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傭兵と小説家  作者: 南海 遊
Part 2. The Doll Across The Horizon.
59/83

〈八〉エヴァンジェリン・アーシュラの半生

「私はもともと、孤児ストリートチルドレンでした」


 そんな言葉から、イヴの身の上話は始まった。


「本当の両親のことは何も覚えていません。物心ついた頃には、私はベルロランの裏路地で生きていました。ご存知かもしれませんが、ベルロランには貧民街と呼ばれる区域がいくつかあって、そこには私のような親のいない子供がたくさんいます。私はタムズ川のほとりで、主にゴミあさりや、店先の掃除で駄賃をもらいながら、他の子供たちと一緒に共同生活のようなものをしていました」


 その話に、俺は親近感を覚えた。かつての俺も同じような生活をしていた時期があったからだ。もっとも、当時の俺の生業はそんな平和的なものではなく、暴力と痛みの伴うものであったが。


「当時の私がよく困っていたのは、靴でした」と、イヴは自分の足下に目を落とした。「どうにかしてお金を集めて靴を手に入れても、一年後にはすぐにサイズが合わなくなってしまったんです。私の身体が成長期だったからなんだと思います。特に冬場の川辺はとても辛くて……よく、捨てられていた帽子を糸でつなぎ合わせて、靴の代わりにして歩いていました」


 俺も何の気なしに、隣のイヴの足下に目をやってみる。今は光沢ある焦げ茶色の上品なブーツが、彼女の足を着飾っていた。


「そんな私の生活が一変したのは、九歳くらいの時だったと思います——あ、その、九歳というのは、後からお父様が決めた年齢で、当時の私は自分の誕生日はおろか、年齢すらも知りませんでした。ですので私の誕生日は、最終的にはその人に拾われた日になりました」


 誰もが沈黙しながら、十四歳の少女が語る奇譚に耳を澄ませていた。彼女の半生は陰惨であり、今の小綺麗な令嬢然とした姿からは想像も出来ないものだった。


「それは十二月の雪の日でした。私はいつものようにベルロランの裏路地で、レストランの裏口のゴミ箱を漁っていました。冬場は食べ物が傷みにくいので、とても助かるんです。その日は一口しか囓られていない大好きなパイを見つけたので、幸運に思っていたことを覚えています」


 と、そこでイヴはおずおずと周囲を見回した。そして、気弱そうに笑った。


「……あの、ごめんなさい。ちょっと、汚い話でしたね」

「そんなことねぇよ」


 と、俺は思わず口走っていた。バーダも「大丈夫、続けて」と先を促す。


「そうですか。では——私がその冷え切ったパイに口を付けていると、突然、コートを着た男の人が私の前に立って『君はそんなものを食べていい人間じゃない』と言ってきたんです。呆然としていると、私はそのまま、その男の人に手を引かれて連れて行かれました。人攫いかと一瞬思いましたが、私を攫ったところで何も得られるものなんてありません。だから、そのときの私は特に抵抗もせずに、されるがままに手を引かれていきました。不思議なことをする人もいるものだなぁ、くらいは思っていたかもしれません」


 そこで、歯ぎしりのような音が聞こえたような気がした。ふと、俺が視線を横に向けると、ニックが苛立たしげな顔でイヴを見つめていた。その内心が俺には何となく伝わってくる。わずか十歳にも満たない少女の諦観に満ちた人生観に——或いは、それを強いた世界そのものに、憤りを覚えているのだろう。

 イヴの話はさらに続く。


「私は馬車に乗せられて、ベルロランの郊外の林の中にある大きな屋敷に連れて行かれました。到着するなり、そこで二人の女性給仕メイドに服を——といっても、ぼろ切れみたいなものでしたが——脱がされて、バスタブで入念に身体を洗われました。櫛で髪まで梳かされて、今まで着たこともない綺麗なワンピースを着させられて、大きな書斎のような部屋に連れて行かれました。そこには先ほどの男性が立っていて、私が入るなり、まるで品定めでもするように、熱心に私の頭の先からつま先まで無言で観察しました。『そこで回ってみなさい』と言われてくるりと回ってみたり、『小首を傾げて見せなさい』と言われてその動作をしたりしました。でも『笑ってみなさい』という指示にだけは、私はうまく応じることが出来ませんでした」


