〈十三〉ピースメーカー
車窓から朝日が射し込み、彼女の瞼を照らした。日だまりは流れる木立の影によって明滅し、その刺激が彼女を眠りの海から引き上げたらしい。バーダはのそのそと布団から抜け出すようにして起床した。ベッドに腰掛けて、大きく伸びをする。ネグリジェの隙間から、彼女の白い陶器のような肢体が露わになる。
そこで、ようやくソファに腰掛ける俺と目が合った。いや、正確には彼女の目の焦点は虚ろなままだったので、目が合ったと言えるのかどうかは微妙である。
俺の存在を認識しているかどうか判断しかねたので、とりあえず声をかけてみる。
「おはよう、バーダ」
「んん、あぁ……おはよ」
眠そうな声が返ってきた。なるほど、まだ半分夢の中にいるらしい。
「……あの、バーダお姉様」
と、俺の傍らに腰掛ける少女が、恐る恐るといった調子で声をかける。ちなみに、この少女の身支度は既に終わっている。
「その、いくらお親しい間柄とは言え、殿方の前ですので、その、そういった格好は……」
バーダの視線がイヴに向けられ、その存在を認識すると、段々と理性の色が瞳に宿り始めた。やがて自分のあられも無い姿に気づいたのか、羞恥の色が頬に差す。
「え、あ、ちょっ……!」と、咄嗟にシーツを巻き上げて身体を隠した。「なんでアンタがこの部屋にいるのよ!」
「護衛だからだ」
「あ、そうだったわね……じゃなくて! 淑女の寝起きの姿をじっと見つめるな!」
どうも寝起きのせいで思考回路は正常に機能していないらしい。俺の隣でイヴが苦笑と共に呟く。
「バーダお姉様は朝が弱いのですね」
「いつも夜更かしばかりしてるからな」
この前の旅でもそうだった。寝起きのこの女は、普段の小説家然とした振る舞いからは想像も出来ないほどに気が緩んでいるというか、つまりはぐだぐだなのだ。すると、バーダが俺を睨みつけて弁解するように言う。
「……世の中の作家はみんな朝に弱いのよ」
「いや、それは偏見だろ」
「うるさい、いいからとっとと部屋から出てけ!」
と、枕を投げられたところで、俺はイヴを部屋に残して退散した。
◆
バーダの身支度が済み、三人で食堂車に向かうと、既にジョンとニックが朝の珈琲を啜っていた。その傍らには分厚いハムにかぶりつくゴルドの姿まである。例の如くジョン・ジャズフェラーの相伴に預かり、我々一同は朝食の席に着く。食事を終えて珈琲に口を付け始めた頃、車窓の向こうの景色が変わり始めた。
これまでは田園や林といった風景が続いていたが、列車は大きな街道と平行して走るようになり、ちらほらと電信回線を張り巡らせた木の柱が見え始める。街道を行き交う人々や馬車の姿も見えるようになり、車窓に映る文明の色が少しずつ濃くなってきた。
「懐かしい景色になってきたね」とジョンが言う。「君もそう思わないか、バーダロン」
「私は三ヶ月ぶりだが、それほど郷愁みたいなものは無いよ」
と、バーダは淡泊に答える。一方でニックは力無い笑顔を浮かべていた。
「やれやれ、僕はようやく帰ってきた気がするよ」
やがて、列車が小高い丘を乗り越えると、巨大な町並みが見えてきた。
——それはさながら、硝子と石造りの森だった。
煉瓦と石で作られた無数の塔と、それを飾る無数の極彩色のステンドグラス、そしてそれらに囲まれるように聳え立つ巨大な時計塔。さらにその奥には、殊更巨大で豪奢なステンドグラスが施された大聖堂塔の姿が垣間見える。それらは百年以上の時の流れを内に秘め、この国の歴史を現代に謳い続けていた。
「イヴ、見える?」と、バーダが窓際で指さす。「あれが、この国の中心よ」
皇都アルノルン。
教皇ヨハネス二〇世が首長として統治するユナリア合衆教皇国の首都であり、大陸のちょうど中心に位置する巨大都市だ。
圧巻の光景に感激しているイヴに、バーダが街の成り立ちについて説明していた。俺もぼんやりと車窓を眺めながら、そんなバーダの話に耳を傾ける。
