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傭兵と小説家  作者: 南海 遊
Part 2. The Doll Across The Horizon.
53/83

〈二〉乗客たち


 フライング・ゼファー号の三号車はまるまる一車両が食堂車となっていた。片方の窓辺にはパリッとした白いテーブルクロスを纏った客席が並び、もう片方にはオーク材で作られたらしい、立派なバー・カウンターが備え付けられている。足下には濃朱の絨毯が敷かれ、おまけに天井のランプは瀟洒な硝子細工で飾られていた。まるで上等なホテルのようだ。

 ‎

 ‎車両の入り口ではギャルソンらしき男が我々の切符を確認した。どうやら乗客ならば誰でも入れる、というわけではないらしい。

 ‎

 パンフレットによれば、その『スターライト・ショアー』と名付けられた車両は、世界最大規模の食堂車として記録されているそうだ。冊子には「世界一の列車に揺られ、世界一の景色を見ながら、世界一のサービスを」という文句が流麗な字体で印字されていた。肝心の味についての記述が著しく少ないことに俺は苦笑した。こういう列車に乗る連中は味は気にしないのか、それとも書くだけ野暮なのか。


 車窓は流れ行く広大な草原を映し出していた。既に列車は速度を上げ、その鋼鉄の車輪で大陸を切り裂いていくかのように、西海岸を目指して激走を続けている。


「どうやらイクスラハの市街地は抜けたらしい。あの草原には見覚えがあるぞ」


 バーダが車窓の景色に目をやりながら言った。たしかに、と俺は頷く。

 ‎

 ‎グランヨーク国立自然公園。春先の旅路では、この広大な草原を縦断する街道を丸一日かけて馬車で通ったものだ。今回はそれを横目に鉄道に揺られている。


 俺たちの旅はいつだって草原からだ。


 車内に目を戻すと、バーカウンターには既に二人の先客が腰かけていた。どちらも俺と同年代くらいの若い男である。


 一人はベージュ色のチノパンに白いワイシャツを着崩した、どこか軽薄そうな金髪碧眼の優男。もう一人はダブルタックの黒いスラックスに、ダークカラーのシャツをキッチリと着こなした黒瞳黒髪の男で、こちらは生真面目そうな黒縁の眼鏡をかけていた。白と黒、まるで対照的な風貌の二人である。


「げ」


 彼らを見た瞬間、バーダは普段なら絶対に漏らさないであろうそんな言葉を漏らし、露骨に嫌そうな顔を浮かべた。


「……ソード、珈琲は後にしよう」


 顔をしかめながら言って、彼女は踵を返そうとする。俺が胡乱な顔を浮かべていると、そんな我々に声がかかった。


「や? やや? そこにいるのは……バーダロン・フォレスターじゃないか!」


 振り返ると、金髪の男が両手を広げて我々の方に歩み寄ってきていた。すると彼はいきなりバーダの肩に腕を回して抱き寄せ、屈託のない笑顔を浮かべた。


「なんたる偶然! なんたる僥倖! これはきっと教皇陛下の思し召しに違いない!」


 男は大仰に喜びながらバーダに語りかけるが、それとは正反対にバーダは顔を背けながらうんざりした表情を浮かべていた。そこに助け船を出したのは、もう一人の眼鏡の青年だった。


「ジョン、よしなよ。フォレスターが困っているじゃないか」


 彼は相棒の肩に手を置き、そっとバーダから引きはがす。


「ああ、ニコラス。すまない、あまりの嬉しさに我を忘れてしまった。いきなり淑女に抱き着くなんて、いささか紳士的ではなかったね」


「……貴様が紳士的であった記憶など私には無いぞ、ジョナサン」


 開放されたバーダは、先ほど抱かれた肩を手で払いながら、じとりとした目で金髪の男を睨む。次いで、黒髪の男には憐れむような視線を向けた。


「またこの男に振り回されているのか、大変だな、ニック」


 バーダの言葉に、眼鏡の青年は何も言わずに困ったように苦笑するだけだった。

 

 やれやれ、春先の件もそうだったが、こいつはこの大陸中に知り合いがいるのか?

