〈四十〉たった一つの、冴えたやり方
バーダの明確な敵対宣言と同時に、空気が冷たく強ばった。向けられた六つの銃口からは、いつ火が吹いてもおかしくはない。
マルムスティーンは抑揚の無い表情でしばらくバーダを見つめていたが、やがて明らかな失望を顔に宿した。
「……残念です。実に残念です、フォレスター先生」
それはまるで本心からこぼれたかのような呟きだった。
俺はバーダの前に立って身構える。いざとなったらこの身を盾にしてでもバーダを守らねばならない。その覚悟を抱いた時、枢機卿の右手が合図をするように小さく挙げられた。
「やりなさい」
瞬間。
―――これまでとは比にならない、冷気と肌で錯覚するほどの殺気が、周囲を呑み込んだ。
条件反射だろう、六人の騎士たちの銃口が我々から外れ、その殺意の源に向けられる。マルムスティーンまでもが咄嗟に背後を振り向いた。
しかし、それらの注目を浴びながら、その男は例の如く不敵な笑みを浮かべて佇んでいた。
「……何か忘れてないか、猊下サマよォ」
言いながら、その男―――ゴルド・ボードインは枢機卿の前に立ちはだかる。
「俺が望む殺しは俺にやらせてくれる。それがこの仕事を受ける条件だった筈だ」
ゴルドはそう言って、物怖じもせずに枢機卿を睨みつける。享楽的な口調と反して、その瞳には半ば怒気すらも宿っているように見えた。
枢機卿は冷たい目でそれを睨み返していたが、やがて小さく吐息を漏らした。
「……いいでしょう。契約内容を反故とするのは私の主義ではありません。そんなに殺したいのなら、あなたが手を下しなさい」
「おっと、勘違いしないでくれ。俺は何もこの作家先生を殺したいわけじゃない」
ゴルドの目が俺に向けられた。
「俺が望むのは、この護衛の野郎との殺し合いさ」
その狂喜に歪んだ笑みを睨み返しながら、俺は舌打ちを漏らす。
―――なるほど、これがバーダの狙いか。
ゴルドが俺と一対一で殺し合いを望んでいることを、バーダは既に知っている。奴がむざむざ自分の目の前で、他の連中に俺を殺させる筈がないだろう。
横目でバーダを見やると、彼女は俺を見返してこくりと頷いた。やれやれ、この狂人と一騎打ちをしろということらしい。
たしかに俺からすれば、銃を持った六人を一度に相手取るよりも、いくらか勝率は上がるかもしれない……といっても、一割程度だろうが。
しかし、ここでの問題は、仮に奴を打ち負かしたところで向こうの銃の数が減るわけではないということだ。最終的に連中の銃が一斉に火を噴けば、我々はひとたまりもない。
そこをどうやって切り抜けるつもりだ、と疑問を挟もうとしたとき、バーダが口を開いた。
「……ゴルド・ボードイン。一応、私から二つほど提案をしておこうと思うのだがいいだろうか?」
「ああ、別に構わないぜ。聞くだけならな」
彼女は右手の指を二本立てる。
「その男の五倍の報酬を支払うから、今から私に雇われるつもりはないか?」
その言葉で、枢機卿の瞳が胡乱げに細められた。一方、ゴルドは両手を広げ、いかにも芝居がかった調子で首を左右に振ってみせる。
「なかなか魅力的な条件だが、丁重にお断りしよう。仕事は最後までこなすのが主義でね。それに、俺の場合はあまり金額は重要じゃないんだ」
「だろうな。まぁ、それは言ってみただけだ」
バーダはふっと笑みを漏らし、指を一本畳んだ。
「では二つ目の提案。というより、これは条件だ」
彼女の瞳に、鋭い冴えが入る。
「―――ソードと一騎打ちをして、もし貴様が敗北したら、私の先ほどの提案を呑め」
その場にいた者たちが一様に呆けた顔を浮かべた。やがてゴルドが肩を竦めて言う。
「そいつはまた面白い話だ。負けたら味方になれってことか。だがさっきも言ったろ、俺は仕事は最後まで終わらせる主義なんだぜ。それはどう説得するつもりだ?」
「理屈は通っているだろう。敗北した時点で傭兵の仕事は終わりだ。護衛失敗、という結果でな」
傍らで俺は言葉を失う。
……何だ、それは。
暴論にも程がある。そんな理屈が聞き入れられるわけがない。
「かかか、傑作な理屈だな。嫌いじゃねぇ」ゴルドが実に愉快そうに笑う。「だが作家先生よ、俺がその提案を受け入れるメリットは何処にある?」
「ふむ、確かにメリットは無いな。だが」
と、突然バーダは自身の懐に手を突っ込んだ。取り出されたのは、モントリアで俺に使わせた例の拳銃。
「―――受け入れないことでのデメリットは生じるぞ」
そしてバーダは、なんとその銃口を俺の頭につきつけた。
「この条件を呑まなければ、貴様はソードとは戦えん。永遠にな」
底冷えのする声でバーダは言い放つ。突然の凶行に、周囲の人間はもちろん、俺も度肝を抜かされた。あのマルムスティーンでさえ細めていた目を驚きに見開いている。
―――おいおい、本気かよ、この女。
護衛の俺を人質にしやがった……!