曰く、都市はかつて『ユナリア合衆教皇国』が『ユナリア皇国』だった頃から首都として機能し、大きく発展を続けてきたという。それはユナリア教徒の本拠地である大聖堂塔があったからだけではなく、歴史社会学的に観ても必然的なものだったそうだ。
街は大陸北部と南部、そして東西海岸を結ぶ直線のちょうど中間地点にあり、古来から大陸全土の流通の交差地点となっていた。商人や職人たちが滞留し、産業化や商業化が凄まじい速度で進み、雇用が増加するたびに人が増え、都市はそれらからの潤沢な税収を使いながら教育機関や医療施設、鉄道網などを充実させていった。
これほどの規模の都市で、数世紀以上前からの歴史的建造物が今尚現存する場所は、世界でも有数であるらしい。
近づいていくる街並を、俺が特に感慨も無く眺めていると、ゴルドが顔を寄せてきた。
「ちょうど二年くらい前かァ?」いつものニタニタ顔で奴は言う。「ヒュウの奴と三人で来たよなァ」
脳裏に不愉快な思い出が蘇り、俺は舌打ちを漏らした。
「……やめろ、思い出したくもねぇ」
しかし、バーダはその話を聞き逃さなかった。
「そういえば来たことがあると言っていたな。ボードインとグリーン店主も一緒だったとは知らなかった。いったいどんな仕事だったんだ?」
「聞くなよ、つまらない話なんだから」
顔を顰める俺の横で、ゴルドが語り出す。
「ギャング退治さ。金持ち一族の館から強奪された、貴重な代物を追ってこの街まで辿り着いたんだ」
「それはまた凄いな」バーダが目を丸くする。「つまり、盗人を追跡して大陸を半分渡ったのか?」
「あァ、一月近くかかった壮大な追走劇だったぜ」
バーダの瞳に興味の色が宿る。
「それで、盗まれた貴重な代物というのは何だったのだ?」
ゴルドは答えずに、ニヤニヤと笑いながら俺の方を見やる。相変わらず、根性の曲がった野郎だ。俺は溜息と共に答えた。
「……猫だ」
「「ねこ?」」
今度はイヴまでもが、バーダと同様に目を丸くした。俺は空しさを覚えながら説明する。
「ああ……よく知らんが、東大陸にのみ生息する貴重な品種の猫なんだとよ。何万ドルとかする畜生だ。ギャングの連中はよりにもよってそいつを盗んで行きやがった」
「傑作なのはギャングの連中をとっちめた後さァ」
ゴルドの話に、俺は思わず「やめろ」と掌を出す。しかし、奴の語りは止まらなかった。
「やっと取り返したその猫が、檻から逃げ出してな。今度はこの街でソードと猫の追走劇さ」
俺は再び大きな溜息をつき、当時の地獄のような日々を思い出した。
バーダはしばらく唖然とした後で、俺を見つめる。口元が笑いを堪えきれずに痙攣しているのが覗えた。
「……おまえ、わざわざ皇都まで来て、また猫を探して走り回ったのか」
「うるせぇな、俺だってやりたくてやったわけじゃねぇよ!」
激昂する俺を見て、一同が一斉に笑い出す。畜生、だから話したくなかったんだ。バーダまでもが、ゴルドのようなニヤニヤ顔を浮かべている。
「さすがは猫探しのソードだな」
「やかましい!」
目をやると、イヴまでもが可笑しそうにくすくすと笑っていた。
まったく、嫌なことを思い出しちまった。
俺のそんな暗澹とした気分など関係無しに、皇都アルノルンの街並は近づいていた。
◆
列車がアルノルン駅に到着すると、車内アナウンスが響いた。予定通り車両点検の為に一日停車し、西海岸へは翌朝の出発になるとのことだった。我々は一泊分の荷物とイヴの例の旅行鞄だけを持って、列車を降りる準備をする。今晩はバーダの要望で、彼女の所有する別荘とやらに泊まる予定であった。
列車を降りると、駅のホームは大勢の人でごった返していた。イクスラハやハイカーゴとは比にならないほどの人混みである。見回すと、我々が乗ってきたものの他に、いくつもの列車が停車していた。天井の高いホームには蒸気の煙と石炭の匂いが溢れ、この人混みも相まって非常に息苦しい。我々は一昨日に続いて、再び大勢の他人と肩をぶつけ合いながら駅の出口を目指すこととなった。
「——それじゃ、私たちはここでお別れだね」
改札を抜けたところでジョンが言った。そういえば、ジョンとニックはアルノルンへの帰りの道すがらであった。
