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傭兵と小説家  作者: 南海 遊
Part 1. The Soldier and The Novelist.
46/83

〈四十三〉罪と罰

 やれやれ、と俺は溜め息を漏らし、鉄剣を下ろした。壇上から彼らを見下ろすと、誰もが一様に同じ表情を浮かべていた。枢機卿も護衛の騎士団も、バーダロンもまた、呆然として俺を見上げている。唯一、ゴルドだけが周囲のそんな様子に対して「してやったり」と言わんばかりの不敵な笑みを浮かべていた。それが少しばかり腹立たしかった。


 ゴルドの野郎に刺された左胸は、既に完全に回復している。心臓を貫かれたのはおよそ二年ぶりだったが、相変わらずこの身体は俺を死なせるつもりは無いらしい。これで痛みさえ無かったらいいんだが。


「そう、か」


 と、バーダの声が届く。


「おまえが、アーサー・トゥエルヴか……」


 懐かしい名前に、俺は不器用ながら微笑を返した。そして、小さく頷く。


 ―――ああ、そうだ。

 正解だよ、バーダ。


 そのとき、マルムスティーン枢機卿の声が響きわたる。


「殺せ……!」


 先ほどまでの冷静さは、既に剥がれ落ちてしまっていた。自らの計画を台無しにされた怒りが、男の顔を醜悪に歪めた。


「あの男を撃ち殺せぇぇぇぇぇッ!」


 激怒の号令に対して、俺は不敵に笑ってみせる。


「―――()れるもんなら、()ってみろよ」


 向けられる鉄の殺意に向けて、俺は床を蹴った。俺はゴルドのように『死ぬ前に殺す』などいった馬鹿げた芸当は出来ない。だが―――『いくら殺されても死なない』という、さらに馬鹿げた戦い方なら出来る。


 六発の銃声が一斉に響き、同じ数の銃弾が俺を襲う。銃口の向きから、俺はその軌道を本能で読み解く。俺が意識するのは、頭と心臓への直線だ。その死線さえかいくぐれば、どれだけ身体を蜂の巣にされようと戦闘を続行できる。


 覚悟と同時に、激痛が各所に走った。銃弾のうち三発は俺からはずれたが、二発が俺の肩と太股を掠め、一発が横腹を貫いた。衝撃と痛みに、俺の動きが一瞬止まる。好機とばかりに、連中が第二射を放とうと身構える。


 だが、それで充分だった。

 ……そう、俺の陽動の役目は。


 次の瞬間、連中のうち二人の首が宙を舞った。


「―――おめでたい奴らだな」


 それを為した男が、嗤う。


「まだ敵があいつだけだと思ってんのか?」


 血に塗れた刀剣を振り切った体勢で、ゴルドが挑発的に言った。奴らの意識が一瞬そちらに向いたとき、俺の振るう鉄剣が一人を袈裟斬りにする。派手に血をぶち撒け、男は天井を仰ながら地に沈んでいく。それを横目に、手近の護衛の一人が銃を捨てて腰のサーベルを抜いた。近接戦で銃口の長いライフルは不利と悟ったのだろう。だが、俺はその煌めきを視界に捕らえた瞬間、そいつの心臓を一突きで貫いていた。男はサーベルを抜ききる間も無く絶命し、床に伏す。


 これで合計四人。枢機卿を除いて、残りは二人だ。


 残された護衛は取り回しの悪いライフルを捨て、それぞれの懐に手を入れる。武器を拳銃に切り替えるつもりなのだろう。それを察し、俺とゴルドは互いに同じような笑みを浮かべていた。奇しくも、同じ言葉を呟きながら。


「「遅ぇよ」」


 刹那、二刃の軌跡が、それぞれに鮮血の花を宙に咲かせた。


 最初の発砲から決着まで、およそ二十秒程度。その間に、精鋭たる第零騎士団の面々は、俺たちの刃の前に倒れ伏した。認めるのはいささか癪だが、俺と奴の連携があればこんなものだ。


