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傭兵と小説家  作者: 南海 遊
Part 1. The Soldier and The Novelist.
21/83

〈十九〉旅人たちのとある夜明け

 三十分後、夜盗四人組は全員ほぼ同時に意識を取り戻した。なんとも仲の良いことである。チビがストラドレーター、ノッポがルース、デブがアクリーという名前だった。四人は全員その後ろ手と両足をロープで縛られ、焚き火の前に座らされていた。


 最後に眼帯の男が目を覚ますと、他の三人が心配そうに声を上げた。


「ジャンの兄貴!」

「良かった、目を覚まして」

「だ、大丈夫ですかい?」


 チビ、ノッポ、デブが順に声をかける。リーダーのジャンという男は焚き火に眩しそうに目を細めてから、部下たちを見回した。


「おまえら……」


 そして顔を上げ、俺と小説家の姿を認めると、憎々しげに表情を歪める。が、すぐに戦意を失ったように、諦観めいた寂しげな笑みを浮かべた。


「そうか。俺たちは、負けたのか」


 なんとなく芝居がかった調子に、俺と小説家は一瞬鼻白んだ。眼帯の男はそんな我々など意にも介さず、独白のように続ける。


「いいぜ、好きにしろよ。敗者に情けは無用だ。こうやって、時代の流れに逆らって消えていくのも―――嗚呼、悪くはないさ」

「兄貴」

「うう」

「お、おお」


 ジャンの言葉に、他の三人が感極まったように咽び泣く。


 俺は眉を寄せる。小説家も眉を寄せていた。我々二人の頭上には全く同じ疑問符が浮かんで見えたことだろう。


 ……なんだろうか。彼らと我々の間には何かしら温度差のようなものを感じる。


 陶酔的な台詞を吐いてはいるが、連中は闇に紛れて我々を襲い、返り討ちにあった間抜けな盗人たちだ。負けるとか、時代の流れとか、正直言って現状には全く関係が無いと思うのだが。


 しかしそんな四人の会話は我々の存在を無視し、さらに熱量を増していく。


「ストラ、ルース、アクリー。悪名高き我らコマンチ団も、どうやらこれが年貢の納め時というやつらしい。最後まで俺についてきてくれてありがとよ」

「うう、それはこっちの台詞です、ジャンの兄貴」

「俺たちは兄貴がいたからこそ、なんとかやってこれたんじゃないですか」

「うおぉん、あ、兄貴ぃ」


 三人の顔は既に涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。

 その様子を見ながら、俺の口から冷めた言葉が漏れる。


「……いや、さっきこれが初陣とか言ってなかったか」


 悪名なんて何一つ広がってねえよ。


 しかし俺の指摘など耳に入らぬようで、ジャンの芝居がかった語りは続く。


「悪かったな、おまえら。『盗賊王』になるなんて、俺のチンケな野望につき合わせちまってよ。挙げ句、このザマだ」

「謝らないでくだせぇ、兄貴は俺たちに希望をくれたんでさぁ」

「そうですぜ、傭兵をクビになって途方にくれてた俺たちを導いてくれたのは、兄貴じゃないですか」

「うおぉん、あ、兄貴ぃ」


 泣きわめく三人に触発されたのか、やがてジャンの頬にきらめく雫が伝っていった。


 いや、だから、なんで右目の眼帯の下からも涙が流れてるんだよ。

 目、健在じゃねえか。

 意味あんのか、その眼帯。


「おまえら……」

「兄貴」

「兄貴っ」

「うおぉん、あ、兄貴ぃ」


 滂沱の落涙を見せる彼らを余所に、俺と小説家は目を見合わせる。お互いに平坦な表情が浮かんでいた。先に口火を切ったのは、小説家の方だった。


「正直に言おう、ソード」

「なんだ」

「私は今、ものすごく面倒くさい気分だ」

「奇遇だな、俺もだ」


 ……何なんだ、この茶番劇は。


 正直我々は、リーダーの男が目を覚ましたら彼を尋問する気でいた。というのも、イクスラハでの一件―――そう、マルムスティーン枢機卿との確執があったからである。この連中が枢機卿の放った刺客である可能性を警戒したのだ。