 自嘲気味に口の端を歪めて語るイヴ。そういえば、彼女はこれまでに一度も、我々に笑顔らしい笑顔を見せていない。


「一通り私の姿を確認すると、その男の人は無表情のままで『君は私の娘として、これからこの屋敷で暮らすんだ』と言いました。突然の話で、私はどう答えたらいいか分かりませんでした。でも、何となくそこには、私の意志など関係無いかのような、とても強い命令のような空気がありました。私の返答も待たずに、彼は自分の名を名乗りました。ええ、お察しの通り、その人が現在の私の養父、トーマス・レメルソンです。そして私に名前を訊ねてきたのです。でも、私は答えられませんでした。私の名前は場所や時期によっていつも違っていたのです。アンナと呼ばれたり、レヴィと呼ばれたり、もしかしたら、私の知らない呼び名もあったかもしれません。私が黙っていると、その男の人は言いました。『ならば君はこれからエヴァンジェリンと名乗りなさい。エヴァンジェリン・アーシュラ、それが君の名前だ』と」


「ちょっと待って」と、そこでバーダが口を挟んだ。「あなたの名前は、それじゃあレメルソン博士が付けたということ?」

「ええ、そうです」


「うーむ」 ジョンが腕を組んで唸る。「娘にする、と言った割には自分の姓を与えなかった——少し妙な話だね」

 そこでニックが思いついたように口を挟んだ。


「もしかして、世間に養女の存在を隠したかったのかな」

「あり得る話だね。レメルソン博士の名はその界隈では有名だ。良い意味でも、悪い意味でもね。彼は方々からそれなりに恨みを買ってる発明家でもあるわけだし、或いは、その矛先がイヴに向かわないようにしたんじゃないかな」


 ジョンの言葉に、しかしイヴは無言で俯いてしまった。その表情には、養父が自分のためにそんなことをするだろうか、という疑義の色が在り在りと浮かんでいた。


「それで」とバーダが話の筋を戻す。「その日から、あなたはエヴァンジェリン・アーシュラとして、レメルソン博士の養女になったわけね」

「はい——それからの生活は、これまでとは全く違っていました。お腹が減ったら、食事が用意されるようになりました。洋服もちゃんと袖のあるものを着せて貰えました。靴も、サイズが変わるたびに新しいものが用意されるようになりました。料理とか洗濯とか、私の身の回りのお世話はキャビッジパッチという女性給仕メイドがやってくれました。そしてもっとも大きな変化は、教育を受けさせて貰えるようになったことです」


「それはつまり、学校に通えるようになった、ということかい?」


 ジョンの質問に、イヴは首を左右に振った。


「いえ、そうではありません。私への教育はすべて、屋敷の中で行われました。私に文字や教養を教えてくれたのが、もう一人の女性給仕メイドでした」


「それが、ガンドシュタイフね」


「はい。私は五年間、彼女に勉強を教えられました。文字だけではなく言葉遣いや、淑女としてのマナーまで。彼女はいつも無表情で、その教え方もとても機械的でした。正直に言って、楽なものではありませんでした。私がそれを出来るようになるまで、彼女は何度も何度も同じことを繰り返させました。同じトーン、同じ喋り方、同じ言葉で——私は時にそれを煩わしく、そして辛く思ってもいたことも事実です。でも、そのおかげで、私が少なからず一般教養のようなものを身につけられたのも確かです。そういう意味では、私は彼女に感謝するべきなのかもしれません」


「ちなみにだけど、その二人が人間ではなく、自動人形だと知ったのはいつだったんだい?」その質問はニックからだ。「そして、それを聞いたとき、君はどう思った?」


「そうですね、屋敷に来てすぐ、数日間の内のことだったと思います。お父様自らが話してくれたのです。曰く、『彼女たちは普通の人間とは異なり、外の世界では生きていけない人形なのだ』と。あと、『自分の言うことしか聞かない』とも言っていました。実際、彼女たちは私のお願いは殆ど聞いてくれず、お父様の指示にのみ従順でした。当時の私は科学のことなど何一つ知りませんでしたから、最先端の科学技術ではそういうものが存在するんだな、くらいにしか思いませんでした。それが異質な存在であることに気づき始めたのは、文字を学習して様々な本を読めるようになってからです。ですから、つい最近のことですね」