 六人の躯を足下に、俺とゴルドは背中合わせに立ち尽くす。


「ったく、勝手に俺の獲物を取ってくれるなよ、ソード。これで報酬が貰えなかったらどうしてくれるんだ?」


 奴がからからと笑いながら、背中越しに言う。台詞に反して、さほど怒ってる様子ではない。対して、俺は鼻を鳴らす。


「おまえの手柄にしといてやるよ。その代わり、その報酬の半分を俺によこせ」

「かかか、図々しい野郎だ」


 可笑しそうに笑うゴルドに向けて、俺は悪態をついて見せた。俺の存在ありきの計画を立てている時点で、こいつの方がよほど図々しい。


「しかしソードよ、一発腹に食らうとは、少しばかり腕が落ちたんじゃねぇか?」


 俺は先ほど撃たれた横腹に手を触れ、苦虫を噛んだ。銃弾は貫通し、既に傷は治りかけている。俺は舌打ちと共に答えた。


「六発の銃弾をすべて避けきるなんて芸当、人外にしかできねぇよ」

「おまえは立派な人外だろうが」

「うるせぇな、ぶっ殺すぞ」

「なんだ、随分とイライラしてるじゃねぇか。せっかく窮地を脱したんだ、もうちょっと喜べよ」

「やかましい! てめぇに都合良く使われたみたいで腹が立ってんだよ!」


 振り返って苛立ちをぶち撒けるも、奴はいつものようにへらへらと笑うだけだった。怒鳴り散らそうと口を開きかけて、俺は諦める。代わりに盛大なため息をついた。やめよう、もう終わったことだ。


「ソード……」


 名前を呼ばれ、俺は振り返る。そこではバーダが、朝露に濡れた硝子のような瞳で俺を見つめていた。


「バーダ」


 妙に気まずい気分になり、俺は頭をぼりぼりと掻く。とりあえず軽く頭を下げながら、俺は謝罪を口にする。


「隠してて悪かったな、その、俺が例のアーサーだってこと……」

「そんなのどうでもいいわよ、バカっ!」


 と、バーダは突然大きな声で叫んだ。感情が高ぶったのか、涙の片鱗が再び彼女の瞳に溢れ出した。その目元を拭いながら、彼女は消え入りそうな声で言う。


「死んだと、思ったじゃない……!」


 ―――ああ、そっちか。

 俺は再び頭を掻きながら、内心で苦笑した。


 ……まったく、普段の口は悪いが、この女の人の良さは筋金入りだ。


 俺は何となく緊張が緩み、ほとんど無意識のうちに依頼人の頭をぽんぽんと軽く叩いていた。途端、小説家の頬に朱色が差す。彼女は咄嗟に俺の手を払い、威厳を取り戻そうとするかのように、腰に手を当てて俺を睨んだ。