 しかし、今目の前で繰り広げられている茶番を見るに、どうやらその可能性は低そうだ。単純に傭兵上がりの短絡的な粗暴者が夜盗に鞍替えしただけらしい。


 俺は目頭を押さえ、ため息をついた。

 まったく、馬鹿馬鹿しい。


「おまえら、傭兵だったのか?」


 俺のそんな質問に、ジャンが答える。


「ああ、そうさ……俺たちは元々、イクスラハの『新月の組合』に所属する誇り高き傭兵だった。そう、教皇庁の裏切りに会うまではな」


 悔恨の表情で歯ぎしりをするジャン。いちいち仕草が大げさな男だ。彼は続ける。


「傭兵組合が撤廃されたとき、俺たちは決めたんだ。決して体制に隷属されてなるものか、と。俺たちは俺たちの美学に従い、奴らに反旗を翻してやろうと」

「それが『盗賊王』とやらを目指す理由か?」

「その通りだ。いずれはこのジャン・ゲザツキーの名を聞いただけで教会の連中が震え上がるような、そんな偉大な悪党に……」

「単純に、再就職に失敗したから、とかじゃなくてか?」


 俺の言葉にジャンが押し黙った。図星だったらしい。

 消去法の最たる理由じゃねえか。

 俺は何度目かのため息をつく。


「要するに新しい仕事が見つからなくて夜盗にでもなるしかなかった、ってことか」


「そ、それは物事の一側面に過ぎない。俺たちの本質はもっとドラマチックでだな……」

「そんな安い理由で片づけるんじゃねえ」

「おまえに俺たちの気持ちがわかるか」

「そうだそうだ」


 ジャンに連なって他の三人が喚き散らす。まるで藪から蛇である。やれやれ、これ以上の詮索はやめておこう。


「……まぁ、気持ちはすげえよく分かるんだけどよ、実際の話」


 俺は独り言としてそう漏らした。


 正直な話をすれば、あまり他人の気がしないというのが本音だった。大局的に見れば連中もまた、俺と同様に教皇庁の理不尽な施策による被害者というわけだ。もちろん、それが旅行者を襲う夜盗に成り下がっていいという理由にはならないが。


 さて、どうしたものか、と俺は考え込む。


 未遂とはいえ、こいつらは犯罪者だ。真っ当に考えれば教皇庁の警士団に引き渡すべきだろう。


 しかし、この四人をロープで縛ったまま、我々の一頭立て馬車に乗せて次の町まで連れて行くのは望むところではなかった。若い良馬とはいえ、さすがにこれ以上の荷物を引かせては潰れてしまう。このままこの大草原に放り投げておくのも連中にとっては自業自得と思えるが、さすがにそこまで非情になれる気もしない。


 そんな風にくどくどと考え込んだが、まあ、決定権を持つのは俺ではない。傍らの最高権力者に目を向ける。


 小説家もまた、顎に手を当てて考え込んでいる様子だった。その目線が、まるで選別でもするように縛られた四人に向けられている。


 そして彼女は静かに口を開いた。


「体制に隷属されてなるものか―――その言葉に偽りはないな?」


 どことなく重苦しい口調だった。その威圧感に気圧されたのか、返事の言葉もなく、ただ銘々が大きく頷きだけを返す。小説家はそんな彼らの瞳を、一人ずつ吟味するようにのぞき込んだ。


 いったい何を考えてるんだ、この女は?

 やがて、小説家の口元が不敵な弧を描く。


「……ふむ、気に入った。なかなか愉快な連中だ」


 小説家はいつものように演技めいた仕草で髪を振り払い、そこで自らの名を名乗る。


「私の名はバーダロン・フォレスター。知っているか?」


 その名前に反応したのはリーダーのジャンだけだ。


「フォレスターって、まさかあの小説家の……?」


 狼狽するジャンに三人の視線が集まる。

「知ってるんですかい、兄貴?」

 とチビのストラドレイター。

「馬鹿野郎、今この国で一番売れてる小説家だ」

「小説ですって? 兄貴は読んだことがあるんで?」

 そう訊ねるのはノッポのルース。

「当然だ。この俺様が時代の先端たる本を読んでないわけがないだろう」

「へぇ、さっすが兄貴!」

 デブのアクリーが感嘆した。


 そしてその三人の視線が、先ほどまでにない羨望の光をもって小説家に向けられる。尊敬する兄貴分が認める作家なのだから間違いない、そんなわかりやすい方程式が俺の頭の中に自然と浮かんだ。


 やれやれ、つくづく単純な連中である。


 そして、そんな視線を浴びてどこか得意げな小説家。

 ……おまえも相当に単純な女だよ、まったく。


「私の知り合いに、つい最近小さな劇団をイクスラハで立ち上げた男がいる。もともとは脚本家なんだが、体制に反発するような作品ばかりを書いて校閲で毎回芽を潰されてきた男だ。どうやら今度は自らが劇団を作って強引に上演してやろうという目論見らしい」


 小説家が唐突に切り出した話に、縛られた四人は首を傾げる。


「いったい何の話だ?」


 ジャンの質問に、小説家はにやりと笑う。



「私が入団の推薦状を書いてやろう」



 文脈が即座に理解できず、その場の全員が呆けた顔を浮かべた。

 入団?