「ああ、そうか」と、俺は口の端をつり上げてみせる。「残念だ。ここから先の旅は、あまり美味い食事に期待できなそうだな」
俺の冗談に、ジョンは可笑しそうに笑った。そこでバーダが皮肉っぽく言う。
「なんだ、西海岸まで行かないのか?」
すると、ジョンは頭を振って自分の背後、駅の出口の方を親指で指し示す。
「どうやら、私の帰還は多くの方々に望まれていたらしい。残念ながらね」
彼が指さした先には、小綺麗なスーツを着た数人の男たちが、にこにこと微笑みながらこちらを見つめていた。十中八九、ジャズフェラー社の人間だろう。その光景を見つめながら、ニックがやれやれと首を左右に振った。
「三週間も社長不在で会社を回すことが出来る、君の優秀な部下たちに感謝するべきだろうね」
「ああ、全くその通り」とジョンも大いに頷く。「しかし彼らなら、あと一週間くらいは耐えられると思うのだが、どう思うかね、ニコラス」
「直接、あの方々に聞いてくれ」
ニックは呆れたように言って、ジョンは諦めたように吐息をついた。そこでニックはイヴを振り返り、彼女の頭に優しく右手を置いた。そして膝を曲げ、視線を彼女の位置まで下げる。
「ここでお別れだ、イヴ。君の旅が無事であることを祈っているよ」
「ニコラスさん」と、イヴは首に下げられた金色の輪をぎゅっと握りしめる。「このリング、首飾りにしてくれてありがとうございました。私、ずっと大事にします」
ニックはそれ聞いて、どこか名残惜しそうに目を細めた。或いは彼にしても、本当は彼女の旅に最後まで付き合いたい、というのが本音なのかもしれない。
「私のこともたまに思い出してくれると嬉しいな、イヴ」
と、横から顔を出したジョンに対しても、イヴはにっこり笑った。
「もちろんです。ジョナサンさんも、ご親切にしてくださいましてありがとうございました」
続いて、彼女は恐る恐るもうひとりの方を見やる。
「……あの、ゴルドさんも、ありがとうございました」
金髪の傭兵は退屈そうに欠伸をしながら、無言で軽く右手を上げてみせた。愛想の無い男である。と、そこで。
「——ボードイン」唐突にバーダが彼に向けて封筒を放った。「護衛の報酬だ」
ゴルドはそれを受け取り、封筒の口から中身を覗き込む。そして、満足そうにニヤリと笑った。
「——確かに。毎度あり」
「あ、あの、私からも……」
と、イヴが自分のポシェットを漁ろうとしたとき、ゴルドは右の掌を見せてそれを制した。そして冷たい口調で言い放つ。
「給料以上の仕事はしねぇよ」
呆気に取られるイヴを無視して、すれ違いざまにゴルドは俺に耳打ちする。
「じゃあな、ソード。死ぬなよ」
「死ぬかよ」
と悪態をついた後で、俺は疑惑の視線を奴に投げる。
「……一応聞いとくが、おまえの行き先はどこなんだ?」
「あん? 珍しいな、おまえが俺の仕事に興味持つなんざ」
「この先でまた馬鹿げた再会をしたくねぇだけだ。いいから行き先を言え」
「北の国境沿いだ。人物警護の仕事さ」そして、わざとらしく残念そうに首を振ってみせる。「悲しいことに、今回はおまえと刃を交えることは無さそうだ」
それは今のところ、この旅一番のグッドニュースである。
「そうか、それは残念だ」とバーダが本当に残念そうに言った。「おまえさえ良ければ西海岸までの護衛継続をお願いしようと思ったのだがな」
「俺が良くねぇよ」
と即座に口を挟んでおく。ゴルドがいつものように呵々と笑った。
「前も言ったが、俺は一つの仕事をやり遂げる主義でね」と、奴は我々に背を向ける。「まぁ、また殺し合いがあったら呼んでくれや」
軽々と言って、金髪の傭兵は雑踏の中に消えていった。続いて、ジョンとニックもまた、我々に手を振って去って行く。イヴは彼らの姿が見えなくなるまで、その背中にずっと手を振っていた。
そうして、駅の構内に俺とバーダ、イヴの三人が残される。周囲はたくさんの人々が行き交っていたが、それに反してイヴの表情はどこか寂しげだった。