「……一時的とは言え、依頼人を危険に晒した罰だ。報酬は二割五分減らさせてもらうからな」


 冗談にしては生々しい数字に、俺は無言で表情を凍らせるしかなかった。


 その場の空気を打ち破ったのは、マルムスティーンの怒号だった。


「何故だ!」


 一人取り残された枢機卿は、倒れ伏す自分の護衛たちを見渡してから、怒りの目でゴルドを見上げる。


「ボードイン、貴様……私を裏切ったのか!」


 その問いかけに、ゴルドは肩を竦めて見せる。


「最初から、俺の本当の依頼人はアンタじゃねぇよ」


 血で塗れた刀剣を携えながら、ゴルドは一歩ずつ枢機卿に歩み寄る。


「俺の今回の仕事は『皇帝レオネの完全抹殺』だ。今後、誰かが悪戯に復活させることが出来ないようにな」

「なん、だと……!」


 ―――そう。今から数分前、ゴルドが俺の心臓を突き刺したとき、奴は俺の耳元で言った。



『俺の本当の目的は「暴君が二度と蘇らないようにすること」だ。そのために、少しばかりおまえの血を借りるぜ。安心しな、代わりにあの作家先生の命は守ってやるよ』


 復讐を瞳に宿し、酷薄に口元を歪めながら。


『―――おまえ、本気で俺があの男を許すとでも思ってんのかよ?』



 それを思い出し、俺の口から再び舌打ちが出る。まったく、ゴルドの野郎、紛らわしい真似しやがって。

 枢機卿は狼狽しながら、後ずさりをする。


「そんな、いったい誰がそのような依頼を……!」

「言うわけねぇだろ、傭兵は信頼商売なんでね」


 皮肉っぽく笑ってみせるゴルド。


「そして、それに対する俺への報酬の一つが―――」


 奴の刀剣が、マルムスティーンの喉元に突きつけられる。


「枢機卿マルムスティーンの殺害、だ」

「な……」


 枢機卿は絶句する。その目的が理解できない、と言うように。

 ゴルドは周囲を見渡し、両手を広げてみせる。


「見ろよ、この絶好の状況を。おまえを守る護衛もいない、目撃者もいない。それに、この辺境の地に枢機卿がいるなんて思う奴はまずいない。遺体は山の獣たちが消してくれるから、世間的にはアンタは行方不明だ。最高じゃないか。旅の道中、アンタを殺すのをずっと我慢してきた甲斐があったってもんよ」

「何故だ! 何故、貴様が私を殺す必要がある!」


 その問いがきっかけだったのだろう。ゴルドの表情から、初めて笑みが消えた。代わって、その瞳にどす黒い憎悪の炎が燃え上がる。


「―――教えて欲しいか?」

「ひ……」


 その尋常ならざる殺気に圧倒され、マルムスティーンは腰を抜かしてその場にへたり込んだ。ゴルドはそれを追いつめるように、ゆっくりとした足取りで奴に歩み寄っていく。


「てめぇは、そのクソくだらねぇ理想のために街中の傭兵組合を潰した。まぁ、確かに時代の流れってのもあるしよ、いずれは親父の組合も潰れていたかもしれねぇ。それは百歩譲って良しとしよう。だがな―――」


 枢機卿を見下ろし、刀剣を突きつける。



「てめぇは、親父の両手と額に土を着けた」



 俺の脳裏を過ぎるのは、かつて仲間たちから聞いた話―――ハン首領が、教会の役人たちに向けて頭を下げる光景だった。両手を地につけ、額を土に擦り付け、ただひたすらに懇願する、威厳も誇りも無い、あまりに無様な姿……きっと、ゴルドの脳裏にも、その情景が浮かび上がっているのだろう。


 周囲が歪んで見えるほどの殺意をばら撒きながら、ゴルドは言う。


「それだけは許せねぇ。たとえ神が許しても、俺は許すわけにはいかねぇ」

「そ、そんな、それだけで……!」

「―――俺がてめぇを殺す理由は、それで充分だ」


 自分は自分自身のためにしか動けない、とゴルドは言っていた。他人のために動ける俺とは違うのだ、と。だからきっと、これは至極個人的なものだ。決してハン首領のためではなく、ましてや俺たちを助けるためでもない。


 恩人を侮辱された怒りを晴らすための、自分のためだけの復讐なのだ。


 先ほどまで余裕のあった枢機卿の顔は、絶望に染まっていた。その視線が助けを求めるように泳ぎ、バーダに止まる。何かを訴えように口を開いたとき、バーダが神妙な顔をして告げた。


「―――貴様は世界を変え損ねた」


 それは侮辱でも憎悪でも無く、ただありのままを伝えるような、落ち着いた口調だった。


「もうその本を閉じたまえ、マルムスティーン。此処が、貴様の野望の最終ページだ」


 バーダの託宣の前にマルムスティーンは言葉を失い、沈黙のままうなだれる。その姿は急激に老け込んだようにも見えた。バーダはそれ以上は告げず、微かに憐憫を込めた目で枢機卿を見下ろしていた。