 そこでようやく俺は口を開いた。


「顔が広すぎるってのも大変そうだな」

「便利さの代償だよ」とバーダはため息をつく。「一応、紹介しておこう」


 バーダはまず先に、眼鏡をかけた黒髪の青年を見やる。


「彼はニコラス・テラー。新進の電気工学の発明家だ。新聞で名前くらいは見たことがあるだろう」


「初めまして。ニックと呼んでください」


 バーダに紹介され、青年―――ニックは柔らかな微笑みを浮かべた。たしかに、新聞か何かでその名前は覚えがあった。


「テラーって……そうだ、たしか照明か何かの新しい発明をした奴じゃなかったか?」


 俺はうろ覚えの知識の網に引っ掛かった情報を口にしてみる。ニックは照れくさそうに頷いた。


「高周波ガス照明管のことですね。ええ、そうです。といっても、まだまだ実用段階ではありませんが」


 へぇ、と俺は感心する。研究の詳細はよく分からんが、若いのに大したものだ。ニックは中性的な顔立ちをしているせいか、俺よりもずっと若く―――あるいは幼くすら見えた。


「そしてこっちが……」


 と、バーダはやや不承不承といった様子で金髪の方に目をやる。しかし、彼女の紹介よりも先に、その男の方が俺の手を両手で強く握りしめていた。あまりの勢いに俺はたじろぐ。


「初めまして! 私はジョナサンだ。ジョン、もしくはジョニーと呼んでくれ。ええと、君はの名前は何だったかな?」


 向けられた満面の笑顔に、俺は少し鼻白んだ。


「ソードだが……」

「ソード! まるで鉄剣のようにソリッドで逞しい名前だ、気に入ったよ!」

「ジョナサン、それじゃ君の自己紹介になっていないよ」


 ニックがやれやれと首を振りながら言う。傍らのバーダもどこか辟易した様子で、その言葉尻を継いだ。


「こいつはジョナサン・デイヴィッド・ジャズフェラー。その名前だけで説明は不要だとは思うが―――」


 ……ジャズフェラー?


 その名前に、俺の思考が一瞬停止する。ユナリアで生きる人間が、その名を知らないということは殆どないだろう。


 バーダはどこか忌々しそうに、改めてその男を紹介した。


「そう―――ボードメジャー・オイル社の代表、そしてジャズフェラー財団の創始者だ」


 俺は息を呑み、改めて目の前の優男を見やった。俺は彼を知っている。庶民が金持ちに対して抱く憧憬と一緒に、その情報は鮮烈に記憶されている。

 

 若くして類い希なる成功を収めた青年実業家。その純資産は約六六〇〇億ドルを超え、実にユナリア合衆教皇国に存在する通貨の約二パーセントを個人で所有するという、経済界の怪物。


 そんなこの国一番の大金持ちが、爽やかに微笑みながら俺の手を握っていた。





「それで、フォレスター。いつになったら君は僕の伝記を書いてくれるんだい?」


 爛々と目を輝かせて言うジョンに、バーダは顔をしかめる。


「またその話か……前にも言ったろう、気が向いたらだ」

「ああ! またそれかい! 君は相変わらずつれないなぁ」


 額に手を当てて、大仰な仕草でジョンは嘆く。


 俺たち四人は食堂車のバーカウンターに腰かけていた。左からジョン、バーダ、俺、ニックといった順番である。成り行きで一緒に珈琲でも飲もう、という話になったのだ。


 ……というより、ジョンが無理矢理に俺たち二人をカウンターに座らせたのだが。


 バーダはうんざりした様子で、左隣に言う。


「だいたい、貴様の人生はあまりにも出来事が多すぎて、書ききるのも大仕事なんだよ。並の実業家十人分の伝記を書いた方がまだ楽だ。貴様に関しては伝記より年表の方が媒体としては適切だろう」


「ダメダメ、それは絶対にダメだよ! 私が欲しているのは、『バーダロン・フォレスターの書いた私の伝記』なんだ。たとえ教皇庁が歴史年表に私の名前を入れてやると言っても、私は鼻で笑って断るだろうね。そんなもの、私にとっては一ドル紙幣にも満たない価値だ」


「では、私が仮に貴様の伝記を書いたとしたら、いくらの価値になるんだ?」

「そうだね、私の人生そのものの記録だろうから、三〇〇億ドルは出せるだろう」


 俺は飲んでいた珈琲を思わず吹き出しそうになった。あまりにも馬鹿げた金額だが、ジョンの目は至って真剣だった。バーダは目頭を押さえ、やれやれと頭を振っている。


「……貴様のそういう狂った金銭感覚が苦手なんだ」

「どうだろう、三〇〇億ドルの仕事と思って引き受けてくれないだろうか」


「魅力的な提案だが、私の創作意欲は値が付けられないんでね」

「ああ、素晴らしい! 君の魂はなんて気高いんだ。世の中の凡夫とは全く違う感性だ。だから私はそんな君が大好きさ、フォレスター」


 俺はカウンターに肘をつきながら、そんな会話を後目に珈琲を啜っていた。まるで違う世界の人間たちの会話である。あまりに現実離れした内容に、珈琲の味すら薄く感じられた。


