〈六〉死線の時速四〇マイル
「ソード、列車から落ちるなよ」
そう呟いたかと思うと、ゴルドは猛烈に床を踏み抜き、更に座席の背もたれを蹴り上げて飛翔した。その動作に連動して、瞬きするよりも速く奴の長物が軌跡を描く。
金属の裂ける聞き慣れぬ音が、風に載って消え去っていった。
ゴルドの放った斬撃は、俺の鉄剣を掴む人形の腕を容易に斬り飛ばした。奴の並外れた技量と、名刀『ヘシギリハセベ』の悪夢のような切れ味があってこそ為せる芸当である。
力の拮抗が解かれ、バランスを崩した拍子に、俺の左手が持つ鉄鞘が鋏に押しつぶされて砕け散る。畜生、一式を新調したばかりだっていうのに。
自由になった右手の鉄剣を振るい、絡みつく奴の残骸を振り落とす。武器が折れなかっただけマシと思うしかない。
俺は即座に人形から距離を取り、ゴルドもまた俺の隣に着地した。互いに視線を怪物に向けたまま、各々の得物を構える。視線を動かさずに俺は言う。
「——なんで此処にいるんだ、てめぇは」
「かかか、そいつは俺の台詞だな」
「俺はいつものクソ仕事だ」
「俺も同じさ。やっぱり俺たちは運命の糸で結ばれてるらしいぜ」
「胸糞悪い糸だな」
いつも通りの軽口の応酬に、しかし俺はこの緊張状態の中で懐かしき倦怠感を覚える。一瞬だけ、こちらの戦力が充実したことに安堵が湧いたが、あらん限りの理性と道徳心で追い払った。こいつの登場で安心するなど、馬鹿げているにもほどがある。
「で、あいつは何だ、ソード?」
そう訊ねながらも、ゴルドの眼は標的から寸瞬も離されることは無い。俺は粉々になった鞘の残骸を放り投げながら、鼻を鳴らした。
「知るかよ。直接、あいつに訊いてみろ」
ふぅん、と興味も無さそうに頷くゴルド。先ほどの奴の質問に意味は無い。あれが何者か、というのは、この男にとってさして重要な情報では無いのだ。
そのとき、対峙する鉄の人形の身体がぶるぶると震えだす。すると、ゴルドに切断された奴の左腕の付け根がゴトリと落ち、そこから新たな鋼鉄製の鋏の腕が飛び出した。しかし、それだけではない。服が裂けて露わになった太腿からも、皮膚が裂けて更なる鋏の腕が飛び出す。合計四本。もはやそれは、人の姿とは呼べない異形だ。
ゴルドが乾いた口笛を鳴らした。
「まるで蟹、いや、蛸だなァ」
「あの魚はここまで硬そうじゃねぇよ」
「知ってるか、ソード。東洋の島国じゃ、あの魚を好んで食べるらしいぜ」
「げ、正気を疑う話だな」
まるで気の抜けたエールのような会話とは裏腹に、我々の神経は針のように研ぎ澄まされていく。続く二人の言葉がきっかけとなった。
「まぁ、何でもいいか———倒していいんだろ?」
「———当然だ」
張り詰めた緊張が頂点を迎えたとき、俺とゴルドは鉄の女給仕に向けて疾走を開始した。その進行方向は列車の行き先とは反対方向。車上に吹き付ける強風は、我々の激走を加速させる追い風となり、標的との距離を一瞬のうちに詰めさせる。
「嘻嗚アシュゥぅぅラァぁぁぁぁッ!」
人形の絶叫と共に、四本の鋏が文字通り四方から俺たちに襲いかかる。我々の視界の端から端までを縦横無尽に駆け巡りながら向かってくる鋏。それを俺とゴルドの刃が迎え撃つ。
列車は長閑な田園地帯に差し掛かっていた。高く昇った太陽はその眩い無色で世界を照らし、雲がまだらな影を作る緑の絨毯は、穏やかに波打っている。
——そんな世界を切り裂くように激走する鋼鉄の車輪、そしてその車上では、火花と甲高い金属音が、さながら軽機関銃のように周囲に舞い散っていた。
攻防は一進一退であった。