 ―――それが俺たちの戦いの決着であり、イクスラハから此処まで、およそ四〇〇マイルにも渡って続いた、小説家バーダロン・フォレスターと枢機卿ジェームス・マルムスティーンの、因縁の終焉だった。


 そのとき不意に、聖堂のステンドグラスから斜陽が射し込み、一帯を極彩色に染め上げた。枢機卿は顔を上げ、その荘厳さに息を呑む。俺とバーダも、思わず目を見開いてしまった。


 硝子に施された模様は、白い衣を纏った女神の姿だ。恩寵を授けんと両手を広げ、慈愛に満ちた表情で瞼を伏せている。ユナリアの異教であれど、枢機卿はその神秘的な美しさに胸を打たれた様子だった。憑き物が落ちるように表情が和らいでいき、彼はゆっくりと自分の胸の前で両手を組む。


 それは命乞いではなく、神に祈りを捧げる信徒の姿。


「……最後は、聖職者であることを選ぶか。その敬虔さにだけは、敬意を表しよう」


 そう呟いて、バーダは踵を返した。俺もそれに倣い、教会の出口へと歩みを進める。

 去りゆく俺たちの後方で、ゴルドの声が響いた。


「神に祈りは済んだか?」


 復讐者は、無慈悲に告げる。


「―――その神ごと、俺が殺してやるよ」


 やがて刃が空気を裂き、一人の男の理想が潰える音が、伽藍の聖堂に響きわたった。


            ◆


 教会から出て見上げた空は、茜色だった。

 西の尾根へと沈んでいく太陽は、その断末魔のような赤橙色の光を世界に突き刺していた。眼下に広がる街並みは、瓦礫の線形に合わせて黄昏と影の境界線を描き、神秘と郷愁を我々に訴えている。美しく、そして物悲しい光景だった。


 俺が口を開こうとしたとき、バーダがそれを制した。


「―――まだ、いい」


 夕陽の街を見下ろしながら、彼女は穏やかな口調で言う。


「約束しただろう。すべてが終わったら聞く、と」


 それは、この山に登る前に交わした約束。すべてが終わったら、俺と怪物の因縁について、これまでに起きたことを明かす―――そういう約束だった。最果ての街と、怪物になった少女と、それから逃げ出した男の物語。語り出せば、一時間や二時間では足りない俺の過去だ。おそらくそれこそが、彼女がこの旅でもっとも知りたいと思っていたものだろう。


 俺は少しばかり逡巡した後で、大人しく言葉を呑み込んだ。


 ……すべてが、終わったら、か。

 そうだ、まだ終わってはいないのだ。俺のこの旅は。


「フォレスターさン、ソードさン!」


 唐突に名前を呼ばれて振り向く。教会の傍らにある石段から、ハプワス大佐とエズミが駆け下りてきていた。


「ご無事ですカ!」


 心配そうに言う大佐に、バーダは口元についた血を拭いながら苦笑をする。


「なんとかね。大佐たちも無事でよかった」


 大佐はまず深々と頭を下げて、助けに来れなかったことを謝罪をした。俺たちがマルムスティーンの一団に取り囲まれたとき、彼はエズミを守るために街の上へ逃げ隠れたのだという。銃声が聞こえて俺たちが心配になり、意を決して下りてきたのだそうだ。

 バーダは首を左右に振って、その謝罪を固辞する。


「貴兄にも守るべきものがあるのだ、気にしなくていい」

「しかシ、いったい何ガあったのですカ?」


 俺は肩を竦めてみせる。まさか、国の重鎮に襲われ、それを返り討ちにしたなどと言える筈がない。


「ちょっとした国盗りに襲われてな」


 皮肉げな俺の言葉に、ハプワス大佐ははてな顔を浮かべた。追求が飛んでくる前に、教会の中から一人の男が現れた。顔についた血を自身の袖口で拭いながら、しかしその表情は晴れやかだった。