「つい最近って……」バーダが困惑したように言う。「でも、さすがに街を歩いたり、同年代の子たちと話をしたりしていれば、『自分で勝手に動く人形』というのがどれだけ異常なものか分かりそうなものじゃないの?」


 その指摘に、イヴは少し困ったように肩を縮こまらせた。


「あ、いえ、その——私は屋敷にやってきてからの五年間、一度も外に出たことがありませんでしたので……」


 それを聞いて、一同は言葉に詰まる。何かの間違いでは無いか、と確認するかのように、バーダが問う。


「五年間で、一度も?」

「はい。あ、でも、本や新聞はたくさん読ませてもらいましたので、それほど苦痛では無かったんです。その、少しだけ、寂しいときは、確かにありましたけど……」


「外に出たいとは思わなかったのかい?」


 ニックが訊ねると、彼女は曖昧な仕草で首を動かした。


「お父様の、強い言いつけでしたので」


 それは質問に対する回答になってはいなかった。


 思わず俺の口から舌打ちが漏れる。イヴがそんな俺を見て一瞬、怯えるように肩を震わせた。しかし、今度はバーダは俺の頭を叩いたりはしなかった。きっと俺と同じ思いをしていたからだろう。


 五年間、一度も外の世界に出られないなど、そんなものは正常な親子の生活ではない。ただの監禁だ。


「レメルソン博士は、何か父親らしいことをしてくれたの?」


 バーダが真剣な顔で訊ねると、イヴは困ったように首を傾げた。


「あの、その、はい、生活は何不自由なく——」

「父親の笑顔を見たことは?」

「それは……ありません」


「それじゃ、その父親との生活で、一番あなたの思い出に残っているのは何?」


 バーダの問いに、イヴはすぐさま答えられなかった。三秒間、言葉を探すように沈黙した後で、いつものように視線を逸らして項垂れてしまう。

 バーダは苛立たしげな溜息をついた。もちろん、その苛立ちはイヴに対してではない。


「分かったわ、そのことについては後で詳しく話しましょう——とにかく、これがあなたにとって初めての外出になるわけね」

「……はい」


 そこで消沈気味の空気を払拭させるかのように、ジョンが戯けて言う。


「初めての外出が真西洋を渡り、さらにユナリア大陸まで横断するものとは、いきなり随分とハードルが高いね。大金持ちの私もびっくりだよ」

「傭兵が一年間に歩き回る距離も軽く超えてるぜ、たぶん」


 俺も軽く笑ってみせる。生半可な旅路ではない。少なくとも、まともな親が娘に一人旅をさせるような距離ではないだろう。バーダが再び訊ねる。


「この旅はレメルソン博士の言いつけで始まった、と言ったけど、そのときのことも詳しく話してくれる?」

「あ、はい。ちょうど今から十日前の夜でしょうか。珍しく、私はお父様に書斎に呼び出されました。すると、いきなり大きな旅行鞄を私の前に取り出して、こう言ったんです。『明日の夜、この書斎からこの鞄を持って行って、ユナリア大陸に渡りなさい。大陸横断鉄道に乗って、ロアの人形図書館にこれを届けるんだ』って」


 その話を聞いて、バーダの瞳に冴えが入る。


「それが、あの大きな旅行鞄ね?」


 バーダがテーブルの横に視線を投げる。そこには弾痕の刻まれた大きなキャスター付きの鞄が置かれてあった。イヴの大事な荷物と聞いていたので、さすがに列車の中に置いておくのはまずいということになり、このホテルまで運んできたのだ。もちろん、汗だくで運んできたのは他でもない、この俺である。