「は、はは、ははは!」
してやられた、と言わんばかりに額に手を当てて哄笑するゴルド。
「正気かよ。そんな交渉のやり方は聞いたことがねぇ」
「極めて正気で、極めて論理的な帰結だ。放っておいても我々はいずれ殺される。それが早いか遅いかだけの違いだろう」
バーダは淀みなく答える。
「アンタ、なかなかいい感じに狂ってるぜ」嬉々としていたゴルドの表情に、やがて真剣な色が宿る。「だが……俺に対してその取引はかなり有効だ」
「貴様、何を勝手に……!」
護衛の一人が声を上げ、その銃口をゴルドの方に向けた。
「仕方ないだろう。その条件を呑まなきゃ俺の希望が叶わないんだからよ」
悪びれる風もなく飄々と言ってのけるゴルド。だが次の瞬間、その瞳に悪鬼の如き獰猛な光が宿った。
「一応言っておくが、もしあの作家先生が引き金を引いたら、俺はショックの余り我を忘れるかもなァ」
その狂気じみた迫力の前に、男たちは一歩退く。数日間の旅を経て、彼らもゴルドという男の危険性に気づいているのだろう。
それでも第零騎士団という矜持からか、彼らは自らを奮い立たせるように再び銃を構える。そのとき、マルムスティーンの声が響いた。
「やめなさい」
「猊下、しかし……!」
「彼を撃ち殺す前に、少なくともあなた方のうち二人は斬り伏せられるでしょう」
実に冷静な分析に、男たちは押し黙る。やがて枢機卿の視線がゴルドに向けられた。
「しかしボードイン君、身勝手に取引を進めるのは感心しませんね」
「まぁ、元からアンタの感心を得る為の仕事じゃないしなァ」
一国の重役を前にしているというのに、実に不貞な態度である。だが、枢機卿はため息を一つ挟んだだけで、特に反論もなく頷きを返した。
「いいでしょう。それほどそちらの男性と戦いたければ、好きにしなさい。ただし」
そこで、マルムスティーンの瞳が冷たく煌めく。
「―――必ず勝ちなさい」
「そのつもりだ」
まるで怯むこともなく言って、ゴルドは腰の得物を引き抜いた。
そこでようやくバーダが拳銃を下ろす。俺は彼女の顔をじとりと睨みつけ、苦言を口にする。
「……ハッタリにしても肝が冷えたぞ」
「それじゃ謝罪するわ。ハッタリではなかったからね」
俺の口からは乾いた笑いしか出なかった。バーダが耳打ちする。
「状況は理解しているな?」
表情を引き締め、俺は小さく頷きを返した。
俺たち二人がこの状況から生還する為に必要なものは、少なくとも銃で武装した六人に勝てるだけの戦力だ。俺一人ではどうにもならないが、ゴルドがこちらの陣営に付けば僅かに勝機が見える。あまり認めたくはないが、俺とゴルドの連携は単純な足し算では収まらない。客観的に分析してみても、銃六丁にも勝る戦力になるだろう。
ゴルドの俺に対する異常な妄執とバーダの口車のおかげで、お膳立ては整った。
……唯一問題があるとすれば、先の不死の怪物を倒すよりも骨が折れることだろうか。
そこまで考えて俺は自虐的に口を歪めた。
後ろ向きな理由付けはやめよう。考えても無駄だ、やるしかない。
―――それに、俺もこのゴルドの野郎には、一つ思うところがある。
「下がってろ、バーダ」
抜き身の鉄剣を携え、俺はゴルドに向き直る。一方、ゴルドも嬉々としながらゆっくる歩み寄ってくる。いつものニヤニヤ笑いを浮かべながら、奴は言う。
「さっきみたいな無様な戦いで失望させてくれるなよ、ソード」
「一つ訊く」
奴の挑発を切り捨て、俺は口開く。
「何故、その男の護衛なんぞを請け負った?」
「……あん?」
「そいつは俺たちから―――ハン首領から居場所を奪った男だぞ」
ゴルドの瞳に一瞬だけ、どす黒い暗闇が宿ったように見えた。俺は立て続けに問う。
「それに、不可解なのはさっきバーダが俺に銃を突きつけた時もだ。てめぇ、何を考えてやがる?」
そこで、ゴルドは一笑する。
「はッ、それも分からねぇのか、ソード」
その瞳に、ぎらつく狂人の輝きを取り戻して。