 ハプワス大佐はぎょっとして咄嗟に銃を構える。エズミは彼の陰に隠れ、身を震わせた。俺は手のひらを軽く振って警戒を解くように言う。


「安心していい。敵じゃない。いや、敵だが」

「どっちだよ」


 ゴルドが得物を鞘に納めながら、笑って言う。奴の全身は先ほど自身が執り行った制裁の返り血で赤く染まっていた。


「……終わったのか、ボードイン」


 バーダが神妙な顔で問うと、ゴルドは軽い調子で頷いた。


「ああ。俺の仕事は全部終わりだ。怖い目に合わせて悪かったな、作家先生」


 バーダは自分の頬をさすり、ふむ、と少し考え込んだ。


「そうだな、不問にしてやる代わり―――貴様の真の依頼人について教えろ、というのはどうだ?」


 口元に意味深な笑みを浮かべながら、バーダが訊ねる。しかし、ゴルドは残念そうに首を振るだけだった。


「悪いね、こればかりは駄目だ。俺は傭兵だからな」


 それを聞いても、バーダはさほど落胆の色を見せなかった。最初から聞けるなどとは思っていなかったのだろう。いや、あるいは……既に彼女の中で、何かしらの検討がついているのかもしれない。


「それでは、ボードイン」と、バーダが気を取り直して言う。「貴様の仕事が終わった所で新しい仕事を依頼したいのだが、よろしいかな?」


「ああ、構わないぞ。なんだ、護衛に傭兵を二人も雇うとは、ずいぶんと羽振りがいいな」

「守るのは私ではない。彼らだ」と、バーダはハプワス大佐たちを指さす。「彼らをモントリアの街まで送り届けてくれ」

「ほう。それじゃ、あんたは?」

「私にはもう護衛がいる。それに、まだやるべきことがあってな」


 彼女は俺に視線を向け、そして教会のさらに上の目をやった。彼女の言う『やるべきこと』について、俺は何となく分かっていた。


 報酬についてゴルドが訊ねると、バーダは指を四本立ててみせた。


「一週間後にイクスラハの『緑の騎士』に来てくれ、そこで報酬を支払おう」


「いいぜ、引き受けた」とゴルドはニヤニヤ笑いながら承諾する。「帰るついでに小銭が稼げるなら大歓迎だ。しかし、俺が彼らを無事に送り届けたと、アンタはどこで判断するんだ? 途中で放り投げるかもしれないだろ」