「……なんだか、急に寂しくなっちゃいましたね」
ぽつりとイヴが呟く。俺は頭をぼりぼりと掻いた。
「俺は厄介払いできて清々しい気分の方が上回るがな」
「舞台替えだよ」とバーダが意味深に微笑む。「ここからは新しい登場人物が出てくるさ」
何を言っているんだ、と俺が首を傾げると、バーダは駅の出口の方を指さした。
そこに腕組みして立っている人物を見つけ、俺は納得と同時に警戒心が湧いてくるのを感じた。イヴは見知らぬ登場人物に首を傾げている。
陽光を照り返す白銀の鎧を纏い、同じ色の銀髪をなびかせる、女騎士の姿。
その人物は我々の姿を認めると、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「——久しぶりだな、バーダ、そしてソード」
第十四騎士団士長、ヴィリティス・ナイツはそう言って微笑んだ。
◆
立ち話をするより珈琲でも飲みながら、というヴィリティスの提案に我々は乗ることになった。アルノルン駅を出て石畳の大通りをしばらく歩き、脇道に逸れてダウンタウンに入る。道中、バーダとヴィリティスは思い出話に花を咲かせていたが、俺の目に映る街並はどれもこれもあの腹立たしい追走劇を思い出させ、俺の気分を暗くさせた。
狭い路地には雑多な露店が店開いており、地元民らしき買い物客たちの姿が多く見受けられる。下町の朝市の光景は活気に溢れ、どこか先日のハイカーゴの大祭を彷彿とさせるものがあった。露店に並んだ色とりどりの野菜や果物を、イヴが珍しそうに眺めていた。
そんな通りの一角に、目当ての建物はあった。三階建ての煉瓦作りの建物だが、看板は何も付けられていない。
「さすがに三ヶ月程度じゃ何も変わってないわね」
「中の人間も変わってないから、安心しろ」
どうやらバーダとヴィリティスの馴染みの場所であるらしい。
バーダが一階のガラス戸を押し開けると、涼しげな鐘の音が響く。中は思ったよりも広く、いくつかのテーブルセットとバーカウンターが備えられていた。室内を見渡す限り、どうやら喫茶店のようである。ランチの時間にはまだずっと早いせいか、店内にはほとんど客はいなかった。
「いらっしゃ——おお、バーダロンじゃないか」
カウンターの奥でコーヒーカップを磨いていた男性が、驚きと喜色の声を上げる。黒い丸レンズの眼鏡をかけているせいで顔立ちは判然としないが、年齢は四〇歳を少し過ぎた頃だろうか。長身痩躯でボサボサの黒髪に、サボテンの針のような無精髭を顎下に蓄えている。
バーダもまた、彼と同様に再会の喜びに口元を緩めていた。
「久しぶりだな、ブルー」
ブルーと呼ばれた店主らしき男は、右手の親指で奥の窓辺の席を指した。
「何ヶ月ぶりだろうね。いつもの席が空いているよ。待っててくれ、今、珈琲を淹れるから」
と、そこで店の奥の方から竹箒を持って現れた人物があった。
「おーい、マスター。便所掃除終わったぞ……って、げ!」
赤みがかかった長髪と、狐のように切れ長の瞳の青年である。背丈は店主より少しばかり低く、年は俺やバーダと同じくらいに見えた。彼は我々を——というより、バーダとヴィリティスを視界に収めると、あからさまに狼狽していた。その口から、何故か悲壮な声が絞り出される。
「バーダロン、帰ってきたのかよ……」
彼の姿を認めたバーダは、にやりと魔女のような笑みを浮かべる。
「会えて嬉しいぞ、リット」
リットと呼ばれた人物はうんざりした様子で頭を振っている。何故だろう、妙に親近感を覚える青年である。
我々はブルー店主に促された通り、窓際の席に腰掛ける。バーダの隣にヴィリティス、テーブルを挟んで反対側に俺とイヴが座った。横の窓からは、賑わうアルノルンのダウンタウンの様子が見える。
「ブルーのパンケーキは絶品だぞ」と、バーダが懐かしそうに語る。「学生時代、よく四人でこの席でお茶をしたんだ」
四人というのは、学生時代の寮の同室だったという友人たちだろう。彼女に加えてヴィリティス、オーリア、そして——アトラのことだ。それを思い出したのか、一瞬だけ二人の瞳に寂寥のような色が浮かんだ。