 推薦状、だって?

 それはつまり、


「俺たちに、劇団をやれって言うのか……?」


 ジャンが困惑しながら問いかける。


「その通りだ。正直、貴様等のような直情型の人間には向いていると思うぞ。個々人の見栄えも特徴的で悪くない、はっきり言って舞台映えする外見だしな」


 チビ、ノッポ、デブがお互いに目を見合わせる。

 言われてみれば確かに、全員かなり特色のある見た目だ。


「どうだ? 先細りの『盗賊団』なんぞより、社会的な位置づけもしっかりした『劇団員』の方が魅力的だと思うがな」


 小説家の言葉に、四人は戸惑いを見せる。劇団員、という響きに少なからず惹かれている様子だ。そりゃ当然、社会の爪弾き者よりは遙かにマシである。


 ジャンは俯き懊悩している。彼の揺れ動く胸中が手に取るように分かった。

 こりゃ、あと一押しで転ぶな。

 しかし、小説家はそこで少し表情を曇らせた。


「……ただ、まだ駆け出しの弱小劇団だから、入団したとしてもおそらく当分はかなり辛い日々が続くことだろう。演目は教皇庁に喧嘩を売るようなものばかりだし、政府の圧力は避けられん。一劇団として成功するとなれば、それは言うまでもなく茨の道だ」


 小説家の言葉で、四人の表情に少し翳りが差した。


「しかし、だ」


 そこで挑戦的な笑みを浮かべ、四人を睥睨する小説家。

 右手の指を一本立て、彼女は告げる。


「そんな逆境を乗り越え、舞台上で万雷の拍手を浴びた時こそ―――貴様等の体制への反逆は、真に成し遂げられたと言えるのではないか?」


 見上げる四人が一斉に、まるで稲妻に打たれたかのように目を見開く。


「想像してみろ。有無を言わさぬ感動で大衆の心を掴み、正面から堂々と教皇庁の悪行を批判してみせる様を。誰もが貴様等に喝采を送る未来を。そしてそれを横目にしながらも、世論に縛られ動けない教皇庁を。痛快だと思わないか?」


 小説家の言葉に情景を思い描いたのか、連中の表情に高揚の色が宿る。ストラドレイター、ルース、アクリーの口から「おお」という感嘆の声が漏れた。


「もちろん見返りはいらん、これは私からのちょっとした善意だ。強いて言えば、体制に反を呈さんとする貴様等へのささやかな共感からだ。どうだ? この誘いに乗ってみる気はあるか?」


