巨大な釣り鐘がぶら下がっていた。どうやら此処が、先ほどバーダが行っていた大鐘楼らしい。


 俺が到着してから数十秒遅れて、唐突に空からこの場所に舞い降りてくる人影があった。


 それはまさに、俺が大陸横断鉄道の車上で対峙した者と同じ、女性給仕の制服を着た姿。その表情は冷たく、そして——やはり、どことなくイヴに似ていた。


 その腕に不釣り合いな長身の銃が抱えられているのを見つけ、俺は確信する。

 なるほど、こいつが自動人形のもう一人——ガンドシュタイフか。


「よう、待ってたぜ」と、俺は不敵に笑って見せる。「身体ならちょうど暖まってるぞ。今なら、鋼鉄だってぶった斬ってやるよ」


 そんな俺の安い挑発に乗ったわけではないだろうが、ガンドシュタイフはすぐさまその銃口を俺に向けた。


 話が早い。


「——勝負だ、鉄屑」


 奴は照準すら付けず、狙撃銃を腰に構えたまま、一切の躊躇も挟まずに引き金を引く。


 しかし、俺にはその予備動作だけで充分だ。その馬鹿みたいに長い銃身は、放たれる銃弾の軌道を在り在りと俺に教えてくれる。


 ——銃声が木霊した瞬間、俺は全集中力を動員して、突進を開始していた。


 刹那、吹き抜ける黒金の弾丸と紙一重で交錯する。


 あの銃は連射は出来ない、それはバーダが教えてくれていたことだ。


 ガンドシュタイフもそれを理解しているのだろう。奴は即座に銃を捨て、おもむろに両手を広げた。次の瞬間、その両腕の皮膚を突き破ってそれぞれ二本の鎌のような刃が現れる。キャビッジパッチと同じというわけだ。


 しかし、奴がそれを振るう前に、俺の射程距離は限りない零へと削り斬られている。


 俺は地を蹴り、剣を振り上げて、さながら銃弾の如き速度で人形に斬りかかる。奴は抑揚の欠けた顔で、両腕を交差して掲げ、俺の剣を受け止めようと構えた。


 その一瞬の間に、俺の思考は呟く。


 試し斬りだ。





 ———吠えろ、ピースメーカー。





 全身全霊の剣撃と同時に、俺の右手の人差し指がその鋼鉄のトリガーを引き絞る。



 瞬間。



 銃声と金属の断裂する豪快な不協和音が世界に響き。



 ————その一撃で、自動人形を脳天から股下まで、完全に両断したのだった。

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