と、そんな中でイヴが対面に問いを投げかける。
「あの、お二人は昔からのご友人なのですか?」
そこでイヴの存在を思い出したかのように、バーダは笑いながら両手を合わせた。
「ごめんなさい、イヴ。すっかり紹介が遅れちゃったわね」と、隣の女騎士を紹介する。「彼女はヴィリティス・ナイツ。イクスラハの第十四騎士団の士長で、私の幼い頃からの友達。今はたまたま皇都に帰省中なのよ」
「ヴィリティスだ。君は?」
例の如く騎士然とした理知的な微笑と共に、女騎士はイヴへ右手を差し出す。イヴは恐る恐るその手を握った。
「あの、エヴァンジェリン・アーシュラと言います。私はバーダお姉様の、えっと……」
自己紹介に戸惑うイヴを見かねて、バーダが助け船を出す。彼女はヴィリティスに対してこれまでの経緯を包み隠さず話した。イヴとの出会い、自動人形キャビッジパッチの襲撃、イヴの背景、そして我々が目指している場所——それらを一通り沈黙して聞いた後で、ヴィリティスは呆れたような顔で俺の方を見た。
「……相変わらず、お前たちの旅は波乱だらけと言うか、悪い意味で物語的だな」
「物語に悲劇は付き物なんだろ」
俺が鼻を鳴らして言うと、バーダが即座に返す。
「救いもな」
「——しかし」と、ヴィリティスは考え込むように顎に指を当てる。「自動人形とは、これまたあまり国の表舞台には登場させたくない代物だな」
俯く彼女の表情はどこか憂鬱そうだった。そういえば春先の事件では、こいつはあの聖女の右腕として秘密裏に様々な活動をしていたのだった。俺は胡乱な顔で睨み付けながら、訊ねてみる。
「今回はあの小娘は関与してないのか?」
「ハヴァンディア様は国務で今はロンド・ヴェルファスにいらっしゃる。尤も、あるいは何かを掴んでいるかもしれないが——私はあの方に使われている駒の一つだ、知る由も無いさ」
ヴィリティスの口調はどこか自虐的だった。駒と知りながらも、それを受け入れているといった様子である。
「ヴィリティス、一つだけ聞きたいのだけれど」と、バーダは冴えの入った瞳で訊ねる。「ハイカーゴ市でキャビッジパッチの残骸を回収したのはどこの組織か知らないか?」
ヴィリティスはしばし黙考した後で答えた。
「——答えはノーだ」と女騎士は単刀直入に答える。「確かに怪しいのはバーダの言った通り第零騎士団だが、私は彼らがどのように動いているのかは殆ど知らない。すまないな」
俺はこの女騎士を全面的に信用しているわけではないが、少なくともその言葉に嘘は無いように思えた。ヴィリティスは続ける。
「ただ、ユナリア政府も歴史改変者たちの情報については外に出ないようにと、かなり神経質になっている。今回の自動人形の件に関しても、第零騎士団の耳に入っていない筈が無い。既に何かしらの動きは出てきている筈だ」
当然、我々の目に付かないところでな、と彼女は付け加える。そこで、さらにバーダが問うた。
「ではもし仮に——第零騎士団以外で、そこまでのことが出来る組織はあるか?」
俺は疑念に眉をひそめる。俺は思わずその問いの真意を訊ねていた。
「どういうことだ?」
「仮定の話だ。創作と同じだよ」とバーダは指を一本立ててみせる。「この先の展開を想像するにあたって、その分岐を思考しておくのは極めて重要なことだ」
何だか分かるような分からないような理屈であった。俺も小説家になれば分かるのだろうか。
女騎士は再び黙考した後で、口開いた。
「警士団にまで箝口令を敷けるような組織となれば、やはりそれなりの財力がある組織だろうな。自分の立場でこんなことを言うのは気が引けるが、国家権力にも買収という手段が通用することは事実だ」
ヴィリティスはそう言って、指を三本立てて見せる。
「となれば、この国の三大財閥、ジャズフェラー、カリフド、そして——スタンリー。少なくともそれらの息の掛かった組織、ということになりそうだ。あくまでも仮定の話だぞ」
