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傭兵と小説家  作者: 南海 遊
Part 2. The Doll Across The Horizon.
54/83

〈三〉碧の目の令嬢


「『未来王の手記(エジソンズ・レコード)』だと?」


 そう言って、バーダは考え込むように押し黙った。聞きなれぬ単語に、俺は首を傾げる。


「なんだそりゃ?」

「なんだ、それも知らんのか」と、バーダは呆れ顔を見せる。「有名な奇書だよ。第零騎士団やアルノルンの掃除屋と同じで、かなりメジャーな都市伝説の一つだ」


 もっとも第零騎士団は都市伝説ではないがな、とバーダは付け加える。


「キショ?」

「ところでお前、特許王レメルソン博士のことはさすがに知っているだろうな?」


 記憶に薄ら白い霞を覚えて、俺は曖昧に首を動かした。案の定、バーダはじとりとした視線を寄越した後で、溜め息をついた。俺は苦虫を噛みながら、彼女のご高説を待つ。


「トーマス・アルバ・レメルソン。御年六〇を超える科学者、いや、発明家という表現の方が適当だな。その研究発明の範囲は多岐に渡り、電気工学や医療、精油事業などでおよそ三〇〇を超える特許を取得している」

「三〇〇? 本当かよ」

「ああ。ニコラスの持つ特許が今のところ三つだから、これがどれほど異常な数字か分かるだろう」


 感心する俺の傍らで、ニックが苦笑いを浮かべていた。


「まぁ、でも、あの人は企業オーナーやロンドの弁護士からはとてつもなく嫌われているけどね」

「そうなのか?」


 俺の質問には、ジョンが答えた。


「ああ、彼のライセンス料は相場としてはかなり強気だ。正直、一企業のオーナーとしての見解を言わせてもらえば、『自惚れが過ぎる』と言っても過言ではないくらいだよ。ライセンス料に経費を圧迫されて潰れてしまった企業もあるくらいだ」

 と、そこで彼は真剣な顔になる。

「正直、彼のやり方は極めて利己的で、市場の成長を少なからず阻害していると私は考えている。あまり好ましいやり方ではないね」


「まぁ、それでも市場が完全に崩壊しないギリギリのラインを突いている、という意味では商才はあるんだろうけど」


 と、ニックは肩を竦めてみせた。


「その通り」とバーダも頷く。「とにかく博士の発明には需要があるのだ。それも不気味なほど正確無比に市場にコミットした需要が、な」


 どこか含みのある口調で言うバーダ。しかし、俺は正直、前置きやら伏線やらを重要視する性格ではない。


「で、そのエジソンズ・レコードってのは、結局何なんだよ」


 本題を促す。バーダが端的に答えた。


「そのレメルソン博士の特許功績の大半を占める知識の源泉―――それが『未来王の手記(エジソンズ・レコード)』だ」

「それを誰が書いたのか」と、ジョンがそこに続く。「そしてどのようにしてレメルソン博士の手に渡ったのかは誰も知らない。ただ、とにかくその手稿には、未来の科学技術(テクノロジー)についてのあらゆる知識が書かれているそうなんだ」


 ジョンは拳を握りしめて熱っぽく語る。その瞳には、関心と切望の色がありありと宿っていた。俺は眉を寄せる。


「未来の技術だって?」

 そこで、ニックが真剣な顔で言う。

「もちろん、真偽のほどは分からない。しかし事実として、レメルソン博士の発明は全て、異常なほどに斬新で実用的だ。もしあれらを個人のインスピレーションだけで生み出しているのだとしたら―――あの人は人間じゃない、思考の怪物だよ」


 怪物、という単語を、俺は頭の中で繰り返す。それは俺にとっては、少しばかり深い意味を持つ言葉だ。


 そしてその一方で、俺は珍しく勘が働くのを感じていた。先ほどのジョンの話にあった未来の科学技術(テクノロジー)とやらに、心当たりがあったからだ。


 ―――歴史改変者。


 春先に対峙したあの聖女……ハヴァンディアは、自分たちのことをそう称した。

 曰く、この世界とは異なる未来の世界からの来訪者―――やがてこの世界に来たる『歴史と歴史の衝突』とやらを回避するため、この世界を『破壊』しようとする連中のことだ。


 ……といっても、俺は未だにその話の十分の一も理解できてはいないし、奴が『未来から来た』という話にも、そして俺自身がそれに深く関係した存在だということも、ほとんど実感が湧いていないのだが。


 いずれにせよ、その『未来王の手記(エジソンズ・レコード)』とやらに本当に未来の知識が書かれているのだとしたら、それは十中八九、歴史改変者なる連中が書いたものだろう。


 ちらりとバーダに目をやると、俺の意を汲んでいたようで、「その件については黙っていろ」という視線を送ってきた。俺は無言で同意する。その話を吹聴することには、俺も意味があるとは思えない。むしろ、徒らに世の中に混乱を招くような気がした。


 ジョンが話を続ける。


「そんな書物を突如、レメルソン博士が手放すという噂が流れたのが先月。しかもそれを、クリスティアーノ・オークションに出すという話でね。私はニコラスを呼んで、すぐさま東欧州へ向かったんだ」