「ジョンは人一倍、強欲な人間でね」と、不意に俺の右側から声がかかる。「一度欲しいと思ったものは、あらゆる手段を使って手に入れようとするんだ」


 ニックは言い合いを続ける二人を眺めながら、俺に耳打ちするように言った。俺は呆れて溜め息をつく。


「金持ちの考えることはよく分からんな。たかだか自伝一冊にそんな馬鹿げた金をかけようとするなんて」

「ははは。でも、ジョンに関しては実はすごくシンプルな思考構造だよ。何せ、自分の所有欲のみで生きているような男だからね。常人離れしているように思われるのは、金銭感覚が壊れているところだけさ」


 それを聞いて、俺は皮肉げに口元を歪めて見せた。


「常人の基盤がぶっ壊れてる時点で、俺にはやっぱり理解できねぇよ」


 僻みも含んだ俺の悪態に、ニックは乾いた笑いを浮かべるだけだった。そんな彼に、ふと気になったことを訊いてみる。


「ええと、ニック。あんたは発明家って言ったか」


「肩書きがつくとしたら、そうだね」


「発明家ってのも、やっぱり儲かるもんなのか」


「まさか」とニックは笑い飛ばす。「僕の月収なんて、せいぜいが町工場の係長と同じくらいさ」


「意外だな。てっきり、特許さえ取れば悠々自適に暮らせるもんだと思ってたが」


「もちろん、人気さえあれば特許一つで億万長者も夢じゃないよ。でも僕の取った特許は、正直言ってまだまだ実用性に乏しいものだからね」


「月収ってことは、今のあんたは傭兵みたいに、誰かに雇われて仕事をしてるって感じなのか?」


 その質問に対して彼は曖昧に首を振って見せた。


「うーん、捉え方によってはそういう考え方もできるかなぁ」ニックは考え込むように頭をぼりぼりと書いた。「ジョナサン・ジャズフェラーは発明家ニコラス・テラーの主たる後援者でね。僕の研究資金の大部分は彼が出資してくれているんだ。そう思えば、僕は傭兵なんかと同じように、彼に雇われた発明家、という考え方もできるかもね」


 へぇ、と俺は頷く。後援者、という概念は俺自身にはあまり縁のないものであったが、何となく今の説明で腑に落ちた。要するに今の俺にとってのバーダロン・フォレスターみたいなものか。


「実際、ありがたい話ではあるんだよ」とニックは続ける。「ジョナサンが僕の研究に対して所有欲を持ってくれた、というのはね」


「所有欲、ねぇ」


 と俺は左隣の二人を眺める。ジョンは変わらず熱心にバーダを口説いていた。彼の提示する金額がどんどん積みあがっていくのが聞こえてくる。つまり、それだけの金額を投資してでも、バーダの書く『ジャズフェラーの自伝』を所有したい、ということなのだろう。


「……あの男はバーダに惚れてるのか?」


 ふと口を出た俺の疑問に、ニックが答える。


「惚れてると思うよ、それもぞっこんだろうね。ただ、それは女性としてではなく、一人の得難い才能を持った人間として、だろうけど」


 そこでニックは苦笑を挟む。


「彼はこれまで五回結婚して五回離婚しているけど、たぶん人並みの恋愛感情みたいなものは未だに理解できてないと思うよ」


「やっぱり変わり者だぜ」


 俺はため息をついて理解を放棄する。生態系の違う生物に共感などできない。ニックはそんな俺の肩に手を置いた。


「だから安心しなよ。彼は略奪愛なんてことには興味が無いから」


 俺は眉を寄せて訝る。


「略奪? 何を言ってるん……」


「ソードくん、君からも彼女に何とか言っておくれよ!」


 俺の言葉を遮ったのは、俺の二つ左隣にいるジョンだった。ジョンは目を爛々と輝かせながら、その一方でバーダはうんざりした顔で、俺に視線を送っていた。


「頑固な彼女も、恋人の君の言葉なら素直に聞いてくれるかもしれない!」


 ジョンの言葉に、俺は再び眉根を寄せることになった。


 ―――なんだって?