列挙された名前を聞いて、俺はやれやれと首を左右に振った。そのうちの一人はついさっきまで一緒にいたし、最後の名前に至っては、この旅の行く先では避けて通れない存在になっている。国の三大財閥まで絡んでくるとすれば、ただ事ではない。つくづく、この小説家との旅は、毎度の如く大事に巻き込まれる宿命らしい。
「——なるほどね」
ヴィリティスの話を聞いてバーダはにやりと魔女のような笑みを浮かべる。しかし、そこから続く言葉は無かった。その表情から、どうやらいくつかの推理に確信を持っているようではあったが、彼女はまだそれらを公開するつもりは無いらしい。
——まぁ、いいさ。考えるのは俺の仕事じゃない。
「……あいよ、ブレンドを四つだ」
と、そこで赤毛の店員が我々の席に湯気立つ珈琲を四つ持ってくる。先ほどリットと呼ばれていた青年である。バーダとヴィリティスはそんな彼を見上げて、二人とも冷笑のような表情を浮かべた。
「ご苦労、リット」とバーダが含みのある表情で言う。「約束通り、これはあなたの奢りでいいわよね」
リットは思いっきり顔を顰めた後で、絞り出すように「ああ」と頷いた。そこに畳みかけるように、ブルー店主のにこやかな声が届いた。
「リット、君の給料から引いておくからね」
意気消沈するリットを見て、俺は首を傾げる。
「約束?」
「バーダがまだアルノルンの修道女だった頃だよ」と、ヴィリティスが説明する。「リットはバーダとのポーカーの勝負に負けて、一生涯、彼女にこの店の珈琲を奢らねばならないのだ」
——うっわ。
俺は思わず憐憫の目でリット青年を見やる。彼は歯噛みしながら「あのときこいつのイカサマに気づいてさえいれば……」と呪詛のように独り言を繰り返していた。
騙されて傭兵の護衛契約書を書かされた俺と全く同じである。俺は自分の懐からなけなしの紙幣を何枚か取り出して、思わずリットに握らせていた。彼は呆然と俺を見つめる。
「あんた、これは……」
「気にするな」と、俺は彼の手を強く強く握りしめる。「俺はおまえの味方だ」
それ以外に取り交わす言葉こそ無かったが、その一瞬で我々は互いの瞳の奥に同じ苦悩を共有した。リットは俺の手を握り返してくる。
「お前さん、さては良い奴だな」
「今度、酒でも飲もう」
「ああ」
そんな俺たちの熱い握手の様子を見ながら、嘲笑するように鼻を鳴らす女がいた。
「……まるで、負け犬たちの慰め合いだな」
「「誰が負け犬だ!」」
俺とリットの憤慨が共鳴した。バーダはそんなことなど歯牙にもかけず、ふと思い出したように言う。
「ああ、そうそう。負け犬で思い出したが、おまえの剣を新調せねばならなかったな」
「待て、なんで負け犬という単語でそれを思い出すんだ?」
思いっきり悪意だろ、それ。
「この近くにゾイゼンという腕の良い鍛冶職人の工房がある。そこで適当なものを見繕ってもらうとしよう」
バーダが珈琲を啜りながら言うと、リットが「あー、そりゃ無理だ」と声を上げた。バーダが首を傾げると、ヴィリティスが答えてくれた。
「ゾイゼン鍛冶店はつい二日前に火災にあってな。工房は全焼したんだ」
◆
店を出てダウンタウンを更に奥へと進むと、威勢の良い金属音が聞こえてきた。音が大きくなるに連れて街並みは商いの装いを脱ぎ、工場町の景観が現れる。通りには赤錆にまみれた鉄扉と、煤で黒ずんだ煉瓦塀が目立つ。炭と油の匂いに混じって、どこか焦げ臭い異臭が混じっていた。
路地の角を曲がって我々を出迎えたのは、建物の焼け跡だった。広がった残骸の中には工房道具らしき金床などは黒ずんだまま転がっている。しかし、辛うじて形を保っているのはその程度で、それ以外は見る影も無い炭の山と化していた。そんな中で、炭の中から何かを掘り出そうとスコップを振るっている男の姿があった。
肩幅の広い白髪頭の初老の男だった。彼は額の汗を拭きながら一息つくと、そこで我々の姿を認めた。
「あぁん……? おめぇ、バーダロンじゃねぇか」厳めしい顔を煤だらけにしながら、男は歩み寄ってくる。「随分と久しぶりだな」
「酷い有様だな、ゾイゼン。何をやらかしたんだ?」