人形の攻撃は正確無比に我々を狙い、我々がその隙を縫って切り返そうとすると、奴もまた巧妙に鋏の腕で防御する。攻勢は二対一で俺たちが有利な筈だが、やはり奴の振るう四つの腕が厄介だ。互いに決定的な一打が生み出せない、まさに泥仕合である。しかし、この泥仕合は一瞬でも気を抜けば一気に劣勢となる。
このままでは埒が明かない、そう判断したのは奇しくも二人同時だった。我々は示し合わせたかのように後方に飛び退き、一旦、機械人形と距離を取った。体勢を整えて、俺はそこで自分の息が上がっていることに気づく。一方で、隣のゴルドは汗一つかいていなかった。
「面白みのねぇ斬り合いだなァ。案山子を叩いてるみてぇだ」と、ゴルドはつまらなそうに鼻を鳴らす。「あの四本腕が鬱陶しいぜ」
同感である。まずはあの障壁を突破しなくては話にならない。
「で、なんか思いついたかよ、ソード」
「……思いついたが、願い下げたい策だな」
「奇遇だな、俺もたぶん同じ策を思いついたところだ」
「相変わらず心底からクソ野郎だな、てめぇは」
「かかか、どうやら議論してる暇は無いらしいぜ」
眼前の敵は慟哭のような叫びを上げ、俺たちに向けて再び四本の死線を放った。しかし、その寸前に俺とゴルドの間には視線が交わされている。胸糞悪いが、俺たちの意思疎通は光の速度と同じだ。
俺は体勢を低くして滑り込むように鋏を回避し、奴の懐に潜り込む。一方でゴルドは列車の天井を蹴って大きく跳躍した。追い風がその飛翔を助け、ゴルドは機械人形の頭上を飛び越える。ぐりぐりと回る人形の眼球の片方が、翻る金色を追った。やがて人形を挟んで俺と対角線上に着地したゴルドは、すぐさま体勢を逆方向に転換し、猛烈に地を蹴り抜いて敵に肉薄する。
「そっちが鋏で来るならよォ———」「———こっちは挟み打ちだ」
どちらを先に対処すべきか、そんな逡巡を思わせるような一瞬の隙が、人形に生まれる。その判断の僅かな間隙を見逃すほど、俺たちのこれまでの傭兵稼業は温くない。次の瞬間には俺とゴルドの双つの刃が、空気を切り裂き敵の首めがけて疾駆する。
しかし、敵とてその異形に然る者だった。
刹那、俺の方向へ解き放った四本の鉄の鋏を、機械人形は猛烈な勢いで引き戻す。俺はすぐさま刃と身を翻し、背後から強襲する鋏の内、二本を剣一本で受け止める。残りの二本は一直線に敵の背後、ゴルドへと向かっていった。
ここまでは俺たちの計算通りだ。
鋏が舞い戻るよりも、ゴルドの動きは速い。つまり、俺はあいつの距離を稼ぐための囮なのだ。敵の凶刃がゴルドに到達する前に、あいつの一閃が敵の首を斬り飛ばす、それが俺たちの描いた策——の筈だった。
だが、機械人形の頭部は、ゴルドの刃が到達する前に落ちた。いや、正確には首の根元が稼働して、自身の胸の前まで滑り下がったのだ。生身の肉体であれば有り得ない、まさに機械仕掛けの挙動である。そのせいでゴルドの放った斬撃は、空しくも紙一重で風を斬った。奴の舌打ちが、眼前から吹き付ける向かい風の隙間から聞こえた。
そして斬撃を放ち、がら空きになったゴルドの胸部めがけて、すぐさま二本の鋼鉄の鋏が舞い戻る。ゴルドは腰の鞘を引き上げ、辛うじてそれを防御するも、空中で体勢を崩して吹き飛んでいく。その方向は、最悪なことに車体の外側だ。
「ゴルドッ!」
背に向けて叫びつつ、鋏を必死に受け止める俺の顔のちょうど真横に、錆だらけの女の顔が迫り出していた。その瞼の無い瞳が、俺をぎょろりと睨む。夢に出てきそうなほどに悍ましい光景である。しかし、背筋が粟立つ暇すら与えず、その女の口はやがて頬の皮膚を引き裂いて大きく開かれた。
すると、その口腔の奥底から、甲高い回転音を立てていきなり円錐形の鉄の塊が現れやがった。その切っ先は、迷うことなく俺の顔面に向けられている。
——この化け物が……!