「はい、そうです」

「レメルソン博士は行き先しか言わなかったのね? 誰に届けろ、とまでは言ってなかった?」


「えっと、お父様が言うには、『行けば分かる』とだけ……他には、蒸気船のチケットや、大陸横断鉄道の時刻表、それに充分すぎるくらいのお金も渡されました。鉄道の時刻表にはイクスラハの傭兵組合の一覧も付いていて、ここで護衛を雇うようにという指示も書いてありました。あとは……そう、『絶対にレメルソンの名前を出すな』と、とても強く言いつけられました」


 それを喋ってしまったことに多少なりの罪悪感があるのか、イヴはまた俯いてしまった。まったく、この子はあまりにも俯きすぎだ。まるで、彼女の人生そのものまで俯いてしまっているような気がした。


「ますます妙だな」そう呟いたのはジョンである。「十四歳の少女にそれだけの大金を預けて一人旅だなんて、むしろあまりにも危険すぎる。傭兵を雇えと言っても、彼らだって全員が全員、誠実な人間というわけじゃないだろうに。大金を持っている十四歳の少女を前にしたら、悪事を考える輩だっている。それが傭兵という連中……」


 と、そこで俺と目が合い、ジョンはばつが悪そうに苦笑した。


「あ、これは失礼。主語が大きすぎたね」

「いや、お前の主張はたぶん教皇の信託並みに正しいぞ」


 俺は真剣に頷いた。傭兵なんてのはロクなものじゃない、俺も心からそう思う。


「でも、レメルソン博士はどうしてついて来なかったんだろう。無責任にもほどがあるよ」


 ニックが糾弾するような口調で言った。イヴは儚げに口の端を歪めながら答える。


「お父様は、出発の日はどうやら何か大事な仕事の約束があったそうで、私が朝起きた頃にはもう屋敷にいませんでした。書斎に、この鞄だけが置かれてあって……」


「娘の出立に見送りもせずに?」ニックが顔を顰める。「やはり、どうも僕はあの男が好きになれないよ。発明家としても、人間としても」


 これまでの話を聞く限り、その意見には俺も賛成だった。


「そういえば」思い出したようにイヴが言う。「私は夕方に屋敷を出たのですが、その日は何故か、キャビッジパッチもガンドシュタイフも朝からいませんでした」


「なるほどね」とバーダが微かに口元を緩める。「やはり、その時点で動き出していた《﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅》と考えるべきだろうな」


 その場の全員が、バーダに目を向ける。彼女の瞳には、何かを見抜いたかのような鋭い冴えと、そして確信を含む愉悦の色が見て取れた。


「動き出していたって、何だよ」

「レメルソン博士の予期しない——いや、逆だな。予期していた『何か』だ」

「何だそりゃ、ますます分からねぇぞ」


 俺が正直に言うと、バーダは見下すように「だろうな」と呟いた。畜生。


「フォレスター、君は何か気づいているのかい?」


 ニックが問うと、バーダは微かに頷いてみせた。


「ああ、全体の構図と、ちょっとした推測——正確には、これは文脈から読み解いた『作家としての予感』だな」

「またそれかよ」


 俺の辟易の言葉に、しかしバーダは得意げに笑って見せる。


「春先の旅ではおまえもそれに助けられただろう?」

「いや、俺はそれのせいで第零騎士団に町中を追いかけ回されたんだぞ」


 危うく銃で脳天をぶち抜かれそうになったことを思い出した。いや、別にぶち抜かれても俺は死なないのだが。


 だが、バーダは俺の主張など歯牙にも掛けず、腕を組んで咳払いを挟んだ。まるで、これから語ることの重要性をその場に馴染ませるかのように、周囲を睥睨する沈黙を置く。そして、その口元に自信の笑みを僅かに浮かべながら、語り始める。


「まず全体図を整理しよう。イヴの先ほどの話を聞く限り、今回の彼女への一連の襲撃は、レメルソン博士が望んだことではなかったと思う。キャビッジパッチ——そしておそらくガンドシュタイフもだが——彼女たちと博士は、どちらかと言えば現在は敵対関係に近いと思われる」


「僕もそうは思いたいけど」とニックが言う。「でも現実的に、彼女たちに命令を下せるとしたら、その造物主であるレメルソン博士だけじゃないかな? イヴが言うには、彼女たちはレメルソン博士の言うことしか聞かないんだろう?」