惨状に呆れながらバーダが言うと、ゾイゼンと呼ばれた男は顰めっ面で吐き捨てる。
「儂のせいじゃねぇ、ギャングの連中だ。地上げに応じなかった報復だよ」と、苦々しげに煙草に火を付ける。「弟子も仕事が無くなっちまって、国に帰っちまった」
「ギャングだと? いつからアルノルンはそんなに物騒な街になったんだ?」
バーダのそんな言葉に、横からヴィリティスが釈明するように応えた。
「放火犯の連中は我々騎士団が既に捕らえた」と、ゾイゼンの方を意味深に見やる。「尤も、彼が全員に強かに数十発の拳をお見舞いした後だったがな」
ゾイゼンは拳の指を両手で鳴らしながら、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「軽く撫でた程度だ、奥歯は残してやったわい」
齢にして六〇に近い年齢に見えたが、その体躯は筋骨隆々としてまるで傭兵のようだった。俺の脳裏にふと、かつての上司の姿がよぎる。目の前の人物は、バリー首領と腕相撲でもしたら良い勝負が出来そうなほどの筋肉である。俺は問う。
「あんた、鍛冶職人なのか」
俺の矯めつ眇めつの視線を受け、その男は俺を鋭い眼光で睨んだ。
「この辺りの剣士でベランド・ゾイゼンの名を知らん奴はモグリよ」
自信満々に言ってのけるその男に、俺は苦笑を漏らした。どうやら俺はモグリだったらしい。しかし、自らの腕に自信を持っている職人というのは、俺の経験上かなり信用できる。
「ゾイゼンはアルノルンで何代にも続く鍛冶職人の一族だ」とバーダが説明する。「皇国時代は皇帝に納める宝剣まで打っていたらしい」
「へぇ。しかし、なんでそんな鍛冶職人と、小説家のお前が知り合いなんだ?」
俺の質問には、ゾイゼン職人が呵々と笑いながら答えた。
「ヴィリティスもバーダロンも、ガキの頃からこの辺りで悪戯ばかりしてたからな。この悪ガキ修道女シスターどもと知り合いじゃない奴を探す方が難しいぜ」
「悪ガキ、ですか……」
イヴは意外そうにしげしげとバーダとヴィリティスを見つめていた。
「……幼い頃の話だ」
「……そうよ、人は変わるものだから」
二人はイヴの視線にばつが悪そうにしている。当たり前の話だが、この二人にだって少女時代はあったのだ。地元に戻ればそれを知る人間もたくさんいる。しかし、何となく他人からこいつらの過去の話を聞くのは少し新鮮だった。
「とにかく」と、バーダは話を断ち切るように言った。「今日はゾイゼンに剣を注文しに来たんだが、この惨状では諦めるしかあるまいな」
「なんだ、客として来たのかよ」とゾイゼンは意外そうに言う。「誰が使う剣だ」
バーダが親指で背後の俺を指すと、ゾイゼンは「うむ」と謎の頷きを見せた。そして次の瞬間——。
「どりゃあっ!」
手に持っていたスコップを振りかざし、俺の脳天に向けて思いっきり振り下ろした。バーダとイヴが悲鳴を上げる暇も無かった。さすがのヴィリティスも虚を突かれたらしく、目を丸くする。
——しかし、俺は微動だにしなかった。案の定、スコップの先端は俺の額の手前でピタリと制止する。ゾイゼン職人と目が合い、彼がにやりと笑うのが見えた。
「ふん、良い度胸をしてやがる。合格だ」
「……本当にぶん殴るつもりがあったなら、俺だって悲鳴を上げて避けてたさ」
俺はやれやれと首を左右に振った。それを聞いて、何故かゾイゼンの目に喜色が宿る。
「剣士か? 名前を聞こう」
「ソードだ。ただの傭兵だよ」
「気に入った。ちょっと待ってな」
ゾイゼン職人は踵を返すと、瓦礫の山をごそごそと漁りだした。そしてその中から縦に長い木箱を取り出すと、それを抱えて戻ってくる。煤で黒く汚れていたが、火災は辛うじて免れたらしい。
「こいつは何とか無傷で残ってくれてたんだ」
彼は慣れた手つきで留め具を外し、その蓋を開ける。
箱の中に鎮座していたのは、奇妙な形状をした鉄剣だった。
陽光を照り返す刀身は、よく見ると異なる二種類の鋼鉄で誂えられていた。刃は美しく研がれた銀色だが、樋の部分には鈍く輝く黒鉄が使われている。