「俺が欲しいのはいつだって愉悦だけだ」
構えられる、細き刀身。迸る殺気。張りつめる空気。
狂気に歪み始める世界の中で、奴は嗤う。
「さし当たっては―――てめぇとの死闘だよ」
「そうか、分かった」
と、俺も自らの鉄剣を構えた。沸々と湧いてくる怒りを集中力に転化し、神経を極限まで研ぎ澄ませる。刃の輝きを瞳に宿し、俺は言い放つ。
「―――てめぇの願いを叶えてやるのは、これが最初で最後だ……!」
◆
対峙は至極短い時間だった。
細切れにされた時の狭間で、風が全身を包む。
沈黙は両者から同時に破られ、鋼鉄の二刃が猛烈な勢いで激突した。瞬間、谷底の空気が大きく震える。
すぐ眼前に迫るは、狂喜に歪むゴルドの顔。
―――待ち望んでいた、そんな顔である。
俺は内心で悪態をつき、鉄剣に更に力を込める。奴を弾き飛ばすつもりだったが、手応えはまるで木の葉でも斬ったかのように軽かった。奴は全身の筋肉を使って俺の膂力をいなし、即座に後方に飛び退る。
が、次の瞬間には、まるで着地した場所にバネでも仕込んであったのかと疑うほど、爆発的な跳躍力で再び俺に飛びかかってきた。俺はその一撃を辛うじて受け流すが、奴の勢いは止まらない。そのまま奴は獰猛な剣線の連撃を繰り出してくる。全身の神経に稲妻を走らせ、俺はそれら一つ一つに応戦する。
絶え間なく火花が舞い散る視界の狭間に、愉悦に嗤う奴の顔が垣間見えた。
……野郎、遊んでやがるな。
その余裕満々の顔を、意地でも崩してやる。
俺は剣戟の間隙を縫って奴の剣を弾き返し、同時に身を翻した。リズムが崩され、ゴルドの顔に一瞬だけ驚愕が宿る。その顔面めがけて、俺は疾風の如き後ろ回し蹴りを放った。しかし、ゴルドは大きく身を反らせ、間一髪でそれを回避。
狙い通りだ、糞野郎が。
回し蹴りの慣性に乗せ、俺は右手の鉄剣を雷光の速度で突き出す。真の狙いは、奴の稼働の起点となる右足の大腿だ。
しかし、ゴルドの動きは俺の予想を遙かに越えていた。瞬間、体幹を後方に反らしたまま、奴の両足が地を離れる。そのまま後ろ手を大地に着け、見事な後ろ宙返りを見せやがった。
突き出した剣を即座に構え直すのと、奴が体制を整えて剣を構えるのは、ほぼ同時だった。
距離を置いて、再び俺たちは対峙する。口を開いたのはゴルドの方からだった。
「安心したぜ、ソード。少しはやる気を出してくれたようだな」
俺は無言で睨み返す。奴は構わず続けた。
「しかし、少しばかり戦い方が雑じゃないか? 分かってるんだろうな。俺を物理的に戦闘不能にしちまったら、作家先生の目論見が崩れちまうんだぜ?」
奴の言う通り、俺たちの生存は、いかにしてゴルドの戦力をこちらの陣営に取り込むかに懸かっている。仮に奴の右足を切断して勝利したとしても、奴が戦力として用を成さない状態では意味がない。
しかし、俺はそれを鼻で笑い飛ばした。
「あの程度で戦闘不能になるようじゃ、どっちみち俺たちの戦力にはならねぇよ」
「かかか、これほど信頼厚い言葉を貰えるとは嬉しいねぇ。だが……」
奴の眼光が鷹の煌めきを見せる。
「冷静ぶっているように見えて、内心は俺への怒りで煮え返ってる。さっきのはそんな剣線だな」
俺は否定しなかった。実際その通りだったし、隠すことでもなかったからだ。ゴルドは一瞬だけ俺から視線を反らし、言葉を続けた。
「……まぁ、おまえが俺に対して怒ってる原因は、だいたい検討がつく。親父の件だろ」
「やめろ」俺は思わず口を挟んだ。「今のてめぇが、あの人を『親父』呼ばわりするんじゃねぇよ」
「こりゃまた随分と嫌われちまったようだ」
そこで初めて、ゴルドの表情に苦笑いのようなものが浮かんだ。その口が、独白のように紡ぐ。
「―――ソード、おまえはいつもそうだ。他人の為に怒れる。他人の為に戦える。他人の為にこんな辺境まで旅ができる。俺とは正反対だ。俺はすべて自分の為にしか動けねぇからなァ」