「いや、もう一人いるはずだ。正確には、命令を下せるようになった人物《﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅》が、な」


 彼女が口にした意味深な単語に、一同は首を傾げた。ジョンは頭を抱える。


「なった? それはどういう……あ」

「まさか……!」


 ジョンの気づきに同調するように、ニックもまた目を見開いた。俺とイヴの頭上に浮かんだままの疑問符をなぎ払うように、バーダが不敵に微笑する。


「そう——『未来王の手記エジソンズレコード』だ」


 そこでようやく、俺も点と点が繋がった気がした。そんな俺の脳内整理を促すかの如く、バーダは続ける。


「ジョナサン、ニコラス、お前たちは言っていたな。オークションに出される筈だった『未来王の手記エジソンズレコード』が何者かに盗まれた、と。自動人形たちが『未来王の手記エジソンズレコード』を元に作られたものだとしたら、当然、そこには彼女たちを制御する方法も書かれている筈だ」


「ええと」ジョンがこめかみに指を当てながら言う。「ということはつまり、自動人形たちにイヴを狙うように指示を出しているのは、それを盗んだ犯人ということかい?」


「その可能性が極めて高い。イヴの出立は今から十日前、そしてクリスティアーノ・オークションが開催されたのは——いや、『未来王の手記エジソンズレコード』が盗難にあったのは、今から十一日前だ。詳しい理由は分からないが、きっとレメルソン博士はその盗難事件があったからこそ、急にイヴを出立させたんだろう」


 それを聞いて、様々な憶測が俺の中にあふれ出す。


 『未来王の手記エジソンズレコード』の盗難により、自分の言うことしか聞かない筈の自動人形が、第三者に乗っ取られてしまう可能性が出てきた。それはつまり、方々から恨みを買っているレメルソン博士自身の——そして養女であるイヴの——身の危険をも意味する。だからレメルソン博士はイヴを逃がした? レメルソン博士がイヴの旅に付いてこなかったのは、或いはその盗人の対応に迫られていたからだろうか? しかし、逃がすにしてもどうしてユナリア大陸の果てまで逃がす必要がある?


 推測が新たな疑問を喚び、それらが俺の頭の中でぶつかっては火花を散らす。駄目だ、考えれば考えるほどわけが分からない。俺はもともと、頭脳労働派の人間ではないのだ。


「でも、ちょっと待ってくれよ、フォレスター」疑問を投げかけたのはニックだ。「だったら、そもそもどうしてレメルソン博士は『未来王の手記エジソンズレコード』をオークションに出そうとしたんだ? 君の推理の通りだとしたら、自動人形の支配権を誰かに譲るようなものじゃないか?」


「その真意はまだ分からない」あっさりと、バーダはそう答えた。「現時点ではレメルソン博士自身に関する情報が少なすぎるからな。ジョナサンの言葉を借りるなら、その件はペンディングだよ」


 数々の疑問を卓上に残したまま、消化不良な空気が我々の間に漂った。ジョンとニックは二人とも腕組みをしながら、小難しそうにうんうんと唸っている。


「ああ、それと」と、そこでバーダが補足するように口開いた。「おそらく、その犯人の狙いはイヴの命ではない。この鞄だ」


 彼女がイヴの傍らの旅行鞄を指さす。例の、レメルソン博士がイヴに持たせたというものだ。


「鞄? そりゃまた、どうしてだい?」


 ジョンの質問で、バーダは何故か俺の方に視線を寄越した。


「私も気が動転していて忘れていたが、あのキャビッジパッチが我々の前に現れたときに、譫言のように何度も言っていたんだよ。この男も聞いている」


「あ」と、俺も思い出した。「何かを『返セ』とか言ってたな、そういや」


「つまり、イヴが持っている『何か』が目的だった。そして彼女がその屋敷から持ち出したものと言えば、これしかないだろう」


 バーダの言葉で、全員の視線がその旅行鞄に集中する。これまでの謎の鍵がここに隠されている、とでも言わんばかりに、その鞄が急に異彩を帯び始めた。一同の緊張と期待を代弁するかのように、バーダは改めてイヴの方に向き直った。