歯を食いしばりながら悪態をつくも、機械人形の瞳に感情の色は無い。血も涙も無い、というのは、まさにこのことだろう。俺の鉄の剣が、二本の鋏に挟まれてひび割れていく。
だが——化け物がてめぇだけだと思うなよ。
俺は意を決し、眼前に迫り来る掘削機に向き直った。そして次の瞬間。
「ごふぉッ…………!」
俺は顎を上げ、自らの喉元をその先端に突き刺した。凄まじい激痛と共に、鮮血がまるで噴水のように周囲に巻き散った。それと同時に力の均衡が崩れ、次の瞬間には俺の鉄の剣が粉々に砕け散る。そして当然のように、戻ってきた鋏と併せて四本の死の先端が、俺の身体を貫いた。
声なき絶叫が、暴風に攫われて世界に散っていく。
皮膚と肉が裂ける灼熱感と、万力で締め上げられるような苦痛が俺を襲う。
しかし、その一方で俺は安堵していた。頭部を貫かれていたら、俺の意識はそこで途絶してしまっていただろう。しかし、これなら……。
——捕まえたぜ。
声にならぬ俺の呟きに続いて、我々の頭上に影が舞い降りた。見上げなくとも分かる。奴は、あの程度で車外に放り出されて死ぬような間抜けではない。
脅威だった四本の鋏は、俺の不死身の身体ががっちりと抑え付けている。つまり——。
「——良い仕事だぜェ、ソード」
不敵さと愉悦を含んだ呟きが耳に届いた、その刹那。
跳躍し振り下ろされたゴルドの刀剣が、重力と共に豪快に怪物の肩口に直撃する。
天空からの一撃は鋼鉄を斬り裂き、身体の中のギミックをズタズタに分断し、周囲に撥条と歯車をまき散らしながら、やがて列車の天井すらもぶち抜き、目の前の怪物の身体を真っ二つに両断したのだった。
◆
全身に絡まった鋏の腕の残骸を振りほどき、俺も天井に空いた穴から車中に降り立つ。客車の中は先ほどのゴルドの一撃のせいでめちゃくちゃだった。馬鹿力め。
唾を吐き捨てると、鉄の味がした。今まで幾度となく味わった、苦々しい味である。ここまでの手傷を負ったのは春先の一件以来だ。俺は首を左右に曲げ、身体の各所を動かしてみる。出血は止まり、既に傷も消え始めていた。心配だった喉元の一番大きな穴も、今は完全に塞がっている。何度か「あー、あー」と発声してみたが、問題は無さそうだった。
「相変わらず、羨ましい身体だぜ」
ゴルドが刀剣を鞘に戻しながら、ニタニタ顔で言った。俺は自分の服装を見下ろし、顔を顰めた。シャツはズタズタに切り裂かれ、ジーンズまで血まみれになっている。
「ああ、これで服まで直ってくれたら言うことねぇよ」
俺の口にしたくだらない冗談に、ゴルドはからからと笑った。
——俺の身体は不死身だ。
過去に投与された『とある薬』が原因で、如何なる事象も俺の身体を滅ぼすことは出来ない。腕が切断されようが、首を切り落とされようが、時間さえあれば俺の身体は常に正常な状態に回復する。この世の理に叛逆する、呪われた力である。
俺は確固とした足取りで、機械人形の残骸へと歩みよる。ゴルドの馬鹿力は奴の身体を左半身と右半身に、ものの見事に真っ二つに叩き斬っていた。先ほどまで狂ったように暴れ回っていたその怪物は、今やぴくりとも動かない。どうやら完全に機能を破壊したらしい。
屈み込んで検分していると、横からゴルドが覗き込んできた。
「『牙持つ獣たち』の新種にしちゃァ、随分と脂身の少ない奴だな」
「ああ、少なくともデビルフィッシュの仲間でも無さそうだ」
馬鹿馬鹿しい会話を交わしながらも、俺の思考は冷静だった。俺は目の前に横たわる異形の怪物の正体に、何となく勘付き始めていた。
——自分で動き、意志を持って攻撃する、機械の人形。
こんなものは見たことも無いし、少なくとも俺は聞いたことすら無い。一八七三年のユナリア大陸に、こんな馬鹿げた技術がある筈が無い。敢えてあの小説家のような言い回しをするなら、存在自体がこの時代と辻褄が合っていないのだ。
つまり——。
「——あの聖女と同じ連中の仕業、か」
この時代よりも遙か未来の別世界からやってきたという、歴史改変者。
奴らの持つ超未来の技術とやらを使えば、こんな非現実的な怪物も生み出せるかもしれない。というより、俺にはそれ以外に思いつく要因がなかった。
……しかし、何故、それがイヴを狙っていたんだ?