「それがおまえの理由か」と、俺は怒気を迸らせながら言う。「自分の愉悦と、生活の為の日銭稼ぎだけが、おまえの目的なのかよ」
「否定はしない」ゴルドは存外に真剣な顔で言った。「愉悦こそが俺の人生だ」
「生き方に誇りは無いのか、てめぇは」
「そんなもの、生きていく上ではただ邪魔なだけだろ」奴の口元が、酷薄に歪む。「こんな時代じゃァな」
いつか聞いた言葉に、俺の血液が沸騰した。
てめぇが―――。
あの人と同じ言葉を。
口にするんじゃねぇよ。
―――刹那、金属音が渓谷に木霊した。
気づけば俺は、大地が抉れるほどの勢いで奴に肉薄し、鉄剣を振るっていた。それを自らの得物で受け止めるゴルドが、刃越しに嗤ってみせる。
「……いい一撃だ。少しばかり背筋が冷えたぜ」
「てめぇには此処で敗北してもらうぞ、ゴルド……!」
「へぇ、何をもって敗北とする?」
奴の刀に力が入る。接触したまま拮抗する刃が、少しばかり俺の側に傾いた。歯噛みしながら耐える俺に、奴は言う。
「俺の敗北は、俺が死んだ時だけだぜ」
やがて、俺の鉄剣が押し負ける。弾かれて隙を晒す前に、俺はすぐさま後方に飛び退いた。
そして、みたびの対峙。
ひりつく空気の中で、今度は俺から口開く。
「それじゃ、俺が敗北感の味ってやつを教えてやるよ」
「かかか、不味いという話だけは聞いてるがな」
そんな軽口を交わしながらも、俺の頭は次第に冷静になりつつあった。先ほど一度激昂して熱量を吐き出したおかげらしい。俺は一瞬バーダに視線をやり、安心するように頷いてみせる。
―――勝利条件は、奴を殺さずにかつて無い『敗北感』を味あわせること。
殊更に過程と勝利を重んじるこいつにそれを感じさせる方法は、『屈辱』だけだ。
つまり―――最後は鉄剣を使わずに、ゴルドを圧倒する。
自身の強さを盲信する奴の鼻っ柱を、拳で叩き折ってやる。
「戦意充分って顔だな」ゴルドが言う。「だがソード、一つだけ友人として助言してやる。おまえにはエゴが足りねぇ」
「エゴだと?」
「ああ、そうさ。おまえはいつだって、自分を天秤に載せられねぇんだ。だからあの怪物にも勝てない」
俺は鼻を鳴らした。
「分かりやすい挑発だな」
俺が再び剣を構えたとき、ゴルドはなんと自分の剣を鞘に納めた。
「だから―――その程度の刃で、俺を斬れると思うなよ」
そう言い放つと、奴は剣の柄を握ったまま体勢を深く沈めた。その全身から、肌が痛くなるほどの殺気が迸る。
俺はこの姿勢を知っている。それは奴が持つ刀剣の真骨頂。鞘の中で刃を加速させ、超高速の斬撃を放つ抜刀術―――ゴルドはその技を『イアイギリ』と呼んでいた。
……勝負を決めに来る、ってことか。
「上等だ」俺もまた、口の端を歪めた。「尚更、叩き斬ってやるよ」
俺の言葉は、奴の意識を俺の鉄剣に向ける意図もあった。
勝負はおそらく、次の激突で決まるだろう。心を静め、俺は神経を集中させる。世界から雑音が削ぎ落とされ、あらゆる音がクリアに耳に届く。
「ソード……」
後ろから、バーダが俺の名を心配そうに呟くのが聞こえた。まったく、最初出会った時とは比べものにならない程のしおらしさだ。
―――安心しろよ、バーダ。
俺は死なない。
一拍の静寂を挟んだ後、俺とゴルドは同時に動き出した。俺は鉄剣を下段に構え、奴は鞘中の剣を携えて疾駆する。世界の速度は、普段よりも遙かに遅い。奴の一挙手一投足が、俺の目で事細かに認識できる。
―――此処から先は、互いに手の読み合いの世界だ。
相手の剣を如何にして妨げ、自分の剣を如何にして炸裂させるか、それが思考の道筋となる。
しかし、俺の場合は違う。俺の目的は鉄剣の刃ではなく、拳をぶち込むことだ。故に勝機があるとすれば、そこしかない。
意識が加速する世界の中で、俺の目に奴の刃の煌めきが映った。その悪夢のような速度を、人間の身体能力で避けきることは難しい。では、どうするか?