「——イヴ、もういいでしょう。この鞄の中身、私たちにも教えてくれるかしら」


 だが、イヴは言いにくそうな顔で、両手の指を胸の前で弄んでいた。


「あの——ごめんなさい。実はその鞄の中身は、私も知らないんです」


 え、という言葉が、その場の全員の口から飛び出した。イヴは頭を下げる。


「その、実は私も何度も開けてみようと思ったんですけど、ビクともしないんです。鍵がかかっているみたいなんですが、その鍵も私は持っていなくて……」


 我々の間に膨らんだ期待が、急に気の抜けた風船のように萎んでいく。


「うーん、レメルソン博士が、うっかり鍵を渡し忘れたのかなぁ」


 ジョンが残念そうに呟く。そこでバーダが憎々しげに舌打ちを漏らした。


「まったく、使えない博士め。そんなことだから方々から恨みを買うんだ」


 半ば八つ当たりとも言える、あまりに理不尽な言いがかりだった。どうやらこの謎が解けないことが心底から腹立たしいらしい。


 しかし、こいつが不機嫌になる、というのはあまり良くない傾向である。案の定、バーダはその苛立ちの視線を俺に向けてきた。


「おい、ソード。今すぐこの鞄、剣で叩き斬れ」


 ほらな、こういう無茶苦茶なオーダーが飛んで来るんだ。


「あのな、これはイヴの持ち物なんだろ。勝手にそんな横暴を——」


「私は構いません」イヴが言葉尻を切って言い放った。「むしろ、私からもお願いします。もう今さら、私に隠すことも無いですし」


 俺は頭をぼりぼりと掻いて、溜息をついた。見渡すと、ジョンもニックも止めるつもりは無いようである。

 ——参ったな。

 しかし、ここまで来たら、もう正直に言うしかあるまい。


「悪いが、それは出来ない」

「はぁ?」


 バーダが不愉快そうに顔を歪めた。うわ、本当に不愉快そうだ。


「貴様、本当に学習能力が細胞レベルで大絶滅してるのではあるまいな? 依頼人の命令に逆らうとは、正常な脳味噌の持ち主とは——」


「剣が無いんだよ」


 と、俺は両手を挙げて万歳のポーズをして見せる。


「俺の剣は、さっきの戦闘でキャビッジパッチとかいう化け物に粉々にされたんだ」


 俺は物寂しくなった自分の腰のベルトに視線を落とす。鞘まで壊されていたので、今の俺は文字通りの意味で丸腰である。

 そんな俺の姿を見て、バーダは呆れたように盛大な溜息をついた。


「——春先の一件で、アンタをちょっとでも頼りになるかと思った自分が馬鹿馬鹿しいわ」


 いや、そこまで言うことは無いだろ。

 女性口調ということは、この女の本音である。じとりとした彼女の視線が俺に突き刺さる。


「……まったく、傭兵のアンタが剣も無しにどうやって私を守るのよ」

「あ? そりゃ身を挺してでも守るしかねぇだろ」


 仕事なんだから、と付け加えようとする前に、急にニックが「へぇ」と感嘆めいた声を上げた。目をやると、何故かニックが意味深な微笑を浮かべながらこちらを見ている。その傍らではジョンが「ほほぅ」と、何かに納得したような視線を寄越していた。おまけに俺の隣の席では、イヴまでもがどこか妙に陶然とした表情で俺を——いや、俺とバーダを見つめていた。おいおい、いったい何なんだ。