 恋人……?


 一瞬、隣のバーダの頬がわずかに赤くなった気がした。しかし、次の瞬間には、何かに気付いたような真剣な表情に代わる。しかし、彼女が何かを話そうとする前に俺は口を開いていた。


 間違った情報は訂正せねばなるまい。


「あのな、おまえら、何か誤解しているぞ。俺はこいつの恋人なんかじゃなくて……」

「婚約者だ!」


 バーダが俺の言葉を遮り、そう言い切った。

 俺は驚いて目を丸くする。何を言ってるんだ、こいつは。


 しかし、バーダは真剣な顔で俺に目配せしていた。余計なことは言うな、という瞳だ。

 やがて彼女は大仰に首を左右に振ってみせる。


「甘いな、ジョン。いかに婚約者の言葉であろうと、私は説得されんぞ。無駄なことはやめるんだな」

「いや、おい、バーダ……?」


 俺を輪の外にして、二人は再び舌戦を始めた。ジョンがまくし立てる。


「いいや、君は実際はとても情の深い人間であることを私は知っているよ。愛する人の言葉ならば君は必ず動いてくれるさ」

「愛するって、あのな……」


 俺がとりつくしまもない。バーダが反論する。


「私がそうであるように、この男も私を心底で愛している。そんな彼が、私の嫌がることを推し進めようとするものか」

「だからこそ、私は彼を説得するんだよ。どうだろう、ソードくん、悪い話ではないだろう。君たちの将来にいくばくかの資産も残せるんだ」


「だから、ちょっと待てよ!」


 と、俺は大声を出してその場の空気を納めた。幾分うんざりした気分で言う。


「俺は恋人でも婚約者でもない。この女に護衛として雇われた―――ただの傭兵だ」


 俺の宣言を聞いて、バーダが大きくため息をつくのが分かった。額に手を当てて俯きながら、じろりと目だけで俺を睨む。まるで俺の発言に明らかな非がある、と責めるかのように。


「傭兵……?」


 と、そこでジョンの目の色が変わった。そして突然席を立ったかと思うと、俺の傍らに寄ってきて肩に手を置く。


「まさか、バーダロンの最新作に登場する―――」


「え……?」


「傭兵ハウエルのモデルは君か……!」


 男の瞳には興味の炎が燃え上がり、その手には並々ならぬ力がこもっていた。


「てっきり私は彼女にもようやく春が来たのか、と思っていたが―――ふむ、たしかにそう考えれば辻褄が合う。バーダロンはよく実在の人物をモデルにした作品を書くし、何より、彼女にこんなにあっさり恋人が出来る筈が無いからね!」


「貴様、それはどういう意味だ!?」


 憤慨するバーダをよそに、ジョンは興奮を露わにして俺の両肩を掴み、力強く揺すぶった。


「いやあ、あの作品は既に三回も読み直したよ! 主人公のハウエルは私の最近の一番のお気に入りでね! そうかそうか、君が本物のハウエルか!」

「いや、ソードだが」


 本物の、って何だよ。さっき自己紹介しただろうが。

 しかし、ジョンは俺の言葉には一切耳を貸すつもりは無いようだった。


「ああ、ハウエルは実に洗練されたキャラクターだよ。人間の持つ迷いや後悔、そしてそこから一歩進もうという、いじらしいほどに切実な意志の力の体現だ。これほど魅力的な人物は二人といないだろう」