しかし、何より目を引いたのは鍔から柄にかけてのギミックだった。そこには鍔の代わりに、さながら拳銃のような六連式のシリンダーと引き金が付いていたのだ。握りもまた銃のグリップのようで、その引き金に合わせたのか、剣身からやや斜めに伸びている。
言うなれば銃と剣の混成のような、異質極まりない武器だった。
「こいつの銘は『ピースメーカー』。刀身は俺の作だが、シリンダーラッチは弟子が作って残していったものだ」
その見た目にそぐわない名前に、俺は眉を寄せた。
「『平和の使者(Peace Maker)』とは、これまた大層な名前だな」
「違う、『断片と為す者(Piece Maker)』だ。物騒な名前さ」
ゾイゼン店主は柄を掴んでその剣を目の前に掲げて見せた。
「高周波振動刃、ってやつを真似てみた実験的な剣だよ。まぁ、一応、理屈上は実現できている。刃の強靱性を保つために、気が狂うほど手間がかかったぜ」
バーダがそこで何かを思い出したように手をポンと叩く。
「なるほど、ハーモニックスカルペルの原理か」
「なんだそりゃ?」
「東歐州で考案された、超音波で刃を振動させることで切削率を上げる医療用メスの構想だ。もっとも、構想だけで現状での実現はほぼ不可能な代物だが、ふむ、こいつは振動源に火薬を使うわけか」
「その通り。切断と同時に引き金を引けばシリンダーラッチで火薬が爆発し、そのエネルギーで瞬間的に刃が強く振動することで物理的な切削力が大幅に向上する、という仕組みだ。一般的な剣の鋳鉄は減衰性があるから、振動を伝えやすくするために二種類の金属を使っている。理論上はこれで牙持つ獣たちの攻殻ですら両断できる——筈だ」
「はず?」
俺が眉を寄せると、ゾイゼン店主はお手上げの仕草を取って笑った。
「使いこなせる奴がいないんだよ。火薬を爆発させたときのエネルギーってのは実はかなりデカいんだ。普通の銃なら弾を撃ち出すことでそのエネルギーが消費されるが、こいつはもろに鉄剣に返ってきやがる。試してみりゃ分かるが、斬撃の瞬間にトリガーにかけた人差し指の骨が折れるぞ。剣を振るエネルギーと合わさって、局所的に凄まじい不可がかかるからな」
「ただのポンコツじゃねぇか」
落胆する俺に、しかしゾイゼン店主はその剣を差し出してくる。
「これならタダでくれてやるよ。売り物にならんからな」
「……他に無いのかよ」
「無い。トリガーさえ引かなけりゃ普通の鉄剣と同じだ。贅沢言うな」
「普通じゃねぇだろ、柄が剣身に対して斜めになってるだろうが」
「グダグダうるせぇ奴だな。ゾイゼンの剣をくれてやるって言ってんだ、有り難く受け取れ」
と、半ば押し付けられるような格好で、俺はその得体の知れない鉄剣を受け取ってしまった。
「ソード」とバーダが耳打ちする。「並外れた自己回復力を持つおまえなら、或いは使いこなせるんじゃないか?」
「……剣を振るたびに指が折れるんだぞ」
「そのたびに治るんだろ」
この野郎、他人事だと思いやがって。
俺は受け取った剣をしげしげと眺める。不平を口にしたものの、手に持った感覚は悪くなかった。うまく言葉には出来ないのだが、存外、しっくりくる。鍔の部分の回転式シリンダーに目をやる。春先の一件でバーダに借りた、あの拳銃にそっくりだ。
「まるで銃だな」
俺のぼそりとした呟きに、バーダが頷く。
「ふむ、銃の剣か」と、バーダは自分の懐から手帳を取り出して何やらメモする。「ガン・ブレード『ピースメーカー』、個性的で悪くないな。次回作に使おう」
「ほらよ、これもくれてやる」と、ゾイゼン職人は薬莢がいくつか連なった腰ベルトを差し出す。「皇国時代、銃が禁止される前に西部のガンマンたちが使っていたもんだ。火薬が足りなくなったら、まぁ、何とかして調達しな」
俺はそれを受け取りながら、最も気になっている点を確認する。
「……なぁ、この剣って、銃砲王権法とか大丈夫なのか?」
「知るか」
ゾイゼン店主は無責任にあっさりと答えた。