「貴様の人間性はともかくとして」とバーダは咳払いを挟む。「仕事は最後までやる男と、信用してのことだ」


 その前半の台詞に関して、俺は感慨深い物があった。一連の騒動を通して、この女も奴の異常性についてようやく得心がいったらしい。

 ゴルドは可笑しそうに一笑する。


「アンタも、イクスラハに着く前にくたばるのはやめてくれよ。俺はただ働きはごめんだぜ」

「……だそうだ、ソード」

「善処するよ」


 俺は大きな吐息と一緒にそう答えた。


 別れ際、ハプワス大佐はバーダの手を握りながら、何度も礼を言った。


「このご恩は忘れませン、いつか必ずお返シを」

「私が好きでやったことだ。見返りを求めてのことではないよ」


 バーダが傍らのエズミの方に屈み込むと、その小さな腕が彼女を抱きしめた。


「Merci pour tout,Medames Forester...!」

「J'espere que tu iras bien,Esme...」


 涙声で言うエズミの頭を、バーダは優しく撫でてやった。ハプワス大佐は俺の方に歩み寄って、同じように強く手を握った。


「あなたは素晴らしイ剣士だ。いつか手合わせをお願いしたイものでス」

「今後そんな機会があれば、な」


 俺は肩を竦めて、曖昧に頷きを返した。すると、ハプワス大佐は俺の耳元に口を近づけ、小さな声で告げた。



「―――Un jour,vous entrez mes chevaliers」



「……何?」


 突然かけられた外国語に、俺は眉を寄せる。妙に真剣な口調に聞こえた。しかし、顔を離したハプワス大佐は、先ほどと同様に穏やかな微笑を浮かべたままだった。


「それでハ、いつかまた」

「さて。それじゃ、せいぜい死なないように気をつけろよ、ソード」


 揶揄するような捨て台詞と共に、ゴルドは新たな護衛対象を連れて去っていった。エズミが何度も俺たちを振り返りながら、手を振っていた。


 それを見届け、久しぶりに俺とバーダは二人きりになる。彼女は真剣な表情を取り戻して、告げた。


「では、例の病院の方に行ってみよう」


 予期していた提案に、俺は無言で頷きを返した。


             ◆


 教会の裏手にある石段をしばらく登ると、開けた場所に出た。四方は大きな岩塊に囲まれており、下の街からは様子が伺えないようになっている。その中心に、こじんまりとした二階建ての石壁作りの建物がある。俺が今から十年前に、あの惨劇の引き金を引いた場所、病院施設だった。


 下の街並みと同様に、建物は荒れ果てていた。壁は亀裂が走り、窓硝子はすべて割れている。所々に血の染みのような跡が伺えた。


 訪れたのは久方ぶりだというのに、俺の脳裏にあの日の光景がまるで昨日の出来事であるかのように蘇る。この地下室に幽閉され、怪物化していた友人たちの姿。彼らを斬り伏せた鉄剣の感触が、両手に思い出された。


「これが、例の研究施設か。思っていたより小さいな」


 バーダが建物を見上げながら呟く。彼女の目的はこの中にある様々な研究資料だろう。このアタヘイの街の謎を解くにあたって、それらは重要な思考材料になるはずだ。きっと俺も知らない街の秘密が隠されているに違いない。


 俺は雇われの身だ。どれほど過去のトラウマが刺激されようと、彼女が望むなら足を踏み入れないわけにはいかない。


 バーダはしげしげと建物を観察し、やがて頷いた。


「あそこと、あそこと、ここか……ふむ、この程度なら外周の主柱だけで行けるだろう」


 彼女の口にした意味深な言葉に、俺は首を傾げる。

 主柱? 行ける? なんの話だ?

 頭上に疑問符を浮かべる俺を余所に、彼女はおもむろに自分の背嚢を下ろし、中身を漁りだした。


「おいおい、おまえ、いったい何をするつもりだ?」


 何故か胸中に湧いてきた得体の知れない不安に、俺は思わず問いかける。すると彼女は顔を上げ、魔女のような不敵な笑みを浮かべた。


「まぁ、見ていろ」


 そう言うと、彼女は背嚢から取り出した何かを持って、病院の方へすたすたと歩いていく。


「お、おい!」

「中に入るわけではない、安心しろ」


 俺はますます訳が分からなくなった。中に入るわけではない?


 バーダは建物の外周をぐるぐると回りながら、その壁や柱に何やら取り付けているように見えた。五分くらいだろうか、一通りの作業を終えた彼女は俺の元に戻ってくる。そして右手を出した。


「ソード、貴様のライターを貸せ」

「ライター? そんなの何に使……」

「いいから貸せ」


 有無を言わさぬ調子で俺の手からオイルライターをひったくると、彼女は手に持った蝋燭のような物に火を点けた。しかし、点火されてから俺は気づく。蝋燭の芯はこんなにバチバチと音を立てて燃えたりはしない。


「そぉ、れっ!」


 と、バーダは突然、手に持ったそれを病院の方に放り投げた。そして叫ぶ。


「逃げるぞ、ソード!」

「逃げるって、おい!」


 バーダは戸惑う俺の手を掴むと、猛烈な勢いで走り出した。そして次の瞬間。



 ―――かつてない轟音が、山間に響きわたった。



 それは紛れもなく、火薬が爆発する音だった。銃声などという生易しいものではない。まるで樽に詰まった火薬が一斉に爆発するような大爆音だ。しかもそれは一発が鳴り止む前に次の爆発音が鳴り響き、次々と連鎖していく。まるで気の触れた協奏曲でも奏でているかのようだった。