「そのおかげで」と、ニックは憔悴した口調で愚痴る。「この三週間、僕らの位置情報に秒単位で同じものは無かったよ。オークションハウスの椅子に座っていた三十分間を除いてね。寝るのも常に、馬車か鉄道か帆船の上だった」


 よく見ると、その黒縁眼鏡の奥の目の下には隈が窺える。よほどの強行軍だったようだ。しかし、ジョンは懐から一冊のペーパーバックを取り出し、片目を瞑って見せた。

「まぁ、おかげで移動中にバーダロンの新作を三度も読み返せたがね」


 しかしバーダはそれには構わず、湧き出る関心を抑えられないのか、僅かに身を乗り出して訊ねた。


「それで、結末は?」


 その問いに、ジョンが渋い顔で頭をぼりぼりと掻く。それを見たバーダは拍子抜けしたように、体の重心を椅子の方に戻した。


「……なんだ、ガセだった、というわけか」

「いや」とニックが首を振った。「実はそうでもない。『未来王の手記(エジソンズ・レコード)』は存在したし、実際にレメルソン博士の名で出品目録に並んでいたよ」

「なんだと?」バーダが眉を寄せ、やがて驚いた目でジョンを見る。「ではまさか……競り負けたとでも言うのか、おまえが?」


 それを聞いたジョンは目を丸くする。


「私が? ははは、まさか! いやいや、面白い冗談を言うねぇ、フォレスター!」と、彼は心底可笑しそうに笑った。「たとえこの世界を作った神が相手でも、私が競り負けることなどあり得ないよ。いざとなったら、神を相手に商談で屈服させる自信がある」


 彼が冗談で言っているのか、それとも本気で言っているのか、俺には判断できなかった。

 そこでニックが大きくため息をつき、鼻梁の眼鏡の位置を整えた。そして、口開く。


「結論から言うと、『未来王の手記(エジソンズ・レコード)』はオークション本番には出品されなかった―――その前に、何者かに盗まれてしまったんだ」


「「盗まれた?」」


 俺とバーダが奇しくも同時に復唱する。ジョンは両手を軽く上げてみせた。


「笑えるだろう? 『|While the dogs growl, the wolf devours the sheep.《鳶に油揚げをさらわれる》』とは、まさにこのことさ。いやはや、さすがの私も参ってしまったよ。何のために海まで渡ったんだか」

「『骨折り損』というわけか」

「いや、資本家としては『くたびれ儲け』と呼びたいところだね」


 バーダの言葉に、ジョンは自嘲的に笑う。笑える冗句だ、と俺は小さく鼻を鳴らした。しかし、一方でバーダは怪訝そうな顔を浮かべて口開いた。


「しかし、盗まれたといっても、クリスティアーノは由緒正しき王立のオークション・ハウスだろう。警護は近衛兵隊が従事しているんじゃなかったか? セキュリティは下手をしたら監獄よりも厳しいはずだが……」


「うん。それについては現地の警察も不思議がっていたよ」ニックが説明する。「現場にこれといった痕跡は無し、『未来王の手記(エジソンズ・レコード)』が保管されていた金庫は綺麗に鍵だけが開けられていたそうだ。近衛兵たちも、オークション当日まで誰も盗難に気づかなかったらしい。犯人の捜索は続いているようだけど、今のところ捕まったという情報は無いね」


 一方で、ジョンは珈琲を一口すすり、他人事のようにおどけてみせた。


「前代未聞、由緒正しき警視庁本部ノーバーランド・ヤードの歴史的大敗北というわけだ。これは我々がロンドを発った後の話らしいが、警察も完全にお手上げで、首都の私立探偵とやらに泣きついたという噂もある」


 バーダはカップを口に運んだあとで、冷笑を浮かべた。


「ふふん、私立探偵か。今後の展開が気になる話ではあるな。大衆小説にしたら流行りそうだ」

「ほう、君の書く探偵小説というのも悪くないね。ぜひ、新作として読んでみたいところだよ」


 ジョンが目を輝かせて言う。バーダは相変わらず、含みを持たせた魔女の微笑で沈黙するだけだった。


 その傍らで、俺は煙草に火を点けて口の端を歪める。探偵小説、そいつはいい。

 傭兵が主人公でさえなければ、俺に降りかかる不条理もある程度は軽減されるかもしれない。あるいはお役御免で、もっと優良な依頼人に鞍替えすることも―――。

 と、そんな風に思っていたら、バーダが横目でじとりと俺を睨んでいた。契約不履行は許さん、とでも言わんばかりの非難の視線である。まったく、心でも読めるのか、こいつは。


 追及から免れるために、俺は食堂車の入り口の方へと視線を逸らす。すると、たまたまその扉が開き、新たな乗客が入ってくるのが見えた。そこで、俺は思わず怪訝に片方の眉を上げた。