 魔女の笑みを投げかける小説家を見て、俺は乾いた笑みを漏らした。この女は小説家というよりも煽動者に向いていると思う。


 いつの間にか俯いていたジャンの肩が、かすかに震えている。


「そう、か……これがきっと、俺たちの本当の運命……」


 ぶつぶつと呟いてから顔を上げるジャン。その瞳には、これまでに無い輝きが満ちていた。


「―――フォレスター、いや、バーダロンの姉御!」


 縄で縛られながらも両膝を投地し、ジャンは居住まいを正す。その双眸が畏敬の念をもって小説家に向けられた。


「これまでの無礼のすべてを謝罪いたしやす! 俺らの誇り高き志を汲み取ってくれたご恩、決して忘れやしません!」


「兄貴!」

「兄貴っ!」

「それじゃあ……!」


 三人の熱のこもった視線がジャンに向かう。彼らに向けて、ジャンは挑戦的に笑ってみせた。


「ああ、てめぇら、もう一度この俺について来い」


 立ち上がり、夜の彼方に向けて、男は叫ぶ。



「―――俺は、劇団王になる男だっ!」



 その慟哭に他の三人もまた立ち上がり、歓声を上げてジャンを囲んだ。まるで億万長者にでもなったかのような盛り上がり様である。


 再び生まれたそのうっとおしい熱量の前で、俺は辟易を隠せずに吐息をついた。

 まったく、ころころと野望の変わる連中だ。ある意味、羨ましい性格をしていると言える。


 小説家に目を向けると、彼女は両肩を抱えて何故か恍惚の笑みを浮かべていた。


「姉御、か。ふふ、一度呼ばれてみたかった名称だ」

「……おまえもなかなか、よく分からん性格だよ」


 妙な疲労を感じつつ、俺は煙草を取り出して一本を口にくわえる。紫煙を吹きながら、俺は思う。


 何はともあれ、旅路の荷物を増やす羽目にならずに良かった、と。


               ◆


 翌朝、目覚めると既に朝食が出来ていた。テントから出ると、目の下に隈を作ったジャンたちが俺を迎えた。


「ああ、ソードの兄貴!」

「おはようございやす!」

「昨夜は眠れやしたか?」

「朝食ができてやすぜ!」


 起きたばかりの低い気分で、これほどうるさい連中の相手をするのはなかなかしんどいものがある。俺は「ああ」と生返事を返して、とりあえず煙草を一本くわえた。


 昨夜の一件で、どうやら俺もこいつらにとっての恩人になったらしい。彼らは俺の代わりに寝ずの番をしてくれただけではなく、自分たちの野宿用の簡易テントまで貸してくれた。


 もちろん、俺は鼻から彼らを信用していたわけではない。実は俺は寝たふりをして、しばらくテントの中から彼らのことを観察していた。しかし、焚き火の前で酒盛りをしながら訥々と未来を語る彼らを見ていると、疑うのも馬鹿馬鹿しくなった、というのが正直なところである。そんな光景が明け方まで続いた辺りで、俺は素直に仮眠をとった。結局、最終的には連中のことを信頼することにしたのだ。


 大きく伸びをしてから、俺は頭上に向けて紫煙を吹く。幾分寝不足な感は否めないが、少しでも睡眠を取れただけマシだろう。空は西の方にわずかに雲が見えたが、快晴といって差し支えない天気だった。雨が降るとしてもまだだいぶ先のようだ。


 野営地の焚き火の前には既に小説家が腰掛けていて、遅れて起きてきた俺を非難するように睨んだ。


「主より起きるのが遅いとは、護衛としての気構えができていないんじゃないか、貴様は」


 俺の明け方までの監視のことは、彼女はもちろん知らない。

 しかし、わざわざ反論に使うほどの話でも無いし、今の俺の血圧はこれから彼女との口論に臨めるほど高くはなかった。


「連中がわざわざ寝ずの番をしてくれたからな。休養はとれる時にしっかり摂るのが傭兵の鉄則だ」


 そう言って欠伸をする俺を、小説家は不服そうにずっと睨んでいた。


 ジャンたちの作った朝食はかなりボリュームのあるものだった。もともと長期的な展望で旅人を襲う為に、大量の食料を備えていたらしい。だが、それももはや不要とのことだ。


「まさか野営二日で運命の転機が訪れるとは、夢にも思いやせんでしたぜ」


 朝食を囲みながらジャンがしみじみと言う。俺自身も、まさか昨日夜襲をしかけてきた連中とこうして食事を共にするとは思わなかった。


「此処に張っていた間、俺たち以外は誰も通らなかったのか?」


 何の気なしの俺の質問に、何故かジャンが目を反らす。


「いや、通らなかったわけじゃ、ないんですがね」

 他の三人も苦い顔をしながら顔を見合わせる。

「ちょっと、なあ」

「うん……」

「あれは、襲えないよなぁ」


 俺と小説家は眉を寄せた。俺は訊ねる。

「あれって?」


「ええ、実は兄貴たちが通る半日前ですかい、此処を通った連中がいたんですがね」

 ジャンが真面目な顔をして語り出す。

「それが大型馬車三台の大所帯だったんでさぁ。しかも凄い速度で駆け抜けて行きまして、とても襲いかかれるような様子じゃなかったんです。ましてや、まだ明るい時間帯でしたしね」


「しかし、ありゃ何だったろうな」

「行商の馬車にしては物騒な雰囲気だったしなぁ」

「正直、ちょっと怖かったッス」


 四人の話に、小説家が「ふむ」と考え込む仕草を見せる。


「大型馬車となるとキャラバンか。大口の荷物を扱う商人がよく使うと聞くが、それでも三台というのはさすがに多すぎるな」

「ありゃ商人なんかじゃないと思いやすぜ。放ってる空気があまりにも殺伐としてましたし」

 小説家の言葉をジャンが補正した。


 俺はというと、スープの入ったカップに口をつけながら、胸中に湧いてきた嫌な予感に凍り付いていた。しかも俺の嫌な予感はよく当たる。


 馬車を借りたときの馬主の言葉を思い出す。

 キャラバンが三台だと?