「……」


 なんだかそこまで言われると、まんざらでもない気がしてくるから不思議だ。顎に手を当てていると、バーダが俺の頭を軽く小突いた。


「あたっ」

「勘違いするな、その賞賛は私の作品に対してであっておまえにではない」


「でも俺がいなかったらあの作品は世に出てなかっただろうが。もう少しくらい俺を敬って然るべきだろ」

「はぁ? アンタにはちゃんと正規の報酬を払ったでしょ」

「護衛料だけな。モデル料は貰ってないぞ」

「……まったく、アンタって本っ当に尻の穴の小さい男ね」

「何だと」

「何よ」


 いがみ合う俺たちの間に割って入ったのは、ジョンだった。


「ソード君! それではどうだろう、私の護衛として雇われてみないかい?」


 突然の申し出に、俺は面食らった。バーダは「嫌な予感が的中した」と言わんばかりに、顔をしかめる。


「あんたの、護衛だと?」

「そうだ。私ならば彼女の十倍の報酬を払おう」


 十倍、という響きに俺の心臓が一瞬高鳴った。しかし、その後で俺の中に猜疑心が湧く。そんな疑念を瞳から汲み取ったのか、ジョンは安心させるように力強く頷いた。


「騙そうとしているわけじゃないよ。本物の傭兵ハウエルを雇えるならば、私にとっては決して高い金額ではないさ」


 真っ直ぐ俺を見つめる彼の瞳は、あまりに純真で透き通っていた。とても嘘を言っているようには見えない。


 先ほどニックが言っていた「所有欲」という単語が脳裏を過ぎる。つまり、ジョナサン・ジャズフェラーは傭兵ハウエルのモデルである「俺」を所有したい、というわけだ。


 そこで先ほどのバーダの言動に合点がいった。俺が彼女の小説の主人公のモデルだと分かれば、大ファンであるジョンが放っておくはずがない、と思ったのだろう。


 バーダは憎々しげにジョンを睨みながら言う。


「ソードは渡さないぞ、これは私の雇った傭兵だ」

「雇用主を選ぶのはソード君の自由意志じゃないか。条件を吟味する権利は彼にあるはずだ」


 ジョンの口調に嫌らしさは無い。努めて冷静に、さながら商談をするかのように、正しい理屈を並べているだけだ。俺は何となく、そこに資産家としての一面を垣間見た気がした。


「どうだい、ソード君。現状での君の回答は貰えるかな」


 あくまで自信満々に、余裕のある表情を浮かべるジョン。俺はバーダに視線を送った。


 彼女は無表情で俺を見つめ返していた。だから、俺もその瞳をじっと見つめる。


 ―――そして、その奥底に感情の揺らぎを感じ取ったとき、俺の中の答えは確たるものとなった。


「悪いが」と俺は不敵に口の端を歪める。「俺の剣には値が付けられないんでね」


 先ほどのバーダと全く同じ台詞を口にしてみる。


 それを聞いたバーダは、一瞬驚いたような顔を浮かべた。しかし、すぐにその表情をわずかに緩ませる。俺と視線を合わせることはしなかった。


 傍らではニックが小さく吹き出し、対面のジョンは呆気に取られた顔の後で、大きくため息をついた。


「ふむぅ、このクロージングはペンディングというわけだ。仕方ない、次回はもっと魅力的な提案を用意するとしよう」


 ジョンの言葉に、俺は首を左右に振って見せる。


「無駄だと思うぞ。俺の場合、この女に雇われているんじゃなくて、現在進行形で恐喝されてるようなもんだからな」


 騙されて公的な契約書にサインをしてしまった以上、不履行は全力で避けねばならない。この女の場合は特に、だ。


 ジョンはやや落胆した様子で席に戻り、再び大きくため息をついた。


「極めて残念だよ。やれやれ、振り返ってみれば、今回の旅はなんとも実りの少ない旅だったね。退屈はしなかったが、投資としては大失敗だ」

「なに、君にとってはささやかな損失だろうに」


 ニックが珈琲を啜りながら冷徹に言う。そこでバーダが話題を変えた。


「そういえばジョナサン、お前たちはどうしてまたイクスラハに来ていたんだ? 拠点はアルノルンだろうに」


「うん? いや、私たちはもっと東からの帰りだよ。真珠海を越えた先だ」

「僕らはロンド・ヴェルファスに行っていたんだ」


 ジョンとニックの返答に、バーダの瞳には興味の色が宿った。


「東歐州に? それはまた、随分と長旅だな。しかし、いったいどうしてそんな所まで……学会か何かか?」


 ジョンは笑いながら否定する。


「いやいや、そんなものよりもっとエキサイティングなものさ」

「学会よりエキサイティングかどうかは別として」と、ニックは咳払いを挟んだ。「とあるオークションが目当てだったんだよ」


「「オークション?」」


 俺とバーダの口がその言葉を繰り返す。


「そう、我々の目当ては、そのオークションに出品される予定だった一品」


 ジョンが勿体ぶった口調で言いい、さらにニックがその後を継いだ。


「特許王、レメルソン博士が隠し持つとされていた、謎の手稿―――『未来王の手記(エジソンズ・レコード)』さ」



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― 新着の感想 ―
周回中。 このふたりには「恋人」よりももっと深く、似合いの言葉があると思う。
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