「ソード、無事かい!?」
そんな言葉と共に客車に飛び込んできたのは、金髪の青年だった。
「これは……いったい何が?」
続いて、眼鏡の青年が愕然とした表情で現れる。
「よう、ジョン、ニック。またお前らの顔が見られて嬉しいぜ」俺は口の端を自嘲気味に歪めてみせる。「ところで、煙草一本くれるか?」
「二本だ」と、横からゴルドが口を挟む。「俺にもくれるかい、兄ちゃんたち」
抜き身の刀剣を携えた見知らぬ男の姿に、二人が尻込みしたように息を吞む。しかし、血まみれの俺の姿を見つけると、ニックの方は心配そうに駆け寄ってきた。
「血だらけじゃないか! 君の血か、これは?」
「ああ、そんなとこだ」
「この出血量は致命傷だよ! すぐに医者に診せないと……」
「大丈夫だ、煙草吸えば治るさ」
「治るわけ無いだろう!? 馬鹿か君は!?」
「——馬鹿げているのはそいつの回復力だよ、ニック」
と、二人の背後から姿を現したのは、我が依頼人だった。その後ろには、恐る恐るこちらを覗き込むイヴの姿が見える。
バーダは俺の横に立つ人間の形をした何かをちらりと見やると、皮肉っぽくその口元を歪めてみせた。
「久しぶりだな、ボードイン。今回の旅路も、いずれどこかで会うような気はしていたよ」
「よォ、作家先生。元気そうで何よりだ」
ゴルドは相変わらず、へらへらと軽薄そうな笑みを浮かべている。初対面の三人は、その奇怪な人物に怪訝そうな視線を送っていた。
「安心しろ」と俺は三人に向けて言う。「こいつは敵だが、今のところ敵意は無ぇよ」
「ゴルドだ。ソードの大親友の一人さ。宜しくな」
長物を鞘に戻しながら、ゴルドはそんなことを言ってのける。鼻白む三人を見て、俺は訂正するのも面倒くさい気分だった。
そんな中で、ジョンが俺に鋭い視線を送ってくる。
「しかし、ソード。この状況はどうなっているんだい? それは何者で」と、彼は俺の足下の残骸を指さす。「そして、君はいったい何者なんだ?」
どう答えたものか、と逡巡していると、先にバーダが口開いた。
「その格好ではもはや誤魔化すことも出来まい。後件については真実を話すしかないだろうよ、ソード」
俺はやれやれと首を左右に振った。実際、その通りだ。瞳を爛々と輝かせるジョン・ジャズフェラーを、適当な嘘で騙すのは至難の業だろう。
「……話すと長くなる。まずはこの退っ引きならない状況を脱しよう」
「それは同感だ」
バーダが後方をちらりと見やりながら首肯する。すでに乗客たちが野次馬となって集まり始めていた。
「そして何より」と、バーダの視線はイヴに向かう。「語られるべき真実は、どうやら一つでは無いようだからな」
イヴは懊悩するような沈黙を挟んだ後で、俯くように微かに首を縦に振ったのだった。