「……くそったれ、やっぱりかよ」


 俺の口から、思わず憎々しげな独り言が漏れる。

 小説家がそんな俺を疑問顔で横目にしていたが、ジャンの言葉でそちらを向いた。


「バーダロンの姉御たちはこれから北に向かうんですよね?」

「ああ、とりあえずは州を越えてモントリアの町までな。それがどうかしたか?」


 小説家が聞き返すと、ジャンは急に声のトーンを落とした。


「いえ―――気をつけてくだせえ。北に向かってるのは、どうやらその奇妙なキャラバンだけじゃないみたいなんです」


「どういうことだ?」


 小説家が不審そうに訊ねる。ジャンは少し青ざめたような顔で口開いた。


「姉御たちが此処に来る前日の夜、俺たちは見たんでさぁ……『唸り叫ぶ獣』を」

「唸り叫ぶ、獣?」


 俺はその単語を思わず復唱した。初めて聞く名称だ。

 ジャンは大きく頷き、語る。


「ええ。俺たちが此処を拠点にした日の深夜、日付が変わった辺りだったと思いやす。何処からか聞いたことのない唸り声が聞こえてきたんでさぁ。まるで地響きみたいな低い声で、思わずぞっとしやしたね」

「牙持つ獣たちか? 珍しいな、この辺りで出たという話は久しく聞かないんだが」


 俺の言葉に、ジャンは曖昧に首を振った。その動作は否定の意味にも、肯定の意味にも見えた。


「それが分からないんでさぁ。たぶん、牙持つ獣の一種だったと思うんですが、俺はあんな風な種族が見たことがないんで」


 当時のことを思い出しているのか、ジャンの表情は困惑顔だった。それとは対照的に、小説家が好奇心の色を見せながら訊ねる。

「いったいそれは、どんな獣だったんだ?」


「いえ、実はですね、はっきりと見えたわけじゃないんですが」ジャンが言葉を濁す。「唸り声が聞こえてから、俺たちは焚き火を消してすぐに草むらに隠れたんです。何せ深い真夜中でしたし、暗闇の中じゃ人間は獣には勝てやせんからね。何とかしてやり過ごそうと思ったわけです。すると道の南の方から、けたたましい叫び声を上げて、ギラギラとした光が駆けてきたんでさぁ」


「ありゃ恐ろしかったなぁ」

「目がギンギラに光ってたしなぁ……あんな怪物は見たことがねぇ」

「でも正直、速すぎてよく見えなかったッス」


 銘々が感想を口にする。ジャンが頷いた。


「そうなんス、あまりにも速すぎてよく見えなかったんです。ただ、俺はあれほど速く駆ける獣は見たことがねぇ。ましてやあんな風に絶えず雄叫びを上げる奴なんて……ソードの兄貴は、そういう種類に心当たりありますかい?」


 その問いに俺は首を左右に振った。


「いや、動きの素早い奴らなら何種類か知ってるが、目が光る獣ってのは聞いたことがないな」


 しかし『牙持つ獣たち』の生態には未だに謎が多い。もしかしたらそういった特性が確認されていないだけで、既知の獣の中にも目が光る種族がいるのかもしれない。


「その怪物もまた、北へ向かったというんだな?」

 確認するように小説家が言うと、四人が同時に頷きを返した。


「そうです。しかし……いったい何が起きてるんですかね? 北に何かあるんですかい?」


 ジャンの不安げな質問に、だが小説家は答えずに俯いた。その唇がぶつぶつと独り言を漏らす。


「その獣が北へ向かったのは一昨日の夜……キャラバンは昨日の昼頃……その怪物を追っていた? いや……」


 俺はそんな彼女に小声で問いかける。


「―――例の枢機卿が何か関係してると思うか?」

「さてな。断定するにはまだ情報が足りんよ。ただ」


 そこで彼女は言葉を区切る。俺は首を傾げた。


「ただ?」


 その先を促すと、彼女は顔を上げる。

 瞳には、爛々とした好奇心が宿っていた。




「面白くなってきたわね」



 予想だにしない一言に、思わず唖然としてしまう。

 口元に浮かぶ笑み。

 そして俺の前にも関わらず女口調ということは、それは心からの本音ということだ。


 俺は盛大にため息をついてから、独り言を漏らした。

「……俺はかなり面倒くさくなってきたんだがな」


 魔の山に、不死の怪物に、枢機卿との敵対。加えて今度は謎のキャラバンに謎の獣だ。分かっていたことではあるが、どうにもこの旅は平穏には終わらないらしい。


 街道の果てに一瞬目を向けてから、俺は隣で嬉しそうに口元を緩める小説家を見やる。



 ……俺はもしかして、ゴルドの野郎よりも面倒な奴に捕まってしまったんじゃないか?



 今更そんなことを思う俺を、大草原に吹く風が嘲笑っているように感じた。



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