 逃げる背に熱波と石が吹き付け、俺は咄嗟にバーダを背後から抱きしめる。とにかく彼女の身だけは守らなければ、という傭兵の本能的な行動だった。


 一分程度は続いただろうか。一頻りの爆発音が鳴り終えた後で振り返ると、もはやかつての建物の姿は無かった。そこには煙立つ瓦礫の山だけが残されている。


 病院は、気持ちが良いほどに木っ端微塵だった。


「……いつまで抱きしめてんのよ、バカ」


 腕の間から聞こえた声に、俺は慌てて手を離す。俺ごときに気安く触られたことに腹が立ったのか、彼女の頬は少し朱に染まっていた。


「あ、いや、すまん……」


 と、謝った後で冷静になる。待て、なんで守ってやった俺が謝らなくちゃならないんだ?

 バーダは自分が為した惨状を見やると、満足そうに頷いた。


「ふむ。昔読んだ文献の通りに設置してみたが、なかなか上手くいったな」

「何やってんだよ、おまえ……」


 俺は瓦礫の山を見つめながら、呆然と呟いた。


「あれはダイナマイトだ」と、バーダは得意げに言ってのける。「この山に登る前に炭坑に寄っただろう。そこで見つけたんだ。おそらく坑夫たちが金の採掘で使っていたものだよ」

「ダイナマイトって……爆弾かよ!」


「ああ。もともとは炭坑採掘などの特定条件でのみ政府に容認されていた爆発物だ。しかし、ユナリアでは三年前に条例で全面的に禁止にされている。まったく、この山の坑夫たちの管理は杜撰だな」


 と、バーダは軽く笑ってみせる。


「あの枢機卿の足止めに使えるかと思って拝借してきたものだったが、いやはや、思わぬところで役に立った」

「役に立ったって……いいのかよ? 中を調べる前にこんなことしちまって」

「私の目的は、面白い小説を書くことだけだ。後でおまえの話さえ聞ければ、私はそれでもう十分だよ」


 と、彼女はしれっとして答えた。


「それに万が一、後から誰か別の人間がやってきて、私の作品のネタを取られてしまうのは困る。だったら、木っ端微塵にしてしまった方がマシだろう」


 俺は再び言葉を失った。剛毅というか、論理的というか、いや、それとも馬鹿というか。彼女の思考の道筋は、常軌を軽く逸している。


「……例の地下室とやらも、この瓦礫では誰も入れまい」


 ぼそりと呟いたバーダの一言に、俺ははっとした。そこでようやく気づいたのだ。

 彼女がこの建物を爆破した、真意に。


「―――ソード、おまえはソードだ」


 唐突にかけられた真剣な言葉に、俺は無言のまま俯いた。


 先ほどのバーダの理由は建前だ。

 まだ俺はすべてを語ったわけではない。だが、彼女には推理できていたのだ。この場所が、俺の犯した罪の始まりの場所だということに。


 ―――そう、彼女は俺を過去の呪縛から解き放つ為に、この建物を爆破したのだ。


 様々な感情が胸を圧迫し、俺は口を開いた。


「バーダ、俺は……!」


 そのときだった。

 街の方から、けたたましい慟哭が聞こえてきた。

 それが、誰かを呼ぶような叫びに聞こえたのは、俺の気のせいだろうか。


「行け、ソード」


 俺の瞳をまっすぐに見つめながら、バーダが言う。


「―――おまえの物語に、決着をつけろ」



            ◆



 正歴一八七三年の春。

 俺は小説家と旅をした。

 地図に乗らない魔の山へ、その中腹にあるとされる『一夜にして滅んだ町』へ、その伝説を確かめる為に。


 これはその物語だ。

 俺が語るべき物語であり、俺にしか終止符を打てない物語だ。


 たとえその結末に、救いが用意されていなかったとしても。



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