答えは―――避けない、だ。
刹那、甲高い金属音が響きわたる。
俺の突き出した鉄剣が、奴の刀剣の軌道を強引にねじ曲げたのだ。その強烈な威力に、俺の右手の握力が押し負ける。俺の鉄剣は弾き飛ばされ、円を描きながら二人の頭上を舞う。
武器を失うことは、俺の想定内だ。そのおかげで、斬撃を放ったがら空きのゴルドを拝むことが出来た。
「うおぉぉらぁぁぁッ!」
疾走の勢いを殺さず、俺は奴の顔面めがけて殴りかかる。
一撃だ。この一撃で、奴に敗北を味あわせてやる!
万感を込めた拳が炸裂しようかという、その瞬間。
―――突然、俺の側頭部に衝撃が走った。
揺れる視界。遅れてくる激痛。その狭間に、俺は見た。
ゴルドの左手が振り切った、奴の刀剣の鞘を。
そう、それはいつぞや、俺が野党たちを叩きのめす時に使った技。
鞘を使った二段構えの抜刀術。
―――しまった。
そう思考した瞬間に、すべては決していた。
奴の身体が翻り、歪んだ世界の中に刃の煌めきが走る。その刺突は正確に俺の左胸を捉える。辛うじて見えた奴の瞳に、躊躇いは微塵も無い。
「……あばよ、ソード」
その言葉のすぐ後で、かつて無い灼熱感が俺の心臓を貫いた。
◆
「ソードォォォォッ!」
バーダの絶叫が、遠くから聞こえた。俺は呆然としながら、視線を自分の左胸に下ろす。そこには当然の如く、ゴルドの剣が突き刺さっていた。
「が、はッ……!」
俺の意図無く、口から血が吐き出される。次いで激痛が全身を貫いた。しかし、絶叫する力すらも出ない。突き刺された場所から、俺の身体全体に暗闇が広がっていくような気がした。
ゴルドが俺に言う。
「悪くない勝負だった。礼を言う」
視界が霞み、奴の表情はもはや判然としない。思考すらまとまらない。憎しみも、怒りも、悲哀も湧いてこない。
眼球を何とか動かして、バーダを見やる。彼女は騎士団の連中に両手を拘束されながら、泣き叫んでいるように見えた。しかし、その叫び声すらも不明瞭だ。まるで分厚いカーテンの向こうから聞こえてくるように感じる。
……すまない、バーダ。
薄れていく意識の中、まず最初に浮かんだのは、その謝罪だった。続いて、どうにかして生き延びてくれ、という願いが浮かんだ。しかし、どうやって、という思考には至れなかった。それだけの気力は、既に大量の血と一緒に大地に流れてしまっていた。
「おまえの敗因は、俺を殺そうとしなかったことだ」
ゴルドが独白のように続ける。
「だから、おまえは誰にも勝てない。昔、親父が言ってたろ、真の勝利には覚悟が必要だって。おまえには未だ覚悟が足りなかった。それがこの結果だ」
もう、奴の言葉の論旨すら頭蓋からこぼれていく。
そうか、死ぬのか、と今更ながらに思った。
その気づきは諦観にも似ていた。
―――しかし。
「……最後に教えてやるよ、ソード」
ゴルドが、俺の耳元に口を寄せた。
紡がれた言葉を聞いて、俺の意識に冷水がかけられる。
……そうか。
そういう、ことかよ……!
くそったれ……ッ!
だが、俺の身体はもはや動かない。俺の生命は、完全に消えかかっていた。
「―――だから、おまえはもう眠ってろ」
その言葉と共に、ゴルドは刀剣を引き抜く。
俺の左胸から血が噴き出し、傍らに突き刺さった俺の鉄剣を赤く染めた。支えを失った俺の身体が、為す術もなく崩れ落ちる。
大地に横たわり、空を仰ぐ。
既に太陽は傾き始め、いつか見た黄昏が目の前いっぱいに広がっていた。
どこか遠くから、彼女が俺を呼ぶ声がした。
その懐かしい声に耳を澄ませながら、俺はそっと瞳を閉じる。
そして、黄昏の果てに迫る夕闇の彼方へと、俺の意識は静かに墜落していった。