 ―――それは、一人の少女だった。


 十代半ばに差しかかったばかりだろうか。もし同年代の少年たちが見れば、彼らに一時の恋情を抱かせるであろうほどに、綺麗な顔立ちをした少女である。栗色の真っ直ぐな髪を肩口で綺麗に切り揃え、揺らめく前髪のヴェールの狭間からは、澄んだ碧い瞳が覗いていた。その未成熟な華奢な身体が纏うのは、薄いブルーのワンピース。同色の鍔広の帽子も合わせて、その身なりは見るからに上等そうだった。


 一見して、貴族の令嬢といった出で立ちである。しかし、両親や従者が傍にいないのが気になった。

 少女はどこか緊張した面持ちで車内を見渡した後、躊躇うような足取りで窓際の席に座った。近寄ってきたギャルソンに少しばかり身を震わせた後で、何かを小声で注文している。


「ソード、どうしたんだい?」

 ニックの声で視線を戻す。俺は長くなった煙草の灰を灰皿の上に落とした。

「いや、何でもない」


 小さく(かぶり)を振る。気にしすぎだ。どうもこの春の一件以来、こういった年頃の少女を見ると、無意識のうちに少し警戒してしまうきらいがある。間違いなく、あの聖女のせいだろう。

 一瞬、バーダと目があった。何でもない、と俺は小さく手を挙げる。どうやら彼女も、俺と同じささやかな強迫観念を抱いているらしい。


「それで」話題を変える為に、俺は紫煙と共に口開く。「あんたらは、その徒労の旅を終えて、今度はどこに行くんだ?」


「はは、さすがに皇都に戻るところさ」とニックが力の無い笑顔を見せながら言う。「いい加減、研究室の椅子と机が恋しいからね」


 しかし、ジョンは顎をさすりながら言う。


「まぁ、私としてはこのまま西海岸へのバカンスというのも悪くないかと思ってるんだがね」

「いや、勘弁してくれよ、ジョナサン。僕だって仕事が累積してるんだ」


 げんなりした様子で言うニック。バーダもそれに同調する。


「ニコラスの言うとおりだ。仮にも大企業の社長が遊んでばかりでは、部下たちにも示しがつかんだろう」

「みんな手厳しいなぁ。ところで、バーダロンたちはどこに向かってるんだい?」

「西海岸のロアだ」

「ほう、いいねぇ! 西部の熱い風、照りつける太陽! うーん、想像するだけで楽しくなってきたぞ。やはり私たちも付いていこうかな」

「ジョナサン、その主語から僕をはずしてくれるなら、僕は反対はしないよ……」


 目頭を抑えるニックの肩を、俺は慰めるように優しく叩いてやった。何故だろうか、彼は妙に他人の気がしない。ニックもまた、俺に憐憫の瞳を向ける。


「……ソード、西海岸はもう暑いらしいから、身体には気を付けるんだよ」

「ああ、暑さ寒さが苦手で傭兵稼業は務まらねぇよ。お前さんも、身体は大事にしろよ」


 そんな我々の益体の無い会話が断ち切られたのは、その時だった。


「―――あ、あの!」


 突然かけられた声に、カウンターの四人が一斉に振り返る。その視線を浴びて、声の主は一瞬だけ身を震わせた。しかし、ワンピースの裾を強く握りしめ、なんとか逃げ出すのは踏みとどまったようだ。

 先ほどの少女が、懸命な色を瞳に宿して我々に臨んでいた。


「あ、あの、すみません……その……」


 しどろもどろに言葉を紡ぐ少女。それを見たバーダが、安心させるように優しく微笑みかける。


「私たちに何か用かな、大人びたお嬢さん(ミッシー)

「えと、さっきのお話が聞こえてしまったものですから……その、ごめんなさい」


 少女は何故か、俺の方にちらちらと視線を送りながら語る。俺が怪訝に首を傾げると、彼女は再び怯えるように身を震わせた。


「ソード、いたいけな少女を脅かすんじゃない」


 バーダが俺をじろりと睨みつける。俺は苦虫を噛むしかなかった。

 ……目つきが悪くて悪かったな、畜生。

 バーダは再び、宥めるように優しく話しかける。


「驚かせてすまなかった。あの男は路上で吠えるみすぼらしい野良犬くらいに思うといい」

「……オイ、犬という例えは甘んじて受けるとしても、今『みすぼらしい』って付ける必要あったか?」


 しかし、そんな俺の反論は彼女の中であっさりと棄却された。バーダは俺を無視して、目の前の少女に話しかける。


「さっきの私たちの話が、どうかしただろうか?」

「……あの、皆さんが西海岸の、ロアに向かう途中だとお聞きしまして……」

「ああ」と、バーダは自分と俺を指差す。「少なくとも私たち二人はそうだが」

「あと……その、そちらの男性の方は、傭兵だとお聞きしました」

「俺?」


 ああ、そういえばさっきニックとそんな会話をしたか。


「その、もちろん、正当な報酬はお支払いします……」


 そこで、少女は意を決したように顔を上げ、バーダの瞳を見つめる。


「お願いします、私を―――」


 その奥に、切実な願いを込めて。


「―――私を、ロアの『人形図書館』まで、送り届けてください」




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