 再びバーダに目を向けようとすると、彼女は俺の視線から逃れるかのように立ち上がった。


「ああ、もう——話にならないわ!」


 と、匙を投げられた。やはり怒っているらしい。やれやれ、後で機嫌を直すのに苦労しそうである。


「ボードイン!」と、そこでバーダは隣の席に投げかける。「仕事の依頼だ」


 今までずっと寝息を立てていたゴルドは、その声で視線を卓上に戻す。眠そうな瞬きを何度か挟み、大きな欠伸をしながら、奴は間の抜けた声を上げた。


「……なんだ、晩飯の時間かァ?」


「これが報酬だ」と、バーダは自分のポシェットから百ドル紙幣を数枚取り出し、ゴルドの目の前に置く。「この鞄を、あなたの剣で斬って開けて欲しい」


 ゴルドは最初は眉を寄せて疑問符を頭上に浮かべていたが、やがて理解を諦めたのか、のっそりと立ち上がった。


「——中身ごとぶった斬っちまうかもしれねぇが、いいか?」

「構いません」


 そう答えたのはイヴである。ゴルドは「わかった」とだけ呟いて、その鞄を自分の目の前まで持ってくる。そして体勢を沈め、自分の腰の得物に左手を添え、右手で柄を掴んだ。


 ——瞬間、肌に微かな冷気が吹き付けたような気がした。


 一同が固唾を吞んで見守る中、シン、という鞘走りの音が響いた。


 空気を裂く音すらも時間の先に置いてけぼりにして、ゴルドの刀剣、ヘシギリハセベの一閃が煌めく。


 ——が。


 その一瞬後に我々の視覚が捉えた光景は、一同が期待していたものではなかった。


 ゴルドの刃は、鞄と僅か紙一枚分ほどの距離を置いて、空間に制止していた。


「——駄目だ。こいつは斬れねぇ」


 特に感慨も無く、事実のみを述べるような口調で、ゴルドは言った。その後で、つまらなそうに鼻を鳴らして剣を鞘に収める。


「斬れない、だと?」


 バーダが眉を寄せる。苛立ちではなく、不可解で仕方ない、といった顔だ。

 事実、春先の一件でこの男は、鋼鉄よりも固い『牙持つ獣たち』の攻殻をその刀剣で叩き斬っている。

 しかし、ゴルドは言い訳するでもなく、淡泊に答えた。


「ああ、斬れねぇ。たぶん、あのまま振り抜いてたら俺の剣の刃がイカレちまってる」

「そう感じたのか?」


 俺が訊ねると、ゴルドは「ああ」と頷いた。


 奴には先天的な戦いの本能が備わっている。それはこれまでの傭兵稼業の経験と相まって、常人にとってはもはや予知能力のレベルにまで研ぎ澄まされている。そんなゴルドが言うからには、おそらくその通りなのだろう。


 ゴルドは肩を竦めてヘラヘラと笑って見せる。


「作家先生には申し訳ねぇが、この依頼はキャンセルだ。悪ぃな」


 バーダはしばらく考え込むようにじっと鞄を見つめていたが、やがて「仕方あるまい」とテーブルの上の金を引き下げた。


 これでまた、新たな謎が出てきてしまったことになる。

 ゴルドですら両断できない、尋常ならざる堅牢さの鞄。おそらくこれも、レメルソン博士が持つという未来の科学技術によって作られたものだろう。しかし——。


「……いったい、何を守っているというんだ?」


 バーダがその不気味な物体を見つめながら、独り言のように呟く。

 疑問が渦を巻き続ける大海の中で、俺はせめてもの思いで口開いた。


「なぁ、これだけはハッキリしておきたいんだが、そのレメルソン博士ってのは結局のところ、俺たちの敵なのか?」


「その答えは」

 バーダは視線を窓の外の方に——或いはその遙か彼方に向ける。

「——人形図書館まで行ってみるしかないだろうさ」


 まったく、人形ばかりの事件である。人形に命を狙われた少女、そしてその行き先も、無数の人形が並んでいるとかいう人形図書館だ。


 しかし俺は結局、最後までもう一つの疑問を口に出すことは出来なかった。


 列車の中で俺とゴルドが戦った自動人形、キャビッジパッチ。

 顔の皮膚もボロボロで最初は気づかなかったが——しかし、思い返せば思い返すほど、それは確信に近づいていく。


 俺が無言で見つめていたのに気づいたのか、イヴは少し怖がった様子で首を傾げた。


「あの、ソードさん……何か?」

「いや、何でも無い」


 そう——あの顔はどことなく、この少女に似ていた気がしたのだ。

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